お茶の子さいさい

更新&訪問が滞っていますが ゆっくりと続けてみます。

ぶらっと 市内へ

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

落合の郷

落合の郷
安濃ダムから上流へ約3km進むと芸濃町落合の集落がある。
イメージ 1   
川沿いに数台の車があり 登山姿の2人が乗り込み走り去った。

錫杖岳へは集落内の 「真宗高田派錫杖山本法寺」の横から登るルートがある。
低山ながら急峻で結構、人気があるらしく また下山してきた2人とすれ違う。



イメージ 2 イメージ 3

イメージ 4
川沿いの道を更に上流に向かって進むと 安濃川と我賀浦川の合流点近くに“落合の郷”公園がある。
落合の郷設置条例は以下のように記している。
「都市住民と農山村地域との交流を深め、農山村地域の活性化を促進するため、地域開発の総合的かつ拠点的施設として、落合の郷を設置する」

夏場は清流で水遊びや魚釣りができる公園だが 今は 寒々とした光景である。

イメージ 5

入口近くにある「落合の里の案内板」によると 壇ノ浦の合戦に敗れた平家の一族が隠棲した場所らしい。
平維盛は平清盛の孫だが 三重県には平家ゆかりの地や末裔が多いそうだ。

イメージ 6
於奈津が伊賀越えをした家康と出合ったとある。
以前、伊賀越えのルートを辿ったことがあるが 加太(鹿伏兎)付近で家康を警護した豪族・地侍については掴めなかった。

ここから錫杖岳を越えると家康一行が通ったとされる加太なので 父兄の長谷川藤直・藤広と共に出迎えたのかもしれない。


イメージ 7
公園の一画には「工芸の郷、屋外工房」があり 火山の噴火によって産出したコウガ石を使った工芸体験ができる。
(コウガ石とは軽石のようなものだろうか。)

暖かくなったらもう一度、訪れて 孫達が楽しんで遊べそうか確かめたい。

安濃ダム

安濃ダム
東海地区にダムは多いが農水省東海農政局直轄の農業用ダムといえば矢作川水系の羽布ダムと安濃川水系の安濃ダムの2箇所のみである。
ここ三重県津市の安濃ダムは下流の農地へ安定的に用水を供給する目的で 1981年着工、5カ年の歳月と154億円の費用をかけ 堤高73m、総貯水容量約1千万m³のダムが完成したそうである。
イメージ 1
ダム湖は近くに聳える錫杖岳(標高677m)に因み「錫杖湖」と名付けられている。
錫杖岳は 古くから雨乞いの霊山と崇められ 近年まで干ばつの際には 近在の村人によって 雨乞いの儀式が行われたといわれる。
雨乞いの霊山からの霊水が安濃ダムに流れこむので干ばつ対策には万全?と言える。
一方、錫杖岳の名は修験者の持つ錫杖に似ているからとの説や古くは山頂の岩の形から雀頭山とも呼ばれていた。
安濃ダムから見る錫杖岳は 低山ながら 鋭く空に突き出た山容であり 「津の槍ケ岳」と呼べそうだ。
イメージ 2

西念寺の曼荼羅図

イメージ 1

熊野観心十界曼荼羅図
紀伊半島南端部の「熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)」は主要な霊場である。
信仰は平安時代に始まり、中世から近世初期にかけて、熊野街道は参拝者で賑わった。
当時、熊野比丘尼と呼ばれた尼僧達は熊野詣でを 広めるために全国を行脚した。
その時に携行したのが仏教の教えを 絵に描いた「熊野観心十界曼荼羅図」といわれる。
曼荼羅図を往来で広げ 民衆に 難しい仏教の教えを分り易く説き 熊野詣でを奨励した。
「熊野観心十界曼荼羅」は、全国で50点程あり、その内三重県内には14点が現存する。
ここ西念寺(三重県津市安濃町)にその1点があり 市有形文化財に指定されている。
案内板によると
この曼荼羅図は 美濃版ほどの白紙16枚を縦横に貼りつないで 高さ約1.4m、横約1.3mの大画面にし 上半分には地上の世界、下半分には地下の世界を描き、人間の一生と天国と地獄の世界を表現しています。
上半分のほぼ中央に「心」の一文字を金字で書き、その前に供物を置き、供僧が並んでいます。
「心」の字の後には阿弥陀如来と諸菩薩が、それらを取り囲むように虹形の道があり そこに赤ん坊から老人までの一生を描いています。
その終点には 閻魔大王が座っていて 人間の生活の行いを鏡に映したり 罪の重さを秤にかけたりしている様子が描かれています。
一方、地下の世界は 剣の山、三途の川ではじまり 火の車や亡き人をゆでる大釜、闇穴、地の池、氷室等で鬼が亡き人を責めている様子が描かれています。
(後略)
―以上―

中央の「心」は 心の持ち方によって 悟りの世界(4界)や迷いの世界(6界)の十界のうち 何処に行くかが決められるという意味であろうか。
迷いの世界の凄惨な地獄絵を見ると 民衆は恐れおののき 悟りの世界へ入れるよう比丘尼の説法に耳を傾けたことだろう。
現在の世の中にもこの曼荼羅図が効力を発揮できれば 悲惨な事件、事故や汚職も減るのだがーー。

真念寺の梵鐘

真念寺の梵鐘
津市安濃町の真念寺の梵鐘は市指定文化財(H10年)である。
イメージ 1
案内板によれば
この鐘はもともと高野山にあった高野教禅坊の鐘でしたが 明治25年(1892)に真念寺が譲り受けた物です。

昭和17年(1942)の太平洋戦争末期に兵器製造のため、各寺の鐘が調査され町内の大半の鐘は 供出され溶かされました。
しかしながら この鐘は裏面に 「天正八辰年(1580)十一月吉晨(キッシン)」の銘があることや「金型の整正端麗、県下銘文鍾の第一位のものたるべし」と調査者の鈴木敏雄氏の報告によって、歴史的価値が高く 
供出延期となりました。

大きさは、高さ138センチ・口径76センチと立派なもので、表面の帯には菊花・唐草・牡丹・獅子文の紋様が施され、正面の撞座の上部に「天下泰平 日月晴朗 四海安穏 国土豊穣」の願文が陽鋳されています。
イメージ 2
鐘に鋳された願文は、将来に亘ってそうあって欲しいという願いである。

昭和17年は時系列的には太平洋戦争末期ではない。
然し、この年には ミッドウエー海戦で敗退しているので 戦力的には末期かもしれない。

この時期は まだ鑑定によって歴史的価値の高い物を残すだけの余裕があったといえる。
後年、鍋、釜、果は三輪車まで供出の対象となったことを思えば その他の多くの鐘が溶解されたことであろう。
こうして折角、生き残ったお寺の鐘も 盗難被害の未に溶解されるという罰当たりの時代だ。
この鐘は溶解されることなくいつまでも願文の実現を祈って欲しいものだ。

台風一過の海辺

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3


所用を済ませた後、中部空港への海上アクセス港へ寄り道をする。
台風通過後の海辺はゴミが大量に漂着するのだが 砂浜はゴミがなく綺麗だ。

ゴミ処理を早々と済ませたようだ。
川を挟んだ対岸には海水浴場があるが そちらも綺麗になっているのだろうか。


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事