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ナーン・チャーマテーウィー伝−3−
このチャーマテーウィーというのはどういう人物なのでしょうか。ロッブリー(LOPHBURII)という当時にあっては文明の光溢れる地の王女でありながら、遥か北の文明の光刺さない地の果てのようなところに突如出現したムアン・ハリプンチャイ(MUANG HARIPHUNCHAY)にやって来なければならなかった女性は悲劇でしょうか、それとも大いなる出世と喜ぶいべきなのでしょうか。
タムマタート・パーニット(THNARMTHAAS PHAANICH)氏は、1990年発行の『プラナーン・チャーマテーウィー(PHRA NAANG CAAMTHEEWII)』において、「チャーマテーウィーはタイ人である」という題をその第3章に立てて、従来のチャーマテーウィーがモーン(MOON)族の出であることを否定しています。
そのタイ人であることの根拠として彼が強調している最大の論拠は、『ムーン・サーサナー伝(TAMNAAN MUUL SAASANAA=仏教伝)』『チャーマテーウィー朝物語(RUANG CAAMTHEEWIIWONGS)』『チンカーンマーリー・パコーン(CHINKAALMAALII PAKORN)』などなどのチャーマテーウィーに関わる話を残しているのは等しくタイ人である、ということにあるようです。
しかし、これらの著書の作者は等しく僧侶であり、その内容がチャーマテーウィーウォン物語以外の両著がこの地に於ける仏教について述べることに主眼を置き、政治につていては従であることを考えれば、この著者がタイ人であるが故にチャーマテーウィーがまたタイ人であるというには根拠が薄いと思いますがどうでしょうか。
また、当時の人々の名前もまたタイ人の名前である、として一つのタイ人説の裏付けとしています。チャーム(CAAM)というのはアイ(AI=咳をする)という意味で、チャーマテーウィーは小さい頃仕切りと咳をしていたのでチャーマテーウィーと名付けられたというのですが、これも苦しいですね。確かにチャームには『咳をする』という意味がありますが、だからといって彼女がタイ人だというのは早計なような気がしますが。
また、チャーマテーウィー招請の使者とされているカワヤ(KAWAYA)もまた、彼によれば南部方面のタイ語カイ(KHAI=卵)という意味で、南部方面のタイ人は好んでこのカイという語を男につけるといっています。しかし、カワヤは北の人物とされています。その北の人物の名前の説明に南の人の習慣を用いていいものでしょうか。
また、コーム(KHOOM)、カムポート(KAMPHOOCH)という言葉すらも、ラウォーおよび、アユタヤーのタイ人を指すのだといいます。
もしもこうした論拠に立ってチャーマテーウィーがタイ人であるというならば、ムアン・ラウォーは、タイ人の国ということになります。ならば、彼等はどこから来たのでしょうか。北から来た部族であるならば、何故今更北に帰っていこうとするのでしょうか。もしもコームがタイ人であるならば、北部タイのタイ人ヨーノック人の最初の英雄であるプロームクマーンが追放したのは同じタイ族だというのでしょうか。
また、三大王の像建立を記念して上梓された論文集『ラーンナータイ(LAANNAATHAY)』の冒頭の論文として、古代ラーンナー文字の権威である、ハンス・ペンス(HANS PHENTH)の『ラーンナータイの成り立ち』という題の文が掲載されています。その中で、西暦1050年頃ハリプンチャイがコレラの大流行に襲われたことが『ムアン・ラムプーン伝(TAMNAAN MUANG LAMPHUUN)』を引用する形で記されています。
その中で『・・・ラムプーンの人々はムアン・パコー(ホンサーワディー・ナコーン(MUANG PHAKHOO(HONGSAAWADI NAKHOOR))に避難しなければなりませんでした。ラムプーンとパコーの人たちは同じ言語を使用しており、パコーの人たちから暖かい歓迎を受けた・・・』という文章があります。
ここで言うパコー、即ち、ホンサーワディーというのは、現在のビルマのペグー(PEGU)のことです。このことから、もしもラムプーンに来た人たちがタイ族であるというならば、ペグーの人たちもタイ族となり、歴史を塗り替えることになってしまうと思うのはあたし一人でしょうか。
チャーマテーウィータイ人説は、あたしにはどうにも納得がいきません。
やはり、旧来からの説に従い、チャーマテーウィーをモーン族の王女としたいと思います。
とは言いながらも、伝説は面白いことを伝えています。
次に、『プラナーン・チャーマテーウィー伝』に見るチャーマテーウィーの出生の秘密に話を戻しましょう。
即ち、日本の竹取物語を連想させますが・・・チャーマテーウィーは、捨て子でありステーワ仙が拾い上げて育てたというのです。ある日、沼で蓮の根などを取っていたステーワ仙は、ある日巨大な蓮の葉の上に一人の童女を見つけました。
蓮の葉から童女を拾い上げたステーワ仙は、団扇の上に座らせ、神通力を用いて自らの指先から乳を搾り出すと、拾い上げたばかりの童女の口に含ませたといいます。
こうしてステーワ仙の愛と庇護のもとでチャーマテーウィーが成長すると、ステーワ仙に迷いが生じたといいます。というのは、自分は出家の身でありながら子供がいるのは女性と一緒にいるのではないかという誤解を招くかも知れず宜しくない。考えあぐねた末、チャーマテーウィーを筏に乗せて流すことにしました。
筏はステーワ仙の祈りと積み重ねた修行の功徳により幾多の神霊がチャーマテーウィーに付き従って、ピン河を下ると無事ラウォーの町に到着しました。ラウォーに流れ着いた筏は、いかなる川の流れににも負けず更に流れ下ることはありませんでした。岸辺に泊まったままの筏が人々の目に泊まり、やがて王の耳に入ると、王は彼女を引き取り、我が子のようにして育てたといいます。
よほどに美しかったのか、ステーワ仙の教育が良かったのか、ラウォーの王は、我が子チャウ・カムポーチャ王子(CAU KAMPHOOCHCHA RAACHA BUTR)の妃としたといいます。そして、ついにはチャウ・カムポーチャ王子はウッパラート(UPARAACH)言う副王の位に就いたといいます。
そうした時期に、ステーワ仙の依頼を受けたスッカタンタ仙とカワヤが多数の貢物を持てムアン・ラウォーのプラヤー・チャッカワット(PHRAYAA CAKAWATI)のもとにナーン・チャーマテーウィーを貰い受けにやってきたのでした。
このプラヤー・チャッカワットは、文部省の副読本「北の町の物語=重要な場所編」の中ではロッブリーの王(PHRAYAA LOPHBURII)ということででしょうか、ソムデット・プラチャウ・ロッパラ−ト(SMDEC PHRA CAU LOPH RAACH)と記されていますが、当時の人物名はかなり曖昧で、書物により相違があり、同じ名前でも綴りを違えていることもあり、どれが正式名かかなり難しいですから、ここでは参考までに紹介しました。
(続)
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私のブログに訪れて頂き感謝しています。
貴方のブログはどんなブログかと思い訪れてみました。
チェンマイとは薄学の私には聞き慣れない言葉なのでネットで検索してみました。タイ国の「ムアンチエンマイ郡」の事かと想像しています。とても歴史のある街だそうですね。タイと言えばバンコク位の地名しか知らない私です。しかし私が勤めていた会社の子会社がタイに有りました。タイはいま政情不安で大変な国ですね。
2009/5/31(日) 午後 4:08
さんりゅうさん
チエンマイは、県の名前でもあり、郡の名前でもあり、市の名前でもあります。そして、このブログで使っているチエンマイという言葉は、現代の行政単位とは関係なく、昔の王国の都としてのチエンマイです。日本人には馴染みのない町ですが、かつては北タイからビルマ、中国南部にまでその名を広めた巨大な王国ラーンナー王国の都でした。
バンコク以上に由緒ある古い町ですが、残念ながら、タイの人たちにも余り関心を払われていない町ですので余計に可哀想で、せめて一人でも多くの人がこの町のことを知って貰えたら良いな、という気持ちでブログを始めました。
タイの政情に関しては、トップページの中にも少し触れていますので、もしご関心があれば覗いてみて下さい。
2009/5/31(日) 午後 4:47 [ mana ]
こうしてみると、どこにでも同じような話があるのを感じます。
manaさんのルーツは今興味をもたれているところに関係があるのでしょうね。ポチ!
2009/5/31(日) 午後 5:26 [ つんちゃん ]
確かに竹取物語に似てますね(@@)
私は‘おやゆびひめ’も思い出しました♪
男の子は英雄、女の子はお姫様になって王子と結婚するのが
世界共通の御伽噺の定番なのかな?
2009/5/31(日) 午後 9:45
日々いろんな発見がありますね
人物、建物、土地といろんな事に精通されていてビックリです
タイムマシーンがあれば、どれが真実で、どれが嘘なのか、やっぱり自分の目で確かめたいですよね(笑)
2009/5/31(日) 午後 9:47
ナーン・チャーマテーウィーは何人なのか。その後の彼女の活躍を知りたいですね。夢のあるお話で楽しいですね。
2009/5/31(日) 午後 9:52
ブログは友人の輪を広げます、↑のさんりゅうさんは私のブログ友人の一人です。
お互いの主張は違えども親しくお付き合いしているブログ友の一人です。
タイ国の叙事詩、読んでくれる人が段々と増えてきて喜ばしい事です。
2009/5/31(日) 午後 9:55
つんちゃんさん
コメントありがとうございます。
こちらの古いお話を読んでいると、遥かな昔、日本人がまたどこかにいた頃、タイ人は案外近いところで生活していたのかもしれない、とそう思う時がありますね。
2009/6/1(月) 午前 6:08 [ mana ]
むうまさん
コメントありがとうございます。
西双班納のタイ・ルー族のお話の中には、幽鬼の継母に苛められた少女が実の母の霊に助けられて王子と結婚するお話を以前招待しましたが、日本のお話として紹介しても違和感のないものがいくつもありますね。
人間の考え、教えることは基本的なところでは似ているのかもしれませんね。表現方法、設定場面にそれぞれの民族の特長が出るだけで基本線は似ているのでしょうね。
2009/6/1(月) 午前 6:13 [ mana ]
柚ぽん瑠璃珊瑚パパさん。
コメントありがとうございます。
ドラえもんは猫だそうですが、ニャンズたちの知り合いでタイムマシーンの発明猫がいれば紹介して欲しいですね。タイムマシンに乗って過去の出来事を見て回る、そんな旅が出来ればいいですね。
でもいろいろなお伽話・伝説・伝承を読みながら、自分なりにいろいろと想像するのもまた楽しいですね。
歴史に結論はありませんから。
2009/6/1(月) 午前 6:19 [ mana ]
北国春男さん
ご訪問&コメントありがとうございます。
彼女についてあたしに個人的に質問してきた人がいて、ラムプーンの初代統治者の女性ですよと答えたら、彼女の名前から判断して人間である筈がない、と逆襲されて閉口したことがありますが、テーウィーという言葉に「天女」「女神」という意味が含まれているから神の名前だと考えたのでしょうね。でも、これからチャーマテーウィーのハリプンチャイ統治が始まり、童話のようなお話が作られますが、彼女が実在した人間であるということはまず間違いないでしょうね。
2009/6/1(月) 午前 6:28 [ mana ]
よかもん人生さん
コメントありがとうございます。
仰る通りですね。
あたしもブログはこれまで翻訳し貯めていたいろいろな伝説、伝承をもとに小さな田舎町の話を綴り、一人でも訪問者があればいいと思っていました。実際一月ほどは毎日来る日も来る日も訪問者は一人、二人で勿論コメントなどを頂くこともなく、正直一時はやはりあたしには不向きだと閉鎖を考えたこともありました。そんな中で励ましてくれる方もいて閉鎖を思い止まり、初心に戻ってブログを続けました。そうすると、いつの間にかこんなに多くの方のご訪問を頂、またあたし自身もいろいろなブログをご訪問していろいろな知らなかった世界を見せて頂き、教えて頂きしながら、何とか続けて来ました。
これからも拙い文章ですが、伝説、伝承をもとに未知の世界をご紹介していきたいと思いますので、宜しくお願いします。
2009/6/1(月) 午前 6:38 [ mana ]
タイ版竹取物語があったのですね。
日本でも過去にそういう物語が書かれていますが、その文化の高さには驚きます。科学が発展している今から見ると「ありえない」と斬って捨てるようですが、こういう話は想像力だけでなく神秘性もあり、科学万能に足りない部分を補う気がします。
私は古典が苦手で口語体が読めないので余りこれまで伝説には親しんで来れませんでしたが、今考えると勿体無いと思っています。
傑作
2009/6/1(月) 午前 7:52
千葉日台さん
コメントありがとうございます。
物語はどの民族にもありますが、それを残し、伝えていく為には大変な努力が必要です。そしてそうした物語なくしてはどの民族もあり得なかったのですが、現代人はそれを忘れているのでしょうね。
民話・伝承は民族の文化・根ですね。
コチラでも既にこうした伝承を若い人たちは知りません。残念なことですが・・・
2009/6/1(月) 午前 10:10 [ mana ]
ナーン・チャーマテーウィーを
貰い受けにやってきたのでした。
この続きが気になりますね。
悲劇なのか、喜ぶことか。
多くのタイ人が知らないのは惜しいことですね。
傑作です。
2009/6/1(月) 午後 0:47
さくらの花びらさん
コメントありがとうございます。
紙芝居の幕切れのようになりましたが、これから彼女の北上の旅と原住民族との可笑しくも興味深い説話が始まり、そうした原住民との軋轢を凌いでハリプンチャイを統治した後、ようやく北部タイの歴史に文明の明かりが射すことになります。
タイの人にとってはスコータイがタイ国発祥の地だという教育を受けていますから、そのスコータイを脅かしたチエンマイの歴史に光を当てないのかもしれません。大きな声では言えないし、タイ語で書くには憚られますが、チエンマイの建国史の話しに入ると、スコータイの英雄、即ち、タイ人が英雄として今も崇める大王をチエンマイが如何に小馬鹿にしていたかの面白い挿話が出て来ると思います。
逆にこうした地方の歴史文化を無視した行政府の態度がタイ南部の不安を助長しているのかもしれませんね。
2009/6/1(月) 午後 2:54 [ mana ]
インドシナ半島ではほとんど同じ民族なのかな??
2009/6/2(火) 午前 0:22 [ 道後 ]
水大師さん
コメントありがとうございます。
各国共に民族は異なりますが、基層文化はインドのバラモン教ですね。その上に大乗系仏教が重なり、そして上座部系仏教が重なっているようですね。
民族で言えば、現在中国系人口がどの国も増加していると思います。彼等は始めに経済を握り(マレーシアのように)ついで社会的影響力から政治を握る(タイのように)でしょうね。チエンマイでも10年ほど前に非常に由緒ある市場近くに中国人街を示すようなゲートが作られ、大きな橋のアーチには中国語が書かれています。ラオスでは中国の影響=勢力植え付けがもっと露骨で凄いようですね。
日本も今狙われているひとつだと思います。
2009/6/2(火) 午前 5:47 [ mana ]
こんばんは。
どこの国にもこのような話(伝説)があるのでしょうか?
もしかしたら、遠い過去にタイと日本で同じことが起こっていたのかもしれませんね。
「火のないところに煙は立たない」と言うのが私の考えで…
ロマンがありますね(^O^)
2009/6/2(火) 午後 8:31 [ ossa ]
OSSAさん
コメントありがとうございます。
ビルマの少数民族タイ・ヤイ族の女性がかつて彼らタイ・ヤイとタイ族、そして日本人は兄弟だといいましたが、どこかで繋がっているのかもしれませんね。日本人もタイ人もお尻に蒙古斑を持っていますね。中国人にはないようですが・・・
ですから、遥かな昔どこかで両民族は接触があったのかもしれませんね・・・想像すると楽しいですね。
2009/6/2(火) 午後 8:45 [ mana ]