お茶の子さいさい

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リアルな案山子

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散歩道の柿はもう完熟状態で落花するものも多い。
とある一画にはマネキン人形が5,6体、鳥たちに目を光らせている。
ちょっと不気味な感じがするが 鳥たちもそうなのだろうか。
それに若い美男、美女ばかりで熟年者がいない。
熟年者は鳥たちにも睨みが利かないようだ。

遠くの花火

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耳を澄まさないと聞えないほど遠くで花火が上っている。
夜空は澄んでいて良く見える。
どこかの秋祭りの一環であろう。

(一枚は悪戯写真)

アマサギ

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稲刈りの終わった田んぼを耕すトラクター、相変わらずそれを追うアマサギ。
少し離れたところには名を知らない新顔も見える。



説明不足だったので前回の記事を参照下さい。(追記:2006/10/2)

http://blogs.yahoo.co.jp/asuha886/37851599.html/

夕日

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山の頂に日が隠れ始めた。明日から天気がぐずつきそうで 暫しの別れの風景だ。
散歩も休みになるかな?

窪田の常夜灯

窪田の常夜灯

かつて東海道関宿から分岐する伊勢別街道がお伊勢参りの人々で賑わったといわれる。
伊勢別街道の案内資料には三重県津市大里窪田町の 「窪田の常夜灯」 がしばしば登場する。 
ところが私には窪田のどこにあるのか分らず街道沿いを中心に探したことがある。
今回、偶然にその前を通りかかり発見した。
灯台下暗しで JR紀勢線一身田駅と伊勢別街道間にそれは建っていた。
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その案内板によれば

高さ8.6mあり津市内最大。文化14年(1817)につくられ伊勢別街道(江戸橋−関町)の宿場町であった窪田の東端の近江屋、大和屋といった旅籠の近くに作られました。燈籠の竿には「江州」の文字が刻まれ これは「近江国」の商人が伊勢神宮へ寄進したことを示しています。台座には琵琶湖の東の地域を表したと思われる波模様がきざまれ その下にはぎっしりと千余をこえる寄進者の名前がきざまれ 蒲生郡、愛知郡、野洲郡などの商人であったことがわかります。では何故ここに建立したのでしょうか。言い伝えによりますと近江から大勢の人で伊勢神宮へ寄進する際ここまで常夜灯を運んできましたが 荷車が壊れたり疲労などで困りはて、窪田の人々とも相談したところ宿屋の近江屋の協力によりこの地に建立したと言われています。その後、この常夜灯は地震によって3回も倒れましたが地元・関係者の協力で再建されました。平成2年9月11日
裏側に回ると 毎夜 灯を点すための梯子が付いている。
現在は電灯となっているが 点灯しているかどうかは不明。
傍の住居が写らぬように逆光を承知のうえで再度撮影する。
これで数年前の宿題の一つが片付いた。

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