チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

チエンマイの民間信仰

[ リスト ]

狂気を発する名僧

チエンマイの民間信仰−8−

タイ族がどこで生まれ、どこを通って南下して来たかはともかくとして、彼らが従来持っていた精霊信仰・祖霊信仰に加えて、中国国内を南下して定住の地を捜し求める長い旅の途中のどこかで仏教と接触したと考えることは不思議ではないでしょう。

中国国内で仏教と接触したとすれば、それははっきりとした宗旨・宗派ではなく、西域から北上してくる様々な教義の入り混じった大乗系の仏教であったと想像することも出来るのではないでしょうか。そうした大乗系の仏教を祖霊信仰・精霊信仰の上に積み重ね、混交しながらメコーン(MAE NAAM KHOONG)を越えて来たものと思われます。
そして、彼らの中に伝えられた大乗教典は、決して系統立てられたものではなく、宗旨・宗派で理論つけられたものでもなく、ただ脈々と伝えられ、時として人々の仏教文化の奥深い所で公には知られることなく密かに染み込んでいったのかもしれません。

それを裏付けるかのように、私の手元に一つの興味深い話があります。
その話は、中等教育の副読本でもある「北の町の物語−重要人物編」の中に紹介されているある僧の物語です。

即ち、はるかな昔マンラーイ王朝の第6代目の王パヤー・クーナーの時代のことだそうです。国は栄え、中国への朝貢すら一方的に停止して恐れることなく、王は厚く仏教を保護していたその時代、チエンマイの城外を北に向かい、今のラーチャパット大学のあたりに相当するのでしょうか、そこにあった小さな町ウィアン・ブア(WIANG BUA)に一人の少年がいました。
チャンタ(CANTHA)と言う名前のその少年は、当時の習慣に従って寺院に行って学問を修めていました。小僧になって文字通り寺子屋教育を受けていたのです。その寺院は、バーンパイ寺院(WAD BAANPHAI)という名前だそうですが、現在のウモーン寺院(WAD UMOONGKH)がかつてはパイ・シップエット・コー寺院(WAD PHAI SIB ED KHOO)ともウェールカッターラーム寺院(WAD WEELUKATTHARAAM)とも呼ばれていたそうですから、両者は同じ寺院なのでしょうか。

何歳で師について学問を修めたのかは述べられておりませんが、18歳の時に師に分かれて、ポーノーイ・シーカート寺院(WAD PHOOTHINOOYSRIIKAAD)に向かって今一人の師について更に勉学に励み、三年の後に出家得度して正式僧となりました。
更に3年が経過した頃、最初に師事した師が病の床についたという知らせを受けたチャンタ師は、師に暇を乞い見舞いに行き、そのまま看病する日々が続きましたが、師の病状が回復することはありませんでした。

最期を悟った師は、弟子のチャンタ師に1冊の教典を差し出し、次のように告げたと言います。
「我が死の後、お前はこの教典を持って学習に努めなさい。お前は、誰にも負けることのない勝れた知恵を身に付けるであろう。この教典は、『マハー・ヨーキー・モン・プラテート(MAHAA YOOKHII MONT PRATHEES)』と呼ばれ、偉大なるベーダの教典(PHAMPHIIR SAASTR PHEETH)である」

そうして自らの大切な教典をチャンタ師に預けた師は、間もなく入滅しました。
教典を手にチャンタ師は静寂の地を求めてドーイ・ステープ(DOOY SUTHEEPH)に向いました。そして、ステープ仙(RUUSII SUTHEEPH)のかつて住んだといわれる小屋に向かうと、教典の記す所に従って呪文を唱えていました。

そんなある夜、師の前に一人のナーン・ファー(NAANG FAA=女性の姿をした 何らかの精霊)が現れ、誰よりも勝れた知恵を得ようと、呪文を唱えているという師に対し、ならばこの木の実を噛むと良い、と言って右手を差し出しました。
差し出された木の実が何なのか非常に興味あるところですが、残念ながら今のあたしには分りません。
チャンタ師が木の実を受け取ろうと腕を差し出しますと、ナーン・ファーは、腕を振り解いてチャンタが我が体に触れたと破戒の罪を唱え、その破戒の罪によりチャンタは気が触れるであろうと呪ったといいます。

この物語は、一人の偉大な僧侶の評伝であると同時に、ウモーン寺院についいての説明でもありましょうが、私には、そうした点以上にチャンタ師は、最初に師事した師が持っていた教典、即ち、最高の知恵をもたらす呪文が載ったと言うその教典にこそ興味があります。
仏典に付いての知識などない私には、それが日本で言うどの教典なのか判断しようもありませんが、いわゆる上座部仏教に伝統的に伝わる教典ではないと思われます。何故なら、もしもそれが伝統的な教典であるならば、誰もが持っており、決して秘伝ではない筈です。

また、その教典の名前にある「モン(MONT)」と言う言葉が「呪文」「真言」を意味することから、どことなく密教に近いような気がします。
パヤー・クーナーの絶大な信任を受け、多くの信者に支えられながらも、時として、気が触れたような症状を起こし、ウモーン寺院の森に姿を隠したと言う話は、どことなく何かに憑かれたような感じがしないでもありません。しかも、教典の伝授そのものすらが、密教の一子相伝の秘伝儀式に似ているような気がするのは私だけでしょうか。

そこで思い起こすのは、クメールの仏教が大乗系であること、今もクメールには様々な呪文があることなどから、想像をたくましくするならば雑蜜がクメールに流れ、そんな中の経典の一部がモーン族を通じて密かに受け継がれていたのかもしれません。

今も一部僧侶は密教かと思うような儀式をすることもあり、死霊と交信して意のままに操ることが出来ることを吹聴して信者を怖がらせる僧もいます。胎内で亡くなった嬰児に偉大な霊力があるとして行われる特殊な儀式の末に完成するクマーントーン(KUMAAR THOONG)などはとても恐ろしいですね。

こうした仏教とは異質とも見える儀式、上座部仏教とは異質の教義が今もありますが、このチャンタ師の授かった経典もそんな秘伝の一つだったのでしょう。少なくとも、今のタイ仏教界のどこにも見出されないものでしょう。

(続)

閉じる コメント(10)

顔アイコン

技術の一子相伝と違い思想の場合は強烈な印象を持ちます。何故ならば師からの継承であってももし弟子がそれを承服できないような場合は伝承がストップするわけですよね。ですから有無を言わせぬ迫力があるからこそ一子相伝で継承するのでしょうね。また大乗系の流れの中でのエッセンス的な流れが存在すると言うのも仏教の持つ奥行きであるだろう。チェンマイの民間信仰が多種多様であればあるほど興味が尽きないのでしょうね。

2009/4/24(金) 午前 9:05 亜鉛右近

aen*u*on99 さん

コメント有難うございます。
秘密ゆえにどこか魅力を感じますね。秘密故に、正規ではない何かがあるような感じがします。そして、その流れが続いたという話を聞いておりませんので、彼の経典がどこに消えたのか、まだ寺院の奥のほうで虫に食われながらも残っているのでしょうか、大変に興味があります。
そして、チエンマイの仏教は、決してみんなが考えているほど単純ではない、というのがあたしの持論です。

2009/4/24(金) 午前 10:16 [ mana ]

顔アイコン

経典中の経典その経典こそ「般若心経」と思いたいです。
経典の数は人類の歩んできた道と同じく膨大な量に増えています。わが宗派の経典こそ釈迦の教えの真髄だと言い張る宗派宗教家は多いようです。
光さす所には必ず影ができる、道を求める所には必ず邪魔が入る。
この物語はその教訓を伝えているようですね。

2009/4/24(金) 午後 5:12 よかもん人生

よかもん人生さん

コメント有難うございます。
教典も正しく学んでいかなければ恐ろしい結果が待っているということでしょうか。何の価値もない経典はただの文字の羅列ですが、そこに知恵を授ける秘宝が含まれている時、正しく就学していかなければ狂気を発するのかもしれませんね。

2009/4/24(金) 午後 5:56 [ mana ]

顔アイコン

う〜ん、密教とかには怖い(気味悪い)イメージしかないですね
恐怖などに支配される宗教?には、ついていけないですね
まだ、共感できたり、信頼できる教えなどが残る宗教の方が若干興味有りですね

2009/4/25(土) 午前 0:02 yuzupon

顔アイコン

.
|
| ∧∧
|(´・ω・`) ミニキタヨー
|o ヾ
|―u'
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

2009/4/25(土) 午前 0:28 日帰り温泉とグルメ

柚ぽん瑠璃珊瑚晴パパさん

コメント有難うございます。
密教は決して怖いものではありませんよ。ただ、心口意を一つにして仏を念じるのですね。雑蜜は、修験道に近いものでしょうね。仏教の最後の変化形なのかもしれませんね。ただ、密教も仏教の一つとしてみれば見る目も変わるかもしれませんよ。

2009/4/25(土) 午前 6:30 [ mana ]

日帰り温泉とグルメさん

いらっしゃいませ・・・

2009/4/25(土) 午前 6:31 [ mana ]

顔アイコン

仏教の淵源と言うのは教義とか経典ではなく、奥深い、文字などで表す事が出来るものではないのかも知れませんね。神道や武士道も似た所がありますね。神秘さゆえに偉大・・・。

あまり系統体系だてて考える後の時代の仏教の方が不自然なのかも知れませんね。

傑作

2009/4/25(土) 午前 7:51 千葉日台

千葉日台さん

コメント有難うございます。
経典というのは、後世釈尊の意図を推察して作り上げたものですからある意味では系統たっているのでしょうが、本来の宗教というのは感覚ですから、理論つけるのも難しいのでしょうね。そこに呪術が入ると一歩誤ると狂気を発するかもしれませんね。ただこうして昔の話を見ると、チエンマイの人々の昔は決して一つの宗教ではなかったことが分りますね。

2009/4/25(土) 午前 8:44 [ mana ]


.
mana
mana
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(37)
  • takachin
  • 小窪兼新
  • デバイス
  • 建設環境は震災復興
  • red
  • 初詣は靖国神社
友だち一覧
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事