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ナーン・チャーマテーウィー伝−5−
身重の身体で最愛の夫と別れ、父に別れを告げ、北よりの使者、カワヤと隠者スッカタンタ仙に導かれて幾多の従者を伴ったチャーマテーウィーの船旅が始まりました。
「ヨーノック王朝年代記」では言及されていませんが、「チャーマテーウィー伝」では、その時の旅をテーコー夜叉(THEEKHOO YAKS)という名前の夜叉をはじめとする夜叉たち1000人が一行を守護しながら追従したと伝えています。
ここに突然夜叉が出てきていますが、なぜなのか理由が記されていません。夜叉とは、空中を飛翔する神通力を有し、牙を有する巨体の持ち主で、食人でもあり、その性凶暴残忍ですが、仏教で言うところの「非人」の一つで、四天王の一人北方の守護神毘沙門天(多聞天)(KUWEER)の部下となっています。
「ヨーノック王朝年代記」においては、「チャーマテーウィー伝」以上に詳細に亘ってチャーマテーウィーの船旅の様子を記していますが、ここではそうした詳細に分け入ることはせず、途中の興味あるでことだけを記します。
幾多の船が川を遡っていきます。途中様々な場所に立ち寄りますが、今の中部平原にいる間は川を遡る船旅は、さしたるエピソードを残していません。狭い水路ながらも十分な深さと水量があり、そこにはさして瀬に悩まされることがなかったのかもしれません。
その時のことを文部省の副読本は「・・・その当時におけるラウォ−からの水路である河川は狭かった。一つの町から一つの町へと野宿を重ねて行き、ある場所では一時上陸して休息しなければならない事が続いた。・・・」と記しています。
しかし、遡上を続けると次第に船旅は幾多の難所に差し掛かります。休息を重ねながら一行は、大河チャウプラヤー河を遡上してムアン・カムペーンペット(MUANG KAMPHEENGPHECHR)に到着しました。
そして、ひと時ラークシアット(RAAKSIAD)という島で休息したと記されています。その場所は島とも呼ばれ、町とも呼ばれ、「ヨーノック王朝年代記」では町であるとしながらカッコつきで島ともしています。また「チャーマテーウィー伝」では、同じ場所と思えるところがムアン・ラーシアット(MUANG RAASIAD)と記されています。
その頃のことだと思われますが、チャーマテーウィーたちの衣服が水に濡れたと言うのです。「チャーマテ−ウィー伝」でも「ヨーノック王朝年代記」でもまた文部省の副読本の中の「女に水浴びさせた瀬−祈りの岩」というチャーマテーウィー遡上に言及する項においても同じように衣類の濡れに言及し、共に船に水が入ったと記していますから、船が浅瀬に乗り上げて座礁し、積んでいた荷物の中の衣類が濡れたのでしょうか。それとも単に波飛沫に濡れたのでしょうか。勿論着ていた衣類も水に濡れたことでしょう。
その浸水の場所はチエンルアの岸辺(HAAD CHIANGRUA)と呼ばれ、現在のチエンンガーン(CHIANGNGAAN)であると記しています。
そして、チャーマテーウィーは、人々に上陸して濡れた衣類を乾かすよう指示しました。その場所が文部省副読本および「ヨーノック王朝年代記」では、バーン・ターク(BAAN TAAK)、即ち、ターク村で、「チャーマテーウィー伝」ではムアン・タークヘーン(MUANG TAAK HEENG)だというのです。ともに、「日干しの村」とでも訳すのでしょうか。現在のタークに他なりません。
遡上を続けるうち、兵士が喉の渇きを覚え、休息している時、チャーマテーウィーは、お腹の中の子供は元気にしているだろうかと心配になりました。すると、太陽の光共々チャーマテーウィー自身の身体から放射される神々しいまでの光に包まれ、三人の像が現れました。即ち、チャーマテーウィー自身と胎内に二人の子供がいることを神が知らせたのです。チャーマテーウィーは、このとき胎内の子供が男の子二人であることを知ったのでした。
その場所は、サームガウ(SAAM NGAU=三つの影)と名付けられたといいます。
次いで、瀬を渡りながら遡上を続けると、巨大な岩が川に突き出るような感じの場所に差し掛かると、チャーマテーウィーの侍女の一人が病に倒れて亡くなりました。文部省の副読本および「ヨーノック王朝年代記」は、侍女の遺体を埋葬したとしていますが、「チャーマテーウィー伝」は荼毘に付したとしています。「チャーマテーウィー伝」はもともと僧の執筆だと思われますので、荼毘の方が都合が良かったのかもしれません。
そうした不浄故でしょうか、チャーマテーウィーはその場で髪を洗ったと伝えられており、文部省の副読本によれば、侍女の死を受けて彼女を埋葬すると、チャーマテーウィーはそこで髪を洗うことにしましたが、適当な場所がなかったといいます。その時チャーマテーウィーは願を懸けたことになっています。
「私、チャ−マテ−ウウィ−は、仏教と王室行事をハリプンチャイの領域にもたらさんと赴く所です。もしも、意図した通りに栄えますならば、神よ、どうかこの大いなる岩より水を流し落とし、今この場にて私に水浴をなさしめたまえ」
こうした願掛けの言葉が終わると、高く聳え立つ岩から水が流れ落ちて来て、その場でチャーマテーウィーに水浴させたといいます。
その場が「彼女を水浴びさせた瀬」という意味の「ケ−ン・ア−プ・ナ−ン(KEENG AAB NAANG)」もしくは「彼女を水浴びさせた岩」を意味する「パ−・ア−プ・ナ−ン(PHAA AAB NAANG)」と呼ばれています。
これも「チャーマテーウィー伝」では、その場所がソムポーイの瀬(KEENG SOM POOY)であるというのです。ソムポーイというのは、マメ科の木で莢は髪を洗うのにも用いられたといわれていますが、同時に厄除けの効もあると言われていますので、不浄を払う為の洗髪であったのかもしれません。
只、これも「ヨーノック王朝年代記」にも文部省の副読本にも取り入れられていませんので、「チャーマテーウィー伝」作者の創作かもしれません。
その後もチャーマテーウィーはいくつかの説話を残しながら遡上の旅を続けました。
こうして辿り着いた小さな村で村人にハリプンチャイまでの道程を尋ねると、1由旬であるといったというのです。これも「チャーマテーウィー伝」は半由旬であるとその距離が半分になっています。1由旬とは、約16キロほどに過ぎません。
その村が現在のムアン・ホート(MUANG HOOD)であるというのです。ホートとはロート(ROOD)の音が方言的に訛ったもので、現代標準語ではTHUNGとなり「到着する」という意味です。
もうハリプンチャイは目の前です。
そこに暫く逗留したチャーマテーウィーは弓占いをしようと、ハリプンチャイに向って強弓を射させました。そして、矢の突き立った場所に寺院を建立し、その寺院は、「ヨーノック王朝年代記」では、ラウォー寺院(WAD LAWOO)となっており、「チャーマテーウィー伝」では、ウドム寺院(WAD UDOM)となっています。そして、その地はロムマヤ・カーム(ROMAYA KHAAM)と名付けられ、遥かな後年人々は、ラマック村(BAAN RAMAK)と呼んだと伝えられています。
(続)
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当時の水路は今の陸路と同じ意味があったのでしょうね。
そして水路がゆえその苦難の道が見えるようです。
2009/6/11(木) 午後 8:53 [ ossa ]
OSSAさん
コメントありがとうございます。
百年ほど前に鉄道線路が引かれるまではチエンマイとバンコク間の交通は河川だけでした。そして、北部山間部の河川は多数の瀬があり、命の危険を伴う難所の連続だったようです。当時の船の構造を知りませんが、浸水の話も残っていますから、かなり危険な旅だったと考えられますね。それ故に様々な伝説を残したのだと思います。
2009/6/11(木) 午後 9:23 [ mana ]
地名にも残るほどだったとは険しい旅だったでしょうね。
まさに苦難の旅です。
2009/6/11(木) 午後 11:44
凄く神秘的な話ですね。引き込まれました。
2009/6/11(木) 午後 11:57 [ taka ]
NONさん
コメントありがとうございます。
平坦な旅路ではなく、危険を伴う旅とするほどの難路だったのでしょうね。そして、そんな危険な箇所を伝説ということで後世の人々に知らせようとする昔の人たちは、そこに遥か昔の未亡人の旅を重ねたのかもしれませんね。
夫を亡くした身重の王女に対する人々の温かな気持ちが伝説を作ったのかもしれませんね。
2009/6/12(金) 午前 7:09 [ mana ]
tak*1*37* さん
コメントありがとうございます。
いずこの国の人々もこうした神秘的な話し、不思議な話を信じる素直な心があったのでしょうが、時代が進むと次第にそんな純粋な気持ちが薄れていくのが悲しいですね。
2009/6/12(金) 午前 7:13 [ mana ]
いつもながら完璧で気品ある日本語に翻訳されておられますね。
この節外国語をそのままカタカナにして翻訳だといっている風潮が日本で吹きまくっていますが、これは日本語を次々と死後に追いやる愚公に他なりません。
manaさんのような完成度の高い日本語訳をなさる方が増えることを願います。
2009/6/12(金) 午前 7:52 [ 彩帆好男 ]
いつもながらはるかな過去への誘い
おおきに
2009/6/12(金) 午前 9:13 [ 道後 ]
サイパンはカナダより魅力的さん
コメントありがとうございます。
日本語は素晴らしい世界に誇りうる言葉です。ですから、カタカナで音をそのまま表記することは、日本語の語彙不足を告白するようなもので正直恥ずかしいです。人名、地名などはどうしても訳せませんが、その他の単語は日本語の中にもあるのではないかと思います。
そして何より外国語をそのまま日本語の文字に置き換えることは、言語に対して敬意を欠く行為だと思います。
とはいえ、自分の日本語能力の欠如に苛立ち、幾種もの辞書を手放せない自分の愚かさを嘆いていますので、こうしてお褒めの言葉を頂くと恥ずかしいです。
2009/6/12(金) 午前 11:14 [ mana ]
水大師さん
温かなコメントいつもありがとうございます。
2009/6/12(金) 午前 11:16 [ mana ]
なるほど〜!!
たくさん勉強させていただきました(笑)
舞台設定は違いますがどこか日本の皇室の伝説にも似てますね〜!!
2009/6/12(金) 午前 11:51
公衆でんわさん
コメントありがとうございます。
聞きなれない名前ばかりかとも思いますが、お時間があれば覗いて頂ければ嬉しいです。
2009/6/12(金) 午後 1:29 [ mana ]
男性の神話だとすぐに殺戮の方に話が行くけど、やっぱり女性の神話の方が綺麗ですね
はてさて、この後の旅はどうなります事やら?
2009/6/13(土) 午前 7:03
柚ぽん瑠璃珊瑚晴れパパさん
コメントありがとうございます。
お体は大丈夫ですか。
女性が主人公ですから、旅の途中の洗髪すら神話になって出てくるんですね。ここでは紹介していませんが、前をさえぎる巨大な岩に象の絵を描かせて道を見つけたりもしたようで、血生臭い話が出ないのがいいですね。
2009/6/13(土) 午前 7:50 [ mana ]
神話にしては輪郭がしっかりしていますね。
これらチェンマイの神話は民間の口承によるものでしょうか。
それとも仏徒の教えの中で肉付けされたものなのでしょうか。
傑作
2009/6/13(土) 午前 9:49 [ T ]
トオルさん
コメントありがとうございます。
コチラの古い伝承は、その多くが僧侶が書き継いで来たものです。このチャーマテーウィーという女性の伝記も、彼女がこの地に最初に仏教をもたらしたという視点で描かれています。
ある史実があってそれに様々な民間説話で肉付けし、それを仏教説話で補強するような形でしょうか。
ですからここには紹介していませんが、釈尊の話も出てきます。
コノチと仏教説話は密接に結びついていますから、どの伝承を読んでも必ず釈尊の予言、遺髪、仏足跡などの話が出てきます。
2009/6/13(土) 午前 10:18 [ mana ]
こん
∧,,∧
( ^ω^ ) のぞきにきましたよ〜
/ φ口o
しー-J
2009/6/13(土) 午後 9:36
素敵なお話ですね。
傑作○です。
2009/6/14(日) 午前 1:12
日帰り温泉とグルメさん
いらっしゃい。
ごゆっくりしていって下さい。
2009/6/14(日) 午前 6:29 [ mana ]
近野さん
ご訪問&コメント&傑作ポチありがとうございます。
耳慣れない町のお話ですが、お時間があれば覗いて頂ければ嬉しいです。
2009/6/14(日) 午前 6:31 [ mana ]