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ゴール付近で爆発!
別の場所でも爆発!
3キロ離れたJFK図書館でも爆発があったという情報も!
こんなことは絶対に許されないことである! |
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まよっています。
おじいちゃんに似てるのはどれ?
アメリカに向けて、「行ってきまーす」だとさ。 |

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資本主義者サッチャーは、勿論、小さな政府を目指す。それが、英国病を治す方法でもあるからでもある。財政支出を削減し、福祉施設を切っていった。削減は、高等教育機関、放送機関、文化施設に及んでいった。資本主義者サッチャーは、「ビクトリア時代へ戻れ」と絶叫する。ビクトリア時代は、自由市場が資本主義を支えていたと思い込まれている。小企業の企業者は私有財産制と自由契約性を活用して、革新を推進してゆく英雄であり、利潤を実現する。彼女は、福祉国家の圧縮を目指し、また国有企業を続々、私有化していった。彼女はインフレ退治に力を尽くした。減税し財政を圧縮させた。施政四年目には物価上昇率を10%以下に下げた。そのために、失業者は300万人を超えたが、サッチャ旧ー政権は何の手も打たなかった。あくまでも古典派でケインズに見向きもしないサッチャーに、本気の雇用政策(失業球済政策)なんかありようがないのである。
雇用政策を持たないサッチャーは窮地に追い詰められた。誰もそう思った。
しかし、ここに奇蹟が起きて彼女は助かった。彼女を殺すためのアイルランド南北統合運動の過激派の爆弾が、彼女の泊っていたホテルで大爆発した。彼女は翌日の演説の準備で自室にいなかったために、九死に一生を得た。サッチャーには同情が集まり、政治的窮地を脱したのである。彼女の人気は再び高まった。それゆえ、社会主義を資本主義に戻す強行政策を続けることができた。
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初めて資本主義に成った大国はイギリスであったが、資本主義大国中、初めて社会主義に成るのもイギリスかと思われた。さらに労働党左派は銀行の国有化すら主張していたのである。マルキストによると、資本主義最後の段階は銀行による経済支配である。その銀行を国有化せよというのだから、イギリスは、資本主義最後の段階から社会主義へ突進せよというのか。サッチャーは、社会主義こそが英国資本主義を衰退させているのだと信じた。そして、断固として社会主義化を阻止しょうとした。サッチャーは、国有化された企業を私有化して企業者精神をあおり立てようとした。
そのうえ、彼女は、福祉国家イギリスの福祉を御破算にすることにした。福祉国家こそイギリス病の病源であると思ったからである。彼女はイギリス病の全治を目論んだ。国有企業の私有化、公営住宅の売却、医療サービスの一部私企業化、私立学校教育の振興などを断行した。
当時のイギリスは普通選挙制度下にあったことを思い出されたい。大衆にこの上なく不人気な福祉の削減は、政治家がためらうところである。誰も手を付けたがらないのであった。しかし、彼女は、企業者に冒険心と果敢な決断力を養成して資本主義を復活させようとした。
彼女自身も冒険心と決断力を示した。
果して、弱肉強食主義を煽る者として、彼女はたいへんな不人気になった。攻撃は集中した。世論調査での保守党支持率も落ちるばかりであった。サッチャーは、もはや行き詰ったのだと誰もが思った。
が、天佑(神の助け)は彼女にあった。降って湧いたようにフォークランド戦争が起きた。彼女は、大艦隊の派遣を即決した。彼女の決断は英雄的であり、実行力は天才的であった。天佑神助もあった。フォークランド戦争はサッチャーにとって大成功であった。
一九八三年の総選挙では保守党は驚異的な大勝を遂げた。何しろ、彼女は、「シュンペーター的社会主義」を資本主義に戻すことを強行したのだから、それまでの不人気はすさまじかった。
フォークランド戦争の勝利は、老獅子の最期の咆哮と言われた。
奇蹟的に不人気を打ち払ったサッチャーは「社会主義化」された英国を、強引に資本主義に引き戻す政策を一途におしすすめた。
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経験から言えば、「問題あり」との評価の者ほど、不満があり「辞めたい」と言ってくる。
今までのキャリアも自分の人生の宝だから、大切にするように、などと慰留していたが。
仕事が出来る者は、申し出があった段階で、自分でキチンと決めて来ているので、「頑張れ」とか言えない時が多かった。
本人次第だよな。
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