チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

チエンマイの民間信仰

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原始宗教

チエンマイの民間信仰−2−

タイ族がこの地にやって来た時、この地は無主の地ではありませんでした。既にモーン族(MOON)はハリプンチャイ(HARIPHUNCHAY)という王国を建設して仏教をこの地にもたらしていました。そして、それ以前より住んでいるルアッ(LUA)と呼ばれる種族が広く分布して狩猟採集生活を営んでいたものと思われます。
彼らルアッの人たちは、プー・セ(PUU SE)、ヤー・セ(YAA SE)と呼ばれる祖霊信仰を持っていました。今もチエンマイの郊外、空港滑走路の向こうの小山に見える小さな仏塔の寺院ドーイカム寺院(WAD DOOYKHAM)に彼らの祖霊は祀られています。

また、現在のビルマを中心に広がるモーン族は、純粋ではないながらも大乗系と上座部系の混交した仏教を心の拠り所として巨大な文明を築き上げてたようです。そして、何より、東方の大部族クメール族は、バラモン教に裏打ちされた煌びやかな精神世界・宇宙世界、大乗系仏教に影響された菩薩世界を持ち込んでいたようです。
タイ族は、そうした先住民族の信仰形態が深く浸透した地に新興種族として南下浸透して行ったのです。そして、自然にそうした先住民の煌びやかな宗教・儀式を受けいれ、受け継いで行ったに過ぎないのです。

では、そうしたバラモン教という精神文明、宇宙観に染まる前のタイ族が本来持っていた宗教、信仰心とは何なのでしょうか。
それは、他の民族同様一口に言って精霊信仰、アニミズムです。

我々日本人が、仏教を信じると言いながら、神社参りを欠かさず、人生の節目節目では寺院より神社を選ぶのに似ています。そして、様々な行事は目に見えない八百万の神々に繋がり、全国各地の祭事の多くは神事でもあります。いつの間にか神仏混交にまで至りました。
そもそも宗教が盲目的な信仰であるならば、社会を統率する為に誰にも認められる信仰形態が必要となります。それが社会の構成員を結び付け、同一集団であると言う意識を植え付け、集団生活を円滑ならしめて来たのではないしょうか。
宗教、もしくは信仰心というものが人類から切り離せないものであるとするならば、何故に人間は宗教心、信仰心を抱くのでしょうか。

我々現代人は、時として自らの祖先の信仰を迷信という言葉で片付けてしまい、軽視してしまいますが、迷信というものから完全に自立出来ないでいるのも又、現代人ではないでしょうか。
チエンマイの人々も又、はるかな昔から先祖代々受け継いできた迷信、信仰心、宗教心を意識するとしないとに係わらず、今も保持しています。

それは、必ずしもバラモン教世界の神々に対する信仰ではありません。もっと原初的な、単純な信仰、恐れであります。チエンマイの人々と親しくなると、我々日本人には想像も出来ない言動に出くわして驚くことがあります。
一つは、誰もが自分の生まれた曜日を知っていることです。これは、彼らの運勢に大いに関係あるもので、出生証明書にもはっきりと銘記されています。中には、生まれた曜日を名前に付けている人もいます。

そして今一つは、必ずといっていい程、彼らはニックネームを持っていることに驚かされます。これは、我々日本人が考えるニックネームとは少し異なっているかもしれません。何故なら、愛称は、日本にあっては親しさを示す為に友人が付けた一時的なものであるか、さもなくば、幼子を呼ぶ際に慈しみ・親しみを込めて「ちゃん」付け、もしくは「君」付けで呼び、決して社会的に長期に亘って用いられることはありません。

これに対し、ここタイでは、子供が生まれると本名よりも先に両親が愛称を考えて付けるのが普通です。従って、愛称は生涯その人について回り、学校でも、会社でも、愛称は独り歩きし、本名よりも深く普及します。それ故でしょうか、愛称を名刺に印刷している人すらおり、時には本名よりも愛称の方が広く行き渡っているかにさえ感じる時があります。
そして、そんな可愛い我が子に付ける愛称は、不思議にも「蟻(MOD)」「蜂(PHUNG)」「海老(KUNG)」「蟹(PUU)」「豚(MUU)」「猫(MEEW)」などの動物であったり、また時には「雨(FON)」「雲(MEEKH)」などの自然界の現象であったり、擬音であったり、およそ人の名前に相応しいとは思えないものばかりです。

タイ人は、何故にこうした人間離れした名前を可愛い我が子の愛称にするのでしょうか。
これは、タイ族の昔からの信仰心から来ているもののようです。
即ち、公衆衛生、医療環境の未だ整わないはるかな昔、生まれたばかりの子供は、往々にして成長することもないままに、乳飲み子の段階でこの世を去ることが多かったのはどの民族においても同じでしょう。
それを昔のタイ人は悪霊(PHII)が生まれたばかりの子供を連れ去るものだと信じました。多くの新生児が悪い霊に攫われる中で、どうすれば悪い霊から生まれたばかりの抵抗力のない我が子を守ることが出来るのでしょうか。

タイの昔の人々は、生まれた子供が人間の子供ではないことにすればどうかと考えました。生まれた子供が人間の子供でないとすれば、悪い霊が可愛い我が子を連れて行くことがあるまい、と考えたのです。そこで、子供が生まれると、本名よりも先に、我々には異様とも思える奇妙な愛称を考えて付けます。そして、本名はその後でゆっくりと考えることになります。
これは、かつて日本でもあった捨て子の慣習に似ているかもしれません。生まれてきた子供を一度捨てさせ、親しい人に拾わせてくるのですね。そうして育てると大きく成長すると信じられていたようです。

勿論、医療衛生状況の整った現在、新生児死亡率の減少した現在、新生児の死を恐れて愛称を考える親はいないでしょうし、こうした習慣の本来の意味を知る人、考える人もいないかもしれません。しかし、それでもタイ人の潜在意識下には、そうした祖先の苦労、新生児の死を恐れる気持ちが残っているのではないでしょうか。そうした意識しない恐れ、理由のない恐れこそが彼らの信仰心の源なのではないでしょうか。

そして、病気になれば魂(KHWAN)が抜け出したものとして招魂の儀式を執り行い、驚愕して呆然としたりすると、魂が体外に弾け飛んだものと考え、体外に飛び出した魂を呼び戻そうとします。
時に街角に見かける小さな四角の容器の真中に小さな三角旗を立てたものがありますが、あれもまた彼らの精霊信仰の一つの現れです。今では多く僧侶が儀式を執り行いますが、それはまったく仏教とは異質のものです。

そして、今も田舎に行けば様々な精霊を慰める儀式お祭り(LIANG PHII)、踊りが伝わっています。

(続)

閉じる コメント(18)

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名前のつけ方については、面白い表現ですね。
豊臣秀吉も我が子が早世する事を嫌い、生まれた子に
「捨」と名づけ捨て子は育つのだと縁起を担いだようですよ。

2009/3/23(月) 午前 7:22 [ keiwaxx ]

keiwaxxさん

早速のコメント有難うございます。
コチラでは、ニックネームを知っていても本名を知らないケースがタタありますね。

2009/3/23(月) 午前 8:04 [ mana ]

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わが国では「実名を知っているのは親と夫だけ」なんて時代があったと、読んだ記憶があります。
名前を知られると「呪詛により支配され」たんですって。
どこの国でも、名前って大事なものなんですね〜。

2009/3/23(月) 午前 8:37 むうま

むうまさん。

コメント有難うございました。
いずこの国も『呪詛』『霊』を心から信じていたのでしょうね。そこから道徳も決まりも出てきたのかもしれませんね。

2009/3/23(月) 午前 9:17 [ mana ]

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おはようございます。
古今東西人間の考えることは同じような事が多いですね。
人民に共通の信仰心を持たせると人心掌握がしやすいでしょうから、時の権力者がよくやることですね。日本でも特に聖武天皇が有名ですね。

2009/3/23(月) 午前 9:24 若紫

若紫さん

コメント有難うございます。
昔の素朴な人々は場所を越えてどこか共通点があるのかも知れませんね。

2009/3/23(月) 午前 10:22 [ mana ]

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日本もいろんな習慣があり、
地域ごとにさらにいろんな習慣があります。
先人の言い伝えや習慣を語り継がれなくなっていますが、
年よりは こんなことなぜ知っているの ということも
きちんと知っています。

大切なものは語り継がなければ、
と考えさせられました。
傑作

2009/3/23(月) 午後 4:44 保守の会会長 松山昭彦

さくらの花びらさん

コメント有難うございます。
今の自分は父母から受け継いだ命だと思えば、昔の人の言葉は自分の根っこなのかもしれません。過去を否定することは自分の根っこを否定し、根っこのない人間は実体のない人間だと思っています。
様々な御伽噺、伝説、伝承を信じるか信じないかはともかく、真摯な態度で耳を傾けたいですね。

2009/3/23(月) 午後 5:20 [ mana ]

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こんばんわ。
タイには愛称について習慣があるのですね初耳です。
manaさんの研究心にはいつも感心してます。 傑作

2009/3/23(月) 午後 7:51 Non

Nonさん

コメント有難うございます。
タイ人は、その出自=民族を問わず、基本的にニックネームを本名より先に考える習慣があります。そして、それが生涯ついて回るのが普通ですね。半公的なものであるところが日本のニックネームと異なりますね。

2009/3/23(月) 午後 8:04 [ mana ]

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迷信と言いながらも、例えば友引の日に葬式はしないとか、仏滅の日に結婚式をしないとか、引っ越す時には塩をまいて氏神様にお祈りをするとかと言う事を欠かさないとか、まだまだ科学が発展しても根強く残っています。
さすがに今は「今日は仏滅だから出張には行かない」と言うのは通用しませんが、長年言われてきたことはそれなりの経験に裏打ちされた叡智だからかも知れません。

それとタイの名前の付け方は面白いですね。
今の台湾人は会社の中でも愛称で呼ぶことが多いらしいですね。
傑作

2009/3/24(火) 午前 6:57 千葉日台

千葉日台さん

コメント有難うございます。
迷信と呼ぶか、信仰と呼ぶかでしょうね。先祖代々言われてきたことを理由もなく捨て去ってしまうことは自分の根を断ち切ることでしょうね。
自分の根は大切にしたいですね。
台湾人も愛称社会ですか。
また一つ勉強になりました。

2009/3/24(火) 午前 8:09 [ mana ]

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なるほど民間信仰というのは似てますね
傑作

2009/3/24(火) 午前 11:40 [ 道後 ]

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MON族について取り上げてくださりありがとうございます。楽しみに読ませていただきます。

2009/3/24(火) 午後 2:32 [ 獨評立論 ]

水大師さん

コメント有難うございます。
民間信仰を見ていくと、日本のそれとどこか似通った所を持っていますね。民間説話=御伽噺を読むと日本にありそうな話が多数ありますね。落語の噺になりそうなイロっぽいのもありますね。

2009/3/24(火) 午後 3:14 [ mana ]

獨立綜合調査室さん

コメント有難うございます。
コチラにはモーン族とモン族がありまして、モーン(MOON)はビルマから現在のタイに広がり、言語学的にはクメールに近いそうです。
一方のモン(MONG)は苗族のことで、中国の神話時代に登場してきているのと同じ民族で、漢族と死闘を繰り返してきているようですね。彼らはタイ族より遅れてこの地に入り、時にはメーウ(MEEW)とも呼ばれ、今では山間部に集落を作って観光地となっています。

2009/3/24(火) 午後 3:20 [ mana ]

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タイではそう表記するのですか!!
父親はタイ語表記でしか知らないため、私は前者のモン族を「MON」、後者のモン族を「HMONG」と書き、後者は「フモン」とも言ってきました。


>時にはメーウ(MEEW)とも呼ばれ

これは「MEO」「MIAO」ですね。英語版ウィキペディアでは「HMONG」と「MIAO」が分けられていましたが、日本語版では共に「ミャオ」でした(苦笑)。

タクシンも中国系だからなのか、仇名がメーオ(漢語での「ミャオ」、つまりミャオ族[苗族]。モン族=Hmongの蔑称)と言う差別語ですね(http://blogs.yahoo.co.jp/independent_jiro_blog/7933948.html)

2009/3/26(木) 午前 2:49 [ 獨評立論 ]

獨立綜合調査室さん

コメント有難うございます。
タイ語の外国語表記に関しては、まだ決まった決まりはないと理解しています。

また、元首相のニックネームと彼の出自とは無関係の筈です。
メーウは他称、モンは自称と理解しています。

2009/3/26(木) 午前 5:37 [ mana ]

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