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いま世界は、暴力的なアメリカニズムと、それに対抗するイスラム原理主義との、相克の中にある、と言えるのではなかろうか。
アメリカニズムは、決して我々の手本になるものではない。
アメリカという国が秩序を保っているのは、彼等が「自分たちは世界一の国だ」という自負と、細かい事まで法律で定め国民をがんじ搦めにしていること、そして銃によるものであろう。
自由と民主主義は一つの思想ではなく、それは単なる政治制度の一つにしか過ぎない。アメリカ人は錯覚して自分たちの「民主主義と自由主義」最高のものという妄想を抱いている。だが自分たちの自由や物を脅かされるとすぐ暴力と恫喝を平気で行う。
アメリカと事を構えるのは決して得策とはいえないし、世界平和のためにもよくなはい。そのため日本人がその自立性を損なわず事を行うには本当の理念と叡智を持たなければならない。
日本人の心とはなにか、もう一度考え直してみたい。武士道に日本の本当の心があるとよく言われるが、しかしこれも違う。日本武尊のあやに武より文を尊しとした逸話が載っているように、国の初めから日本では文の方が武より上におかれていたことは明瞭である。
 
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昭和三十九年、東京オリンピックを成功させると、自信を増した日本人は面倒臭い政治問題は脇において、ひたすら経済至上主義に走った。勤勉で貯蓄好きな日本人が一体になって励むとわずかな期間に他の先進国を抜きアメリカさえも追い越したのである。
しかし、金余りの状態が続くとついにバブル経済とその崩壊というかって経験したことのない状態に陥ってしまった。すると、そこからどうやって抜け出すか日本人は出せないでいた。今また経験したことのないでデフレからの脱却に、百家騒乱である。だがこういう経済問題を国難とは思っていないし、今日、国のためとか民族のためというのは禁句であり、誰も口にしない。それぞれが自己の保全ばかりを考えて、方策を見出せないでいる。
日本人は、終戦の詔勅を胸にして働いたのは昭和二十年代までで、その後は単なるセンチメンタリズムや個人主義的、自己中心的な風潮が今にも続いている。国の歴史や文化、伝統を大切にしない国、国民が誇りを持てない国は、やがて必ず滅びる。
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2008年4月8日付け読売新聞。
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最近ようやく憲法改正の動きが具体的になってきたようである。戦後六十七年も経てようやく重い腰をあげようとしている。戦前の憲法は欽定憲法といい、変えてはいけないとする考えがつよかった。不磨の大典ともいった。ところが終戦後制定された新憲法までなぜか不磨の大典のように変えてはいけないという風潮が強かった。同じ敗戦国であるドイツなどではすでに何度も変えているというのにである。
敗戦後、日本では戦前の憲法の改定が行われたが日本側で作られた憲法は占領軍総司令部によって拒否され、マッカーサー総司令部がわずか一週間で日本の憲法を作成し、これを日本人に押しつけた。日本人は被占領国としてやむを得ずこれを受け入れたのである。これが現憲法の原点である。議論はここから出発しなければならない。
占領軍側には天皇制さえも廃止させろという意見もあったのであるが、日本人の総意にさすがに無理強いはできず、むしろ日本統治のために利用しようということで現在の、天皇象徴ということで落ち着いた。
終戦の詔勅の中に「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、万世の太平と国家の再建の為に努めるように」との御言葉があり、当時の日本人はこの言葉を胸に身を粉にして働いた。
ところが昭和二十七年、講和条約が発効し、日本が独立国になったにもかかわらず、その政治はほとんど被占領時代と変わらなかった。昭和三十年代に入ると、一時マッカーサー総司令部によって追放された共産党も復活し、日本が武力を持てないことをよいことに、左翼勢力が暴力革命さえも企てた。一部の学生やそれを指導する学者達は世界は社会主義にとって替わらるのが必然であるような幻想をいだいた。
この頃の日本はいわゆる進歩主義者か、自己中心の無責任な考えが蔓延し、植木等のスーダラ節に代表されるような世相となった。この時代に教育を受けた連中が今のこの国の指導者なのである。

坂の上の雲を語る

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表紙がなかないいですね。
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鹿鳴館時代の頃。
 
明治天皇は、立憲政治実現の第一歩としまして、明治九年(一八七六年)今から百三十四年前の九月七日に、当時の元老院議長の有栖川宮に対して「国憲」の編纂を命じられた。即ち憲法起草を命じられた。この日明治天皇は「朕ここに我が建国の体に基づき広く海外各国の成法を斟酌し以て国憲を定めんとす、爾等それ宜しく之が草案を起草し以て聞かせよ、朕将に撰ばんとす」とおっしっています。
明治天皇はこのお言葉どおり、ご自分で憲法審議会に臨まれ憲法を制定されています。まさに欽定憲法でありました。

坂の上の雲を語る

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前にも述べましたが、明治天皇は王政復古の大号令の中で、神武創業の始めに則り、広く公議を尽くし天下と休戚を同じくして庶政を更新すべしということをおっしゃっています。また五箇条の御誓文の第一条に「広く会議を興し万機公論に決すべし」とあります。これらは二、三の例でありますが、議会制度の先駆けをなしました公議思想というのは、わが歴代の天皇が採られた伝統的政治思想に立ったものであります。欧米まがいの政治思想をもって来たものではないのであります。この公議思想というのは、幕末になりましてだんだん激烈になりましたが、この公議思想に組織と理論を与えまして実際政治としたものが西洋の立憲思想、即ち議会政治思想であります。現代の議会制はこれを採ったのですが、いま申しましたように太古以来のものであるということを諸君がしっかり身につけていただきたい。

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