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震災で傷付いた方の心が、一日も早く癒え、一日も早く笑顔に戻れます様に。

宮城県から戻りました

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お陰様で、無事に0泊2日?の 宮城県への出張を終える事が出来ました。

写真は、2年間に渡り 当社で義援金をお願いしていた ふたつの募金箱。
そして朝もやの中たたずむ 「 石巻市 ・ 大川小学校 」 の 写真です。

募金の額ですが、金額にして20,140円。 これに当社と私個人の義援金、
その他にも多くの方々からお預かりした義援金を合わせ、お届けさせて頂きました。

届け先は 「 両親を亡くした子供達へ 」 の 義援金を受け付け、分配をしている
県庁内 「 子育て支援課 」 で、手続きをした数日後に領収証が郵送されます。

ご支援を賜った皆様、本当に有難うございました。


夜の11時半に自宅を出て、高速料金を出来るだけ義援金に回す目的を以て、
福島県の 磐梯 毅 まで下道を走り、朝4時頃に石巻市へ入りました。

街はまだ寝静まっていますが、幾つかの仮設住宅からは灯りがこぼれてきます。
地震から5年。 今だに不便を強いられている方は、まだまだたくさんいるのです。

復興作業の大型ダンプと時折すれ違いながら、ひたすら大川小学校を目指します。
通り過ぎる道すがらの景色も見慣れて、もう地図を見ずとも着ける様になりました。

校舎跡が日に照らし出される朝の5時半、ようやく大川小学校へ着きました。
2年前と全く変わらず、まるで何事も無かったの如く、静まり返り穏やかな光景です。

慰霊碑に手を合わせると、自分の意思とは関係なく涙が溢れ止まらなくなります。
ここは私にとって、自身が生きて行く上で、本当に意味のある大切な場所になりました。

「 どうか、助かったお友達や悲しむご家族を、空の上からずっと見守ってあげてね 」
慰霊碑前の鐘を鳴らすと、朝を迎えた大川小学校周辺に、気高くもある音が響き渡ります。

そして県庁7階 「 子育て支援課 」 へ、義援金を届けたのは9時半を回った頃です。
僅かな時間ではありますが、ご担当者から現在の状況を聞かせて頂きました。

慢性的な予算不足の状態もだいぶ改善され、県や国からの予算も確保が出来る様になり、
震災孤児の皆さんの未来は、学資だけに限ってですが、見通しが明るくなったそうです。


その後は、お昼まで近くのショッピングセンターで、不動産会議までの時間を過ごしました。
会議のあるホテルは仙台駅前で、有料駐車場は20分・200円が当たり前。 。 。( 高っ! )

「 それならば 」 と、イ○ンさんに停めさせて頂き、まあ 全くのタダも申し訳ないので、
298円の 「 昼食用のり弁 」 を 買い、それを車の中で食べて安く済ませました。

その後 「 会議の居眠りもまずいし、少し仮眠をとるか 」 と、車の中で横になりますが、
夜通し不眠の運転続きで ほとんど寝ていない筈なのに、何故か眠る事が出来ません。

やはり大川小学校の跡地は、私に色んな感情や想いを与えてくれる気がします。
そして 「 これから先の自分に何が出来るか 」 と、新たな宿題を与えてくれています。

但し、午後1時半から会議ですが、こちらはやたらと眠れましたね。( 笑 )
その後の懇親会も終え、皆さん2次会の話で盛り上がる中、私は一人帰路に着きます。

来た道同様に宮城県内は高速で、福島県から先は下道をひた走り 新潟を目指します。
途中途中で支援者の皆様へのお土産を買い、自宅へ着いたのは日付が変った頃でした。

各お土産は400〜500円程度の物ですが、義援金をお預かりした方に対して、
高額なお土産は本末転倒。 支援者の方もそこは承知して下さっているので有難いです。

その日のうちに支援者様へお土産を配って回り、また夜から小学校で球技の練習。
日帰りの宮城トンボ返りを知っているメンバーは 「 お、生きてたか 」 と 悪態。 。 。

大川小学校の子供達と約束した事 ( 秘密です ) が あるから、絶対に死ねませんよ。( 笑 )
ちなみに 来年は大川小学校を経由しつつ、岩手県にお届け出来る事を目指します。


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