お茶の子さいさい

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平 惟盛

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市営宿泊施設の錫杖湖水荘で平 惟盛800回忌法要を記念してゆかりの古文書が公開されている。

平 維盛は、平清盛の嫡孫で、平重盛の嫡男であり 光源氏の再来と称されるほどの貴公子であった。
源氏軍との富士川及び倶梨伽羅峠に於ける2大決戦を指揮するが 力量に乏しく 大敗する
源氏に敗れた平氏は兵力の大半を失い、寿永2年(1183年)7月に安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ちた。
源氏軍はこれを追い 一の谷の戦いで 源義経の奇襲攻撃により 平氏軍は敗走する。
この戦い前後に 平惟盛は密かに船で南海に脱出、那智の沖で入水自殺(享年27歳)をした。

ここで 入水と見せかけで 隠遁生活をしたとの伝承が 紀州、奈良、静岡など各地にあるそうです。
津市芸濃町落合の郷もその一つであり 当地に31人の家来と共に隠れ住んでいた。

 「拡大表示」 落合遠望  「拡大表示」 落合の郷
錫杖湖水荘付近から上流を望む 紅葉の頃の落合の郷

惟盛は ここに念持仏を本尊として岩間山成覚寺を創建したという。
「拡大表示」 案内板  「拡大表示」 本堂
ガイドがあると興味が沸きます 右側の鐘楼の鐘は由緒あるものだそうです

寺には、平維盛像が保管され 境内には平維盛の墓が安置されています。

展示品には平家系図や隠棲して集落ができた経緯、随従した家臣の名前などの文書があったが 読解力なく内容は理解できませんでした。
尚、維盛から二十七代当主小松大演氏(三重県芸濃町落合)が岩間山成覚寺住職として先祖を守っているとのことです。

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東海地区にダムは多いが農水省東海農政局直轄の農業用ダムといえば矢作川水系の羽布ダムと安濃川水系の安濃ダムの2箇所のみである。
ここ三重県津市の安濃ダムは下流の農地へ安定的に用水を供給する目的で 1981年着工、5カ年の歳月と154億円の費用をかけ 堤高73m、総貯水容量約1千万m³のダムが完成したそうである。
http://blogs.yahoo.co.jp/asuha886/51561926.html
ダムで堰き止められた人造湖は 錫杖湖 と呼ばれ 上流からの水が湖へ流入する付近に宿泊施設「湖水荘」がある。
これに隣接して「河内小学校 創立100周年記念 昭和52年6月30日 三重県知事 田川亮三」の碑と尊徳像が建っている。
ここは廃校となった河内小学校の跡地だが 断片的な情報を集めてみると
昭和30年(1955) 新校舎完成
昭和52年(1977) 創立100周年
昭和56年(1981)ダム工事着工
昭和60年(1985)ダム本体工事完了、河内小学校を廃校し隣接の雲林院小学校へ統合。
昭和61年(1986)ダム完成

ダム建設に伴い 移転などで過疎化が進み廃校となったのだろうか、様々なドラマがあったことだろう。

土筆は未だだった。

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土筆は未だだった。
暖かいので久しぶりに畑道へチャリンコを走らせる。
雀たちの鳴声は心なしか真冬よりも 元気よく聞こえる。
小川の畔の所々に水仙が咲いている・
土筆がないか探してみたが発見できず。
暖かいとはいえ まだその時期ではなさそうだ。

孝女登世

孝女登世
どの地にもある忠臣、孝子、烈婦の類の話で 時代遅れと笑われそうである。
駅前の偕楽公園は津藩第11代の藩主、藤堂高猷(たかゆき)が安政年間(1854〜60)に山荘を設けた場所である。
桜にはまだ早いこの季節なので 閑散としていて 時折、乳母車とすれ違うのみである。
小高い回遊路沿いに いくつかの石碑が建っていて その中に「孝女登世」の大きな顕彰碑がある。
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 刻まれた文字が風化により薄れ その存在を知らなければ 見過ごしてしまうほどである。

昨年、ポタリングの途中、ここから西北6kmの地で 彼女の献身的な親孝行ぶりを知った。
地元の小学校の校歌にも歌われているほど知られているそうだ。
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諸説では
養父母、前田伝蔵夫婦には子供がなかったので 貧しいながらも3人は幸せに過ごしていた。
養父母の病気により、生計は苦しく、家財も人手に渡り、とうとう粗末な竹小屋で暮らすようになった。
その後、登世は奉公先で早朝から働き 夜は自宅に戻って養父母の世話をする毎日であったという。
裕福だったとされる実家や前養家へ戻ることもできただろうに。
享和2年(1802)、養父母は 登世の身体を気遣って 黙って2度も死を覚悟の旅に出る。
登世はその覚悟を悟り 後を追って 行き倒れ寸前の養父母を助けて祈願・湯治の旅を終え帰郷する。
途中、両親の一人を待たせ 一人を背負って峠を越え 戻ってまた他を背負って峠を越えることもあったそうだ。
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登世没後、竹小屋跡地に津藩により この墓が建てられた。 
また 通行手形を発行した善福寺はここから 指呼の距離である。
通行の規制、安全、旅費など旅が並大抵でなかった時代によく一人で両親を追って旅をしたものだ。
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藩主が田畑を下賜するほどなので こんな親孝行一筋の生き方は当時でも少なかったのだろう。
表彰された当時、彼女は既に20歳であったが その後については知る由もない。
ただ 説明板に書かれた墓の所有者名から 彼女の子孫の方が健在かと思われる。

伝統の獅子舞

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伝統の獅子舞
この地の伝統の獅子舞は「中野のおしっさん」と呼ばれ豊作や家内安全を願う神事で市の無形文化財に指定されている。

獅子舞は三年に一度、披露されるのだが 2000年の正月に偶然 鑑賞する機会があり 幸運にも持っていたビデオカメラで舞の様子を収録できた。

http://blogs.yahoo.co.jp/asuha886/27218081.html

継承者難で「今、やめたら途絶えてしまうという危機感が開催へ向かわせた」という保存会の方たちの努力が伝統を守っているとの話であった。

勧められたお神酒を頂きながら お囃子の笛や太鼓、獅子舞、等を観賞する、こんな風景が失われていくのだろうと思っていた。

その後、見る機会を逸していたが 今回、旧正月にから門舞を行っていて 本日は舞い込みの神事があるとのことで出かけた。

舞い込みのある中野大乃己所神社ではもう神事の舞が始まっていた。
保存会の20人程が12月から連夜、練習を続けてきたそうで 舞もお囃子も 寒風の中 見事であった。

中でも小学生が演舞した演目は寒風の中 お囃子と獅子の動きもぴったりの感じで 保存会の努力が実を結びつつあるようだ。

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