歴史を学べ、学ばなければ亡びる!

過去を知らなければ、未来は創造出来ない!

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坂の上の雲を語る

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前にも述べましたが、明治天皇は王政復古の大号令の中で、神武創業の始めに則り、広く公議を尽くし天下と休戚を同じくして庶政を更新すべしということをおっしゃっています。また五箇条の御誓文の第一条に「広く会議を興し万機公論に決すべし」とあります。これらは二、三の例でありますが、議会制度の先駆けをなしました公議思想というのは、わが歴代の天皇が採られた伝統的政治思想に立ったものであります。欧米まがいの政治思想をもって来たものではないのであります。この公議思想というのは、幕末になりましてだんだん激烈になりましたが、この公議思想に組織と理論を与えまして実際政治としたものが西洋の立憲思想、即ち議会政治思想であります。現代の議会制はこれを採ったのですが、いま申しましたように太古以来のものであるということを諸君がしっかり身につけていただきたい。

第七代孝霊天皇

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天鈴四百二十八年初月十二日、即位してヤマトフトニの天つ君ネコヒコ、前年の十二月四日に黒田のイホド宮に都を遷して今年が初暦。二年の二月十一日に、磯城のヲヲメの娘、ホソ姫を后と立てました。その他の局もそなえました。内侍(うちめ)のヤマトクニカ姫と三つ子を生みました名はヤマトモモソ姫、ヤマトイサセリヒコ、ヤマトワカヤ姫です。母の名もヤマトオオミヤ姫と改めさせました。十三年十二月一日、その妹ハエ姫も内侍として三つ子を生みました。エワカタケヒコ、ナカヒコサシマ、トワカタケヒコの三皇子です。この母にもワカオオミヤ姫の名をたまわりました。
十八年春一月の望(もち)に后ホソ姫が皇子を生み、その名をヤマトネコヒコ・モトギネとしました。
二十五年春、初月十一日例年のおうり、県主を召して、皆に賜物をくいだし、勅をしました。
「もし三つ子を生んだものがあったら朝廷にとどけさない。下民でも賜物をさずけるぞ。天の皇孫の木花開耶姫が三つ子を生んでからそのあと、三つ子を生んだという話はきいていない。今ここに三つ子を生んだが、ほのかに聞くと、三つ子を生むと間引くといって殺すという。そのようなことをしたならば、これからは罪人である。自分のこであろうと、子は天の種である。鹿犬千匹より人一人の方が大切である。これはタケミナカタの教えである」といって、勅を出しました。

註、タケミナカタ・建御名方命。

遥かなる雲の彼方に

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そんな或る日、追放中の先輩を訪れた。身の振り方を相談しようと思って玄関に立ったら、その先輩は狼狽して、「俺はもう右翼ではない。道で会っても口を聞いてくれるな」と言う。この人は若い頃から家の軒に弓矢と鉄砲の絵を書いた看板を掲げていた。それは「矢でも鉄砲でも持って掛かって来い」という判じ物であり、和歌山では名の売れた人であった。その先輩は財布から揉みくちゃになった五百円札をだして、私にカンパだからと言ってポケットに捩じ込んだ。
待ちに待った講和条約も訳の判らぬ儘、終わってしまったような気がする。一人張り切っていたのは代議士の山口喜久一郎だけであった。彼はオブザーバーとして吉田茂全権と共にサンフランシスコの講和条約に出席すると言って得意になっていた。

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