チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

チャーマテーウィー伝

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王国創業期の終焉

ナーン・チャーマテーウィー伝−11−

遥か南の国より身重の身体で北上して来たチャーマテーウィーは、ステーワ仙の建設したムアン・ハリプンチャイの王位に就き、先住民のルアッとの戦いにも隠者の呪力を得て難なく勝利しました。そして、ハリプンチャイの統治を双子の王子の長男、マハンタヨット王子に譲り、次いで弟のアナンタヨット王子の求めに応じて今ひとつのムアンを東に方向に建設しました。マハープローム仙の力によって建設されたケーラーンカ・ナコーンがアナンタヨット王子の国となりました。

新たな都の王となったアナンタヨットを祝して長兄のマハンタヨットのみならず多数の隠者、行者たちが多数の高級官僚共々集まりました。

この時はどうやら季節としては乾季だったようです。

王位就任の祝賀行事を終えたチャーマテーウィーとマハンタヨットは、あの伝説のラムパカッパ・ナコーンの仏舎利塔拝礼に向いましたが、飲み水にも窮したようです。そこで、チャーマテーウィーは、天に願をかけ、従者に近くに井戸を掘らせると、そこに水が湧き出して井戸となったというのです。

その井戸が「恵みの井戸」とでも訳すのでしょうか、ボー・ナームリアン(BOO NAAM LIANG)といわれているそうです。

今、手元に西暦1987年著の「ポンヤーンコック寺院のチャーマテーウィー堂(WIHAAR CAAMTHEEWII WAD PONGYAANGKHOK)」という書物があります。残されている写真に見る寺院は数百年前の旧い形式の木造建築できれいの彫刻が施されています。そして、その境内に一本の菩提樹(KAU MAI SALII)があり、その横にレンガで囲われた井戸があります。その井戸こそがチャーマテーウィーが祈願して出来たボー・ナームリアンだとされています。

聖地参拝を終えたチャーマテーウィーは、ついで新都の北に位置するドーンプラヤイ(DOONPLAYAI)という場所に向い、一対のチークの木の木陰で休息して千年の寿命を祈願したといいます。すると、チャーマテーウィーの願いが仏舎利に届いたのでしょうか、ニレ科の高木クラチャウ(TON KRACHAU)の頂きが神々しく耀きました。その木こそは、仏舎利を求めてやってきたパララート・ナコーンの王が、チャンテーワラートの仏塔守護の為に仕掛けた仕掛けが敗れないままに掘り返した土を埋め戻し、その中央に目印として植えていたものでした。

その一対の木は、チーク兄弟木とでも訳すのでしょうか、サック・ソーンピーノーン(SAK SOONG PHII NOONG)と呼ばれた、といいます。

こうして次男のアナンタヨットが希望した通り、一国の城主という地位に就き、ハリプンチャイを支配する長男に対して、ケーラーンカ・ナコーンを統治することに成りました。この新都は、マハー・プローム仙の霊力によるものか、何不自由することもなく豊穣の都であり、アナンタヨットの徳を慕ってか、ミラッカ人が集まり住み着くようになりました。

このミラッカ人とは特定の民族名であるよりも未開の民、であろうとされています。そして、既述の通り伝承ではこの地の先住民ルアッ族の王としてミラッカという呼称を使っていますので、多分ルアッと同じ種族の未開の民ということになるのかもしれません。

母のチャーマテーウィーも既にハリプンチャイに引き返し、兄のマハンタヨットも既に新都にはいません。アナンタヨットは、一人ケーラーンカ・ナコーンを統治しながらも、マハー・プローム仙を拝する日課を欠かしませんでした。

しかし、その当時、まだ信徒には仏教は普及していなかったようで、アナンタヨットは、マハー・プローム仙に暇を告げると、母と兄のいるハリプンチャイに帰り、仏教普及の必要性を訴え、ハリプンチャイの僧とバラモンの招請を申し入れました。

このことは、仏教とバラモン教という異なる宗教が当時においても既に対等の立場であったことを示しているのでしょうか。現代タイ社会においても両宗教は対立・競合するものではなく、並立・共存するものとして人々の生活の中に溶け込んでいるようです。それは日本における神道の仏教の関係にも似ているように思えます。

マハンタヨットは、弟の願いを聞き入れ、そして、チャーマテーウィーはケーラーン・ナコーンに再び行幸しました。しかし、伝承は、アナンタヨットが母チャーマテーウィーに機嫌をとるようにしてケーラーンカ・ナコーンに長く留まるよう意を尽くしたと記していますから、既に年老いていたチャーマテーウィーに長途の旅はきつかったのでしょうか、ハリプンチャイが恋しかったのでしょうか、心安からなかったようです。

一方、アナンタヨットは、ケーラーンカ・ナコーンを母に献上するかのように、マハープローム仙を尋ねると、今ひとつのムアンの建設を願い出ました。

こうしてケーラーンカ・ナコーンの西南方向すぐ近くに出来た町が、アーラムパーン・ナコーン(AALAMPHAANGKH KHOOR)と呼ばれる町でした。この隣接する二つの町はいつの間にか一つのように人々に思われるようになると、ナコーン ・ケーラーン・ラムパーン(NAKHOOR KHEELAANGKH LAMPAANG)となったといわれ、これが現在のラムパーンの原型に過ぎません。

今に至るも、ラムパーンは時にケーラーンと呼ばれたりもしますが、厳密には同じ町ではなく別々の町であったことがこの伝承から分ります。

かくして二つの町が出来、アナンタヨットが統治することとなりましたが、それは実際に今においてもラムパーンとラムプーンを比べる時、ラムパーンが政治的にも経済的にも大きいことが分ります。しかし、ラムプーンは優れた宗教都市として栄え、ラムパーンもまたラムプーンの影響で仏教を広めたことが分ります。

しかし、チャーマテーウィーの望郷の念は絶ち難かった様で、新都ケーラーンカ・ナコーンに逗留すること6年にしてハリプンチャイに帰ることになりました。只、この時既にチャーマテーウィーは病に侵されていたようです。

マハンタヨットに温かく迎えられ、十分な世話を受けながらも病が軽減することなく、終に92年の生涯を閉じました。

今は二都の王となった残された双子の王子、亡き母チャーマテーウィーの葬儀を執り行い、遺体を荼毘に付すと、ハリプンチャイの西方に黄金で覆った仏塔を建立してそこに亡き母の遺骨を納め、スワンナチャンコート塔(SUWARNACANGKOOT CEEDIIY)と名付けたと伝承は伝えています。

二人の王は丁重に亡き母の霊を供養すると、アナンタヨットは兄のマハンタヨットに暇を告げて、自らの両国ケーラーンカ・ナコーンに引き返していきました。そして、伝承は、残されたマハンタヨットは、80年の永きに亘って王位を守り、老いに倒れたと老衰による死を伝えています。

王位に就いたのが7歳とすれば87歳であったことになり、18歳であったとすれば、98歳の長寿になりますが、こうした年数はあてにはなりませんが、長寿はあったのでしょう。跡を継いだのは王子のドゥーマン・ラート(DUUMAN RAACH)であったとされていますが、その母は、あのルアッの王女なのでしょうか、それともステープ仙の使者となってロッブリーに下ったカワヤの娘なのでしょうか、伝承は、この点について何も残していません。

また、ケーラーンカ・ナコーンを統治するアナンタヨットもまた亡くなりました。しかし、その時何歳であったのかは述べられていませんし、マハンタヨットとどちらが先なのかもはっきりとはしません。只、遺体はハリプンチャイに運ばれて荼毘に付され、ハリプンチャイの東北方向に位置するマーンリワンの森(PAA MAALLIWAN)、すなわちヤーン樹の森(PAA MAI YAANG)に仏塔を建立して遺骨が納められました。
かくして数奇な運命のもとで遠く故郷を離れて身重の身を押して北上し、ハリプンチャイを建設したチャーマテーウィー、生まれた双子の王子と先住民との戦い、そしてケーラーンカ・ナコーンの建設、一連のハリプンチャイ王国の建設を見届けるように母子三人が世を去りました。

残された後継王に与えられた試練はまた母子にも増して激しいものでした。

(続)

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今晩は。最初manaさんの所に伺った時には失礼なながら全く難しい内容だった。しかしながら筆力と視点が面白くてついつい読んでいくうちに興味が湧いてきました。そしてタイについても知らないうちに興味が深くなりました。恥ずかしながら日本の1.6倍も面積があることも知りませんでした。そしてチェンマイとバンコクが700Kmくらい離れていることもチェンマイを中心にタイが動いていたのがつい近年までの話だった事も知りました。東京都京都を例に引けば何となく理解できることも多いですね。そしてベトナムやカンボジアそしてミャンマーなどと接していて日本とは比べ物にならないような緊張感がずっと存在していたことが分かりました。それもmanaさんのブログのおかげだったと思っています。油断すると国境線などは変動するのだから日本のボケた政治家たちに怒りを感じるのは当たり前だとも思いました。少し内容とずれていますが日頃の感謝を込めたつもりです。

2009/7/18(土) 午後 10:55 亜鉛右近

92歳とは驚きです。

続きに期待しております。

傑作○です。

2009/7/19(日) 午前 1:08 近野滋之

せいちゃんさん

コメントありがとうございます。
地元の人さえ今は余り関心を払わないふるい昔の虚実入り混じったお伽話です。まして日本の方にはここに出てくる名前はおろか、地名すらどこか異次元のように感じるかもしれません。でも世の中にはこんな変わった伝承を秘めた町もあるのだと軽く考えて頂ければいいと思います。

2009/7/19(日) 午前 4:28 [ mana ]

aen*u*on99 さん

コメントありがとうございます。
少しでもチエンマイの町について関心を抱いて頂けるようになれば、ブログを開設した意義があります。地図、写真付きで解説するようにすればいいのかもしれませんが、そんな術も知りませんから、一つの御伽噺を蘇らせるつもりで、そして、そこに蠢く人たちに温かな目を向けながら時の流れを追って行きたいと思います。
拙い文章ですが、これからも覗いて頂ければ嬉しいです。

2009/7/19(日) 午前 4:34 [ mana ]

近野さん

ご訪問&傑作ありがとうございます。
これからも宜しくお願いします。

2009/7/19(日) 午前 4:41 [ mana ]

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バラモン教と仏教が共存している・・・
こういうユルサがアジア的ですね。
大いなる自然と共存する生活の仕方が人間にとってはいいと思いますが、経済の発展と相反するようで・・・
タイも先進国に追いつくために自然破壊&建設を進めているようですが、後々失ったものの大きさを知るんでしょうね。
もっとも、人間がいなくなれば10年で自然は元通りだそうですけど(笑)

2009/7/19(日) 午前 6:50 むうま

むうまさん

コメントありがとうございます。
自然を人工の対極とするならば、人が生き活動するところには自然破壊がついてまわりますね。昔の日本は自然を恐れ、敬い、支配することなどおくびにも考えず、共生させて頂きことを望んできました。それ故に自然界の八百万の神を敬い、祀ってたたりを恐れ、自然の猛威を教訓としてきました。そうした敬虔な心が薄れ驕りが支配し始めたのでしょうか。
タイもまた、自然と共に行きて来た民族ですが、経済という魔物に飲み込まれ、山奥は不法伐採で禿山になり大地の保水能力が極度に落ちて土砂崩れ、鉄砲水、年間に亘っての洪水、これまでにない脅威に晒されていますが、それでもまだ科学を妄信して自然に対しようとしているようで何とも危ないです。
そして、日本と同じように宗教すら経済の魔物に飲み込まれたかの感があります。
自然から生まれた人間が自然以上である筈はないのでしょうが・・・

2009/7/19(日) 午前 8:46 [ mana ]

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こんばんは〜 なかなか読みごたえがあり楽しみですが・・・
まだまだ消化しきれていません・・・ これからも栄枯盛衰人の性・・・ 大好き亜細亜をお願いします ありがとう!

2009/7/19(日) 午後 9:51 [ ネコマロ ]

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日本古代天皇の崩御ご年齢もかなり高齢が多いですね。
神武天皇が127歳、仁徳天皇が109歳など。
タイの古代伝説でも今の健康状態や平均寿命と考えても長寿と言うのは神がかり的な事もあったのか、或いはあったと思えるのでしょうね。そこは歴史の有る国ならでは、ですね。
傑作

2009/7/19(日) 午後 10:58 千葉日台

こちらこそ、ご来訪やランキング応援に感謝を申し上げます。

また伺います。

2009/7/20(月) 午前 0:34 近野滋之

ネコマロさん

ご訪問&コメントありがとうございます。
未知の国の地名、人名が多々出てきますので、馴染みにくいかもしれません。それにもまして拙い筆の運びですから、ネコマロさんを魅了するのが難しいのかもしれません。只、いずれの国、時代においても人の動き、様々な人の欲望がが歴史を作り、栄枯盛衰の世の中になるのは避けられないのでしょうね。
そして、人の一生もまた浮き沈みの激しいものになるのもまた自然の摂理かもしれません。

2009/7/20(月) 午前 5:32 [ mana ]

千葉日台さん

コメントありがとうございます。
こちらでもかつてこのブログでも掻きました、天孫降臨の王は、120年の寿命があったといいますから、永い歴史を持つ民族国家というのはそうした超人的な創始者の存在を認め、敬い、誇りとしていたのだと思います。そして、そうした伝承を作るに相応しい一般人以上に長生きあったことに違いないと思います。

2009/7/20(月) 午前 5:37 [ mana ]

近野さん

ご訪問&応援ありがとうございます。
これからも宜しくお願いします。

2009/7/20(月) 午前 5:38 [ mana ]

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mana 様

こんにちは!
この度はご来訪頂き感謝申し上げます。

これからも宜しくお願い致します。

愛国

2009/7/20(月) 午後 0:38 愛國

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傑作○です。

続き楽しみにしてます。

2009/7/20(月) 午後 0:39 愛國

愛国さん

傑作&ご訪問ありがとうございます。
こちらこそいろいろなブログでお名前を拝見し、またいろいろ勉強させて頂いております。
こちらこそこれからも宜しくお願いします。

2009/7/20(月) 午後 2:15 [ mana ]

ご来訪やランキング応援に感謝を申し上げます。

また伺います。

2009/7/21(火) 午前 0:47 近野滋之

近野さん

応援ありがとうございます。
これからも宜しくお願いします。

2009/7/21(火) 午前 4:57 [ mana ]

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お早う御座います

また伺います

2009/7/21(火) 午前 6:24 愛國

おはようございます。

いつもご訪問&応援ありがとうございます。

2009/7/21(火) 午前 6:51 [ mana ]


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mana
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