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伊勢街道は東海道、伊勢別、伊賀、和歌山街道と接続する伊勢国の主幹道路。このうち内宮から外宮までを好天に恵まれた5/25に歩いた記録。
桜の木の下に鎮座されているのでこの名あり。世の人々を守る霊験と子育て病気除けで信仰を集める。 大岡越前守忠相もこの地蔵に祈願し 後江戸奉行に出世したことから出世地蔵とも呼ばれる。 (以上、案内板より抜粋) 自転車で来られた地元の方が 丁寧に時間をかけて お祈りしていた。
家康の孫、千姫の菩提を弔うために菩提寺として 延宝5年(1677)建立、知恩院37世寂照知鑑上人の開祖。 千姫は大阪城落城後、本多忠刻(タダトキ)に再嫁した。生まれた嫡男が3才で夭折したので伊勢神宮に祈願したところ 次の一子は無事育った。このことから千姫は神宮を崇敬していた。 忠刻没後、出家し天樹院となり弟の三代将軍家光の庇護を受けていた。 千姫没(1666年70歳)後、崇敬する神宮と忠刻が元桑名藩主であった事から ゆかりの地、古市に菩提寺を建てた。 千姫の法号「天樹院栄誉源法松山大姉」から栄松山の山号を採り、創建に携わった寂照上人より寺号を取った。
古来、芸能の神様と讃えられ 伊勢音頭や古市歌舞伎が盛んだったのはそのお陰と案内板にあった。 十遍舎一九の「東海道中膝栗毛」で弥次、喜多がこの地に登場し 寒風の名所と言っているらしい。 (以上、案内板より抜粋)
境内には、「油屋騒動」のお紺と孫福斎の墓「比翼塚」がある。 寛政8年(1796)、古市遊郭の伎楼「油屋」で 町医者 孫福斎(27)は 馴染みの遊女 お紺(16)をめぐる嫉妬から 3人を殺害、6人を負傷させる刃傷沙汰を起こした。 この騒動は伊勢音頭恋寝刃 (イセオンドコイノネタバ)として 寛政八年七月に大坂の角座で上演されて以来、今も歌舞伎狂言として伝えられている。 その後、斎(イツキ)は自殺、お紺は49歳で病死するが後年、二人を悼んで墓が建立・寄進されたもの。 現在でも「油屋騒動」を興行する時は 出演する役者さんがお参りに来る由。
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伊勢街道
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伊勢街道は、日永の追分で東海道から分岐し、伊勢湾に沿って伊勢神宮へのおよそ十八里(約70km)の参宮街道である。
伊勢は津で持つ,津は伊勢で 持つ
尾張名古屋は 城で 持つ
(中略)
伊勢に行きたい伊勢路が見たい せめて一生に一度でも
紅い灯のつく 新古市で 心引かれた伊勢音頭
と多くの人が訪れた伊勢参りの道であった。
東海道中膝栗毛の弥次さん、喜多さんもお江戸を立って12日目に日永の追分から この道を通りお伊勢参りを果たした。
折角、地元に住んでいるので どんな街道なのか 見てみることにした。
伊勢は津で持つ,津は伊勢で 持つ
尾張名古屋は 城で 持つ
(中略)
伊勢に行きたい伊勢路が見たい せめて一生に一度でも
紅い灯のつく 新古市で 心引かれた伊勢音頭
と多くの人が訪れた伊勢参りの道であった。
東海道中膝栗毛の弥次さん、喜多さんもお江戸を立って12日目に日永の追分から この道を通りお伊勢参りを果たした。
折角、地元に住んでいるので どんな街道なのか 見てみることにした。



