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ryusさんがいいこと書いているなあと思ったので自分も少し書いてみます。
昔の自分はいわゆる右な人だったと思いますが、今は自分の考えは右だとは思っていません。
考え方がかわったのは、ひとつは海外へ貧乏旅行していろいろと見聞したこと(外国人も人間だと思ったのと、中国は広いが貧乏だなど)、左系が強い法律学が自分の専門で嫌でも左系の考え方を学ばざるを得なかったことが原因だと思います。
自分はこのblogでもよく書いていますが、日本が民主政体であること自体は非常によいことであると思っています。中国に産まれたらこんなblog怖くてかけないですよね。
問題は国民が自立していないことだと思います。コンピュータベンダーもそうですが、国にたかったり頼ったりしてはダメですよ。「天は自ら助ける者を助く」という言葉で有名な「自助論」という本がありますが、あの本にも自助努力の精神を持った者が多く出てこそ、健全な社会が産まれるというようなことが書いてあったと思いますが、そういう精神が必要なのだと思います(ルソーの「社会契約論」にも同じようなことが書いてあったと思う。近頃勉強していないから忘れていますが)。
自分の見解をしっかり持った人がそれをしっかりと主張しながら一つの国家として統一した意思形成をしていかないと民主国家は成り立たない訳です。
別に国民の中に右の人がいても左の人がいてもよいわけです。ただ、各人が自分の意見をできるだけ積極的に主張すべきだし、そういう機会が与えられる必要があります。また、各人の意見を大切にした教育が行われる必要があるでしょう。
ただ、最後の国家意志の形成の段階では統一された意見が出されている必要があるし、国民はそれに従う必要がある訳です。この間、国家国旗の話を少し書きましたが、国家意志の統一のために、国歌国旗に敬意をはらうことは不可欠だということです(アメリカでもこの点は徹底されているはず)。
全体としてみた民主主義(正確には「政体」というべきだと思う。主義の問題ではないので)の機能は中道にあるのだと思います。いろいろな意見があがってきて、それを反対意見が批判して、その内容が吟味されてという過程を得る中で落としどころがきまってくるという政治過程を得ている訳ですね。
ただ、民主政体成立は統一的な国家意志をつくって国民国家として機能させることが目的なので最後の判断には国民は従わなければならないということです。
ちょっとながながとした話になってしまった訳ですが、ryusさんがいう通りで国民が確固とした意見を持つことは必要です。
ただ、最後に出てくる中道(民意を媒介しているのだから当然中道)としての結論には国民はしたがう必要がありますよね。
個人の自立と民意の媒介の必要性、統一的国家意志形成の必要性、この辺りの議論、理解がこの国ではまだできているないのではないかと思います。
※ドゴールの「剣の刃」という本にこの辺りの話はよく書いてあったと思います。
日本人だと思想的には自分は違うと思うのですが憲法学者の樋口陽一がよく書いていますね。
ついでに宣伝すると、「戦略研究学会」という学会があります。土門さんが会長で、知識創造企業の野中さんなどこの分野の日本における第一人者が協賛しているのですが、中西輝政さんなども講演に来たりしているので興味がある方は参加すると勉強になると思います(自分はもっぱらROMになっていますが)
この分野は日本人の研究者は少ないですね。戦略研究の分野が日陰になるというのは「民主国家」としてよいことではないと思うのですが。
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