お茶の子さいさい

更新&訪問が滞っていますが ゆっくりと続けてみます。

白浜見聞録

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白浜 ランチ&おみやげ

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白浜警察署から東へ少し走ると道路左側に「とれとれ市場」がある。
どこにでもある地元の海産物やお土産を販売するスーパーのようなものだ。
昼食にセルフ食堂を覗いたが今一なので出たところ、そこに海鮮散らし寿司専門の出店があった。
にぎりのネタ程の大きさの鮪、烏賊、海老、鯛、鰹―――を寿司飯に載せた普通のちらし寿司だ。
そんなに期待していなかったのだが 最初に口に入れた烏賊に思わず「旨い!」。
妻も「甘味があっておいしい」と云う。寿司飯も旨いのであっという間に平らげた。
量的には少し物足りない感じがあるが 味と値段¥1,500はお勧めだ。
但し臨時販売のようだったのでいつも食べれるかどうかは不明。
おみやげは定番の南高梅、柚もなか。後はその時の思いつきで買った鯵の干物、小魚の佃煮、梅しぐれ、備長炭、梅ジャム等のもろもろ。
南高梅以外は食べたことがないので 楽しみだ。

白浜 円月島

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白浜の名勝として取り上げられる臨海浦の円月島、真ん中にある円月状の海蝕洞から名づけられたそうだ。
海蝕洞と夕陽を同心円に入れた構図を絵葉書などでよく見るが 日が沈む時間まで待てないので断念。
ここでグラスボートに乗ることにする。
本日、海女の実演が休みなので 通常料金¥1.500のところを¥1300であった。
また潜水艦のようなボートも「本日、整備中」と掲示してあった。
待つこと暫し、ボートが浅瀬に乗り上げ 客がタラップを上る。定員80名に対し4名の乗客だ。
出航してすぐの円月島前に停船、風景撮影と海底観察時間をとる。
海底では小さな魚や大きな魚が泳ぐのが見える。
頭上からの日光が覗き窓に反射してカメラ撮影は難しい。覗き窓も傷か汚れで見難い。
以前串本だったかで乗った海中観光船はもっと見えたはずだ。
客の少ない日は海女の実演を中止し、新しいボートは整備で休ませ 古いボートで稼動しているのかなあー。
凡そ20分後、乗船場に戻った。乗組員2名と係留員1名、切符切り嬢1名の計4名で乗船客4名では 原油高の折から採算が悪かろう。

白浜 三段壁

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朝食後、ホテルに車を残し 三段壁まで散策する。
その昔、漁師が沖を通る舟や魚群を見張った場所である「見壇」に由来するとのこと
三段壁は東尋坊よりも海面からの高さが高いような気がする。
(後日調査、三段壁:50〜60m、東尋坊:20〜25m)
遊歩道が絶壁の際まで続いている。柵もない崖っぷちに立つと足がすくむ。
写真の下端、中央に写っているのは靴の先端部。
ここも東尋坊と同じく自殺者があるようでそれを諌める看板や慰霊所がある。
展望台から弁慶の父、湛増が率いた熊野水軍の舟隠し場と云われる洞窟が見える。
この洞窟まで降りるエレベーターがあるのだが今回は見物を省略しホテルへ戻る。

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白浜・千畳敷

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白浜温泉は平安時代から続く名湯である。ホテルの大浴場は独り占めで3つの浴槽を順番にゆっくりと浸かれた。
女湯も妻一人の貸切状態であった由。こんなことなら露天風呂も空いていただろうにー。
翌早朝、ホテルから歩いて5分の千畳敷に向かう。
周辺に閉鎖したホテルも見られ 公共の宿の玄関には「空室あり」なる看板が掲げられている。
かつて宮崎、熱海等と並ぶ新婚旅行のメッカであり 今もそれなりの観光客があると思っていたが 昭和時代は遠くなりにけりだ。
目の前に白い千畳敷と黒潮が広がっている。
柔らかい砂岩が黒潮に洗われ ある部分は断崖に、ある部分は平に削られてこのような景観になったのだろうか。
潮の香りと開放感から大きく息を吸い込み広い岩盤の先端へとつい早足になる。
砂岩が積み重なり まるで石舞台のようになっている所もある。
軟らかい砂岩のためあちこちに落書きが刻み込まれ 腹立たしい。
ペンキのように消せないので千畳敷表面を平に削って元通りに修正させたいくらいだ。
太公望があちこちに見える。
びくを覗くと良形のイガミ(ブダイ)が2匹も入っている。 
イガミはウロコが硬くて大変だったけど あの時の味噌煮は旨かったなと疎開当時を思いながらホテルへ戻る。

日の岬

日の岬灯台

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和歌山県の日の岬は紀伊半島の中央部付近にあり、海面から約200mの高台に灯台が設置されている。
ここも多くの灯台と同様、無人化され、入口にはロープが張ってあった。 
何方かの姿が見えたが 灯台の標識銘板も確認せず早々に退散した。
灯台といえば50年程前の映画「喜びも悲しみも幾歳月」を思い浮かべる。
灯台勤務の激務と辺境の生活環境は並大抵ではないことを 映画を通じて知った。
無人化のための技術が開発されるのは当然だ。
戦時中、同じ和歌山県串本町に疎開していた頃 何度か米艦載機の空襲や艦砲射撃で避難した記憶がある。 
恐らくこの灯台も攻撃目標とされ被災を免れなかったであろう。
灯台への坂道を老夫婦が登っていく映画のラストシーンがここにもあったかもしれない。

クヌッセン胸像

クヌッセン機関長顕彰碑 碑文抜粋
1957年2月10日21時40分頃、日の岬灯台100kmの海上を航行中のデンマーク船が 火災を起こした徳島の機帆船を発見した。デンマーク船は救命艇に日本人船員を収容したが 本船に移乗するときに 力尽きた日本人船員が海中に転落した。
これを見たデンマーク船のクヌッセン機関長は救助せんと荒れ狂う海に飛び込んだが 二人とも波に姿を没した。
同じく海に生きるものを救おうとして殉職した国境こえた同氏の国際愛は、日本とデンマーク両国だけでなく、世界各民族の親愛と平和の推進に光明をかかげたものである。永らくそ
の遺徳を伝えその冥福と航海の守護を祈願するため、紀州灘を一望にのぞむこの地に碑を建ててその功を顕彰する。 
以上が碑文前半は抜粋で,後半はそのまま転載している。
明治時代、串本町大島樫野埼沖合で遭難したトルコ軍艦の乗組員を村民達が乏しい食料を分け与え介抱した話を思い出した。
串本町にはその慰霊碑があり 日本―トルコの友好の礎となっている。
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この紀伊半島沖は難しい航路なのだろう。
ここからの展望は開けているが 邪魔な電線が走っているうえに 霞んでいて水平線が見えない。

ウミネコ島

天然記念物「ウミネコ」の数少ない繁殖地。島が白くなっているのはウミネコの糞だろう。
近年めっきりウミネコの姿が見えなくなっているらしい。 少しでも多くの雛が元気に成長して巣立って欲しいものだ。
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汐吹岩

打ち寄せる波の圧力で海水が激しく噴出し、その様子が丁度鯨が汐を吹く光景に見えるところからこう呼ばれている。
残念ながらこの辺りには駐車できる場所がなく 常時、汐吹きが見れるとは思えないので通過する。

煙樹ケ浜海岸

 幅約500メートル、延長約6キロに及ぶ海岸線に沿った広大な松林は壮観。
駐車場も広く 松林、砂浜、黒潮の景色をゆっくり楽しんだが 写真は省略

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