チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

天孫降臨物語

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英雄クン・チュアン物語−大王の最期−

ムアン・プレー、ムアン・ナーンの皇女を娶って両国の婿となり、次いでムアン・ケーウの王の心を捕らえた美貌の従妹を妻にし、そして、メコン河を渡ってラーン・チャーンの王女ナーン・アマラテーウィーを娶り、最後には、ムアン・ケーウを攻略して、その地の王女ナーン・ウーケーウを妻にしました。
こうして最終的には合計五人の女性を妻としたクン・チュアンですが、このムアン・ケーウ攻略にはそれまでの三人の妻を伴っていかなかったらしいのです。

このムアン・ケーウにおける即位の祭典は盛大を極め、兵たちには飲食を惜しみなく与えて労い、将軍・高級官吏たちには十分な褒章を下賜しました。それは7日間に及び、それから城に入っていったというのです。
そして、この式典に参列した諸国の王たちは、数ヶ月に亘って逗留した後、それぞれに国に引き返して行ったと言われます。

クン・チュアンの新たな人生の始まりです。
その後ナーン・ウーケーウとの間に三人の男を子を設けたことが伝承に残っています。すなわち、長男がチャウ・パールアンメーンカムカー(CAU PHAARUANGMEEOKHAMKHAA)、次男がチャウ・ジーカムハーウ(CAU YIIKHAMHAAW)、三男がターウ・チュムセーン(THAAW CHUMSEENG)という名前でした。すべて平和裏に終わったかのようですが、クン・チュアンの滞在はわずか3年余に過ぎませんでした。
ラーウより伴ったナーン・アマラテーウィーを伴ってチエンラーウに引き返し、わが子ラーワ・ンガーンに印綬を授けたとされています。ラーウ攻略戦においても戦利品のようにして手に入れていたのでしょう。こうして遠く離れた母国にナーン・アマラテーウィーを預けると、再びムアン・ケーウに引き返して来ました。
帰ってきたクン・チュアンは、ナーン・ウーケーウとの間に出来た三人の子供うち、長男のチャウ・パールアンメーンカムカーにムアン・ケーウの統治を任せ、次男のジーカムハーウをラーンチャーンに赴かせて統治させ、三男のターウ・チュムセーンには、ムアン・ナンタブリー(MUANG NANTHABURII)、すなわち、ムアン・ナーンに赴かせて統治させました。

御年36歳にして王位についたクン・チュアンは、王位にあること14年、ムアン・ケーウに留まること17年、時に77歳、戦場の英雄は後事を息子たちに託して波乱の一生を思い出の中に閉じ込めて余生を過ごすかと思われました。
しかし、戦場の英雄に平安な終わりはなかったようです。子供たちに各地の統治を任せたクン・チュアンは、77歳にして更なる戦場を求めて行きました。そんな彼の心を支えたのは、飛翔する以外のあらゆる能力を授けられている、と言う自信でした。稀代の英雄は、建国の士、治世の士ではなく、終生戦場の勇士だったのです。

彼は軍を編成して新たな旅に出ました。『プーンムアン・チエンマイ伝』『王朝物語伝』『十五代王朝伝』および『クン・チュアン伝』においては、ムアン・ケーウメーンタートークコークファーターユーン(MUANG KEEWMEENTAATHOOKKHOOKFAATAAYUUN)平定を最初から目指していたと言いますが、こんなに長い名前のムアンがどこにあるのでしょうか。文部省の中等教育用副読本の『北の町の物語り−重要人物編』では、ムアン・クメールであるとしていて、この時クン・チュアンは海までその勢いを伸ばしたと述べています。

世紀の英傑クン・チュアンを迎え撃つ側でも、大軍を擁して出てきました。その時敵は石橋を建設して渡河して来たといいます。ではどの河なのでしょうか。紅河かも知れませんが伝承は一切記していません。
襲い来る蜂の大群にも似た敵勢を目にしたクン・チュアンは、それでも敵に後ろを見せることなく、愛象に跨りました。さすがに自らの最期を感じたのでしょうか。クン・チュアンは、自らの衣服を脱ぎ捨て体に擦り付けて匂いを染み付けたようです。そして、従者に持たせると、愛妻ナーン・アマラテーウィーの元に届けさせたといいます。まさに決死の覚悟をした瞬間でした。

ナーン・アマラテーウィーは、息せき切って帰ってきた夫の使者より夫の衣服を受け取ると、胸に抱きしめました。そして彼女の不安を象徴するかのように、町は異変に覆われ、小鹿のキョンが家の中に走りこみ、多数のカエルがムアンの中を飛び跳ね、巨大な蛭が這い出した。雨が降り続いて船着場を壊し、その他の諸々の不詳の出来事が発生した、と使者に語って聞かせました。
守護霊に一心に祈りを捧げて夫を守らせるだろうと告げましたが、敵に後ろを見せることのない夫は、既に年老いてはいるが、大きな至玉の象に打ち跨り、プラヤー・ケーウメーンタートークコープファーターユーンとの戦いに出向いた、という知らせをじっと待とう。夫はこの戦いにおいて命を落とし、自分は最愛の夫をこうして失うで去ろう、と夫の最期を予見していました。

その時、ケーウ・メーンタートークの者たちは、軍を率いて前線に陣を敷いて クン・チュアンとの戦いに備えていました。石の橋を渡って麓で待ち受ける大地を埋め尽くす大群に向かってクン・チュアンの最期の無謀とも言える戦闘が開始されました。
稀代の戦場の英雄も如何せん77歳の高齢に加えて多勢に向かう無勢、それはまさに死地へ向かっての突撃でした。
メーン・ケーウメーンタートークコークファーターユーンは、大軍を持ってクンチュアンを包囲すると一斉に襲い掛かりました。抗する事も出来ないまま、クン・チュアンは敵の武器に当たって敢え無く象の背上で命を落としました。その時の武器は、長刀であったのかもしれません。
クン・チュアンが倒れたことを知った味方将兵は、いっせいに駆け寄ると、彼を真ん中にして敵の更なる加害を防ぎ、戦場を後にしました。
戦場の英雄は、戦場で名をなし百戦不敗のまま、稀代の英雄に相応しい敵に後ろを見せることなく勇敢に戦い戦場で亡くなったのでした。敵に無残な姿を晒すことを許さない味方将兵が今は指揮を取ることのない主を守って一路ムアン・ンガーンヤーンに引き返してきました。そして、荼毘に付しました。

その遺骨はどこに祀られたのか、伝承は黙して語りません。
ヒランナコーン・ンガーンヤーン王朝第19代でした。
『プーンムアン・チエンマイ伝』『王朝物語伝』『パヤウ建国の章』のいずれにおいてもクン・チュアンの最期は、敵の武器に当たって命を落とした、とされていますが、『十五代王朝伝』だけは、敵に囲まれたクン・チュアンが自殺したと記しています。
伝承に現れる様々な戦闘において、王の自殺は寡聞にして見当たりません。英雄の死を敵に遅れをとったとしたくないばかりに自殺にしたのかもしれませんが、あたしはやはり、敵と戦い、矢尽き、刀折れ敵の武器に当たって最期を迎えたとしたほうが、英雄に相応しいと思います。

このクン・チュアンの6代の後、第25代目の王として、今一人の英雄ムアン・チエンマイ建国の王、パヤー・マンラーイが歴史に登場します。
チエンマイは、もうすぐそこまで来ています。

(了)

閉じる コメント(14)

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この辺りの話は戦国時代によく似ていますね。
当時は地図もなく世界情勢がわからずどこまでも果てしない地があると言う事で、拡大戦略がその王なり城主の自分を誇示する唯一の手段と言う考えがあったのかも知れません。
安泰は終焉と考えていたフシがあるように感じます。
傑作

2009/3/14(土) 午前 10:31 千葉日台

千葉日台さん

いつも暖かなコメントありがとうございます。
どこまで本当かはわかりませんが、あるタイ人王がいて、既存の領土ー自領ー守護の立場を超えて遥かな領域にまでその力を示そうとしたことは事実なんだと思います。
現在の北ビルマ、中国南部、北ベトナムにまでタイ族が分布している点は研究の余地がありますね。タイ国内にも様々な部族のタイ人がモザイク上に住み暮らしていますが、彼らの流れと昔の英雄の動きを重ね合わせると、楽しいですね。

2009/3/14(土) 午前 10:56 [ mana ]

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これぞ英雄、ここにありき という感じですね。
当時の77才という高齢で戦場に出るのは
信じられないことですね。

「人間50年 下天のうちにくらぶれば 夢幻のごとくなり」
日本ではこうなのに・・・。

傑作

2009/3/14(土) 午後 5:45 保守の会会長 松山昭彦

さくらの花びらさん

コメントありがとうございます。
77歳が本当であれば大変な長寿ですね。ただ、後ほど出てくるムアン・チエンマイの建設者パヤー・マンラーイは、享年80歳で、これはまず間違いないですね。
謡曲『敦盛』の中の『人間五十年、下天のうちにくらぶれば・・・』は倶舎論の『人間五十年、下天一昼夜』が元らしいですが、四天王が住む神の世界の一日が人間世界の50年に当たる、という意味らしいですが、いずれにしても当時の77歳は既に戦闘をするほどの体力を残してはいなかったでしょうね。ですから、初めから死地を求めていたのかもしれません。

2009/3/14(土) 午後 6:18 [ mana ]

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権力闘争は古今東西あるようですね。
平均寿命が短かったと言っても病原菌やストレスに強ければ、結構長生きしたようですよ。日本でも同じです
ただ77歳、80歳で戦いに出るという事は、体力は無くても気力だけは充分にあったのですね。
病は気からと言いますから(実際、免疫力も上がるし)良い悪いに関係なく、大きな目標がある人は、歳を重ねても皆しっかりしておられますね。

2009/3/14(土) 午後 7:14 若紫

若紫さん

コメントありがとうございます。
なるほど、そういうこともありますか。
常人以上の気力があるが故に英雄になれたのかもしれませんね。
ひとつ賢くなりました。
ありがとうございました。

2009/3/14(土) 午後 7:54 [ mana ]

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倒されるまで闘いつづけるから英雄と呼ばれるのかしら?
そういえば、引退して安らかに幸せに暮しましたっていう英雄ってあまり聞いたことないですよね〜。
現代の「平和」は凄くみんなが我慢協力して守ってるんだなあと改めて思いました。
人間って愚かだけど、ちょっとは進化してるのかしら?

2009/3/15(日) 午後 9:54 むうま

むうまさん

いつもコメントありがとうございます。
英雄は確かに常人とは違う人生ですね。
現代人が進化しているか?
分かりませんが、昔の人のように心から感激することが少なくなったのかもしれませんね。昔は、男性でも喜怒哀楽の感情が激しくて泣き出すこともありましたが、現代ではどこか誰もが冷めているような気がしますが、どうでしょうか。

2009/3/16(月) 午前 6:08 [ mana ]

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今でも、日本人は感情を人前であらわにするのを良し、としませんからね。
でも、最近の高校球児は勝っても負けてもよく泣いてますよ(笑)
いい時代になったものだと私などは思いますが、おじいちゃんの代の方たちは理解できないみたいです。「男のクセに」なんて言ってますよ。

感情を出せる人と、そこから目をそらす人と、極端なのかもしれません。感情を持つと傷つくことも多いですから、現在の制約の多い社会では表に出せないのかも・・・でも、「ゆりもどし」はきっと来ると思ってます。
将来に対しての悲観論が多いこの頃ですけど、
私は希望を捨てていないんですよ。

2009/3/16(月) 午前 8:21 むうま

高校球児の『涙』はいつからでしょうか。沖縄代表が初めての甲子園で砂を持って帰ったのがその後の砂持ち帰りに繋がりましたが、『涙』が自然に出るものであれば素晴らしいと思います。おじいさんの時代の人たちは『泣くな』と教えられてきたからでしょうが、感情が激しいと喜怒哀楽に関係なく『涙』が出ますね。負かされ消沈した涙は男子には似合わないでしょうが、悔しさの余り涙が流れることは昔の人も否定しないと思いますよ。その悔しさをバネにより逞しくなることを誓うならば・・・感情に流されるか、それでもまだ理性を持ち続けられるかでしょうね。
時計の振り子は必ず元に戻ろうとするんだと思います。そうして振れながら歴史が作られていくのかもしれませんね。人も社会も。
ですから人は『歴史は繰り返す』というのでしょうね。

2009/3/16(月) 午前 11:21 [ mana ]

ナーンは山に囲まれた良い雰囲気の街だと聞きました。近くまで行ったのに未だ未踏なので、一度行ってみたいです。

2009/3/16(月) 午後 0:09 [ 獨評立論 ]

獨立綜合調査室さん

コメントありがとうございます。
ナーン、プレーというのは非常に古い町で、周りを険しい山に囲まれていますので、外の世界の影響を受けにくかった為、独自の文化を守り続けてきました。そして非常に独立心が強い町ですから、ラーンナー王国のビルマ占領時代、ビルマに対する反抗運動、その後の独立の動き、小さな町としては非常に大きな歴史の波を潜り抜けてきた、不屈の精神を持つ人たちの町ですね。
彼らの伝承本をやっと手に入れたところです。まだ両伝承とも訳していませんが、いずれの日にか訳してラーンナーの地図の中に組み入れたいと思っています。

2009/3/16(月) 午後 0:31 [ mana ]

ウチの父親の関係でランパーンには行きやした!☆ 父曰く「都となる土地では人口を養う必要がある。だからランパーンは打って付けだった」とのコト。逆にナーンなどのような狭い盆地での在り方についても興味が湧いてきます。


タイ北部はまだまだ興味あるトコロが沢山ですね。いい記事をありがとうございます☆

2009/3/16(月) 午後 0:40 [ 獨評立論 ]

獨立綜合調査室さん

ラムパーンは、広大な原野を有するチエンマイ同様中心となりえますし、なって来ましたが、結論から言って、ナーンもプレーも含めてラーンナーのどの町も出口を持っていません。南はアユタヤ、東はラーウ、西はビルマ、北は中国です。従ってどうしても限界があるのですね。それは現在のラオスを見ても分かります。海への出口、これは大変重要な要素のように思いますが、お父様の調査研究は如何でしょうか。
そんな中で昔の人々は必死になって戦い、独立を守ってこようとしたんですね。その努力がとてもいじらしく思えます。

2009/3/16(月) 午後 1:31 [ mana ]


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