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坂の上の雲を語る

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 岡 潔が語る「日本人のこころ」

仏教では、心の一番奥にあるものを第九識という。これは一面ただ一つであり、他面一人一人個々別々という関係を持っています。
次にこの第九識に依存して「時」があります。これを第八識といい、その人の過去の全てが保存されています。次に第七識という大小遠近彼此の別ー大小遠近は空間で、彼此は自分と他人の区別ーが現れます。この第七識が形を現したものが「自然」であり、その一部がその人の肉体です。そして本当の自分というのは個で真我です。しかし、人は五尺の身体を「自分」と思いがちですが、この五尺の身体のことは小我といいます。
例えば、芭蕉の有名な句に「秋深き隣は何をする人ぞ」というのがありますが、この句について芥川竜之介は、茫々たる三百年、この荘重の調べをとらえたのは芭蕉一人あるだけだといっています。しかし芥川は、情緒の色どりを全く見間違っていると思います。芥川は、この句は人の世の底知れぬ寂しさを詠んだものと思ったのです。明治以降の日本人は、自然科学をもととした物質主義しか教わらなかった。だから芥川も自分といえば、小我の自分のことしか思わなかった。小我を自分と思うと人の世は一人一人個々別々である人の世となる。そういう人の世は分かってみれば底知れず淋しい。しかし、これは小我と真我の非常に大きな違いです。芭蕉は真我の人です。だからこの句は、隣の人を知らないが故になつかしいという秋が、江戸の八百八町を覆って深々と来ている、というのが本当の意味です。
今日本は、形式は折角よくなっているのに世の中がさっぱりうまくいっていない。これは真我と小我とを理解していないことからきています。

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江藤 淳が語る「明治から大正に移る際にみられる政治・思想・文化の諸動向」

明治日本の国家目標は、西欧列強と対等の国際的地位を獲得する、ということにあった。つまり西欧に対して日本の文化が何等遜色のないものであり対等の地位を追求し得る高いレベルをもつものであるということを内外に表明する事であった。安政の和親条約以来不平等条約に苦しんだ日本が名実共にその国家目標を証明し得たのは日露戦争の勝利による。しかし証明するまでは努力目標があるが、達成されてしまうと経済的には苦しいが心理的には弛緩し、夜郎自大になる。そして自身は置かれた国際的な立場の脆弱さを忘れ不満が国内に内向する。
その結果、維新以来あった、国家と共に自分が生きる、という考えから、国家とは別に自分の生き方を求めるエゴイズム的考え方がでて来るようになった。
明治41年の戊申詔書、明治45年の明治天皇の崩御に至って時代の行きづまりが象徴的に現出した。この天皇崩御と乃木大将の殉死が更に時の知識人に大きなショックを与えた。森鴎外の作品がこの時以後時代小説だけに限られるようになったり、夏目漱石の「こころ」が出現したのはその間の知識人の動揺を浮き彫りにしている。明治天皇の崩御と乃木大将の殉死は、その精神の終焉であり近代日本歴史の転換期がこの頃あったように思う。それ以降現在まで日本ではエゴイズムの盲目的肯定に堕し、人間が限られた価値観の中に自分を燃やしてこそ、本当に最高の自己認識が出来る、という事を忘れてしまった。明治の精神とは、自分の欲望から出て自分の欲望に帰る自分の精神を罰する事の出来る精神であったことを、今日の我々は再び想起すべき時期にあると思う。

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小林 秀雄が語る「民族的個性を発揮した明治の文化」

青年時代というのは人生で大事な時代です。その時にはそれが分からないがあとで大事だったなと思うものです。
諸君もやがて私のように年寄りになる。これは確実なことですが、そういうあたりまえのこと、長続きするもの、滅びないもの、そういうものが現代にあるのに、今の人はそういうことを考えなくなって来た。実に不幸だと思う。私は文化というものは、めまぐるしく変わるジャーナリズムの中にあるものではなく、かくれた大変微妙なもののなかにあると考えています。源氏物語にしても、最初にその真価を見いだしたのは本居宣長であり、紫式部の時代を過ぎること八百年にして真価が認められたのです。
それまでの八百年続いた理由は、読んで楽しいからという子供のような気持ちからだけなのです。
しかし、もし「源氏」がなければ、日本人の精神は変わっていたでしょう。目には見えないが大変なものだと思う。
つまり文化の流れは、目には見えないが諸君の中にも流れ、かくれたところにある。親子、恋愛の中にある。みんな私事(わたしごと)であり、それぞれの資質につながるものです。
友達の自分と自分の自分がぶつかって劇ができ、その中から得るものは自覚しないが、それを表現しなくてもその中から得ている。その重なりが文化を作っている。その目に見えないものが文化の原動力なのです。
現代は大言壮語が多すぎるが、そこに文化的・人間的なものはないと私は思います。

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山岡 荘八が語る「明治における日清・日露戦争の意義」

歴史に見方には、たんねん過去の事跡を追う方法と何かを求めてこういう動きをしたのか、という事を中心に追求する二つの方法がある。
過去の事跡は動かないものだが、われわれの経験・勉強によって解釈の仕方が異ってくる。過去の事跡と自分の個性がぶつがり合って絶えず新しい発見をしていく。これが歴史の面白さだと思う。
日露戦争後のいろいろな戦争を経験して考えてみると、それまで日本は野蛮な国で日露戦争後、世界に認められ西洋文明の勉強が出来たんだと考えていた。しかし今日になってみるとそうではない。日本の近代化を理解する力、即ち近代国家としての日本人の基礎は江戸時代に出来ている。
日露戦争の遠因は黒船の渡来、つまり西洋の東漸にさかのぼる。羅針盤の発明以後、世界を自由に航行し自分達の領土を拡げ最後に取るところは日本だけになり列強の侵略対象国となったこと、近因はロシアの三国干渉、南下政策による日本の保全維持という深刻な問題にある。
日露戦争の意義は、西欧によって地球が包まれてしまった時、一つだけ包みきれない国が出来た、ということにある。もし日本が包まれていたら日露戦争も大東亜戦争もなかってあろう。
日露戦争の国民一致の熱情、意気は、今後のわれわれに多くの教訓を与える。日本人はサムライで信用出来る。約束したことは守る国民だという気風は無くしたく無いと思う。

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今村 均 元陸軍大将「日清戦役・三国干渉・日露戦争について」を語る

日清・日露戦役は、東洋と西洋のこんがらかりであり、発端は阿片戦争に始まる。それまでのアジア民族は西洋の事をよく知らず、阿片戦争によって国際的環境の中で主導権をにぎる白人の気持ちを知ったのである。
幕末の日本は、このような国際事件を清国を通じて知りそれと同時に、自国の現状に対する改革が明治維新という形で現れた。
阿片戦争による清国の敗戦は列強の支那進出として現れ、特にロシアは、日本と一衣帯水の地にある国として、三国干渉を初め
、朝鮮半島への進出を着々と進めていた。一方、日本は自己の内力によりこれらの列強進出に懸命に対処しようとしていた。
ロシアの理不尽な南下政策は、弱小国とされていた日本にとって脅威以外の何もでもなかった。
国内の反露気運は、当時の朝野に充満し、為政者はこの気運に対するに極めて慎重であった。
この日清・日露戦争を称して日本の「侵略戦争」という人があるが、これは当時の日本の置かれた立場を客観的にみない研究不足の人のいうことであると思う。
近頃は青年学徒の中にも冷静な目で、過去の歴史を見ようとする人が現れて来たようであるが、大変に喜ばしいことだと思う。
民族が興亡をかけるということは決して単純ではない。


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