お茶の子さいさい

更新&訪問が滞っていますが ゆっくりと続けてみます。

伊勢街道

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伊勢街道は、日永の追分で東海道から分岐し、伊勢湾に沿って伊勢神宮へのおよそ十八里(約70km)の参宮街道である。
伊勢は津で持つ,津は伊勢で 持つ
尾張名古屋は 城で 持つ
(中略)
伊勢に行きたい伊勢路が見たい  せめて一生に一度でも
紅い灯のつく 新古市で  心引かれた伊勢音頭
と多くの人が訪れた伊勢参りの道であった。
東海道中膝栗毛の弥次さん、喜多さんもお江戸を立って12日目に日永の追分から この道を通りお伊勢参りを果たした。
折角、地元に住んでいるので どんな街道なのか 見てみることにした。
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10、肥田の山ノ神

喜多さんは神戸(かんべ)から馬に乗ったところ 馬方とその借金取りのいざこざに巻き込まれてしまう。挙句の果に暴走する馬から落馬して足を引きずりながら 弥次さんの待つ矢橋村に到着する。

矢橋町は肥田町と隣接し 街道は両町を貫くが 大日堂跡は街道から少し外れた位置である
そのためか弥次、喜多さんは馬方の借金トラブルもあって 大日堂跡へは立寄っていないようだ。

元に戻り 大日堂前の鈴鹿亀山線と伊勢鉄道が立体交差する高架下を潜り右折すると肥田町である。
この肥田街道に入るとすぐに山の神が出迎えてくれた。

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伊勢街道は山の神が多いように見受ける。
5分ほど歩くと また山の神だ。先ほどと同様に 民家に隣接した一画に鎮座している。
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暫く進むと人家が途切れ 国道23号線が見えてくる。

大日堂跡からここまで約25分しか歩いていないが 炎天下、単調な風景に疲れてきた。
この先にショッピングセンターがあるので バス停もあるはず、本日はこれで打切り積りだった。

バス停で時刻表をみると 今、バスが通過したところで 何と次は2時間後到着予定だ。
弥次、喜多さんは馬方と交渉して 兎も角、馬に乗れたが 現在の馬は姿が見えない。

2時間も待っておれず 予定通り近鉄白子駅まで 歩かざるを得なくなった。
ショッピングセンターで一旦休憩後、頑張って歩くことにする。

大日堂跡からショッピングセンターまで 徒歩33分

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神戸(かんべ)別院 から街道を400mほど進むと道沿いに真宗大谷派 浄願寺がある。
この前を過ぎ一つ目の細い道を右に入ると 旧熊野権現跡と言われる小公園がある。
そこに道標と常夜燈、が立っている。
道標は元禄2年(1699)のもので「右いなふ道」「左志ろこ道」と刻印されている。

(画像クリックで拡大)
 「拡大表示」 浄願寺  「拡大表示」 道標

常夜燈は嘉永2年(1849)建立だが 明治18年の洪水で倒れ 竿石だけ残ったそうだ。
道標は元の位置からここへ移設されたのかどうか分らない。

他にも保存のために 移設される例があるが 原位置に残せないのは残念である。
そばに建っている「山の神」も同じ思いのように見えた。

(画像クリックで拡大)
 「拡大表示」 旧常夜燈  「拡大表示」 竿だけの常夜燈の傍に鎮座する山の神

街道に戻り100mほど進むと左手に常夜燈が建っている。
昭和5年建立とあり 先ほどの竿石だけの常夜燈の後継として 地子町の人々が建てたそうだ。

更に進むと伊勢鉄道高架に突き当たる。ここを右折すると旧検察庁建屋があり 隣接して露座する大日像がある。
元はどんな御堂があったのだろうか、風雨に晒されると傷みも激しかろう。

大日像の前に 円柱の墓地のようなものがあり 誰かが花を供えてある。
後日、調べたところ、寛治元年(1087) 鎌倉権五郎之塚だそうだ。
典型的な鎌倉武士とされる実在の人物だが 謎が多いらしい。

(画像クリックで拡大)
 「拡大表示」 後継として建立された常夜燈  「拡大表示」 大日堂跡

神戸別院から大日堂跡まで 徒歩46分
ここから肥田町を通り玉垣町方面を目指す。

8,.とはずがたり

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伊勢街道2日目の踏破を期して 鈴鹿駅前の市役所15階の展望室へ登る。

展望室は東西南北が望め、窓際には椅子とテーブルが置かれている。
昼時とあって 多くの方達がそこで昼食を摂っている。

あいにくと霞んでいて 本来見える海が霞のなかである。
西側は前回、歩いてきた道であり 東側は本日目指す方向である。

有名な「とはずがたり」の来し方、行く末を思い浮かべる。

ちとそばへ行く道にこそ宿(しゆく)などもあれ、はるばる一とほりは、来(こ)し方(かた)行く末野原なり。

歩いてきた道も神戸の見附までは田畑が広がり、本日の白子までの道中も単調な道となろう。
そして ちょっと脇道へ入ると宿場町があるのも良く似た光景である。

本日は炎天下で約9kmの踏破予定、水分をしっかり補給して涼しい庁舎を出発。

7、神戸の名所・旧跡

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神戸はお寺が多い。
江戸期に城の大幅な改築が許されず やむなく、お寺が防衛上の拠点になるよう配置したと言われる。
(クリックすると拡大表示)
 「拡大表示」 観音寺  「拡大表示」 光明真言板碑の案内板  「拡大表示」 思徳之碑
神戸藩主本多家の菩提寺。3月に「大曼荼羅」の開帳がある。 この碑が出土して元応2年(1320年)の創建と判明 本多家二代目の忠永公を讃えた碑

 「拡大表示」 龍光寺  「拡大表示」 座望亭  「拡大表示」 神戸城址
勅願寺であり神戸藩主本多家の菩提寺。「神戸の寝釈迦」で知られる。 県指定文化財数奇屋風書院。本多忠統公が、熊本の細川侯より贈られたといわれる。 信長の三男信孝が神戸氏の養子となり天守閣を築いた。三重県指定史跡


以上、鈴鹿市観光協会のHPを参考にした。
http://www.kanko.suzuka.mie.jp/guide/2004spr/kankou.html

6、神戸(かんべ)

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(クリックすると拡大表示)
 「拡大表示」 道路元標  「拡大表示」 宝珠山地蔵堂  「拡大表示」 神戸別院

大橋を渡った所に高札場跡があり 神戸道路元標が立っている。
1面には 津市元標五里三十四町とあり他面は日永村へ○○、白子村へ○○とあり 明治の頃の物か。
何でもここに元禄2年(1689)の道標があったが今は観音寺境内に移されているそうだ。

左折して寿橋の方に向かうと宝珠山地蔵堂が目に入る。
東海道中膝栗毛の中で「安穏に火よけ地蔵の守るらん夏のあつさも冬の神戸も」と詠まれた「宝珠山火除け地蔵堂」だ。
弥次さんと喜多さんはここで休憩したのち 馬に乗って借金取り騒動に巻き込まれる羽目になった。

この近くに今も営業を続ける旅籠屋「道具屋」があるとガイドブックに記されていたが見当たらない。
どうも 大きな建物が建設中であったが あの場所のようだ。

間もなく真宗高田派神戸別院である。門前の左右に「明治天皇行在所跡」の大きな石碑が建っている。
天皇がお泊りになった部屋は、当時のまま保存されている。

高田派の本山は、津市一身田の専修寺である。
http://blogs.yahoo.co.jp/asuha886/44257484.html

(大橋〜別院まで徒歩22分)

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