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明治のことだけどね。
明治五年までは、銀座は一丁目から四丁目までしかなかった。
明治五年の大火のあと、八丁目迄出来た。
そして、防火建築として、レンガ造りの建物が並んだ。
そこに、「東京日日新聞」「読売新聞」など、大新聞、小新聞、民権派、官憲派などが入り乱れてのジャーナリズムの牙城であったそうな。
ここ四丁目には「朝野新聞」があったそうです。
大正十二年(一九二三)、関東大震災で銀座煉瓦街は瓦礫となり、復興後には代わって鉄筋コンクリートの耐震構造の商業ビルが立ち並ぶことになった。 |
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