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喜多さんは神戸(かんべ)から馬に乗ったところ 馬方とその借金取りのいざこざに巻き込まれてしまう。挙句の果に暴走する馬から落馬して足を引きずりながら 弥次さんの待つ矢橋村に到着する。 矢橋町は肥田町と隣接し 街道は両町を貫くが 大日堂跡は街道から少し外れた位置である そのためか弥次、喜多さんは馬方の借金トラブルもあって 大日堂跡へは立寄っていないようだ。 元に戻り 大日堂前の鈴鹿亀山線と伊勢鉄道が立体交差する高架下を潜り右折すると肥田町である。 この肥田街道に入るとすぐに山の神が出迎えてくれた。 伊勢街道は山の神が多いように見受ける。 5分ほど歩くと また山の神だ。先ほどと同様に 民家に隣接した一画に鎮座している。 暫く進むと人家が途切れ 国道23号線が見えてくる。 大日堂跡からここまで約25分しか歩いていないが 炎天下、単調な風景に疲れてきた。 この先にショッピングセンターがあるので バス停もあるはず、本日はこれで打切り積りだった。 バス停で時刻表をみると 今、バスが通過したところで 何と次は2時間後到着予定だ。 弥次、喜多さんは馬方と交渉して 兎も角、馬に乗れたが 現在の馬は姿が見えない。 2時間も待っておれず 予定通り近鉄白子駅まで 歩かざるを得なくなった。 ショッピングセンターで一旦休憩後、頑張って歩くことにする。 大日堂跡からショッピングセンターまで 徒歩33分
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伊勢街道
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伊勢街道は、日永の追分で東海道から分岐し、伊勢湾に沿って伊勢神宮へのおよそ十八里(約70km)の参宮街道である。
伊勢は津で持つ,津は伊勢で 持つ
尾張名古屋は 城で 持つ
(中略)
伊勢に行きたい伊勢路が見たい せめて一生に一度でも
紅い灯のつく 新古市で 心引かれた伊勢音頭
と多くの人が訪れた伊勢参りの道であった。
東海道中膝栗毛の弥次さん、喜多さんもお江戸を立って12日目に日永の追分から この道を通りお伊勢参りを果たした。
折角、地元に住んでいるので どんな街道なのか 見てみることにした。
伊勢は津で持つ,津は伊勢で 持つ
尾張名古屋は 城で 持つ
(中略)
伊勢に行きたい伊勢路が見たい せめて一生に一度でも
紅い灯のつく 新古市で 心引かれた伊勢音頭
と多くの人が訪れた伊勢参りの道であった。
東海道中膝栗毛の弥次さん、喜多さんもお江戸を立って12日目に日永の追分から この道を通りお伊勢参りを果たした。
折角、地元に住んでいるので どんな街道なのか 見てみることにした。
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(クリックすると拡大表示) 大橋を渡った所に高札場跡があり 神戸道路元標が立っている。 1面には 津市元標五里三十四町とあり他面は日永村へ○○、白子村へ○○とあり 明治の頃の物か。 何でもここに元禄2年(1689)の道標があったが今は観音寺境内に移されているそうだ。 左折して寿橋の方に向かうと宝珠山地蔵堂が目に入る。 東海道中膝栗毛の中で「安穏に火よけ地蔵の守るらん夏のあつさも冬の神戸も」と詠まれた「宝珠山火除け地蔵堂」だ。 弥次さんと喜多さんはここで休憩したのち 馬に乗って借金取り騒動に巻き込まれる羽目になった。 この近くに今も営業を続ける旅籠屋「道具屋」があるとガイドブックに記されていたが見当たらない。 どうも 大きな建物が建設中であったが あの場所のようだ。 間もなく真宗高田派神戸別院である。門前の左右に「明治天皇行在所跡」の大きな石碑が建っている。 天皇がお泊りになった部屋は、当時のまま保存されている。 (大橋〜別院まで徒歩22分)
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