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『久留真(くるま)神社』 案内板によれば 御祭神:大巳貴尊(おおなむちのみこと)=大国主命、漢織姫命(あやはとりひめのみこと) 御神徳:開運招福、商売繁盛、延命長寿、交通安全、勉学成就、縁結び 式内社で1300年の歴史を持つ格式高い神社。 元は別の場所にあったが 1634年(寛永11)紀州藩官邸建設のため現在地に移る。 その後当地方を「栗真荘」と呼ぶことから久留真神社と改称した。 とある。東海道中膝栗毛は1802年(享和2)から12年間書き続けられたので 弥次・喜多さんはこの場所で参拝したはずだ。 大陸からの渡来人の中に機織の技術者「漢織(あやはとり)」がいて この地に機織を伝えた。 その技術を指導した姫命に感謝をして「漢織姫命」を祀ったとの言い伝えがある。 「栗真荘」の名は機織の糸車に由来するらしい。そこから車のお守り、交通安全の神徳になったのだろう。 そういえば 『あやはとり』は子供の遊びの『あやとり』の語源なのかもしれない。 調べれば面白そうな伝説、史実がありそうだ。
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伊勢街道
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伊勢街道は、日永の追分で東海道から分岐し、伊勢湾に沿って伊勢神宮へのおよそ十八里(約70km)の参宮街道である。
伊勢は津で持つ,津は伊勢で 持つ
尾張名古屋は 城で 持つ
(中略)
伊勢に行きたい伊勢路が見たい せめて一生に一度でも
紅い灯のつく 新古市で 心引かれた伊勢音頭
と多くの人が訪れた伊勢参りの道であった。
東海道中膝栗毛の弥次さん、喜多さんもお江戸を立って12日目に日永の追分から この道を通りお伊勢参りを果たした。
折角、地元に住んでいるので どんな街道なのか 見てみることにした。
伊勢は津で持つ,津は伊勢で 持つ
尾張名古屋は 城で 持つ
(中略)
伊勢に行きたい伊勢路が見たい せめて一生に一度でも
紅い灯のつく 新古市で 心引かれた伊勢音頭
と多くの人が訪れた伊勢参りの道であった。
東海道中膝栗毛の弥次さん、喜多さんもお江戸を立って12日目に日永の追分から この道を通りお伊勢参りを果たした。
折角、地元に住んでいるので どんな街道なのか 見てみることにした。
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(大黒屋光太夫) 江戸時代、伊勢国の船頭大黒屋光太夫達は神昌丸で白子湊から出帆、嵐によりロシアに漂着後十年の苦節を経て帰国した。 「おろしや国酔夢譚」はこの大黒屋光太夫を主人公とする井上 靖の長編小説であり'92年には緒形拳の主演で映画化された。 今回は白子港には立寄らず 伊勢街道を進むことにする。 『伊勢型紙資料館』 建物は型紙問屋であった寺尾家の住宅であり 江戸末期の建築として、市指定文化財になっている。 寺尾家は紀州藩の保護を受け 江戸時代に東北地方から関東一円まで手広く行商していた。 行商のときに必要な通行証である通り切手、紀州藩の鑑札、や型紙の見本帳などが展示されている。 『昔の家屋』 資料館の向かいにも古風な家屋が保存されている。 『龍源禅寺』 資料館横を東へ入ると 臨済宗妙心派龍源禅寺が左側にある。 京都花園妙心寺の未寺で本尊は釈迦如来。 寺伝では平安時代に寺院があったという古刹である。 『旧河藝郡役所跡の碑』
すぐに伊勢街道と直交し 右折すると「旧河藝郡役所跡の碑」が建っている。 案内板を要約すると 以下のようである。 廃藩置県により1893年(明治26)、町民の力で郡役所の建物が新築された。 1923年(大正12)に郡制は廃止となり 建物は「家事裁判所」として使われた。 戦後、1953年(昭和28)火災により焼失、敷地は児童公園となり現在に至る。
“町民の力”とは 土地、建物を税金ではなく 寄付を募り 地元負担で庁舎を建てたことである。
この辺りは江戸時代から廻船業が盛んだったので 有力な船主からも私財の提供があったのだろう。 |
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街道から左に入ったところに「雲心院」がある。 ここ江島領主 小笠原氏の菩提寺だが 一見、民家か公民館かのような感じである。 初代小笠原氏は 八代将軍吉宗公の側近として随行し その頃にこの地を拝領した。 雲心院に隣接して陣屋や屯所があったそうだが今は面影がない。 街道から近鉄白子駅の方へ右折すると、真宗高田派 青龍寺に至る。 青龍寺には多くの文化財と共に 白子港が栄えた名残で廻船問屋の墓がある。 ここから近鉄名古屋線の白子駅は指呼の間,本日はこれにて打ち切り。 江島神社社標から白子駅まで徒歩28分
(2日目の徒歩時間は合計3時間54分) |
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弥都加伎神社からフジクラ鈴鹿工場を越える約2kmの間、単調な道が続く。 その後、近鉄名古屋線の踏み切りを越えると地蔵堂がある。 地蔵堂と道路を隔てた向かい側に役行者神変大菩薩が祀られている 江島郵便局を過ぎて暫く進むと街道沿いに江島神社への石製標柱が建っている。 江島神社は江戸時代の街並みや庶民の生活を描いた絵馬を多数収蔵し民俗文化財に指定されている。 一昨年、ここから伊勢若松まで歩いた時に参拝したので 今回は立寄らずに街道を進む。 弥都加伎神社から江島神社社標まで 徒歩65分
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肥田町から弥都加伎神社へ ショッピングセンターから元の街道へ戻る。 街道は国道23号線を横切って玉垣町へ進むと右手に山の神が鎮座している。 houzanさんによれば村の出入口に山の神が祀られるとのこと、小さな川のほとりで 如何にもそれらしき場所である。 その隣にはお社があるが 天白社といって伊勢神宮と関係があるそうだ。 300m程進むと小さな交差路があり左角に真宗高田派の正信寺が見える。 交差路の右角は 何か建築中であったが道に面して文化4年(1807)の道標があり「右さんぐう道」と刻まれている。 それに従って 右へ進むと国道23号線 西玉垣町交差点近くにまた道標が残っている。 元治2年(1865)製で「左さんぐう道」とあり その上に指差した手が刻まれている。 この珍しい指差し道標に従って 左へ進む。 やがて弥都加伎(みずかき)という読みにくい神社に到着。参拝、小休止して 白子駅を目指す。 ショッピングセンターから弥都加伎神社まで 徒歩42分
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