チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

チエンマイの民間信仰

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死の概念

チエンマイの民間信仰−6−

600年余り前、マンラーイ王朝第六代目の王パヤー・クーナー(PHAYAA KUUNAA)の時代、ラーンナー王国は、国の基礎が固まり、中国ホー族への朝貢すら一方的に中止する程の隆盛を誇りました。しかし、そのパヤー・クーナーが亡くなると、後継争いが起こり、遺体は半年余に亘って放置されたままになりました。
遺体防腐技術もなかったと思われる今から600数十年も前、葬儀もされず半年間余も放置されていたパヤー・クーナーの遺体は、異臭を放っていたかもしれません。

それはともかくとして、放置されたままのパヤー・クーナーは、隆盛を誇ったチエンマイの偉大なる王として神界に生れ変ることを望みながらも叶いませんでした。パヤー・クーナーの「魂」は彷徨える「ピー(PHII)」となり、「樹木の精」となってチエンマイの町外れの路傍に立つカジュマル樹(榕樹)に宿りました。
日本的に言えば、死んでも浮かばれない魂が、行き場所もないままに路傍の木に宿る樹木の精となったのです。

後年、ビルマに商用に向ったチエンマイの商人一行が帰国の途中、故郷チエンマイを目前に路傍のカジュマル樹の木陰で最後の野営をしたその夜、樹木の精となってカジュマル樹に宿っていたパヤー・クーナーの霊は、商人の夢の中に現れました。自らの出自を名乗った霊魂は、チエンマイの王となった我が子パヤー・セーンムアンマー(PHAYAA SEENMUANGMAA)に自らの言葉を伝えさせ、浮かばれない魂の救済を求めました。

そうして作られたのがチエンマイの城壁内中央部にあるチェディールアン寺院(WAD CEDIIY LUANG)であり、寺院建立によってパヤー・クーナーの魂は成仏して神界に生まれ変わったといわれていることは、あたしの拙いブログ記事『チェディールアン寺院縁起』に述べた通りです。

また、中国雲南省西双版納(SIB SOONG PANNAA)はタイ族の一派、タイ・ルー族(THAY LUU)の居住地ですが、そこに伝わる民話を集めたスチャート・プーミボーリラック(SUCHAATI PHUUMIBORIRAKS)訳の民間説話「雲南省のタイ・ルー族の物語(NITHAAN THAY LUU – NAI MOLTHOL YUUNNAAN)」という本があります。
このタイ・ルー族の民間説話のどこにも宗教の匂いはなく、むしろ、婿と義母、婿と義妹、などの間の艶話があったりして、どこまでも人間臭いものです。それだからこそ、彼らの本来持っている感情が素直に出ているのではないでしょうか。

その説話本の中に『黄金の鯉(PLAA NAI THOONG)』という題の興味深い話があります。
それは、次のようなお話です。
一組の夫婦と両親の愛を一身に浴びた一人娘の幸せな家族が町外れにありました。彼らは決して裕福ではなく、極普通の家庭だったでしょう。ただ、違っていたとすれば娘の父親が大変にハンサムであったことでしょうか。

そんな幸せな家庭を羨むかのように、村外れの森の中に住む魔女がハンサムな男性を横取りしようと言う欲望を抱きました。旅人に身をやつした魔女は、その家にやってきて一夜の宿を乞い、その夜、誰もが寝静まった夜更けにその家の鶏をむしり食い、その生血をその家の主婦の口に擦り付けました。
こうして、ささやかな幸せの中で暮らす心温かな人間の主婦をあたかも悪魔ででもあるかのように夫に思い込ませて殺させてしまいました。そしてまんまとその家の主婦に収まったのです。しかし、魔女にとっては何かにつけて亡くなった実母の素晴らしさと比べる娘が邪魔で毎日一人で遠くの山まで牛飼いにやらせて辛く当たっていました。

そんな涙の日々が続く娘がある朝顔を洗っていると、どこからか鳥が飛んできて羽で少女の顔に水をかけるようになりました。やがて少女はその鳥こそ亡くなった母の化身だと信じましたが、同時に魔女もまたそれを見てしまいました。

魔女は仮病を装い、夫に毎朝やってくる鳥を食べれば病も癒えるといいますと、夫はその鳥を殺して食べさせました。すると母の霊は娘に骨を外れの池に捨てるよう告げました。こうして母の魂は池の魚に宿ったのです。少女は毎日毎日ご飯を池にもって行っては母に食べさせていました。
それを知った魔女は次には、池の魚を食べなければいけないと夫を唆して、捕らえて殺し食べてしまいました。すると次に母の霊が少女に自分の骨を王宮の広場の只中に埋めよと告げました。
ある夜誰もが寝静まった夜陰に紛れて少女は母の遺骨を王宮の広場に植え、そのまま後ろを見ることなく家に帰って寝ました。

翌朝、目覚めた少女は急いで王宮広場に行くと、昨夜母の遺骨を埋めた場所から一本の豆の木が生えていました。それは、銀の葉金の葉からなり、朝日に映えてキラキラ耀いていました。
起き出してきた王宮の人たちは、広場の中に聳える神秘な木に大変な騒ぎに陥っていました。それを引き抜こうとしてもどうしても抜くことが出来ませんでした。

そこで、城主はこの神秘な木は国の宝であると信じ、全国に布令を出しました。誰か引き抜くことが出来るならば、その者が壮年であれば城主の地位に、未亡人であれば我妻に、男児であるならば皇太子に、そして少女であるならば王子の嫁とするであろうと布告しました。

さあ、大変です、国中から老若男女を問わず一人残さず全ての住民が集まり挑戦しましたが、誰一人として木を持ち上げることもびくりと動かせることも出来ませんでした。そんな騒ぎを余所に、少女は継母の厳命で遠くの山に行って一人仕事をしていました。

城主は、村長たちに尋ね少女一人その場にいないことを知ると、役人を走らせて連れて来させました。牛追い仕事の途中、王様の命令で王宮前広場に引き立てられた少女は、大勢の人々の前で母の化身である豆の木を掴んで引き上げると、何の苦もなく大地を離れました。

人々の驚愕の声の中、城主は布告の通り、少女を王子の嫁にする布令を出しました。そして、王子に抱かれて象の背に乗った少女の手の上で豆の木は徐々に空中に浮揚し、終には月に入りました。その時、月は淡い光を放つと地上の穢れを清めました。こうして実の母を魔女の姦計で殺された薄幸の少女は、王子の妻となり、后となり、王妃となりました。

少女の継母はその月の光に晒されると、美貌の顔は元の醜い緑色の魔女の姿に変わっていましたが、父の最後は述べていません。

この話は、薄幸の少女が王子と幸せな生活を送るシンデレラ姫的物語であると同時に、いやそれ以上に、輪廻転生、因果応報にも通じる霊魂不滅を伝えているのかもしれません。死によって全てが消え去るのではなく、生まれては死に、死んではまた生まれ変わり、まさに輪廻の中を彷徨う魂、肉体は滅んでもなお実在する何物かのあることを信じているのです。

魂という目に見えないものが死を契機として様々に姿を変えて蘇っているのですね。

(続)

閉じる コメント(16)

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このような話は、世界中に多いでしょうね。
永遠の命は、人間の最大の希望ですから。
輪廻転生は本当にあるのでしょうか。この世に生まれてくるのは、何かを学ぶ為でしょうか、学べなかった事は次の生で繰り返すのでしょうか。難しい問題ですね。

2009/4/16(木) 午前 6:22 若紫

若紫さん

いつもコメント有難うございます。
輪廻転生は、人類の希望でしょうね。死で全てを終わりにしたくはない。死で偉大な指導者がいなくなっては困る。死で愛する人と別れたくない。そんな気持ちがあるのかも知れませんね。死後の世界を作り、転生物語を作るんでしょうね。チベットのラーマはその世界ですね。

2009/4/16(木) 午前 7:10 [ mana ]

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シンデレラと「花咲かじいさん」を思い出しました。
昔話、好きです。

2009/4/16(木) 午前 8:47 むうま

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悪いことも続かないということも言ってますね
ポチ

2009/4/16(木) 午前 9:46 [ 道後 ]

むうまさん

コメント有難うございます。
日本の昔話そっくりですよね。
どこかで繋がっているのでしょうか?
一休さんのような話もありますし、落語の艶話のようなものもありますよ。庶民の話は楽しく笑えますね。

2009/4/16(木) 午後 3:37 [ mana ]

水大師さん

コメント有難うございます。
勧善懲悪は庶民の夢なんでしょうね。
正しい人が報われないのは悲しいですね。

2009/4/16(木) 午後 3:40 [ mana ]

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人間の魂は、永遠に輪廻転生を繰り返すのかなぁ〜
良いと思う事もあり、思わぬ事もありですね
やっぱり、今を楽しく生きるのが一番ですね

2009/4/16(木) 午後 11:12 yuzupon

う〜ん、かなりディープですね(^_^;)

2009/4/17(金) 午前 0:29 [ ちんけいうん ]

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物語は こうあれかし、という願望などを 書き表しているのでしょうか・・・。
現実は なかなか、、、ですけれど・・。
若いときは 信じていたことも
人生の険しさとともに
段々、物語が 変わっていきます。 ☆

2009/4/17(金) 午前 2:16 星 降る子

柚ぽん瑠璃珊瑚晴パパさん

コメント有難うございます。
輪廻転生があるかないか、信じるか信じないかでしょうが、やはり仰る通り今を楽しく生きなければ意味がないかもしれませんね。

2009/4/17(金) 午前 6:31 [ mana ]

ちんけいうんさん

コメント有難うございます。

2009/4/17(金) 午前 6:32 [ mana ]

星降る子さん

コメント有難うございます。
物語は庶民の願望で、現実はなかなか・・・ですね。そして、こうしたきれいな話がある、ということは現実はそうではない、ということを逆に物語っているのかもしれませんね。

2009/4/17(金) 午前 6:34 [ mana ]

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日本人の死生観に近いものも感じますね。
死は決して終わりではなく、魂として姿を変えていく・・・。
これが中国になると現世利益なのでまた捉え方もちがうのでしょうが。
傑作

2009/4/17(金) 午前 7:44 千葉日台

千葉日台さん

いつもながらのコメント有難うございます。
中国では、仰る通り現世利益が中心ですね。

2009/4/17(金) 午前 8:23 [ mana ]

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信じる事で救われる仏の心がこの物語に潜んでいます。
現実は現世利益が優先する世界ですが、清い心が勝つ世の中にしたいものですね。

2009/4/17(金) 午前 10:36 よかもん人生

よかもん人生さん

コメント有難うございます。
勧善懲悪は民族を超えて庶民の願いですね。
邪な心の持ち主が良い思いをすることは庶民に耐えられないのでしょうね。お金は大切ですが、お金の為にはなんでもするのは悲しいですね。

2009/4/17(金) 午後 4:39 [ mana ]


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