チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

チエンマイ古寺巡礼

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チェットヨート寺院縁起(4)

こうして長々とプラチャウ・ティローカラートについて話を進めてきたのは、この王こそがこれから訪れるチェットヨート寺院(WAD CED YOOD)の建立者であるからです。

この寺院は、複数の塔、即ち七つの塔を頂いた形をした異様な仏塔を有していることから、通称チェットヨート寺院、もしくはチェディー・チェットヨート寺院(WAD CEEDIIY CED YOOD=七尖塔仏塔寺院)と呼ばれていますが、正式にはマハー・ポーターラーム寺院(WAD MAHAA PHOOTHAARAAM=大菩提樹寺院)といいます。

ここで「マハー・ポーターラーム寺院伝」に従って、寺院の由来を繙いて見てみましょう。

寺院伝承では、建立者であるプラチャウ・ティローカラートの名前が「ソムデット・プラチャウ・シリタムマ・チャッカワット・ティロック・ティローカラート(SOMDEC PHRA CAU SIRI THARMMA CAKRAWATTI TILOK TILOOKARAACH)」という長い名前になっていますが、ここでは、プラチャウ・ティローカラートとして話を進めて行きます。このプラ・マハー・シースタムマ・ティロック・ティローカラート、即ち、プラチャウ・ティローカラートの一生は、上述してきた通り小説にでもなりそうな程に実に起伏に富んだ人生で興味がありますが、伝承に見る彼の人生の詳細は、別の機会に譲ることにして、ここでは、彼が建立した名刹チェットヨート寺院について、その時代背景、成り立ちを眺めてみましょう。

既に「ドーイ・ステープ寺院」の項で述べた通り、チエンマイの第6代目王であるパヤー・クーナー(PHAYAA KUUNAA)の時代、南の町スコータイよりやって来たプラ・スマナテーラ(PHRA SUMANA THEERA)がチエンマイのみならず、ラーンナー王国全体の仏教に新しい血を流し込みましたが、その時より既に100年余が経過しておりました。

現在のビルマをさす燐国ラーマン国(RAAMAN)で栄えたこの宗派は、チエンマイにやって来ると、ラーマン派(NIKAAY RAAMAN)とも、宗派の基本道場であるスアンドーク寺院(WAD SUAN DOOK)の名前を取ってスアンドー ク派(NIKAAY SUAN DOOK)とも呼ばれておりました。

チエンマイの王パヤー・クーナーは、この新たな宗派に絶大な支援を与え、多数の僧がプラ・スマナテーラがもたらしたラーマン派の教義、規律のもとで出家のし直しをするまでになっていましたが、それでも決して、旧来の宗派が消失したのではないようです。

こうした新鮮な教義に刺激されたのでしょうか、パヤー・クーナーの孫、プラチャウ・ティローカラートの父ラーンナー王国第8代目の王パヤー・サームファンケーンの時代になると、25人の僧が仏典理解の基礎となるバーリー語、サンスクリット語修学の為、まだ見ぬ遥かかなたの仏教王国ランカー国に渡りました。

言葉も違う異国に出向くことは、海を知らない当時のチエンマイの人々にとっては死を賭した旅であったのかもしれません。現代人には想像しにくいことであるかも知れませんが、かの西遊記の話に出る三蔵法師の姿にも似ているようでもあり、我が国の入唐留学僧の旺盛な学習意欲に重なるものがあるようにも思えます。命がけの渡航の果てに辿り着いた憧れの国で所期の目的を達成し、修学を終えた25人の留学僧たちは、プラ・マハー・ウィクロムパーフ(PHRA MAHAA WIKROM PHAAHU)とプラ・マハーウッタマパンヤー(PHRA MAHAA UTTAMA PANYAA)という名前の二人のランカー国の僧を伴って帰国して来ました。

ランカー国からやって来た異国の僧は、宗教心に燃えるラーンナーの僧侶たちに対して宗派の異同を問わず、分け隔てすることなくバーリー語、サンスクリット語の正しい知識を教授し、仏典を正しく解釈して見せました。そして、同時に、そうした母国での修学だけでは飽き足らない熱心な僧は、自ら命を賭して遠いランカー国に渡って行きました。そんな中から多数の名僧が出現します。

最新の仏教教学、正しいバーリー語、サンスクリット語の知識を身に付けて帰国して来た彼等の中には、多数の仏教説話、物語をバーリー語、サンスクリット語で記す能力を身に付けている僧侶が多数いました。現代のタイの一般の人々には無視され、その存在に何の歴史的光を当てられることもなく、今に伝わる彼等の業績・役割を微塵も認められることもない彼らですが、彼等こそは、まさにラーンナーの至宝、タイの民族的宝なのです。

信じられそうもない話しですが、今南部の伝統芸能となっている半鳥半人の女性と王子との恋物語である「マノーラー(MANOORAAH)」は、こうした留学帰国僧の表わした「五十話仏生譚(PANYAASA CHAADOK)」の中の一つ、「スッタナ仏生譚(SUTHANA CHAADOK)」です。又、こうし た帰国僧たちは、正確で豊富な言語学上の知識と最新のランカー国の仏教教義、規律をもたらしました。

まさにこのプラチャウ・ティローカラートの時代は、そうした仏教文化の花開く土壌が十分に育っていた時期に相当し、まさに一大改革期を迎えようとしていたようです。即ち、プラ・マハーヤーナカムピーラ(PHRA MAHAA YAANA KHAMPHIIRA)、プラ・マハーメータンカラ(PHRA MAHAA MEETHANGKARA)、プラ・シーラワサ (PHRA SIILA WASA)を始めとする多数の留学僧侶が、ランカー国での修行を終えて帰国すると、仏教界に新風を吹き込み、ランカーウォン派という新宗派を打ち立てて、良家の子弟を各地で得度させていたのです。

そんな帰国留学僧たちがムアン・ラムプーンにやって来ると、プラユーン寺院(WAD PHRA YUUN)に逗留して、人々を得度させていたといいます。そのプラユーン寺院こそは、かつてパヤー・クーナーの招請に応じてムアン・スコータイよりやって来たプラ・スマナテーラが最初に逗留した寺院です。そして、規律正しく、深い仏教教学に裏付けされた彼等帰国留学僧たちの名声は、乾いた砂に水が吸い込まれて行くかのように王国内に確実に広がって行きました。

つとに広がる帰国留学僧たちの名声がプラチャウ・ティローカラートの耳に入ると、新宗派への信仰心が深まり、終には、自らの王宮を帰国留学僧団に寄進して寺院とし、新宗派への布施とするまでに至ったのです。

即ち、これが今に残るモンティアン寺院(WAD MONTHIAR)です。この寺院は、チエンマイの各地に散らばる寺院を紹介した「チエンマイの重要寺院2」によれば、かつては、ラーチャモンティアン寺院(WAD RAACHA MONTHIAR)と呼ばれ、プラ・マハーヤーナカムピーラ師の僧坊とする為に、プラチャウ・ティローカラートが自らの館を壊して寄進したと述べ、その建立年は仏暦1974年(西暦1431年)であるとしています。

しかし、同王の即位は、仏暦1984年であり、10年の誤差があります。この寺院は、チエンマイの城壁の内側、チェーン・フアリン(CEENG HUA LIN)の近く、シープーム通り(THANON SRII PHUUMI)に面して位置しています。モンティアン寺院に安置されている降魔座の青銅製の座像仏には、仏暦2035年(西暦1492年)の建立と刻まれているとのことでありますが、プラチャウ・ティローカラートの崩御は、その仏像建立に先立つこと5年の仏暦2030年(西暦1487年)です。

この寺院の建立に関しては、全くの私見ながら想像を逞しくして、両親の死の後を受けた仏暦2000年頃かとも勝手に想像します。残念ながら今我々が目にするモンティアン寺院には、既に昔の面影はどこにもなく、きらびやかな色彩に彩られ、御堂から寺院の壁を打ち壊して直接道路に繋がる階段が設けられる等、奇抜な建築様式に変わり果てております。

そのラーチャモンティアン寺院の第2代目の住職こそが、先にプラチャウ・ティローカラートが出家した際の戒和尚(UPACHCHAAY=戒を授ける師)を勤めたプラ・マハーヤーナマンカラ・テーラ(PHRA MAHAA YAANA MANGKHALA THEERA)です。同時に、師は、プラチャウ・ティローカラートの羯磨師(こんま師=KARMMA WAACAACAARY=出家に際して、宣言する羯磨儀規を完成させる役目をなす導師)を勤めたプラ・サカッタヤーティコーン(PHRA SAKATYAATHIKOORN)同様、そんな帰国留学僧たちの中の一人でした。

彼ら帰国僧は、パーターン寺院(WAD PAA TAAL)、パーデーン・ルアン寺院(WAD PAA DEENG LUANG)その他いくつもの寺院に逗留しましたが、最終的には、パーデーン寺院にその活動の足場を築いたようです。そして、その宗派は、拠点になった寺院の名前を取ってパーデーン派(NIKAAY PAA DEENG)とも、留学先国の名前を取って、先に記した通りシーホン派(NIKAAY SIIHOL)とも呼ばれました。

(続)

「チエンマイ古寺巡礼」書庫の記事一覧

閉じる コメント(35)

NONさん

コメントありがとうございます。
命を賭けて行かねばならない、そんな使命感にも似たものが彼らの中にあったのだと思います。それはどこか全てに無関心な人が増えている現代人の忘れて来た情熱ではないでしょうか。平穏無事な生活を捨てても正しいこと、あるべきことを求めて死を賭してでも未知の世界に旅立つ彼らには不安以上に熱い心の滾りがあったと思います。それは入唐僧の気概にも似ていると思います。

2009/7/22(水) 午前 5:06 [ mana ]

柚ぽん瑠璃珊瑚晴パパさん

コメントありがとうございます。
彼ら25人の僧は御仏の教えに既に命を捧げていたのだと思います。そして、日々の修行の中での疑問点は修行に励むほどに広がり解けなかったのでしょうね。心に突き刺さった棘のように、御仏の教えを知りたいという気持ちは、日々強まり命の危険を顧みる以上に激しいものとなったのだと思います。

2009/7/22(水) 午前 5:11 [ mana ]

cocoa さん

コメントありがとうございます。
正しい宗教を求める気持ちが高まっていたのでしょうね。これまで伝えられてきた釈尊の御教えと称するものにどこか飽き足らないものを感じ、その解決の為に当時釈尊の御教えが正しく伝わり栄えているとされたスリランカへの渡航を決意させたのでしょうね。逆に言えば、それほどまでに社会が仏教というものに強力に染まって行ったのだと思います。

2009/7/22(水) 午前 5:16 [ mana ]

近野さん

ご訪問&応援ありがとうございます。
これからも宜しくお願いします。

2009/7/22(水) 午前 5:17 [ mana ]

coffee さん

コメントありがとうございます。
タイでは仏教の中心であるという自負心が出て来ております。それを支えているのは、国民からの絶対的な支持と王室の支えがありますが、しかし、栄えたものが滅びるのが世の常であるように、既にタイ仏教の将来を暗示するかのように若者の寺院離れが始まって久しいです。同時に、全国の仏教を統一しようとするかのように、地方独自の仏教形態が徐々に薄れつつあります。釈尊の御心に沿うものであるならば、様々な仏教があっていいと思いますが、バンコクの仏教以外は外道であるという風潮は、そのまま衰微の象徴のように思えてなりません。
只タイ寺院の煌びやかなは、かつての日本の寺院にもあったのだと思います。しかし、そこには民族性が色濃く出ますが・・・

2009/7/22(水) 午前 5:26 [ mana ]

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日本でも留学僧が鑑真を日本に連れて行くために苦労したというお話がありました。タイにも似たような話があったのですね。
所で思うのは、死を覚悟していく留学生の好奇心や使命感の高さもさることながら、当時の日本の奈良・平安時代の政府もそんなに台所事情はよくなかったにも関わらず、また、派遣した留学生や留学僧の25%が帰国できなかったようなハイリスクの中で留学生を派遣したという懐の深さです。
人に投資をする重要さをよく認識していたという事です。
翻って今の日本、企業も政府も人を道具として使い捨て・・・むしろ奈良平安時代に見習うべき点がたくさんあると思います。
傑作

2009/7/22(水) 午前 6:30 千葉日台

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>最新の仏教教学、正しいバーリー語、サンスクリット語の知識を身に付けて帰国して来た彼等の中

この頃の海外の先端文化だったのでしょう。今の日本人のようにただ海外旅行に遊びに行くのでは無く、文化の吸収は大切な事のように思われます。
傑作です。

2009/7/22(水) 午前 7:13 kitaguniharuo

千葉日台さん

コメントありがとうございます。
昔は、どれほどハイリスクであろうとも、派遣する方はそれが日本にとって必要不可欠であるという確信があり、派遣される側では、日本のためにいかなることがあろうとも行かねばならない、行って初期の目的を達成しなければならないという使命感があったようです。
翻って今の日本は豊穣になれ、使命感を忘れ、全てに損得を基準として、天下国家を思いません。
日露戦争に際して、東南アジア駐在の会社員がロシア艦隊の動きを掴んで政府に知らせています。日本は日本国民全ての命の源泉であるという意識があったのですが、残念ながら今の駐在員にはその欠片がありませんね。

2009/7/22(水) 午前 9:30 [ mana ]

北国春男さん

海外に出るには、それが単なる観光旅行であろうとも何らかの目的があるはずです。観光なら何を観光するのか。当然それなりの予備知識を持つのが当然でしょう。何の目的もなく海外旅行しているようでは、どこの国も同じに見えるでしょうね。
最近日本での定年退職後の生活不安から海外に出る人が多くいますが、夫々自分の決めた国、町に馴染む努力をして欲しいですね。どこまでも日本を引き摺っているのでは生活感がなくなります。

2009/7/22(水) 午前 9:35 [ mana ]

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無事帰国して名を上げた修行僧達の前後には、
行きたくても行けなかった者、途中で病気や事故で修行を断念せざるを得なかった者や途中で命を落とした者も多くいたのだろうと思い、
ひねくれものの私は、そのように歴史の影に埋もれていった名も無き人達やその家族に思いを馳せます。
大抵の物語はピラミッドの頂点にいる人が主人公ですが、
昔から主人公より脇役が好きなんです(*^^*)
manaさんのヒーローである武士はその後何所へ行ったんでしょう?

2009/7/22(水) 午後 3:54 むうま

むうまさん

コメントありがとうございます。
あたしも同じように名もなき人物に惹かれます。
そのアンコールワットに名前を落書きした侍は、その後どうなったのか、誰にも分りません。只、その時彼がそこにいた、ということだけがその落書きから分ります。あたしがこうして小さな片田舎の歴史を旧い本を紐解きながら綴っているのは、彼のように無名の侭消えていく自分の存在をこの地上に残す為です。
無数の留学層が生ざまな経路でインド、もしくはスリランカに向ったと思います。そして多数の人たちが野辺の野獣に、海難で尊い命を落としたと思います。そうした命の危険を承知の上で渡航し、しかも運良く帰ってきた人たちの内更に幾人かが歴史に名を残します。
チエンマイの繁華街近くに一人の僧の象が立っています。その僧について思いを巡らせるチエンマイの人々がどれほどいるでしょうか。そうした像の存在に意を払う人がどれほどいるでしょうか。歴史とはそういうものですね。誰から光を当ててあげなければ時の流れの中に埋もれてしまいます。人の生涯もそうです。何かを残していかなければ、誰にもその存在が認められないのではないでしょうか。

2009/7/22(水) 午後 5:07 [ mana ]

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mana 様

mana様のブログで色々勉強させて頂きます。

続きも拝見させて頂きます!

傑作○です

2009/7/22(水) 午後 8:02 愛國

こちらこそ、ご来訪やランキング応援に感謝を申し上げます。

また伺います。

2009/7/23(木) 午前 0:42 近野滋之

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お早う御座います
いつもご来訪、ご支援頂き感謝申し上げます。

また伺います。

2009/7/23(木) 午前 5:05 愛國

愛国さん

ご訪問&傑作ありがとうございます。
拙い文章ですが、時間があれば覗いて頂ければ嬉しいです。

2009/7/23(木) 午前 5:59 [ mana ]

近野さん

いつもご訪問頂き案してありがとうございます。

2009/7/23(木) 午前 5:59 [ mana ]

顔アイコン

>最近日本での定年退職後の生活不安から海外に出る人が多くいますが、夫々自分の決めた国、町に馴染む努力をして欲しいですね。どこまでも日本を引き摺っているのでは生活感がなくなります。

そうですよね。自分で選択した癖に、日本流を押しつけようとするならば、その国に住む資格は無いでしょう。どの国の人間であろうと一人の人間としてキチンと尊敬できなければ、その国や文化の楽しさも解らないと思います。

2009/7/23(木) 午後 6:48 kitaguniharuo

こちらこそ、ご来訪やランキング応援に感謝を申し上げます。

また伺います。

2009/7/24(金) 午前 1:38 近野滋之

北国春男さん

コメントありがとうございます。
自分の国を愛する人が他国をも理解できるのではないかと思います。外国に出て日本流を押し付ける人たちは仲間内では日本を貶しているのではないでしょうか。貶す前に理解する努力をして欲しいですね。理解すれば底に住む事にも楽しみが出来ると思います。

2009/7/24(金) 午前 5:21 [ mana ]

近野さん

いつもご訪問頂きありがとうございます。
これからも宜しくお願いします

2009/7/24(金) 午前 5:22 [ mana ]


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