歴史を学べ、学ばなければ亡びる!

過去を知らなければ、未来は創造出来ない!

松の会

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

室古神社と二木島湾

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

船はさらに南に進んで紀伊半島の南端をまわり、佐野、熊野の沖にの沖にくると、暴風におそわれ、船は嵐にもまれていまにも沈没しそうでした。イナイ皇子やミケイリ皇子も嘆き悲しんで
「天の神よ、母は海の神なのに先には陸でも苦しめられ、こんどは海で難儀しなければならないのか」と海を恨んで入水して海の神となりました。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

生駒山竜田の道はせまくて人がならんで通ろことはできませんでした。
ナガスネヒコも軍をととのえて孔舎衛坂で戦い、天皇の軍は苦戦して、イツセ皇子は肘を射られて進めなくなってしまいました。
天皇はみなと軍議をひらいて、
「われわれは日の孫である。それなのに日に向かってる。ここは退いて神をまつり、日に従って戦うならば敵を破ることができるだろう」と仰せになりました。
皆もそうであると賛成して八尾まで引きました。

イメージ 1

イメージ 2

三月には吉備・高島宮にうつり。中国(なかつくに)で政事を行い、大和征伐のための準備に三年かけました。
ようやく準備もできて天鈴五十五年二月、浪速の湊にいたり、大和川をさかのぼり、河内草香アウエモロの館で戦いの準備も整いました。

コメント、日下神社は、そのいわれや祭神は不明だそうです。

宇佐神宮・大神祖神社

イメージ 1

イメージ 2

古代年号天鈴(あますず)キミエの十月三日、天皇(すべらぎ)みずから諸臣(もろとみ)をひきいて大和にむけ、船出しました。速吸門(はやすいど)豊予海峡までくると小さい漁師の舟が近づいてきました。聞くと
「国神のウツヒコといいます。この船は大和に向かう天皇の船ですか」
「そうだ導いてくれるか」というと
「はい」という返事なので椎棹をさしだし、船に引き入れました。
天皇は、シイツネヒコという名を下賜したまい、その案内で宇佐まできました。国神のウサツヒコがヒトアガリ宮でのもてなしに、シイネツヒコの娘ウサコ姫がはべりましたが、この姫をタネコの妻に乞い受けて、筑紫の勅使(おしと)としました。この年は安芸の国のチの宮で年を越しました。

神武天皇の東征

イメージ 1

この時、タケヒトは45歳でした。諸臣の前で物語りました。
「昔、タカムスビが日高見の国をつくり、天照神は天成る道をさずけられて国を治めた。そして皇子ヲシホミミ、皇孫キヨヒト・ニニギネと受け継いで長い年月、近い所も遠い所もよく潤い、天の道も徹っていた。しかしこの頃、大和は乱れているという。こんな歌がはやってるというが、どうしたらよいか。

 乗り下せ秀真道(ほつまじ) ひろむ天の岩船」

塩土(しおつち)の翁が
「なぜニギハヤヒが平らげないのだろうか」とききました。皆も
「まったく、そのとおり」といい、
「この上は君が直ちに御幸すべきです」とすすめました。


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事