|
チエンマイの民間信仰−5−
我々日本人の祖は、非業の死を遂げた人を神にすることで祀り、畏敬の念を表し、怒りを鎮めると同時に、生あるものへ危害を加えることのないよう懇願しました。怒れる魂、それは恐怖以外の何者でもなかったのでしょう。
同じように、現代タイ人にあっては、かつて日本の古い社会で恐れられた『幽霊』同様に『ピー』が恐れられています。それは身の毛もよだつ恐ろしい存在で、現実に身近にいると信じられているのです。
そんな中の一部を見てみましょう。
「ピー・カ(PHII KA)」とも「ピー・ポープ(PHII POOB)」とも呼ばれる「ピー」は、今も広く人々に恐れられていて、時として映画、テレビドラマのテーマにさえ取り上げられます。
先のマニー準教授の書に寄れば、この『ピー』が体に入るにはいくつかの方法があるようです。一つは、激しい修行を行い、呪文・偈を唱えますが、その修行の決まりに反した場合、修行で得た能力が逆転して『ピー・ポープ』になるとされています。激しい修行の余り狂気を発する、ということでしょうか。ある高名な僧は時として自制できない狂気が発生することを恐れて、時として、一人かつての修行道場があるドーイ・ステープに篭って自らの高ぶる感情を抑えた、という話もあります。
そして今ひとつは、先祖よりの伝承によるもので、乗り移っている人物が死ぬと霊は直ちに遊離して近習の者の中に乗り移ります。
「ピー・ポープ」が体の中に入ると、眩暈がしたり、顔色が褪せたり、時には卒倒することもあり、無意識のうちにカッを目を見開いて暴れ回ったり、分けもなく人を罵倒したりします。
この霊を体から追い出すには、呪文の他に下品なものを使用すると言われており、何故か魚取りのビクに用いる紐、剃刀の刃、土鍋、帚、等々を用い、除霊師が仕切ります。
これも除霊師とピーとの力関係で、ピーの力が強ければ、除霊ができません。まるでかつて日本に持った憑依現象そのままですね。
一方で、この霊が体内に入り、肝臓などの臓器を食しますので、その時点で既に乗り移られた人は死んでいるのだという考えもあり、この霊のことが今ひとつはっきりとは決まっていないのかもしれません。
ただ、面白いのは、この霊が体内に入ったと知れば、その人がキリスト教に改宗すれば、霊がキリストを恐れてでしょうか、その人の体から離れて行くと言うのです。
しかし、これはキリスト教のチエンマイ普及の歴史を見れば、キリスト教に改宗した人々を周りの人々が「ピー・ポープ」に取り憑かれたとして村八分にした現実を知るでしょう。
サンキート・チャンタナポーティ著の『ラーンナーの地下を開く』とでも訳す本がありますが、その中にチエンマイ滞在最初の白人として100年余りも前、マッキンヴァリーという一人のアメリカ人宣教師がチエンマイにやって来たことを記しています。
時に仏暦2409年(西暦1866年)のことでした。
当時マラリアに苦しむ住民たちにマッキンヴァリーが持ってきた薬は劇的な効果を発揮しました。そして、種痘すら施し、チエンマイ王室庇護の下で何不自由なく暮らす珍しい紅毛人を見にやってくる住民が日々増えていきました。
やがてそんな中から改宗者が出ました。
時に仏暦2412年(西暦1869年)、チエンマイでは町中を上げて灌漑用水路の掘削事業がありました。これは、河の水を大切な田畑に導くもので、補修・修理は欠かせませんでした。その大事業の中で、ナーン・チャイ(NAAN CHAY)とノーイセーンヤー(NOOYSEENYAA)という名前の改宗者は、日曜日に仕事をしませんでした。二人は既にキリスト教に改宗し、その教えで安息日の日曜日に働くことは神の命に背くと考えたのです。
当時のチエンマイの王は、ポーチャウ・カーウィローロット(PHOO CAU KAAWIROOROS)、別名チャウ・チーウィット・アーウ(CAU CHIIWIT AAW)とも呼ばれ人々から恐れられていました。彼が一言アーウ(簡単の言葉)といえばすなわち、処刑、といわれるくらい絶対だったのです。
彼の審査は非常に合理的で理にかなっていて、住民総出で全住民の田仕事に益になる灌漑用水路補修を怠ることは、社会秩序の破壊にも繋がりました。こうして国王直々の審理の末、『アーウ』という一言と同時にチエンマイで最初のキリスト教徒二名の処刑が決まり、密かに二名の属する村長のもとに処刑実行命令が出されました。
しかし、信教の自由を主張するアメリカ宣教師団の知ることとなり、反発を買い、バンコク王朝に二名の処刑に対するバンコク王朝の判断を求める嘆願が持ち込まれました。結局バンコクの国王といえどもチエンマイ国王の自治権を抑えることが出来ず、チエンマイ国王、チャウ・チーウィット・アーウは、その後マッキンヴァリーに対して布教を禁じました。
チャウ・チーウィット・アーウの理論は、改宗者は国に対する反逆者である、というのでした。
布教活動はその後も密かに続き、7名の洗礼を受ける人物が出ました。チエンマイにおける第一次改宗団とも言えるでしょう。これに対し、チャウ・チーウィット・アーウはマッキンヴァーリーに国外退去を命じました。
この頃の話は大変興味深いのですが、ここではこれ以上はいりません。
こうして改宗した人々が示す態度、余りにも違う習慣に苛立ちと不快感を持つようになった村人は、やがて彼ら改宗者を村八分にするようになりました。その時かけられた嫌疑が、ピーが乗り移ったというものでした。
これは、絶対権力者チャウ・チーウィット・アーウの布教禁止令以上に効果的だったようです。村八分にされた改宗者はやがて町から周辺に離れて行きました。チエンマイの北、メーテーン地方に古いキリスト教徒が多数いるのは、こうした事情からでしょうか。
同時にチャウ・チーウィット・アーウは、隣のラムプーンの王にも布教禁止令の布告を求めましたが、ラムプーンの王はそうした措置を取らなかったため、これまたキリスト教が自由に広がって行ったようです。
こうしてピー・ポープと罵られたキリスト教徒が地方に広がっていったのです。
この他にも、「ピー・ポープ」と同じ位有名で、同じ位恐れられているのが「ピー・スー(PHII SUU)」とも「ピー・クラスー(PHII KRASUU)」とも呼ばれたりする霊で、「ピー・ポープ」と同じように人の体の中に宿ります。
この霊は、なま物を好み、この霊が入った人の鼻は異様に赤くなり、夜間食物を求めて取り憑いた人の鼻から体外に出た霊は、ボンヤリと光を発しながら空中を浮遊するといわれています。
このピー・クラスーは、女性に取り付き、汚物を食するといわれていますが、その正体となるとはっきりしないようです。ただ、この霊は、夜間首から下はなく、ただぶら下がるように垂れた心臓らしいものが光を発して空中を浮遊するといわれています。そして、この霊は汚物を食した後、口を拭うのが夜間洗濯物を干して取り込み忘れた衣服だとされていますから、もしかしたら夜間の洗濯を戒めるのかもしれませんし、夜行動物の目の光を恐れているのかもしれませんね。
そして「ピー・パウ(PHII PAU)」は、日本の幽霊にも似て「ピー・ディップ(PHII DIB=浮かばれない死霊)」となった人を指し、これは「生霊(なま霊)」とも訳せ、死を受け入れず、死後もこの世を彷徨う霊で、暗い月夜で仏日と重なった夜、人や動物の肝臓、もしくは生物、生臭物を好んで食べるとされています。
どうやら、ピーは祖霊だけではなく、生活の中で生じた恐怖の感情が作り出したものであるのかもしれません。
(続)
|
光の子さん
コメント有難うございます。
名もない小さな町のお話に興味を持って頂いて光栄です。
これからも宜しくお願いします。
2009/4/8(水) 午後 5:20 [ mana ]
ちんけいうんさん
コメント有難うございます。
これも一つのタイという国のお話です。
余り知られていないお話ですが、時々覗いて頂ければ嬉しいです。
2009/4/8(水) 午後 5:22 [ mana ]
ピー・ポープ日本のキツネ憑き現象そのままですね。
未知の現象は人類共通のようですね。
所で、話が外れますがオーブ現象についてはそちらではどんな表現で扱われているのでしょうか?
2009/4/8(水) 午後 8:10
よかもん人生さん
コメント有難うございます。
コチラの昔話を読むと日本にもありそうなものがたくさんあります。時には同じ伝説を共有しているのかと思うほどです。
正直、あたしは世事に疎いのですが、『オーブ現象』というのは『心霊現象』でしょうか。基本的には、心霊写真と称される説明不能?な物体、説明不能な物体の目撃、物音、全て『ピー』という言葉で表されます。昔、市内のあるホテルの二箇所の部屋はかつて自殺した人がいて、その幽霊(ピー)が出るので泊らない方がいい、と言われたことがあります。『オービ現象』の意味を間違えていましたらお許し下さい。
2009/4/8(水) 午後 8:40 [ mana ]
ピーですか、父から「日本人が仏教以外にも神様を信じてるように、タイの人も仏教以外に存在を意識するものだよ」と教えてもらったことがあります。………まだ私も小さかったので、相当かみくだいて説明したんだと思いますけど(笑)
詳細はこの記事で深く知ることが出来ました。ありがとうございます。
ビルマなどにも似たような精霊の存在はあるようですね。
2009/4/8(水) 午後 9:37 [ 獨評立論 ]
結構、怖いのですが聴きたくなるタイトルであり
再度、ゆっくり読ませていただきます。
でもよく調べましたね。★
2009/4/8(水) 午後 11:40 [ keiwaxx ]
いつの時代でも、不明なモノや理解できない現象については霊や神の仕業と言う事で片付けられる事が多いですね
なにかの仕業という事で無理やり理解しようとする、こういう部分が人間の弱さなんでしょうか?
処変われば・・・といいますが、霊についてはどこの国でも根本的な考え方、見方は同じようですね
2009/4/8(水) 午後 11:42
獨立綜合調査室さん
コメント有難うございます。
ビルまではナッと呼んでいたと思います。
2009/4/9(木) 午前 5:28 [ mana ]
keiwaxxさん
日本にある幽霊話と思ってください。
お時間があれば立ち寄ってください。
これからも宜しくお願いします。
2009/4/9(木) 午前 5:33 [ mana ]
柚ぽん瑠璃珊瑚晴パパさん
そうですね、人間の弱さが霊を作り出すのかもしれませんね。
コチラでは、もしもピーが徘徊すると、犬が長く尾を引いたような声で吠えると信じられています。
2009/4/9(木) 午前 5:37 [ mana ]
私のブログ書庫の中の「感動と恐怖の実体験」から記事リストを遡るとオーブや精霊の事を沢山書いています。
機会が有ったらご覧ください。
2009/4/9(木) 午前 8:08
よかもん人生さん。
ご丁寧なご案内有難うございます。改めてお邪魔させて頂きます。
2009/4/9(木) 午前 8:48 [ mana ]
うちの近くで この地方総鎮守の神社は 元々海賊の棟梁の頭を埋めたとか!! でも天照大神を奉って 今は総鎮守です
ぽち
2009/4/9(木) 午前 9:23 [ 道後 ]
死者は神仏になったと言うのは日本だけかも知れませんね
2009/4/9(木) 午前 9:32 [ テラノ助 ]
水大師さん
コメント有難うございます。
多分人々の恐れられた海賊だったのかもしれませんね。ですから首塚を作って怒りを鎮めようとしたのでしょうか。
ただ、そこに天照大神をお祀りした、というのが面白いですね。天照大神の力で海賊の野性味を鎮めたのでしょうか?
2009/4/9(木) 午前 10:43 [ mana ]
テラノ助さん
コメント有難うございます。
昔はタイ族も死者を神にして祀っていたのかもしれませんが、仏教の力が強くなると、そうしたことがなくなってきたようですね。ただ、高名な僧は像を作って後世においても祀り、小さな仏像にして体につけてお守りにしていますね。
『死ねば仏』という概念はどうもコチラの人たちにはないようです。
2009/4/9(木) 午前 10:48 [ mana ]
死んで神になるモノ、悪霊となるモノ、宗教によっても此処まで違うのですね。
国や土地によっていろいろと違い本当に不思議ですね。
2009/4/9(木) 午後 6:57
ショウジさん
コメント有難うございます。
所変われば・・・でしょうか。
ただ死後の世界を認めることは共通していますね。
2009/4/10(金) 午前 6:14 [ mana ]
日本に似たことがあるものですね。
キリスト教が布教のを王様は恐れたんでしょうね。
2009/4/10(金) 午前 11:04
Nonさん
コメント有難うございます。
時のチエンマイの王は、住民のキリスト教への改宗は国家に対する反逆である、と断言しています。それほど宣教師の布教活動を禁じながらも国王とマッキンヴァリーとの個人的な感情は非常に友好的であったことが当時の話から推察できます。ですから、国王はチャウ・チーウィット・アーウという恐ろしい呼び名とは別に非常に人間的魅力溢れる人物だったと思います。
2009/4/10(金) 午後 5:33 [ mana ]