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道東の中では古くから栄えた厚岸町。その歴史を多くの人々に知ってもらおうと国指定史跡「国泰寺跡」前に、昭和42年に開館しました。館内には国指定重要文化財「蝦夷三官寺国泰寺関係資料」の「日鑑記」をはじめ、多くの古文書、埋蔵文化財資料、民俗資料を展示して郷土の歴史がわかるようにしています。
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道東の中では古くから栄えた厚岸町。その歴史を多くの人々に知ってもらおうと国指定史跡「国泰寺跡」前に、昭和42年に開館しました。館内には国指定重要文化財「蝦夷三官寺国泰寺関係資料」の「日鑑記」をはじめ、多くの古文書、埋蔵文化財資料、民俗資料を展示して郷土の歴史がわかるようにしています。
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擦文式土器の使用の始まりは6世紀後葉から7世紀はじめ(飛鳥時代に相当)にあり、ここから擦文時代が始まる。
前代の続縄文時代には、土器に縄目の模様が付けられたが、擦文時代には表面に刷毛目が付けられた。これは土器の表面を整えるため木のへらで擦ってつけたものと考えられており、これが擦文の名の由来である。
この土器の表面調整技法は同時期の本州の土師器にも使用されており、この点にも土師器からの強い影響が窺える。
土器型式では北大II式までは続縄文土器であり北大III式から擦文土器に含まれる。擦文土器は前代の続縄文土器の影響が残る時期のもの(6 - 7世紀、飛鳥時代)、土師器の影響を最も強く受け東北地方の土師器に酷似する時期のもの(7世紀後半 - 8世紀、奈良時代ころ)、擦文文化独特の土器に刻目状の文様が付けられる時期(9世紀、平安時代前期以降)のものに大別される。独特の刻目状の文様の土器を狭義の擦文土器とする研究者も存在する。
擦文文化からアイヌ文化への移行についてははっきりしたことがわかっていない
2018/8/25(土) 午後 4:59 [ 白フクロウの眼差し ]