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英雄クン・チュアン物語−ケーウとの戦い−
クン・チュアンが遥か彼方の国に象狩りに出て、その地の王女を妻に娶ったと言う話を追って行くと、古い昔のラーンナーにおける男性の生活形態の一つである、嫁探しを兼ねた『行商』の旅の姿を思い出します。
『エーゥ・サーゥ(EEW SAAW)』とも呼ばれたりしますが、直訳すれば『女遊び』ともなり、表面的なことだけ見て言えば、昔の日本にあった『夜這い』に近いと思われるかもしれませんが、その実態は全く違うもののようです。
ラーンナーの『エーウ・サーウ』は、女性側の両親が公認で夜間娘を縁側に出して仕事をさせます。そこに『別の村』の男性が『恋歌』を持って言い寄るのですが、若い男女は一指といえども触れることは禁忌だった事が『夜這い』とは違います。勿論女性側が未亡人の場合にはこの限りではなかったようですが…
昔のラーンナーの男性は長ずるに及んで商品を担いで村から村へと渡り歩き、年余を数えることもあったといいます。見聞を広め、経験を積みながらの商用をかねた旅の中で気に入った『女性』がいれば『エーゥ・サーゥ』で近づき、あわよくばそのままその家に『入り婿』になったと言うのです。
こうした話に限らず、ラーンナーの生活・社会習慣はウィティー・パーニットパンの『ラーンナーの道(WITHII LAANNAA)』の中でいくつも触れられています。読むと昔のラーンナーの人々の生活の姿が浮かんできますよ。
北部タイの一体に広がる英雄クン・チュアンの話は、その幼年期は『ヨーノック王朝年代記』の中の『パヤウ建国の章』に述べられているだけで、同年代記の中で言及されている『チュアン伝』も『プーンムアン・パヤウ伝』も読んだことのないあたしには、書くのに苦労します。それでも、所詮は『伝説』『伝承』と受け止めれば、単なる『お話』に落ち着くのではないでしょうか。
『お話』であれば、その信憑性を云々するのも大人気ないといえそうです。もともと『歴史』を書いているのではありませんから…これは言い訳。
さて、類まれな『世界の王』の相を備えてこの世に生を受けたクン・チュアンは、象狩りに出た先でナーン、プレー両ムアンの王女を妻とし、『聖象』ともいえる『白象パーンカム』を手に入れて帰国しました。
何処に…これが問題なんですね…
『パヤウ建国の章』では、明言されていませんが、当然パヤウに違いありません。だって、父のチョームタムは、ムアン・パヤウを統治していて、クン・チュアンはその長男ですから。
文部省中等教育局推薦の副読本『北の町の物語』の中の『重要人物編』でもクン・チュアンがパヤウの王であることを前提に話を進めています。
でも、手元にあるチエンマイ側の『プーンムアン・チエンマイ伝』『十五代王朝伝』『王朝物語伝』では、場所を特定していませんが、当然ンガーンヤーン王国の統治者チョームパールアンの長男ですから、帰る場所は生家のあるンガーンヤーンでしょうね。
ところが、『ヨーノック王朝年代記』に引用されている『チュアン伝』では、36歳の時に『ムアン・チャイブリーチエンセーン』で王位に就いた、と言ってるんです。でも、この街の名前、チャイブリーチエンセーンという名前を覚えていますか。白い鰻に祟られて水没したあの町の名前がチャーンセーンですから、同じ町でしょうね。だとすると水没した町で王位に就いたとでも言うのかしら…
こうした状況で、不完全な形での引用にならざるを得ない限界を感じてしまいます。
あたしは、やはり『チエンマイ派』だし、所詮は『伝説』ですから軽く考えて天孫降臨伝説を持ってこの地上に現れた伝説の人ラーワチャカ王朝の支配する『ヒラン・ナコーン・ンガーンヤーン』としたいの。だって、クン・チュアンの血筋を引くと自負する一代の英雄パヤー・マンラーイが150年近くの後世に現れてムアン・チエンマイを建設したのですもの。
父チョームパールアンが59歳で亡くなると、37歳とも39歳とも伝承では一致していませんが、クン・チュアンが代わって王位に就きました。これも、パヤウ関係では、チュアンの父チョームタムの享年を49歳としています。だとすると、チョームタムが王位にあること34年だと言い、パヤウを拓いて3年の後にチュアンが生まれていますから、この時のチュアンの年齢は31歳になりますよね。
こうした時代考証は、いつの日にか『プーンムアン・パヤウ伝』を手に入れ、『プーンムアン・チエンラーイ伝』『プーンムアン・ナーン伝』『プーンムアン・プレー伝』を読み終えた後、改めて様々に思いをめぐらしながら、楽しみながら時間を掛けてゆっくり書き進めて行こうと思っています。余りにも資料が偏りすぎ、今のあたしに語る資格がありませんから、ここでは省略します。
パヤウに伝わる話では、王位に就いて6年の後、ムアン・ケーウ(MUANG KEEW)が軍を挙げてヒラン・ナコーン・ンガーンヤーンに戦闘にやって来た、と言うのですが、その理由を述べていません。
一方、チエンマイ系の伝承本を読んで見ますと、クン・チュアンの父、チョームパールアンには、ラーワチューンと言う兄がいましたが、彼には、ナーン・ウアカムコーンムアン(NAANG UAKHAKOONMUANG)と言う名前の王女がいて、彼女は絶世の美女であったというのです。その彼女の美貌が噂となって四方に広まったのですね。彼女の美貌を耳にしたムアン・ケーウの王は、どうしても美貌の王女を手に入れたくなり、様々な引き出物を差し出したりして彼女を求めました。
しかし、これも理由を述べていませんが、ラーワチューンはそれを認めなかったらしいのです。異民族だからでしょうか。でも、パヤー・マンラーイの母はチエンルンの王女であり、彼の三男はビルマの異民族に預けたことになっていますから、異民族とはいえ、決してそれが理由で姻戚関係を結ぶことを断ったのではないのではないかしら。
兎も角、申し出でを断れば、昔のことですから、その結果は当然戦闘と言うことになります。
ケーウはいよいよ大軍を発して絶世の美女争奪戦に乗り出しました。
(続)
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昔はどこの国も「妻問い婚」だったのでしょうか?神話も日本と似ているところもありますね。
英雄が美女を娶りつつ旅をするという部分は「ドラクエ」等、今の話にも通じていて、人間の作る話の原点ってこんな風なものなのかな、なんて思いました。男と女の出会いと冒険、これって基本なのかな?
2009/2/20(金) 午後 5:00
コメントありがとうございます。
実は、この答えは既に書き終えているんですが、どうしたわけかPCが不調で書き込んだ文章が呼び出せないまま1週間が過ぎようとしていて困っている所なんです。月曜日には技術屋が来てくれることになっているので順調に行けば火曜日には挙げようかと思っています。
それはさて置き、昔のこの地では、男児が男性になる頃に、両親は寝室から外に出して夜間の自由を与えます。自由になった少年は『夜這い』の練習と祖父たちの様々な見聞を聞いて知恵をつけていったようです。この夜這いに似た風習を『エーウ・サーウ』と呼びますが、これは、未婚の男性が行商しながら、立ち寄った『他村』の女性を口説きながら旅し、あわよくばそのままその家に入って家庭を築いていたのですね。女性側もそれを予想して夜間に室外で編み物などをして待ちます。全ては女性側両親の了解の下にです。ただし、若い男女はどれほど親しくなっても一指も触れることは許されません(相手が未亡人の場合は例外だったようですが)。女性の家系の祖霊の祟りを恐れるからです。どこか日本の昔の風習と似ていますよね。
2009/2/20(金) 午後 5:31 [ mana ]
文字数制限を越えましたので、続きますが・・・
古い話を読んでいますと、昔のタイ族社会はどうやら女系家族のようですね。今も田舎に行けばその雰囲気が残っていますけどね。
面白いことに、かつてビルマを旅した時、ラングーン中心部の観光局に勤める少数民族シャン族の若い女性は、彼女たちシャン族とタイ族、そして、日本人が昔は兄弟であったというのですね。日本民族の南方よりの移住説を採れば興味ある話ですね。そして、シャン族の女性には聞いていませんが、タイ族の子供は生まれて暫くはお尻に日本人同様蒙古斑があるようですね。まだ見てはいませんが。
そして、『民間説話』『御伽噺』を読むと日本にもありそうなものが一杯ありますね。
今では南部タイの伝統芸能とみなされている『マノーラー』という物語は、日本の羽衣伝説に似た話ですね。でも、本来はチエンマイで作られたもののようで、その古文を探しているんですが、残念ながら未だに何処にも見当たりません。
何となくタイと日本が近く感じませんか。
2009/2/20(金) 午後 5:53 [ mana ]
慌て者ですから、コメントが本分と重複しちゃいましたね。
御免なさい。
2009/2/20(金) 午後 6:02 [ mana ]
興味深い話が沢山あるのですね。
日本人の祖先は北からも南からも来ているのでしょうが
「アジアは一つ」ですねぇ・・・
神話というのは規模が大きい。
ギリシャ、ローマの近代的なものより、精霊を信仰していた頃からの話の方がダイナミックで「物語」としても面白いです。
manaさんは素晴らしいことをしてらっしゃいます。
これからも楽しみに読ませてもらいますね。
2009/2/20(金) 午後 7:02
ありがとうございます。
何処までいけるか分かりませんけど、楽しんでいます。
あたしも むうま さんのブログを楽しんでいますので、時々変なコメントを残すかもしれませんが笑ってください。
PCの調子がよくなれば、『タイの祖霊』と言うタイ族の創めのようなものを元にタイ人の『霊』について書いてみたいと思っていますけど、著作権に引っかかりますので、訳文は載せられませんから、『お話』に作り直さなければなりませんけどね。また、中国西双版納にいるタイ族の一派タイ・ルー族の民間説話も即物的で面白いし、中には一休さんのような話もあったりしますよ。
拙文で読み難いかとも思いますが、宜しかったらご意見をこれからもお聞かせ下さい。
2009/2/20(金) 午後 7:45 [ mana ]