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鶴ヶ城は葦名・伊達氏の後、蒲生氏郷氏の時代に 七層の天守閣が完成している。
その後、秀吉の命により上杉景勝氏が入城し120万石を領する大大名となる。 徳川軍の会津攻めにより 上杉氏は米沢に移封、蒲生氏、次いで加藤氏が城主となる。 寛永20年(1643)、三代将軍家光の弟・保科正之が最上から23万石で転封し 慶応4年(1868)、戊辰戦争により開城するまでその治世が続く。 戊辰戦争では旧幕府派として最後まで抵抗したため、会津が激しい戦場となった。 約1ヶ月に亘る籠城戦の末、鶴ヶ城を開城した。 この間、西郷一族や白虎隊の悲劇があった。 著名な大名が城主として続いたためか 城郭、堀割りや城壁が偉容を誇っている。 天守閣は昭和40年(1965)の復元なので往時との違いは不知。 |
東北見聞録
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会津武家屋敷 三代将軍家光公の弟、保科正之公は会津藩23万石の藩祖であり 東北地方の抑えの要を担ってきた。 幕末に勃発した戊辰戦争で城を初めとして城下町の殆どが焼失した。 こn武家屋敷は当時の家老西郷頼母(たのも)邸を中心に旧中畑陣屋、茶室、藩精米所などを復元・展示している。
中でも総攻撃に際し 西郷家の婦女子21人が足手まといになるまいと自害した「自刃の間」も紹介されている。 頼母の養子、西郷四郎は小説「姿三四郎」のモデルとされ 一画にその像が設置されている。
旗本、松平軍次郎が支配する白河郡中畑村など7村、計5千石の陣屋。 東北に残った最後の代官所として移設した。
千利休の子、少庵が作った茶室を復元。 隣接の「郷工房 古今」で見事な絵ローソクが販売されていたが 高嶺の花でした。
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会津花見列車 「塔のへつり」駅からお花見列車で「芦ノ牧温泉」駅へ向かう。 塔のへつり駅 この列車は展望車、お座敷車、トロッコ車、からなり サービスも行き届いている。 沿線の風景が素晴らしい場所では停車したり 途中の駅の桜が見頃の時は停車時間を延長してくれる。 トンネルが数か所あるがそのつど 提灯やイルミネーションを点灯したり おつまみの車内販売も行っている。 30分ほどの乗車時間で 「芦ノ牧温泉」駅に到着した。 この駅の名物は猫の「ぱす駅長」で3代目とのこと。 ぱす駅長の任命式に、同じく猫のたま駅長から祝電が贈られた。 たまは 和歌山電鉄「貴志駅」の駅長で地元新聞にしばしば登場する。 事業収益向上に貢献したので 終身雇用と年俸としてキャットフードの現物支給が保障されているらしい。 ぱす駅長の待遇は知らないが この日は寒かったのか不機嫌だった。 |
味噌が良いのか非常に美味かった。この後、ホテルやランチを摂った先々でやはり美味いと思った。 それに漬物類の種類が多く、どれも美味い。厳しい冬を過ごすために長年の工夫があるのだろうか。 試食品の中に「花豆」という大きな煮豆があった。(写真中央) この類の煮豆は孫の大好物なので 早速、土産に買いこむ。 宿泊先の会津高原ホテル(福島県南会津郡南会津町)から見える遠くの山頂の残雪が美しい。 ここは高杖スキー場近くなので シーズン中は宿泊客で賑わうのだろう。 翌朝、雨の中を「塔のへつり」に向かう。 途中、桜並木があったので 車中から撮ってみたが 手振れ甚だしく没。 [塔のへつりとは] 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 本来の表記は「塔の岪」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。 塔のへつりは福島県南会津郡下郷町にある景勝地。河食地形の奇形を呈する好例として、国の天然記念物に指定されている。 概要 塔のへつりは、福島県会津地方の南会津東部を流れる大川が形成する渓谷、大川ラインにある。 1943年(昭和18年)、河食地形の特異例として国の天然記念物に指定されている。 「へつり」とは地元の方言で険しい崖のことであり、一帯は第三系凝灰岩、凝灰角礫岩、頁岩などが互い違いになっており、その軟岩部が長年の歳月による浸食と風化の作用によって形成された柱状の断崖である。 大川羽鳥県立自然公園の一角を占める。 全長200mにわたって、大規模な奇岩が整列している。主なものには屏風岩、烏帽子岩、護摩塔岩、九輪塔岩、櫓塔岩、獅子塔岩、鷲塔岩などがあり、吊橋をわたって奇岩を巡ることができる。 一帯は樹木に覆われており、新緑や紅葉の頃は一際美しい。 お花見列車の時刻が迫り ゆっくりと見物できなかったのは残念でした。 |


