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モモソ姫と箸墓古墳。
モモソ姫は崇神天皇の叔母ですが、大物主の妻となります。神の妻 になるということはどういゆうことか、これは神話ですが有名なので・・・・
夫となった神様は、夜だけきて昼は顔を見せませんでした。
姫はぜひ顔を見せてくださいといいました。
神はわかった、明日の朝、櫛箱にはいっているからみればよい、でもわたしの姿をみて驚くなといいました。
翌朝櫛箱をみると小さい蛇がいました。姫は驚いて泣きさけびました。
神は姫を驚かしたことを恥じて人に姿を変え、空を駈けるようにして三諸山(三輪山)にとんでいきました。
姫は約束を守れず泣き叫んだことを大変恥じて、箸を陰部に刺して自害してしまいました。
亡骸はオイチ(大市)に埋葬し、姫の死を悼んで多くの人々が大阪山から、手渡しで石を運び、墓を造りました。
これが箸墓古墳です。前方後円墳の始まりと思います。
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2013年04月22日
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新橋という行政上の地名ができたのは昭和七年(一九三二年)。
それまでは新橋というのは汐留川に架かっていた橋の名であった。
「新橋」があったのは、首都高の下で、アールデコ風の旧新橋の親柱がたっている。
銀座八丁目と新橋一丁目の境にある。 |
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昭和三十九年、東京オリンピックを成功させると、自信を増した日本人は面倒臭い政治問題は脇において、ひたすら経済至上主義に走った。勤勉で貯蓄好きな日本人が一体になって励むとわずかな期間に他の先進国を抜きアメリカさえも追い越したのである。
しかし、金余りの状態が続くとついにバブル経済とその崩壊というかって経験したことのない状態に陥ってしまった。すると、そこからどうやって抜け出すか日本人は出せないでいた。今また経験したことのないでデフレからの脱却に、百家騒乱である。だがこういう経済問題を国難とは思っていないし、今日、国のためとか民族のためというのは禁句であり、誰も口にしない。それぞれが自己の保全ばかりを考えて、方策を見出せないでいる。
日本人は、終戦の詔勅を胸にして働いたのは昭和二十年代までで、その後は単なるセンチメンタリズムや個人主義的、自己中心的な風潮が今にも続いている。国の歴史や文化、伝統を大切にしない国、国民が誇りを持てない国は、やがて必ず滅びる。
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