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未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢 、一寸の光陰軽んずべからず

親日国トルコ

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東ローマ帝国の概要

東ローマ帝国初期の時代は、内部では古代ローマ帝国末期の政治体制や法律を継承し、キリスト教正教会)を国教として定めていた。また、対外的には東方地域に勢力を維持するのみならず、一時は旧西ローマ帝国地域にも宗主権を有していた。しかし、7世紀以降は相次いだ戦乱や疫病などにより地中海沿岸部の人口が激減、長大な国境線を維持できず、サーサーン朝ペルシアイスラム帝国により国土を侵食された。8世紀末にはローマ教皇との対立などから西方地域での政治的影響力も低下した。

領土の縮小と文化的影響力の低下によって、東ローマ帝国の体質はいわゆる「古代ローマ帝国」のものから変容した。「ローマ帝国」と称しつつも、住民の多くがギリシア系となり、7世紀には公用語ラテン語からギリシア語に変わった。これらの特徴から、7世紀以降の東ローマ帝国を「キリスト教化されたギリシア人のローマ帝国」と評す者もいる[11]。「ビザンツ帝国」「ビザンティン帝国」も、この時代以降に対して用いられる場合が多い。

9世紀には徐々に国力を回復させ、皇帝に権力を集中する政治体制を築いた。11世紀前半には、東ローマ帝国はバルカン半島アナトリア半島東部を奪還し、東地中海の大帝国として最盛期を迎えたが、それも一時的なもので、その後は徐々に衰退していった。11世紀後半以降には国内の権力争いが激化し、さらに第4回十字軍の侵攻と重なったことから一時首都コンスタンティノポリスを失い、各地に亡命政権が建てられた。その後、亡命政権のひとつニカイア帝国によってコンスタンティノポリスを奪還したものの、内憂外患に悩まされ続けた。文化的には高い水準を保っていたが、領土は次々と縮小し、帝国の権威は完全に失われた。そして1453年、西方に支援を求めるものの大きな援助はなく、オスマン帝国の侵攻により首都コンスタンティノポリスは陥落し、東ローマ帝国は滅亡した。

日本ではあまり知られていないが[要出典]古代ギリシア文化の伝統を引き継いで1000年余りにわたって培われた東ローマ帝国の文化は、正教圏各国のみならず西欧のルネサンスに多大な影響を与え、「ビザンティン文化」として高く評価されている。また、近年はギリシャだけでなく、イスラム圏であったトルコでもその文化が見直されており、建築物や美術品の修復作業が盛んに行われている。

歴史

ユスティニアヌス1世時代の東ローマ帝国(青)。青と緑色部分はトラヤヌス帝時代のローマ帝国最大版図。赤線は東西ローマの分割線
東ローマ帝国は「文明の十字路」と呼ばれる諸国興亡の激しい地域にあったにもかかわらず、4世紀から15世紀までの約1000年間という長期にわたってその命脈を保った[12]。その歴史はおおむね以下の3つの時代に大別される。なお、下記の区分のほかには、マケドニア王朝断絶(1057年)後を後期とする説がある。

前史

コンスタンティヌス1世ローマからコンスタンティノポリス遷都した330年をもってビザンツ(東ローマ)帝国史の始まりとする場合もある。たとえば著名なビザンツ史学者ゲオルク・オストロゴルスキーの『ビザンツ帝国史』では、遷都直前の324年テトラルキアの内戦Civil wars of the Tetrarchyが終結した年)を始点としている。
390年ゴート族Buthericusの逮捕のために、テオドシウス1世が派遣した軍によるテッサロニカの虐殺英語版が起こった。(ギリシアの歴史に残る最初の虐殺である。en:List of massacres in Greeceを参照。)

前期(395年 - 610年頃)

再興と挫折

ユスティニアヌス1世
本項では、統一されたローマ帝国の最後の皇帝となったテオドシウス1世395年の死に際し、長男アルカディウスに帝国の東半分「東ローマ帝国」を、次男ホノリウスに西半分「西ローマ帝国」を、継がせた時点をもって帝国の始まりとしている。
第2代皇帝テオドシウス2世401年 - 450年)は、パンノニアに本拠地を置いたフン族の王アッティラにたびたび侵入されたため、首都コンスタンティノポリスに難攻不落の大城壁テオドシウスの城壁を築き、ゲルマン人やゴート人に対する防御力を高める事に専心した。第3代皇帝マルキアヌス450年 - 457年)は、451年カルケドン公会議を開催し、第2エフェソス公会議以来の問題となっていたエウテュケス英語版の唱えるエウテュケス主義英語版単性説を改めて異端として避け、三位一体を支持し、東西教会の分裂を避ける事に尽力した。453年アッティラが急死するとフン族は急速に弱体化し、フン族への献金を打ち切った。マルキアヌスが急死すると、第4代皇帝にレオ1世457年 - 474年)が据えられたが、アラン人パトリキマギステル・ミリトゥムだったアスパル英語版の傀儡であった。しかし、471年にアスパル父子を殺害してレオ朝を確立することに成功した。
西ローマ帝国ゲルマン人の侵入などで急速に弱体化し、476年に滅亡した。東ゲルマン族英語版スキリア族英語版オドアケルは西ローマ皇帝を退位させ、自らは帝位を継承せずに東ローマ皇帝ゼノン474年 - 491年)に対して帝位を返上し、イタリア王としてイタリア半島を支配下にした。東ローマはゲルマン人の侵入を退けて古代後期ローマ帝国の体制を保ち、コンスタンティノポリスの東ローマ政府が唯一のローマ帝国の正系となった。イタリア王のオドアケルは、東ローマ皇帝の代官として振る舞い、西ヨーロッパのゲルマン人諸国やローマ教皇宗主権を認めさせた。
西ローマと違って東ローマがゲルマン人を退けることが出来た理由は
対する西ローマ帝国は穀倉地帯であるシチリアを、ゲルマン人に奪われた。
ただし、これによって西ローマ側の疲弊は進んだ。
  • 首都コンスタンティノポリスに難攻不落の大城壁を築いていた
ことなどが挙げられる。


しかし488年にイタリア王オドアケルが東ローマ帝国へ内政干渉したことがきっかけとなり、東ローマ皇帝ゼノンがオドアケル追討を命じた。489年東ゴート族テオドリックがイタリア侵攻を開始した。

491年、皇帝ゼノンが急死し、皇后アリアドネはアナスタシウス1世491年 - 518年)と結婚して皇帝に据え、混乱を防いだ。493年にオドアケルは暗殺され、テオドリックが東ゴート王国497年-553年)を建国した。名君アナスタシウス1世の下で東ローマ帝国は力を蓄えたが、その一方で、単性論寄りの宗教政策によってカトリック教会と対立が再び表面化した。

502年en:Anastasian Warが長きに渡るサーサーン朝とのビザンチン・サーサーン戦争英語版の発端となった。アナスタシウス1世が急死すると、次のユスティヌス1世518年 - 527年)はローマ教皇との関係修復に腐心することになった。

6世紀のユスティニアヌス1世527年 - 565年)の時代には、相次ぐ遠征や建設事業で財政は破綻し、それを補うための増税で経済も疲弊。名将ベリサリウスの活躍により旧西ローマ帝国領のイタリア半島北アフリカイベリア半島の一部を征服し、533年アド・デキムムの戦いヴァンダル族を破ってカルタゴを奪還すると、ヴァンダル戦争533年 - 534年)で地中海沿岸の大半を再統一することに成功した。

特にこの時期、442年455年)以来ヴァンダル族に占領されていた旧都・ローマを奪還した事は、東ローマ帝国がいわゆる「ローマ帝国」を自称する根拠となった。

528年にトリボニアヌスに命じてローマ法の集成である『ローマ法大全』の編纂やハギア・ソフィア大聖堂の再建など、後世に残る文化事業も成したが、529年にはギリシャの多神教を弾圧し、プラトン以来続いていたアテネアカデメイアを閉鎖に追い込み、数多くの学者がサーサーン朝に移住していった。

535年のインドネシアのクラカタウ大噴火の影響で535年から536年の異常気象現象英語版に見舞われた。イタリア半島においてはゴート戦争535年554年)が始まる。

543年黒死病ユスティニアヌスのペスト英語版)。ラジカ王国英語版をめぐるサーサーン朝ペルシアとの抗争(ラジカ戦争英語版)で手がまわらなくなると、スラヴ人542年)・アヴァール557年)などの侵入に悩まされた。

546年に東ゴート軍は、イサウリア人の裏切りによってローマを陥落させることに成功し、この時のローマ略奪と重税によって、いわゆる「ローマの元老院と市民」(SPQR)が消滅し、古代ローマはこの時滅亡したのだと主張する学者もいる。

552年ナルセス将軍が派遣され、ブスタ・ガロールムの戦いギリシャ語版イタリア語版英語版ギリシア語: Μάχη των Βουσταγαλλώρων Battle of Busta Gallorum、タギナエの戦い イタリア語: Battaglia di Tagina 英語: Battle of Taginae)でトーティラを敗死させ、東ゴートは滅亡した。翌年、イタリア半島は平定された。

565年にユスティニアヌス1世が没すると、568年にはアルプス山脈を越えて南下したゲルマン系ランゴバルド人によってランゴバルド王国が北イタリアに建国された。558年突厥の西面(現イリ)の室点蜜サーサーン朝ホスロー1世との連合軍でエフタルを攻撃し、567年頃に室点蜜はエフタルを滅ぼした。その後、室点蜜とホスロー1世の関係が悪化し、568年に室点蜜からの使者が東ローマ帝国を訪れた。

572年から始まったビザンチン・サーサーン戦争 (572年-591年)英語版で、東ローマ帝国もサーサーン朝に対抗する同盟相手を求めていたため、576年達頭可汗にサーサーン朝を挟撃することを提案した。588年第一次ペルソ・テュルク戦争



東ローマ帝国


330年ビザンティウムはローマ帝国の首都となりコンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)と改名された。395年にはローマ帝国が東西に分裂すると東ローマ帝国の首都として前代未聞の繁栄を見せた。
東ローマ帝国は6世紀のユスティニアヌス1世の頃にローマ帝国の版図の大半を回復することに成功したが、その後サーサーン朝との抗争やユスティニアヌス時代の征服戦争などによる財政破綻などから急激に衰退する。7世紀初頭の皇帝ヘラクレイオスはサーサーン朝に勝利したものの、勃興してきたイスラム帝国スラヴ人の侵攻を受けて版図は急激に縮小し、守勢に転じた。また、西欧諸国やローマ・カトリック教会とも対立を深め、それまでの地中海周辺全体を支配する大帝国から、当時ギリシア人が多数を占めていた現在のギリシャ・トルコ周辺を中心とする国家へと変貌し、公用語もラテン語からギリシア語へと改められた。この時代、現在のトルコに当たる小アジアは対イスラムの前線として、そして穀倉地帯として重要な役割を果たしていた。

アナトリアで東ローマ帝国がイスラーム帝国と覇権を争っているころ、555年に東方のアルタイ山脈の麓で突厥柔然を滅ぼし、中央アジアに大帝国を築いた。582年西突厥が分裂し突厥は東西に分かれた。7世紀に西突厥とサーサーン朝の戦争(第一次ペルソ・テュルク戦争英語版第二次ペルソ・テュルク戦争英語版第三次ペルソ・テュルク戦争英語版)で捕虜となったトュルク族は、イスラーム教徒のペルシア征服によって651年サーサーン朝が滅亡すると、以後はイスラム圏で遊牧生活を営むとともに、マムルークとして浸透していった。

9-10世紀になると、東ローマ帝国は国力を回復させて再攻勢に出るようになる。その結果、11世紀初頭にはバルカン半島全土や北シリア南イタリアアルメニアなどを支配する大帝国として復活する。しかし、11世紀半ば頃になると再び国力が衰え、東からテュルクセルジューク朝の侵攻を受けるようになる。


東ローマ帝国

   
東ローマ帝国
Imperium Romanum
Βασιλεία τῶν Ῥωμαίων
ローマ帝国
ヴァンダル王国 (アフリカ)
東ゴート王国
395年 - 1453年
東ローマ帝国の国旗東ローマ帝国の国章
(国旗)(国章)
東ローマ帝国の位置
東ローマ帝国の版図の変遷
公用語首都通貨
ラテン語ギリシア語
コンスタンティノポリス
皇帝
395年 - 408年527年 - 565年976年 - 1025年1448年 - 1453年
アルカディウス(初代)
ユスティニアヌス1世
バシレイオス2世
コンスタンティノス11世ドラガセス(最後)
変遷
成立(東西分割)イスラム帝国によって領土の大半を失陥第4回十字軍により一旦滅亡 亡命政権ニカイア帝国によって再興オスマン帝国によって滅亡
395年
7世紀
1204年
1261年
1453年5月29日
ノミスマ
先代次代
ローマ帝国 ローマ帝国
ヴァンダル王国 (アフリカ) ヴァンダル王国 (アフリカ)
東ゴート王国 東ゴート王国
オスマン帝国 オスマン帝国
モスクワ大公国 モスクワ大公国
セルビア王国 セルビア王国
第二次ブルガリア帝国 第二次ブルガリア帝国
キプロス王国 キプロス王国
ヴェネツィア共和国 ヴェネツィア共和国
テオドロ公国 テオドロ公国
  • 公式な国号は「ローマ帝国」。
  • 正式な成立時期はない。
統治期間憲法政務官(常設職) 政務官(臨時職) 名誉称号・特別職法律
古代ローマ


王政時代
紀元前753年 - 紀元前509年
専制君主制
東方帝国
ローマ皇帝
ローマ法
元老院勧告
元老院最終勧告

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東ローマ帝国(ひがしローマていこく)またはビザンツ帝国は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域、国家である。ローマ帝国の東西分割統治は4世紀以降断続的に存在したが、一般的には最終的な分割統治が始まった395年以降の東の皇帝の統治領域を指す。西ローマ帝国の滅亡後の一時期は旧西ローマ領を含む地中海の広範な地域を支配したものの、8世紀以降はバルカン半島アナトリア半島を中心とした国家となった。首都はコンスタンティノポリス(現在のトルコ共和国の都市であるイスタンブール

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トルコ国章
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ローマ支配まで

ハットゥシャ遺跡

アナトリア

現在のトルコ共和国の国土の中心となっているアナトリア地域は世界的にも歴史の古い土地で、紀元前18世紀にはインド・ヨーロッパ語族ヒッタイト王国が建国された。鉄器を最初に使用したというヒッタイトは紀元前14世紀には全盛期を迎えるが、紀元前1200年頃には海の民によって滅ぼされた。紀元前9世紀にはフリュギア王国紀元前7世紀にはリュディア王国がこの地に建国された。


紀元前4世紀ダレイオス2世の頃に、マケドニア王国アレクサンドロス大王に征服された。アレクサンドロス大王死後はディアドコイ戦争を経て、セレウコス朝シリアの支配下に入った。

セレウコス朝期には、プトレマイオス朝と五次に渡るシリア戦争が行なわれた。 共和政ローマとのローマ・シリア戦争紀元前192年-紀元前188年)では、紀元前191前にはローマに敗れ、ペルガモン王国などの小国に分裂した。ローマ帝国期に各小国が属州となった。

エーゲ海沿岸地方

一方、エーゲ海沿岸地方にはギリシア人によってミケーネ文明が開かれ、「トロイア戦争」で有名なイリオス紀元前1200年頃までには繁栄していたが、前1200年のカタストロフ海の民により滅ぼされた。

紀元前7世紀マグナ・グレキア時代に、地中海各地への植民が行われ各地に植民都市が建設された。ボスポラス海峡に建設されたビザンティウムもその一つである。



トルコの歴史

   
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トルコの歴史を記述する。現在のトルコ共和国イスラム圏に属するが、その領土となっている地域の悠久の歴史を見ると、古代オリエント文明、古代ギリシアローマ文明、ビザンティン文化イスラム文化などが栄え、多様である。また、同国最大の都市イスタンブールローマ帝国東ローマ帝国オスマン帝国と3つの世界帝国の首都となった稀有の都市である。さらに近代においてはイスラム圏では世俗主義の近代国家の建設をいち早く行ったことが注目される。

概史

先史時代

ローマ支配まで

ハットゥシャ遺跡

アナトリア

現在のトルコ共和国の国土の中心となっているアナトリア地域は世界的にも歴史の古い土地で、紀元前18世紀にはインド・ヨーロッパ語族ヒッタイト王国が建国された。鉄器を最初に使用したというヒッタイトは紀元前14世紀には全盛期を迎えるが、紀元前1200年頃には海の民によって滅ぼされた。紀元前9世紀にはフリュギア王国紀元前7世紀にはリュディア王国がこの地に建国された。


紀元前4世紀ダレイオス2世の頃に、マケドニア王国アレクサンドロス大王に征服された。アレクサンドロス大王死後はディアドコイ戦争を経て、セレウコス朝シリアの支配下に入った。
セレウコス朝期には、プトレマイオス朝と五次に渡るシリア戦争が行なわれた。 共和政ローマとのローマ・シリア戦争紀元前192年-紀元前188年)では、紀元前191前にはローマに敗れ、ペルガモン王国などの小国に分裂した。ローマ帝国期に各小国が属州となった。

エーゲ海沿岸地方

一方、エーゲ海沿岸地方にはギリシア人によってミケーネ文明が開かれ、「トロイア戦争」で有名なイリオス紀元前1200年頃までには繁栄していたが、前1200年のカタストロフ海の民により滅ぼされた。
紀元前7世紀マグナ・グレキア時代に、地中海各地への植民が行われ各地に植民都市が建設された。

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