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チエンマイの民間信仰−3−
宗教の最も基本的なものは、自然を畏れ敬う心ではないでしょうか。日本人の祖先は森羅万象に霊性を見出し敬い、神道を作り上げて今に至ります。そうして出来上がった神々は八百万といわれるほどに無限に存在します。
タイ人にあっても彼らの深層心理には、自然界の無数の神々が住みついているようで、それは、今も各地で見られます。しかし、決定的に異なるのは、日本にあっては、崇拝・信仰の対象となるのは擬人化した自然神もしくは神に祀り上げられた故人ですが、タイ人にあっては自然の中の一切の事物に宿る無数の「ピー(PHII)」と呼ぶ精霊の存在にあります。
テーワダー(THEEWADAA=神)、テーウィー(THEEWII=女神)と呼ばれる神々は、そのサンスクリット語の言葉が示す通り、インドから入ってきて、この東南アジア一体に広範に広がり、無視出来ない影響を与えて来たバラモン教の概念を借用したものかも知れません。
「タイ族の祖霊」とも訳し得ると思える「タムナーン・トン・ピー・タイ(TAMNAAN TON PHII THAY)」という本があります。この中の第一部は、プラ・タムマタットー・ピク(PHRA THARMATHATTOOPHIKKHUU)という僧の記したものです。そこではこの大地が火の海となって焼き尽くされた後、地上から立ち上る芳香に誘われる様にして天上から神々が飛来してきて遊んでいたといいます。世界には洪水神話というものがありますが、これは焼滅神話でしょうか。
天上から舞い降りた神々は光に包まれてその姿形を見極めることが出来ず、語り合う言葉もなかったかのようです。
ある日、いつものように群れをなして地上に降り立った光に包まれた神々は、思い思いに地上でひとときを楽しみ、その様子はまるで子供達の無邪気な遠足風景にも似ていました。
そんな中で、ある神が地上から立ち上る香ばしい薫りに誘われるように土を掴んで口に運ぶと、それは何とも言えない程に美味であったそうです。そこで、我を忘れて次々と口に運んでいるうちに満腹感を覚え、いつしか睡魔に襲われるままに、その場で眠ってしまいました。
どれほど時が経過したのでしょうか、気が付いた時、回りには一緒に天上より降り立った仲間の神々が見当たりませんでした。いつもと同じように飛翔して天上に帰ろうとすると、土を食べ過ぎて重量が増したのか、どうしても思うように飛び立てませんでした。
ただ一人地上に取り残された神は、地上を当てもなく流離いながら空腹を覚えると土を掴んでは口に運んでいました。時の経過と共に次第に体を包む光が薄れて行くと、神としての特性もまた薄れていくようでした。もう天上に帰ることすら出来なくなってしまいました。
寂しさを覚えながらも、それでも空腹を覚えると土を掴んでは口に含んで飢えを癒して、何の苦痛も感じませんでした。時の経過と共に光りは更に薄れ、光が失われる頃には、もう自分が神であったことすら忘れました。
体を包む光が消えうせると、その身には一枚の布すら纏うことなく全裸でしたが、一人の仲間もなく全裸での独り暮らしの中で、元神に羞恥心はありませんでした。土を食べては眠り、気の向くまま足の赴くままに流離っていたようです。
そんな放浪の暮らしがどれほど続いたのでしょうか。
ある日、天上から神々しい光りと共に神々の一団が舞い降りて来るのを目にしました。神々の群れは、いつもと同じように地上での楽しい一時に時の過ぎるのを忘れていました。それを見ていた元神は、驚きながらも、羽を外して戯れる神々を覗き見ながら、脱ぎ捨てられた羽のうちの一枚を奪って隠し、羽の持ち主が再び飛び立てないようにしました。
それは、我が国の天の羽衣伝説にも似ていますし、又、山田長政の最期の地であるタイ南部のナコーン・シータムマラート(NAKHOR SRIITHARMRAACH)の伝統芸能・伝統舞踊として有名な半鳥半人の天女と若い王様との間の恋物語といわれる「マノーラー物語(MANOORAAH)」そっくりです。それもその筈、マノーラー物語は、元々当地チエンマイの僧侶が書いた仏伝「仏生譚五十話(PANYAAS CHAADOK)」の中の物語の一つなのだそうですから。
こうして、再び天上に飛翔して帰ることが出来なくなった今一人の神がいます。
しかし、羽を奪われた女神がその神性を失い、薄れ行く光の中で全裸を表すと自分とは違っていることを知りました。こうして一組の人間が出現したのです。
地上に取り残された二柱の元神の共同生活が始まりました。互いに言葉もなく、体を包むものも知らなかった二人は、いつの頃にか言葉を口にし、体を包むものを身に纏うようになりました。
こうして始めに出来た言葉は、セーン(SEENG)とサーン(SAANG)で、共に『光』を意味しています。そこには自らの前身が神であったことを残そうとする無意識の意思が働いていたように感じます。
やがて二人の間に子供が出来ましたが、自らの体内より出てくる生き物が何であるかわからない元女神は、生まれてきた我が子を手掴みにしてむしゃむしゃと食べてしまったと言います。一人、二人、次々と生まれて来る我が子を食べる元女神は、ある時食べても食べても出て来るその不可思議な物を食べずに育てることにしたそうですが、別に育てるという意識はないままに自然に放置していたのでしょう。
こうして子供が増えると、外形の異なる、性を異にする子供を組にして生活させました。やがて子供たちの間に出来る新生児について元女神はそれを食べないように教え、孫が出来、曾孫が出来、次々と家族が増えて行きました。こうして徐々に社会らしいものが出来てきました。
どれほどの時が過ぎたのでしょうか。終に年老いた二柱の元神に最期の時がきました。体は疲れ果て、動くことさえままなりません。土を食べてきたから重くなったのです。そして、子供達に、自分を焼くよう命じます。身体を焼き尽くし、土に返った二人には、神々しい光りだけが残りました。
こうして、二人は「ピー(PHII)」となったのです。
こうしてみると、タイ人が考える「ピー」は決して恐ろしいものではなく、自らの祖霊的な存在、民族の根的な存在なのです。それは、ある意味では日本の神に似ているのかもしれません。
「ピー」という単語は、昔のタイ人にとっては上の話からも分かる通り、生死を越えて存在する実在だったのではないでしょうか。死によって肉体が滅び、消滅しようとも精神としての「ピー」は不滅なのかもしれません。それは、日本人が考える「魂」に似ているのかもしれません。
しかし、現代タイ人に見る「ピー」は先に見た自らの祖霊の姿ではなく、恐ろしい響きを持って如実に迫っており、精霊という意味の他に、様々な禍禍しいこの世のものとは思えない化け物、悪霊にさえこの言葉が使われます。
(続)
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日本人の死生観に繋がるものがありますね。
考えてみたら仏教は輪廻転生と言う考え方で巡り巡っているといいますね。日本は自然崇拝で、極論を言えば鰯の頭も信じれば神様になると言う事で、神道も元々自然を拝む、そして自然と共生する事が根底にありますね。
一方キリスト教はノアの箱舟のように、自然と敵対し、自然を征服する事に主眼を置いている気がします。
今のアメリカの破壊主義的な動きは何となく納得できますね。
傑作
2009/3/27(金) 午前 7:01
人は神が作った人形、という考えとは明らかに異なり、
日本の神話と似ていますね。
太古には東南アジアからも人々が日本に流れ着いたでしょうから
共通の昔話もともにやってきたかも、と考えるのはとても楽しい♪
2009/3/27(金) 午前 8:07
千葉日台さん
コメント有難うございます。
やはり人間が自然と敵対して生きていくことは不可能だと思います。烏賊に自然と調和するかでしょうね。自然と敵対した人間が今、地球温暖化の報復を自然から受けているのだと思います。
2009/3/27(金) 午前 10:09 [ mana ]
むうまさん
コメント有難うございます。
どこにも作られた話的なものがなく、上からの神話ではなく下からの神話で、神もどこかひょうきんな感じがありますね。
2009/3/27(金) 午前 10:14 [ mana ]
>様々な禍禍しいこの世のものとは思えない化け物、悪霊にさえこ
>の言葉が使われます。
日本の妖怪やもののけも、神様のように扱われたりするので、
妖怪の話も含めて比較すると面白そうですね。
2009/3/27(金) 午後 2:27 [ しば ]
このような話はドコにでもあって、大筋が似てるのはナゼなのかな?
言い伝えや、見聞きして伝わったにしては、かなり古い時期からあるようですし、かといって、全ての話を別々の人が作ったとも思えないし・・・
不思議ですね
2009/3/27(金) 午後 4:32
hemulen_civaさん
コメント有難うございます。
人間ではないもの、不思議な力を持っていると信じられるもの、それらのうち、気に入ったものを神と呼び、恐ろしいものを化け物と呼んだのかもしれませんね。
それを研究するのが神話学なんでしょうね。
でもタイ族の民間説話は面白いし、日本人にも理解できるものがありますよ。
2009/3/27(金) 午後 4:55 [ mana ]
柚ぽん瑠璃珊瑚晴パパさん
コメント有難うございます。
人類の起源説というのは洪水伝説を持っている民族がいたりするんですが、ここに出ているのは世界が焼けてしまった後の話なんですね。いずれにしても自然現象により一族の大半が消えうせたか、自然災害を逃れてきたかした後で作ったものでしょうから、余り変わりがないのかもしれませんね。ノアの箱舟も大洪水を神話の形で残したものでしょうね。
やはり、人間が弱い生き物だということではないでしょうか。火を恐れ水を恐れたのでしょうね。水辺に近い民族は時として体に刺青を彫って水中の魔除けとしたりしましたが、タイ族にもそうした習慣がありましたね。
2009/3/27(金) 午後 5:03 [ mana ]
タイの神話ですか、このお話。
とてもいいお話でした。
神話と言うのは非常に大切なものです。
日本も神話をきちんと教育するべきだとおもいます。
日本武尊?読めません?
天照大神?読めません?
読むことも出来ないのですよ、
こうなったら語り継がれることもなくなるのでしょう。
傑作
2009/3/27(金) 午後 10:59
さくらの花びら
神話はある意味で民族の宝だと思います。
幼稚園時代から『お話』として教えていけばいいのでしょうが、神話が事実でないという馬鹿な人がいれば情けないですね。神話学と言う学問があるそうですが、それほどに大切なものなんですね。
日本には、古事記という素晴らしいものがありますから、それを教えなければ民族の根に気付かない子供が増えるでしょうね。
2009/3/28(土) 午前 5:27 [ mana ]
地上に取り残された男神・女神が子を産んで人をつくり、最後は自らを焼かせて「ピー」が誕生したとの神話は、日本の天孫降臨神話のようにタイ人たちに広く知られているのですか?。
2009/7/1(水) 午後 9:52
迷えるオッサンさん
コメントありがとうございます。
タイ人は殆どの人が知らないでしょうね。
余り一般的ではないと思いますよ。
2009/7/2(木) 午前 9:32 [ mana ]