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案内板によれば 伊勢街道神戸宿の入口にあたり、両側に土塁と石垣を築いたものである。 ここには、町の治安を守るために番人がいて、夜間おそくには木戸を閉じて通行を禁じたと言われる。 鈴鹿市教育委員会道の両側の石垣は幅、高さが3〜4mほどの立派な物で 明治2年の絵図にも残されているそうだ。 右側石垣の傍には「式内阿自賀神社」の標識が建っている。 神戸の見付 見付を入ると宿屋が並ぶ旅籠町であり 東海道を南下してきた旅人で賑わったそうだ。 ここに今も営業を続ける旅館や連子格子の造作をもつ家屋を見かける。
格子のある家屋
近鉄の踏切を越えると六郷川に掛かる大橋がある。ここは神戸藩士の水泳練習場になっていたという。 大橋 (十宮常夜燈〜大橋:徒歩22分)
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伊勢街道
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伊勢街道は、日永の追分で東海道から分岐し、伊勢湾に沿って伊勢神宮へのおよそ十八里(約70km)の参宮街道である。
伊勢は津で持つ,津は伊勢で 持つ
尾張名古屋は 城で 持つ
(中略)
伊勢に行きたい伊勢路が見たい せめて一生に一度でも
紅い灯のつく 新古市で 心引かれた伊勢音頭
と多くの人が訪れた伊勢参りの道であった。
東海道中膝栗毛の弥次さん、喜多さんもお江戸を立って12日目に日永の追分から この道を通りお伊勢参りを果たした。
折角、地元に住んでいるので どんな街道なのか 見てみることにした。
伊勢は津で持つ,津は伊勢で 持つ
尾張名古屋は 城で 持つ
(中略)
伊勢に行きたい伊勢路が見たい せめて一生に一度でも
紅い灯のつく 新古市で 心引かれた伊勢音頭
と多くの人が訪れた伊勢参りの道であった。
東海道中膝栗毛の弥次さん、喜多さんもお江戸を立って12日目に日永の追分から この道を通りお伊勢参りを果たした。
折角、地元に住んでいるので どんな街道なのか 見てみることにした。
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県道103号下の細い道を南下して JR関西線踏み切りをすぎると高岡神社石碑がある。 写真右側が県道103号で後方の関西線と立体交差している。
間もなく常夜燈(寛政11年:1799年建立)が関西線を背に建っている。 台座に江戸○○、勢州○○、尾州、遠州など各地からの寄進者の名が刻まれている。 高岡橋を渡り、川沿いに上るとまた常夜燈が現れる。
文化4年(1807年)建立で点灯用の石製の階段がついている。 ここから十宮まで田圃の中を真直ぐな道が走る。
文化14年(1817)建立、後年再建したそうだ。 神戸は目の前だ。 (高岡神社石碑〜十宮常夜燈まで 徒歩約30分)
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三重県四日市市大治田は 日永から 県道103号(四日市鈴鹿線)に沿って歩くと15分程の距離にある。 この角地に蟹築山密蔵院への道標4基と小さなお地蔵さんが建っている。 これを東へ進むと密蔵院がある。 (1)蟹築山密蔵院 弘法大師による天長2年(825)創建といわれる。 昔、薬師如来を背負った大きな蟹が海辺からやって来たが、当地で精魂尽き果てた。 村人達は本堂に薬師如来とそれを運んだ大蟹を丁重に祀ったと伝えられる。 以後、この周辺には蟹を食べる者はいなかったとのこと。 この由来から蟹薬師蜜蔵院とも呼び、道標にもあるように三重四国八十八ヶ所十二番札所である。 本尊の薬師如来を祀る本堂の他に弁天堂、地蔵堂、大師堂、鐘楼がある。 弁天堂は七福神唯一の女神、弁才天を祀り 伊勢七福神霊場の一つ。 2)大治田神明社
蟹薬師密蔵院から元の街道に戻る途中,大治田神明社に立寄る。 立派な神社だが 案内板がなくどんな由緒があるのか 知らない。 参拝して街道へ戻る。 |
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日永の追分 「日永の追分」は三重県四日市市追分にあり 東海道と伊勢街道の分岐点である。 ここに小さな緑地があり 鳥居や常夜燈が建っている。 説明は案内板に詳しく記されているので省く。(クリックで拡大表示) 案内板 日永の追分 道標に嘉永2年(1849年)、左いせ参宮道、右京大坂道とある。 中央部は清水が湧出しており 家族連れが大きなポリタンクに注水していた。 その横には「平成18年2月の検査で水道水としての水質検査に合格したので安心してご利用下さい」の貼り紙がある。 利用者は結構おられるようだ。 神宮遥拝所 鳥居のもう少し詳しい説明のある石碑 |



