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落合の郷 安濃ダムから上流へ約3km進むと芸濃町落合の集落がある。 川沿いに数台の車があり 登山姿の2人が乗り込み走り去った。 錫杖岳へは集落内の 「真宗高田派錫杖山本法寺」の横から登るルートがある。 低山ながら急峻で結構、人気があるらしく また下山してきた2人とすれ違う。 川沿いの道を更に上流に向かって進むと 安濃川と我賀浦川の合流点近くに“落合の郷”公園がある。 落合の郷設置条例は以下のように記している。 「都市住民と農山村地域との交流を深め、農山村地域の活性化を促進するため、地域開発の総合的かつ拠点的施設として、落合の郷を設置する」 夏場は清流で水遊びや魚釣りができる公園だが 今は 寒々とした光景である。 入口近くにある「落合の里の案内板」によると 壇ノ浦の合戦に敗れた平家の一族が隠棲した場所らしい。 平維盛は平清盛の孫だが 三重県には平家ゆかりの地や末裔が多いそうだ。 於奈津が伊賀越えをした家康と出合ったとある。 以前、伊賀越えのルートを辿ったことがあるが 加太(鹿伏兎)付近で家康を警護した豪族・地侍については掴めなかった。 ここから錫杖岳を越えると家康一行が通ったとされる加太なので 父兄の長谷川藤直・藤広と共に出迎えたのかもしれない。 公園の一画には「工芸の郷、屋外工房」があり 火山の噴火によって産出したコウガ石を使った工芸体験ができる。 (コウガ石とは軽石のようなものだろうか。) 暖かくなったらもう一度、訪れて 孫達が楽しんで遊べそうか確かめたい。
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安濃ダム
東海地区にダムは多いが農水省東海農政局直轄の農業用ダムといえば矢作川水系の羽布ダムと安濃川水系の安濃ダムの2箇所のみである。 ここ三重県津市の安濃ダムは下流の農地へ安定的に用水を供給する目的で 1981年着工、5カ年の歳月と154億円の費用をかけ 堤高73m、総貯水容量約1千万m³のダムが完成したそうである。 ダム湖は近くに聳える錫杖岳(標高677m)に因み「錫杖湖」と名付けられている。 錫杖岳は 古くから雨乞いの霊山と崇められ 近年まで干ばつの際には 近在の村人によって 雨乞いの儀式が行われたといわれる。 雨乞いの霊山からの霊水が安濃ダムに流れこむので干ばつ対策には万全?と言える。
一方、錫杖岳の名は修験者の持つ錫杖に似ているからとの説や古くは山頂の岩の形から雀頭山とも呼ばれていた。
安濃ダムから見る錫杖岳は 低山ながら 鋭く空に突き出た山容であり 「津の槍ケ岳」と呼べそうだ。 |
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熊野観心十界曼荼羅図 |
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真念寺の梵鐘 津市安濃町の真念寺の梵鐘は市指定文化財(H10年)である。 案内板によれば この鐘はもともと高野山にあった高野教禅坊の鐘でしたが 明治25年(1892)に真念寺が譲り受けた物です。 昭和17年(1942)の太平洋戦争末期に兵器製造のため、各寺の鐘が調査され町内の大半の鐘は 供出され溶かされました。 しかしながら この鐘は裏面に 「天正八辰年(1580)十一月吉晨(キッシン)」の銘があることや「金型の整正端麗、県下銘文鍾の第一位のものたるべし」と調査者の鈴木敏雄氏の報告によって、歴史的価値が高く 供出延期となりました。 大きさは、高さ138センチ・口径76センチと立派なもので、表面の帯には菊花・唐草・牡丹・獅子文の紋様が施され、正面の撞座の上部に「天下泰平 日月晴朗 四海安穏 国土豊穣」の願文が陽鋳されています。 鐘に鋳された願文は、将来に亘ってそうあって欲しいという願いである。 昭和17年は時系列的には太平洋戦争末期ではない。 然し、この年には ミッドウエー海戦で敗退しているので 戦力的には末期かもしれない。 この時期は まだ鑑定によって歴史的価値の高い物を残すだけの余裕があったといえる。
後年、鍋、釜、果は三輪車まで供出の対象となったことを思えば その他の多くの鐘が溶解されたことであろう。 こうして折角、生き残ったお寺の鐘も 盗難被害の未に溶解されるという罰当たりの時代だ。 この鐘は溶解されることなくいつまでも願文の実現を祈って欲しいものだ。 |
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