歴史を学べ、学ばなければ亡びる!

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国民は、重光ならびに鳩山の演説や、新聞発表を見るに及んで、その期待する内容との相違を知り、この鳩山内閣の日ソ交渉に失望と不安がつのり、国民の中にも慎重論が高まってきた。鳩山首相は、交渉に先立ち国会答弁で、千島・樺太はヤルタ協定に制約されて我国に請求権なし、と発言するに及んで、国民は愕然とした。そんな最中に、松本全権は国民の警戒の眼に見送られて、ロンドンに向け出発した。

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昭和26年3月、外務次官がソ連地区の未帰還者は32万3972名と発表しており、しかもこれらの人々は、日ソ中立条約の蹂躙により、ソ連軍が満州・樺太・千島に侵入した。同胞婦女子に至るまでが、ソ連軍にその声明財産を奪われた。その時、シベリアに抑留された軍人、軍属ら日本人数字である。ソ連に対する怒りと、抑留者返還に対する問題は、略奪された北方領土と共に、この鳩山外交に期待をかけたのである。

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当初から重光外相と、鳩山首相の外交路線は対立し、重光外相を頂点とする慎重派と、いわゆる鳩山・河野農相の早期妥結派に分かれ、交渉に際してあくまでも正式に平和条約締結の線で進めるべきであるとする重光外相と、ドムニッキーの申し入れによる「戦争終結宣言によって、日ソ間の戦争状態を終わらせる国交回復の公文を交換し、大使を派遣し合い、そのあと領土・通商・戦犯・国連加盟などの諸案件解放について交渉したい」に同調していた鳩山・河野の路線に分かれた。

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当時外務省ではドムニッキーは如何なる過去を持つ人物かわからなかった。
日本が承認していないソ連代表部の主席代表を務めて、一部の日本人と接触していた。
鳩山はニューヨークの国連大使を通じて確認した。
鳩山の異常なまでの、日ソ交渉に対する熱意と、ドムニッキーの外務省を飛び越えた行動は、始めか出発点が違ってい、当初より一番危険な二元外交の観があった。
重光外相は、鳩山はソ連の態度を非常に甘く見てると、この交渉の難しさを感じていた。
そして、素性の知れぬドムニッキーを相手に外務省を通さずに交渉する鳩山を嫌悪していた。

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鳩山内閣は、対ソ友好ムードで乗り出したので、ソ連はこれ幸いと反応した。
元ソ連代表部のドムニッキーが密かに鳩山邸の裏口から訪問した。
ソ連代表部は日本側が承認していなかったので、幹部は帰国し、この人物が首席代表を務めていた。
一国の首相が、外務省を経ず日付けも署名もない文書を受け取るのは軽率の謗りを逃れ得ない。
重光外相は正式なルートではないとして拒否している。


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