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願応寺(がんのうじ) 三重県津市殿村に願応寺という小さな廃寺(明治初年)がある。 1、阿弥陀如来坐像(津市指定文化財) 案内板によると 藤原時代末期のもので 顔はやや伏目勝ちの目、丸顔のいわゆる「満月相」の豊かな顔つきらしい。 作者は「同阿弥陀仏」という ちょっと紛らわしい名前である。 胸の下部や額に金箔が残っているそうだ。 胎内に応永29年(1422)の修理銘があり 地元豪族長野氏他、修理に関わった有力者が分る。 長野氏は、曽我兄弟に殺された工藤祐経の一族で 伊勢平氏残党討伐のため、この地の地頭職となり その後、子孫が長野氏を名乗ったとされる 2、木造十一面観音坐像(津市指定文化財) 案内板によれば 胎内の銘文から明応6年(1497年)定栄作とある。 定栄は奈良の長谷寺の復興に携わった記録があり 志摩の国分寺本尊の薬師如来像も制作したそうだ。 定栄の活動エリアが広範囲だったことからも人気のある佛師だったのだろう。 3、水掛魚藍観世音菩薩像 入口近くの魚監観世音菩薩像(みずかけぎょらんかんぜのんぼさつぞう)は篭に大きな魚を入れて立っている。 魚籃観音は三十三観音の一尊であり法華経普門品に「善男子が諸々の苦悩を受けた時、観音を一心に唱えれば 即時にその音声を感じて解脱を得せしめん」と説く。 また「中国唐代に魚商の娘が婿選びにあたり、この観音を一心に称名し良縁を得た」という。 伊勢の九鬼浦では 網元が豊漁・縁結びの観音として祭ったところ大漁に恵まれたということから 地元の篤い信仰がある。 津駅近くの蓮光院にも魚監観音像があるが 漁業の盛んだった地方らしい信仰である。 4、八十八カ所巡り 「八十八カ所巡り」が裏手の山に残されている。 祠も石仏も少し痛んでいるようだ。 今回は入口から覗くだけで中止する。 今から百年以上前、まだ学校が出来る前に ここで山際という先生が子供たちに勉強を教えたそうだ。 そして「今ではこの話を知っている人は少なくなりましたが、願応寺の入り口左側には、山際先生に感謝の意を込めて、当時先生から教えていただいた18名の方が建てた石碑があり、先生の功績が忍ばれます。」とされている。 余程 教育に献身的な先生だったのだろう。
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ここは伊勢別街道との追分でもあり 安永6年(1777年)建立の常夜燈が建っている。 伊勢街道を徒歩で南下すると間もなく津市指定有形文化財 阿部家住宅前に着く。 ここの主屋は、屋根の両端には繁盛の象徴、「卯建」を上げ、軒先に「大垂」を下げるなど大店の風格がある。 津藩御用達の酒造業だった時代に 繁栄の基盤を築いたのであろう。 邸内はさぞ豪壮な造りであろうと想像するのみ。 更に 約200年の間に幾度か大地震にも遭遇したはずだ。 阿部家住宅が倒壊を免れてきたのは耐震強度偽装のない頑丈な建築という証である。 先日の震度5強の地震で亀山城の石垣が崩れた。
昭和の補修箇所が崩れたのであって 元々の施工箇所は無事であった。 このような先達の知恵と技能・経験が凝集された建造物を守っていきたいものである。 伊勢街道沿いの街並み |
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時々、片道1時間ほど自転車を走らせ そこでUターンして戻ってくる。 特に目的地を決めず その時の気まぐれで 北へ或いは東へ向かう。 先週は強烈な向かい風に負けて 途中から自転車を押して歩いた。 1時間経過した地点でUターンしたところ追い風のため、30分ほどで自宅に到着した。 今日の風はそれほど強くないので 快適に自転車を走らせる。 住宅街の庭先で見つけた黄色い花の下で ちょっと思案の未に先週のルートをとる。 急に視界が開け 遠くまで続く畑が飛び込んでくる。 ここからは市道を避け 車が殆ど通らない農道へ自転車を乗り入れる。 遮る物がないので畑の中は思ったよりも風が強い。 先週、幼い鴬の鳴き声が聞えた繁みに到着。 その時は一声だけだったので空耳かと思ったが 今日は本格的な鳴き声を何回も確認できた。 ここまで40分、更に20分進み 帰路につく。 本日の所用時間は往・復路共に各1時間と順調、少しは中性脂肪が減ったかな?
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