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(先ずは、新聞からの記事)
日刊ゲンダイ 2010年2月10日(9日発行)小沢捜査を斬る!
大阪府枚方市元副市長 小堀隆恒氏
『血だらけの紙オムツ1枚で取り調べを受けた屈辱は絶対忘れない』
『保釈後に呼んだ自分の新聞記事のデタラメには驚いた』
東京地検による小沢捜査の狙いのひとつが、「取り調べの可視化」潰しであったことは
言うまでもない。足利事件の菅家さんの告発で高まった検察批判をかわすために
検察が仕掛けた小沢捜査でもあるのだ。
だが、今日登場の小堀隆恒氏(63)の実体験を聞けば、
検察の取り調べがいかに野蛮で過酷かが分かる。
小堀氏は、大阪府枚方市の副市長だった。濡れ衣の談合事件で逮捕・起訴に
巻き込まれたものの、裁判で無罪判決を勝ち取った人である。
私は小沢事件の真相はよく分からない。しかし、政権交代後の初めての通常国会で、
まともな政策論議ができない状態をつくり出すほど、重大な事件なのか。
検察は本当に根拠があるのか。最初から「悪い」と決め付け、その筋書き通りに
捜査を進めているのではないか。自分の体験を振り返るとそう感じざるを得ません。
3年前の平成19年5月31曰の午後6時ごろでした。数人の検事が突然、
副市長室に乗り込んで来て「事情を聴きたい」と言われました。
当時、市の清掃工場をめぐる談合報道があり、責任者だった私の元にも
捜査機関が訪ねて来ることは予想していました。
ただ、単なる事情説明で済むと思っていた。ところが、午後10時ごろに
逮捕状が執行されたのです。驚いて「私が何をしたのか」と聞いても、
検察は「談合の共犯や」と言うだけ。訳が分からず、一睡もできずに
大阪拘置所で夜を明かしたのを覚えています。
翌日朝から取り調べです。私は当時、腎臓がんで右腎を摘出し、前立腺肥大で
手術を控えていました。それを検事に告げても無視です。7、8時間ぶっ通しの
取り調べが続きました。案の定、排尿障害になり、医務室で処置を受けたのですが、
これが乱暴だった。カテーテルを強引に尿管に入れたため、内部が傷つき、
血尿が出るようになったのです。
検事に訴えると、与えられたのは介護用の紙オムツ。それもたった1枚だった。
家族らが代用品を差し入れても手元に届かず、保釈されるまでの約1ヵ月間、
血だらけの紙オムツ1枚を繰り返し乾かして使いました。
不衛生だから当然、尿管などから雑菌が体に入ります。しばらくすると高熱が出て、
取り調べ中も頭がボーッとなった。コップ1杯の水も与えられず、
便所で手を洗う際に□を湿らせてしのぎました。「生きて出られるのか」。
私は強い恐怖を感じましたが、取り調べは容赦なく続きました。
取調室はコンクリートの小さな部屋で、声や物音が響きます。
東京地検から応援に来たという大柄の検事はパイプイスを
思い切り壁に向かって蹴り付けたり、ドアを思い切り閉めたりして”威嚇”する。
大声で私のことを「ごみ野郎、くず野郎」と怒鳴り、
「白状しろ。カネはどこに隠したのか」と尋問する。
こんな調子が深夜まで続くから、ある曰、拘置所の近隣住民から「うるさい」
とクレームが来ました。私が否認を続けていると
「カミさんを調べてデキが悪かったら逮捕する」とか、
介護施設に入所している90歳の母親を「ストレッチャーで連れてきて調べる」と言う。
「これが法治国家の日本なのか」と心底思いました。
マスコミに対しても強い不信感を抱きました。保釈後に緊急入院した病院の中で、
事件を報じた新聞各紙を取り寄せて読んだのですが、すべてデタラメ。
一切否認なのに、新聞では逮捕2回目から「容疑認める」
「1000万円もらった」などと報じられているのです。愕然とすると同時に、
検察からのリーク情報を垂れ流すマスコミの姿勢に呆れました。
小沢事件でも、すべての報道を信じる気持ちはありません。
無罪となっても、検察やマスコミからの謝罪はありません。
非人道的な取り調べを受けた体験者として、こんなことは二度と起こしてはならない。
取り調べの可視化は絶対に必要です。
(以上コピペ終わり)
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俺がいつも書いてる戯言は、被害妄想だとか、天分の詐欺師だといわれてきたけど、現実はこんなもん。別に、グアンタナモ、やら、ホロコーストを引き合いに出して目くじら立てるのも変。酷い事が起こっているのに、対岸の火事だろうと言いきれる人々が溢れてる。
日本の優秀な学校教育は、ものの見事に成功して、自分の意志を、自分の個性や感覚を「ぶっ潰す」事に成功し、陰でこそこそは言えても、その行動は、烏合の衆だ。精々、ドサクサ紛れの強盗傷害が目立つ程度。ま、スケールが全然違うけどね、俺の人生も、物心ついてから、つい最近まで同じ。
吐血性胃潰瘍で何度か危篤になった。だが近寄る者はいなかった。退院して真っ先に言われた事は、お前を絶対に許さない。そこまで凄惨な態度を取らせる罪の、何を、俺が犯したか?俺には理解出来ない。たった一つ分かるのは、居ては行けない場所に、一番でかいツラして居続け、近親者や隣人友人の怒りを買った、多分それくらいしか思いつかない。
死に掛けた人間にすら唾を吐く。散々利用した揚げ句、産廃がごとく捨て去る。そしてその言い訳に、次々と罪状をこしらえ、なすりつけ、その出来の良さに、思わず感動し涙ぐむ。これは、俺の人生のロックンロール。そして紛れも無い事実。何度も言うけど、軽蔑はし、余りもの外道ぶりに憐れみすら感じるけど、怨恨も憎悪も更々無い。
ま、相変わらずの、ご立派な、素敵な社会なんで、もし叶うなら、マジに生きるってこういう事なんじゃねえの?と突っ張ってみたいけどね。たった一つだけでも、小説が書けた。自分で読み返しても、情けない文章力表現力だな、とは思うけど、読み取ってくれる人も居る。文章の酷さを、感性で翻訳してくれる人も居る。それだけでも、憎悪と怨恨にまみれても生きて生きた甲斐は有った。
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、、、下の「トラックバック」……。リンク先へいって挨拶しようと思ったんだけど、何をどうしていいのか分らん。トラックがバックするの?その後方警戒するの?
俺の拙い記事を読んでくれたのは嬉しいですが。
ど!どうしたらいいか、ワカリマシェ〜〜〜ン!
。・°°・(;>_<;)・°°・。
2010/2/11(木) 午前 11:29 [ asyura_ud ]