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奈良からの帰途、初めてのルートを通ったところ 「慈光院」の看板が目についた。 |
ぶらっと
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三重県伊賀市にある伊賀流忍者屋敷へは 過去3回、見物に行ったことがある。 1回目は娘たちが小学生の時に連れて行った。 それに比し まだ上の孫は1年生(女)、下は年少組(男)なので、理解は難しく退屈するのではないかと懸念した。 2回目は米国人夫妻を案内したのだが 当時の米国では忍者ブームだったようで テレビや映画を通じて 事前知識があり 大喜びだった。 夫妻は6才の女の子のおみやげに忍者グッズを買っていたのを思い出した。 孫達は、教育テレビで忍たま 乱太郎を見ているから 予備知識があるので大丈夫だろう。 ということで忍者屋敷見物に連れて行くことにした。 現地では、全く心配無用であった。 2人共、くの一の実演には興味津々、忍術体験館では 二人とも縄梯子、水上歩行用の水蜘蛛、当時の盗聴器である聴き筒などに興じている。 驚いたことに孫娘は忍者伝承館で 忍者検定試験問題を 持参したメモ帳に長時間かけて 書き写していた。 帰宅後、書き漏らしがあっては困るだろうと思い そっと問題集をカメラに収めておいた。 今頃、答えを見つけているかな。 因みに テレビ番組は見たことがないが 何でもハリーポッターのように 乱太郎は忍術学園に入学する。
生徒は忍者の卵なので忍たまと呼ばれ そこで くの一などの生徒とエリート忍者になるための修行をしているらしい。 |
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亀山城は天正18年(1590)に築城され 現在は天守閣がなく天守台には多門櫓(県史跡)が残されている。 天守閣について面白い逸話が伝えられている。 寛永9年(1632)、幕府は掘尾吉晴に同名の丹羽亀山城の改修を命じた。 吉晴は伊勢亀山城と勘違いして ここの天守閣を解体してしまった。 解体後、誤りに気付き再建を申請したが 幕府はこれを許さなかった。 解体された亀山城主は勿論、掘尾吉晴も命令書を読み違えるだろうか。 ともあれ 4/15の三重県中部地震で亀山城の石垣が崩落したと報道された。 天守台正面に回ってみるが 石垣には修復跡が分らない。 以前、来たときは見通しが良かったのだが 今は木が邪魔をするので 多門櫓近くに上り 石垣を見たが修復跡がない。 帰宅後、再度、当時の報道記事を調べたところ、天守台石垣正面ではなく 裏手の収蔵庫の隅石だった。 道路から天守台に登る石段横に青いシートが広げられていたが どうやらあの辺りらしい。 現地を見れなかったが もう修復は終わっているのだろう。 多門櫓近くの歩道沿いに「亀山宿」の石碑と案内板が建っている。 家老屋敷や宿場町の名残が楽しめそうだが この後、予定があるので 亀山駅へ急ぐ。
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