歴史を学べ、学ばなければ亡びる!

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坂の上の雲を語る

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高坂正堯が語る「明治外交の成功と失敗」

異質文明に対応する方法には二つの類型がある。一つはこの異質文化を借り入れようとヘドロ派、もう一つは排しょうとする狂信派である。
明治以降の歴史には大きな転換期があったが、明治維新はその意味で「外交」をめぐる最初の大きな転換期であり、ヘデロ派だけでも狂信派だけでもなく国の自主性を保持しこれを受け入れる形で進んだ。
第二の転換期は、征韓論の否定であった。これは政治の方向が内政中心・国力充実に向けられたことを意味する。
第三の転換期は国力の充実による不平等条約の改正であり、第四の転換期は日本の独立国としての地位を安定させた日清戦争、日露戦争の勝利であった。
明治以降これまでの歴史によってわれわれは多くを学ぶことが出来る。過去における日本のジレンマは今日はほぼ解決がついている。すなわち、戦略上では朝鮮半島の問題もアメリカにより肩代わりされ、科学技術の進歩により資源の不足がそれほど影響されなくなった。又輸送の問題も日本が島国であることが有利でさえある時代となってきた。
しかし、第二のジレンマ、われわれのシンはどこにあるのか、という精神的な面はまだ解決されてない。民主主義はまだ本物でなく明治維新以降、西欧文明の吸収に追われた結果、頭の良い人はシンがなく、シンのある人は頭が悪いという現象が生まれ、民主主義的な一人一人が本当に平等で自分の思ったことが言えるという行動様式が定着していない。マメレオン的な人間が多く、いつになったら頭とニシンが一致するのであろうか。近代日本がここまで成長した裏にいかに多くの幸運があったかを忘れ、全て自分の力で来たように思い上がる風潮が出てきた。日本は核武装すべきであると言う人も、非武装でなければならないと言う人も、日本が正しくさえあればやっていけると言う考えの人も思い上がりである。日本は、いまむずかしい時期に来ており、決していい気にばかりなっておられる時期ではない。
心すべき問題が未解決である。

坂の上の雲を語る

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林房雄が語る「日本民族の中核精神と明治」

個人や国家には、中核性格(Core Personality)とでもいうべきものがある。この中核性格はその国の伝統、歴史、風土などによって生まれるもので、百年位を単位にした歴史では分からない永い時を経て形成されたものであり、この性格は、時に戦争の原因になるマイナス面もあるが、人類の進歩向上の原動力ともなる。明治維新が、他国に例のない特色を持っているのもこの中核性格に由来すると思う。
吉田茂元首相は「エンサイクロペデァ・ブリタニカ」の論文付録「日本を決定した百年」の中で、近代日本、特に戦後日本の復興の来源は、日本民族の「勤勉性と創意、それに祖先伝来の楽天性」にあるといっている。
私は、この他に日本人の誇るべき特質として「先憂性」つまり現状をみてこれは心配だと憂い将来に備えようとすることがあると思う。
西郷隆盛の西南戦争も、結局この「先憂性」、つまり明治維新で折角外国勢力を食い止めたのに、その後
の状態をみると維新の精神を忘れてしまっている。これでは外国勢力に滅ばせるぞ、日本にもう一度正気を取り戻さなければならない、という憂いであり、政権をどうこうするということではなかった。
こういった国民的性格コアー・パーソナリティに恵まれていることによって、西欧を驚かすような、日本の未来を開くことになり、これまでの多難な歴史の中で民族を救ってきたのだと思う。
そんな訳で私は日本人の持っているコアー・パーソナリティを信頼しており、日本の将来についても楽観している。

坂の上の雲を語る

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福田恆在が語る「明治以降の反省」

明治以降の日本にとって、反省すべき一番大きな問題は、知識人と政治担当者との分離ー知識人イコール反権力者という考え方の発生である。徳川時代あるいは明治の十年ころまではそうではなかった。つまり明治に入り知識階級イコール西洋の知識に通じる者、という考え方になったからであろう。
日本の現実を無視し、理想を外に求め自分達の支え、正しさの根拠を西洋に求め、自分達の良心の後ろ盾は西洋である、という考え方が明治・大正の知識人の生き方の基礎にあった。それ故、現実政治に対するあきらめ、無関心が日本人の知識層の中に生まれた。このように常に先進国を外に求めて来た日本の知識人の姿勢には大きな問題がある。
われわれの身の周りにあるもの、例えば洋服にしても建物にしても一つとして西洋の影響を受けないものはないように見えるが、その中には日本独自のもがある。それは、われわれが生まれる前からあった自然と日本語それに日本の歴史である。国を愛するという基調もそこにある。日本人としての共同体意識を培って来た伝統が無視ないし忘れ去られていることに近代日本とくに戦後日本の考えなくてはならない問題である。
最後に天皇の問題がある。日本の天皇は、英国などの王位とその性格が異なる。それは、日本では文と武が分かれていることに由来する。即ち文化の中に天皇があり、武力は武家が持ち双方がうまくいっていた。この天皇の存在というものに対して日本人は左翼はこれを否定し、右翼はこれを神格化し、リベラリストはこれを避ける傾向がある。それでは問題は解決しない。われわれは問題を問題として見つめなければならない。

「坂の上の雲」を語る

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明治維新から142年に当たり当時をふり返ってみようと思います。

海音寺潮五郎が語る「維新人物論」

日本における政治・社会の変革は、古来より外国からの刺激によって起こっている。大化改新もそうであるし、明治維新についてもいえることである。
明治維新の推移をみると、当初はペリーの来航など外国からの圧力に対して、幕府を強くするという日本強化運動という形で外国からの刺激に対応していた。また、薩摩藩島津斉彬を中心とする公武合体論などの考えも一方にはあった。しかしいずれの立場を取る人も、朝廷を大切にしなければならないという点では一致していた。
吉田松蔭が、長州の松下村塾で国の危急に際して、その処すべき道を青年に教えたのもこの頃で、一年ほどの短い期間ではあったが、伊藤博文など多くの人材を排出し、教育における魂と魂のふれあいの偉大さを教えている。
明治維新の先覚者が、維新で達成したことは、三百諸侯を有する連邦国家の日本を統一国家にして、日本に市民社会をもたらし、天皇と国民とが直接に結びつく社会を形成したと言うことである。
維新の人物を通していえることは、この維新の動きが日本の存立・日本の国家利益のために「どうしたらよいか」という共通の足場の上で行われたということである。また明治維新の歴史は、試行錯誤を通じてその中から「維新」を生み出したものであり、決して、観念から導かれて「こうなる」といったような一見合理的な考えに立って行われたものではなく、極めてノーマルな人間の歴史であり、そこに、今日のわれわれの心を打つ感動と示唆に富んだ人の生き方を教えるものがある。

朝鮮併合の真実

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朝鮮との合併については当時日本の元元老伊藤博文は終始反対していた。何故なら台湾の植民地経営の経験から、天皇の「一視同仁」の皇民思想で日本人と同じ生活レベルに引上げるため、教育・鉄道・病院など民生の向上に莫大なコストがかかるからである。
日本は日露戦争直後で、莫大な戦費を浪費し、更に貧困の合併コストを負担できる状況ではなかった。日本の方針は、隣国朝鮮が自力で近代化し、最も親しい友邦として、共に外的に当れるよう独立支援体制を整えようと努力した。
その矢先、親ソ派のテロリスト安重根が日露戦争終結の四年後の明治42年10月(1909年)、ハルピン駅頭で伊藤博文を暗殺するという大事件が起こった。これには当の朝鮮側が震え上がった。
かくて朝鮮伝統の「事大思想」により、この際日本と合併した方が有利、という運動が民衆の中から盛り上がった。なかでも李容九の「一進会」は百万人の署名を集めて合併請願運動を起こした。日本政府は合併に極めて慎重であったが、清国、英米など列国が東アジア安定のため必要と皆賛同した(1910年)。


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