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その頃、愛国党の赤尾敏は浅草一区の教会の焼け跡にバラックを建てて住んでいた。村上浪六の小説を思い出し、赤尾さんの名刺を貰ったりして、新橋ステージで演説会のある日は参加して応援弁士として登壇させて貰ったものである。東奔西走、席の温まる暇もなかった。当時、尊皇同志会を組織して『尊皇新聞』を発行していたが、和歌山の同志に担がれて愛国青年同志会の会長になったのは昭和三十年末であった。いわば大同団結のモデルケースである。そんなわけで余り飛び歩くことは出来なくなったが、当時の鳩山内閣による日ソ交渉では、又、昔の自分に帰って和歌山を後にした。上野のアジトににて九州から上京していた治安擁立同志会の人々と訪ソ反対の活動を展開した。本気で祖国のためにもう一度命を賭けたが、徒手空拳如何ともしがたく、遂に河野一郎邸前で警官に同行されて、それからは行くところ行くところ警官の尾行つきであった。
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