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英雄クン・チュアン物語−謎の幼年期−
名前が異なっているのは、『バイラーン』と言う一種の椰子の葉に刻みつけた文章からなっているのが所謂『伝承本』ですから、永い時の中で人の手で一字一字書き継がれていかなければならず、その途中で綴り間違いもあったかもしれません。また、あたしは未だ手に入れておりませんが『チンカーンマーリニー・パコーン』と言う伝承本は、ある意味ではこの地域の仏教史のようで、仏教にいかに貢献したか、と言う面からの『伝承』ですから、登場人物の名前は必ずしも事実通りである必要はなかったのかもしれません。
いずれにしても『正史』等ないような状況ですから、手元にある幾冊かの伝承本を捲りながらも、あくまでも『あたし』の『想像』を元に自分勝手な『お話』の領域を出ません。
全てが謎のベールで包まれている所は、さすがに『英雄』らしいですね。ただ、今まで引用してきた『パヤウ伝』も『ヨーノック王朝年代記』の中の『パヤウ建国に関わる話』からの引用で、正規の『プーンムアン・パヤウ伝』をあたしは直接見ていませんから、その内容に付随したニュアンスなども分かりません。
それは、あたしが今探している何冊かの『伝承本』の一つなんですけど、ただ、その内容が『自己中心的』過ぎると言う地元の歴史学者がいたりしてるんで、手に入れても読むのが楽しみなような、怖いような…。確かにラワチャカより41代目の王が子供を東に派遣したなんてね…ちょっと信じかねます。あのシンハナワットがインドの王舎城からやって来た、と言う話みたい…
手元の『ラーンナータイ伝承集』の中にも『プーンムアン・パヤウ伝』が収録されていません。今別の『伝承集』を探してはいるんですけど、市内一の大書店で聞いてもコムピューターで検索して貰っても返って来る答えに寂しく項垂れて帰って来るしかない状況です。それでも、いつか古本屋で見つけたいと思ってはいます。
でも、所詮は伝説ですから、目くじら立てずに続きを見てみましょ。
『ヨーノック王朝年代記』の中のパヤウ建国について述べている章においては、クン・チョームタムがムアン・パヤウを建設して3年、小暦461年(仏暦1642年、西暦1099年)の卯の年の北部暦7月即ち、バンコク暦5月(現代の陽暦では4月になりますが)の上弦の1日火曜日明け方、クン・チュアンが生まれたことになっています。でも同書の他の箇所では、『チュアン伝(TAMNAAN CUANG)』を引用して、小暦436年(仏暦1617年西暦1074年)のバンコク暦の5月上弦の1日明け方に生まれたことになっていて、年代に25年の開きがあります。
この『チュアン伝』も欲しい…
『パヤウの建国に関わる章』では、比較的詳しく『クン・チュアン』のことを記しています。即ち、王子が生まれると、チョームタムは、占星術師に占わせたといいます。こうしたことは古くからある習慣のようですね。パヤー・マンラーイの誕生に際しても、懐妊した后の夢をラーワメーンは占星術師に占わせていますから。
占星術師は、生まれてくる子供は全世界を征服する王となる、と予言したと言うのです。何となく釈尊の降誕説話を思い出すのはあたしだけでしょうか。また、あのプロームマクマーンの説話を思い出しませんか。
王は、生まれたばかりの王子に三種の神器即ち、『払子』と『神剣』、そして、『水瓶』を授けたと言い伝えています。その記述の中では、これら三種の神器のうち、払子と剣は、モン・クメール系民族であるカーチャラーイ(KHAA CRAAY)の手中にあると述べていますが、どうして大切な神器が異民族の手に渡ったのでしょうか。その詳細は大いに興味がもたれるところですが、同書の中では述べられていません。
長ずるに及んで、当時の学問、象学その他の全てを学び習熟したクン・チュアンは、いよいよ英雄物語を形成していきます。
この象学というのは、いろいろな伝承本の中で王たちの就学項目として出てきますが、象の捕獲、訓練、操縦方法を学ぶものだったのでしょうか。少なくとも、近代に至るまで王たちは象捕獲の知識・能力を多分に持っていたようです。
そして、16歳になると、学んだ象捕獲術を実地で試す為でしょうか、ムアン・ナーン(MUANG NAAN)に象狩りに出ます。パヤウとナーンは地図では近いようにも見えますが、幾多の山を越えなければならず、かなりの危険を冒しての長旅だったみたいです。
すると、その地の王、パラテーワ(PHLATHEEWA)は自らの娘ナーン・チャンタラテーウィー(NAANG CANTHRTHEEWII)を妻として差し出したと言います。続いてムアン・プレーに象狩りに行くと、そこのプロームマウォン(PHROHMWONGS)と言うプラヤーがナーン・ケーウカサットリー(NAANG KEEWKASATRIY)と言う名前の自らの娘を差し出したと言うのです。
何故に簡単に大切な娘を異郷の王子に差し出さねばならなかったのかしら。残念ながら、手元の資料にはそうした細かな経緯に触れられていません。ただ想像が許されるならば、クン・チュアンの出身を耳にした地元の王が姻戚関係を持つことによって安全を求めたのかもしれませんね。
こうして象狩りの危険な長旅を終えて帰国した時には、クン・チュアンは若くしてムアン・ナーン、ムアン・プレー両ムアンの王婿となっていたのです。
こうしたナーン、プレーでの王の婿としての生活の中で、いつのこととも場所も記されていませんが『ヨーノック王朝年代記』の中の『パヤウ建国の章』の中でクン・チュアンは吉祥の白象を手に入れたといいます。しかも、その名前が『パーンカム(PHAANG KHAM)』である、というのです。
そうです、あのコームをこの地から遥か南の地に駆逐した『プロームマクマーン』がインドラ神の夢のお告げを信じて河で蛇に変身した白象を手に入れましたが、その象も同じく『パーンカム』でしたよね。
手に入れた経過まで二つの話が一致しているそうです。そうしたことから『クン・チュアン』と『プロームマクーン』が同一人物ではないか、という意見が聞こえてくるのですね。
(続)
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すげぇ!めっちゃ、大作やん!
それに(続)って・・・。こりゃぁ、俺には無理やね(途中で幽体離脱するわ)。
タイ史やと思うんやけど、何かこう、わかり易くするためにも『家系図』みたいなもんってない?
2009/2/10(火) 午後 1:24
ありがとうございます。
北タイ一帯に広がっている英雄伝説の中の人物なの。
存在もあやふやなんですけど、彼がチエンマイを作った王様の祖先になります。
誰も関心を持たないから…家計図も夫々の王朝で異なっているんです。どれも同じこのクン・チュアンを自分のものとしていたりして…
2009/2/10(火) 午後 1:30 [ mana ]
いいえ・・・駄作ですけど・・・
LEITA さんのイラスト大好きですけど、あたしに出来るのはこれくらいですから・・・
少しでもココのことを日本の方に知っていただけたら幸せです・・・
2009/2/11(水) 午前 8:16 [ mana ]
多くの国の神話、伝説でも、英雄にはどこかの国のお姫様が「差し出される」って事になっています。
世界的にも女性はこういう立場のモノなんですよね、昔から。
2009/2/18(水) 午後 10:25
世の中には男性と女性がいて、男性が権力を握っている時代は、時として女性は男性の「所有物』なんですね。
現代日本語でも『夫』のことを『主人』といいますよね。コチラでも『夫』を意味する言葉の原意は『master』ですね。
『性差別(?)』は昔から今も無意識のうちのあるのかも。
2009/2/19(木) 午前 5:12 [ mana ]