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立憲政治の形式は西洋に採ったのですが、その精神は全く日本固有のものであるわけです。諸君もご承知でしょうが、神話ということで伝えられておりますが、天の安河原という所で八百万の神々が集まっていろいろ協議をした如き、それから、聖徳太子が革新政治を行わんとして憲法十七条を制定されましたが、その末条に「大事は独り断ずべからず、必ず衆と共に宜しく論(あげつろ)ふべし」、とありますが、これがなんと |
オピニオン
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この章を終わるに当たって諸君に注意を喚起したいのは、この「国是」と言うことに対し、単に形式だけ見ては間違うということです。それはその根底である国体即ち一君万民の政治原則から出発していることを思うべし、ということです。臣と君とは、つまり親子の関係と申しますか、その間にはなにものもない。でありますから、天皇親政と公議政治は実質的には一つである。公議を採って親政、御自ら政治を行うということになるわけです。 |
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この日別に明治天皇は御震翰を賜り、君臣相援けて四方を経営し、以って国威を宣揚すべし、とおっしっていますが、その中に、 |
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「五箇条の御誓文」ですが、これは慶応4年(明治元年)三月十四日に国是ー国の方針ーを決定したものです。 |
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王政復古の大号令の煥発は、慶応三年の十二月九日であったのですが、これは前にも申しましたように、また明治維新の大精神が示していますように、摂政とか、関白とか征夷代将軍とかいうような皇室と国民との間に挟まっていた中間勢力を一廃してして王政を古に復する、つまり神武創業の初めにかえる。そして広く公議を尽くし天下と運命をわかちあおう、こういうことでありまして、王政復古の大号令というのは、庶政一新の大改革を断行された画期的な御沙汰であります。この御沙汰に接した国民、当時のわれわれ同胞は三千万でありましたが、恰も暗夜に太陽を仰ぐような歓喜と希望を持って、王政復古の大号令を迎えたわけです。ここでいう公議思想ー今の世論ーというのは、第一に多数者の持っている思想ということである。第二に正しい思想ということである。この二つに基ずいたものでした。この公議思想ということについても諸君は、はっきり認識しべきものと思うのです。 |




