チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

チャーマテーウィー伝

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国家存亡の危機

ナーン・チャーマテーウィー伝−12−

創業の王亡き後を継いだマハンタヨットの王子ドゥーマン・ラート、その後アルノータイ(ARUNOOTHAY)、スワンナマンチャナ(SUWARNNAMANCHANA)と続く間、ムアン・ハリプンチャイは平安で、人民は何不自由のない穏やかな日々を過ごしていたといいます。

ところが、スワンナマンチャナの死後、サンサーラ・ラート(SANGSAARA RAACH)という名前の王子が王位を襲いましたがこのサンサーラ・ラートの頃からどうもハリプンチャイに暗雲が立ち込めるようになったようです。

マハンタヨットの死後200年近くが既に経過していました。

このサンサーラという名前からしてどうも縁起がよくないのでしょうか。これはそのまま仏教で言うところの輪廻を意味し苦界を意味します。同時に日常タイ語にあってはそれは「哀れ」「可哀相」という意味にも通じます。

彼はこれまでの国王たちが国王に相応しい正義に則った手法で国を治めていたのに反し、正義に基づかなかったようです。その内容は詳しく記されていませんでしたが、悪友と交わり、非道の行動をなしていたようです。朱に交われば赤くなるの喩え通り、選ぶ仲間を間違えたようですが、その仲間というのがどういう人物であるのかまでは寡聞にして知りません。

治世わずか10年にして崩御すると、王子のプラトゥム・クマーン(PRATHUM KUMAAR)が後を襲って王位に就きました。この王は、父王とは異なり、慈悲の心篤かった模様で、「ヨーノック王朝年代記」では「・・・4箇所の貧民救済所を建設し、寺院、庫裏、御堂を建立して僧団に献上し、善行を欠かしませんでした・・・」と記されています。

こうした王の善行も暗雲を払うことは出来なかったようです。王位にあること30年にして崩御すると、次にクラテーワ(KULTHEEW)という名前の王子が王位に就きました。
こうした古い時代よりバラモン僧による占星術が王室内に深く浸透していたらしく、このクラテーワの治世7年の年、占星術師たちが揃って卯の年に災いが起こる。ついては儀式を執り行って神々に祈りを捧げ、国と国王に対する神の御加護を求めるよう進言しました。

こうした進言に対し、王は「・・・誰かに降りかかって来るであろう禍と言うものは、誰が押し止めることが出来るであろうか。なる様にしかならないものである。」と告げたとされています。まるで唯物論者・運命論者のような言い方ではあります。こうした王の言葉に占星術師たちはそれ以上の助言も進言の言葉もありませんでした。

その予言の年、仏暦1441年の卯の年(西暦898年)予言の言葉が現実となってムアン・ハリプンチャイに襲い掛かりました。即ち、遥か北方のムアン・ヨッサマーラー・マハーナコーン(MUANG YOSMAALAA MAHAA NAKHOOR)のプラチャウ・ミラッカ・マハーラート(PHRACAU MILAKKHA MAHAA RAACH)と言う名前の王が、軍を挙げてムアン・ハリプンチャイを包囲しました。

ここに出てくるミラッカというのも、チャーマテーウィーに恋して戦闘を持ち掛けたミラッカの王と同じように未開の王・異郷の王という風に捉えて固有の人名と考えない方がいいのかもしれません。

この時のことを、アメリカ人の古代ラーンナー文字研究第一人者であるハンス・ペンス博士は、チエンマイの三大王銅像建立記念式典記念本「ラーンナータイ」への寄稿文「ラーンナータイの成り立ち」と中で次のように述べています。
「ムアン・ラムプーン伝に拠れば、大凡仏暦1500年頃、ムアン・ヨッサマーラーもしくはナコーン・サッパーン(NAKHOOR SAPPAAL)の2-3人の「ミラッカ」の王(即ち異国、もしくは未開国の王)が一時期占拠して支配した。歴史学者は、三人の王のうち少なくとも一人は、ムアン・セーンウィー(MUANG SEENWII)、もしくわ、ムアン・パーン(MUANG PHAAN=パン(MUANG PAN))からやってきたタイ・ヤイ族であろうと考えている。ムアン・セーンウィーは、ムアン・ラムプーンの西北方向直線路で約540キロに位置し、ムアン・パーンはムアン・ラムプーンの西北方向約200キロの距離に位置し、ムアン・セーンゥイーとムアン・パーンは現在のビルマ国内に位置する。」と記しています。

即ち、現在のビルマの地にある、遥か彼方の国よりハリプンチャイを攻撃にやってきた異民族がいたのです。もちろん彼等は、現在のチエンマイから東北方向に向う道ではなく、まっすぐ北方に向い、そして、山を越えて東に出たと思われます。

余談ながら、かつてビルマから山を越えて大量に入ってきた回族は、今も国境周辺に多くいますが、チエンラーイの北部チエンセーンに向う途中の山ドーイ・メーサローン(DOOY MEESLOONG)の頂に元中国国民党の村があり、そこに中国語を倣いに行く人たちは、最近まで、チエンマイからまっすぐ北上する古いルートを使い、それが近道であるといいます。

こうして遥か彼方よりの敵襲にクラテーワは抗することが出来ず、敗走しました。城主のいないハリプンチャイに入城したミラッカは、見事占拠・支配を成し遂げました。

ところが、約1年が経過すると、更にミラッカ・トライラート(MILAKKHA TRAI RAACH)ともミラッカ・ラート(MILAKKHA RAACH)とも呼ばれる王が軍を率いてムアン・ハリプンチャイを奪い取ったといいます。

これはハリプンチャイという最新文明、宗教を持って栄えるモーン族の最先端基地であるハリプンチャイをはるか彼方に住む異民族が知っていたこと、そして、彼等は逆に南下してハリプンチャイを襲ったことを伝えていますが、それが一度ではなかったことに注意したいです。

どうして数百キロも離れた町にハリプンチャイの存在が知られていたのでしょうか。まるで遥か後年パヤー・マンラーイがハリプンチャイの豊穣さを仄聞して手に入れたいと思ったことに似ているようにも思えます。

これは、ハリプンチャイというムアンそのものがモーン族の交易路上の中継基地として位置付けられていたと考えられますので、彼らハリプンチャイの商人たちは、南下してロッブリーの人々と交易し、そして北上して現在のビルマ領内のモーン族国家の人々と交易していたでしょうから、この通商路上に位置する諸部族はハリプンチャイの隆盛を耳にしていたものと思います。

そして、面白いのは、「ヨーノック王朝年代記」はチャーマテーウィー本の解釈ではトライ(TRAI)とはタイ(TAI)もしくはタイ(THAY)を表す、ことを述べています。ということは、既にこの頃遥か後年のパヤー・マンラーイのハリプンチャイ占拠よりも早くこの地にタイ族が紛れ込んでいたことになります。
このタイ族と思われる王の統治もわずか1年に過ぎなかったようです。

伝承は様々なことを述べていますが、ムアン・ヨッサマーラー・マハーナコーンのプラチャウ・ミラッカ・マハーラートの襲撃に耐え切れず、サミンカ・ナコーン(MUANG SMINGKHA NAKHOOR)に逃げていたクラテーワ・ラートもしくはその王子がムアン・ハリプンチャイを奪い返したようです。

こうして異民族支配を脱したハリプンチャイは、不思議なことに次々と変わる王は誰もが短命でした。
「ヨーノック王朝年代記」は、チャーマテ−ウィー本とラムプーン伝を引用していますが、両書に見る後継諸王の統治年にはかなりの隔たりがあり、原書を読んでいないあたしには是非を判断する術がありません。

たとえば、異民族からハリプンチャイを奪い返した後、1年と三ヶ月にして王が崩御すると、ノーカ・ラート(NOOKA RAACH)とも、チョーティ・ラート(CHOOTI RAACH)とも呼ばれるプラチャウ・クラテーワ・ラートの孫が王位を継承しましたが、その統治は、ラムプーン伝では、4年と7か月、チャーマテーウィーウォン本では、わずか7か月にすぎません。また、続くプラチャウ・パーラ・ラート(PHRACAU PHAALA RAACH)がチャーマテーウィー本では二か月半、ラムプーン伝では、10年と二か月半にして崩御しました。次のプラヤー・カンラヤーナ・ラート(PHRAYAA KALLAYAANA RAACH)とも、プラチャウ・クタ・ラート(PHRACAU KHU9A RAACH)は、チャーマテーウィー本では三か月、ラムプーン伝では3年と六か月にして亡くなりました。

このように統治年数に一致を見ませんが、幾代もの間比較的平安がもたらされたようです。
しかし、歴史は永久の平安を許さなかったようです。今度は南の方から暗雲が垂れ込めてきました。

(続)

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若紫さん

コメントありがとうございます。
大陸で一度として他国の侵略を受けなかった国・民俗があるでしょうか。中にはこの世から消滅して行った民族もあると思います。
したたかな外交術を持った民族だけが生き残ったのです。彼らにあるのは貪欲な自己肯定の理論と力だけです。彼らの歴史が力の重要性を教えているのですから。日本は同じ民族が四方を海に囲まれた中でしのぎを削ってきましたから、最後には阿吽の呼吸というものがあり、血を流さないでどこかで雌雄を決することがありました。しかし異民族との間には阿吽の呼吸というものは存在しません。正義も善悪もありません。力だけです。勝つか負けるか。正に「勝てば官軍負ければ賊軍」なのです。歴史は勝者が作ります。勝者が作った歴史を信用しては事実を見失う可能性があります。
日本人は、島国の民族として栄えてきました。豊かな資質と自然の中で平和に暮らして生きています。文化的には爛熟したかに見える日本社会で、一方国境意識、民族意識が急速に衰えている様子が見えて怖いです。
今こそ日本の国を考える時はないでしょうね。
国家百年の計の為に。

2009/7/24(金) 午後 5:34 [ mana ]

獨評立論 さん

お久しぶりです。コメントありがとうございます。
ロッブリーの町から遥かに北に離れた地に何故モーン族が町を作ったのでしょうか。あたしには正直謎のままです。只、ロッブリーとハリプンチャイの民族が同じであり、暫くして後ハリプンチャイの住人が次に東方の現在のビルマのペグーに避難する事態が起こります。この時、何故ペグーか、旧い伝承は、ペグーの人たちと同じ言語文化を有していたが故に生活に何の支障もなかったと記されています。
こうしたことからロッブリーからハリプンチャイへ、そして、ペグーへと続く情報網が存在し、情報を伝えるの人々の往来があったのではないかと思われます。

2009/7/24(金) 午後 5:45 [ mana ]

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国家存亡の危機。
今の日本もそう言えるかもしれません。
これから50年、100年先には日本が日本のままでいられるのか、
その保障などはありません。
政治、教育など日本の内部の混乱と、
外部からはシナなどの日本への侵略。
これから先は政治がどれほど決断できて
教育で国民の意識が高めるか。

歴史は永久の平安を許さない、他国の伝承からも学べます。

傑作です。

2009/7/24(金) 午後 7:42 保守の会会長 松山昭彦

国家というものはどんな体制も100%完璧なものはないということでしょう。そのトップが、王制であれ、独裁制であれ、民主制であれ人国家の繁栄、衰退、滅亡は指導者の英知によるものですね。
独裁者はいけませんが、反面、愚かな民衆の行う民主主義よりは、徳のある指導者の下で行われる専制国家の方が民は幸福なのかも知れませんね。

傑作☆

2009/7/24(金) 午後 9:28 cocoa

国が栄えるとは国を守れるからです。

国境争いがないようですが日本も危機的状況です。
続きに期待しております。

傑作○です。

2009/7/25(土) 午前 0:48 近野滋之

さくらの花びらさん

コメントありがとうございます。
国は、政治的集合体です。それは孤立して存在することなく、多数の国の中でその独自性を保って行かなければなりませんが、独自性を否定すると、もはや国としての意義は失われます。
国としての独自性は、民族の独自性でもあり、それは血の継承、文化の継承、歴史の継承ということで時代を超えて繋がっていきます。そして、そのために不可欠なものが教育です。家庭内での躾は日本人としての礼儀作法を伝え、地域社会の構成員としての努めを教えます。そして学校教育は歴史を教えることによって民族としての誇りと連続性、そして各個人の国民としての、民族としての根っこを教えます。
もしも教育が民族の誇りを否定すると、存在意義すら見失う恐れがあります。教育を取り戻さない限り、正しい民族意識は育たないと思います。

2009/7/25(土) 午前 4:47 [ mana ]

cocoa さん

コメントありがとうございます。
国家には様々な形態があり得ます。それは各民族の特長によるところも大きいでしょう。どの形態が最良であるか、誰にも分りません。今の世界を見ていると、どの国も自国は民主主義だといいます。
只、真の民主主義は往々にして衆愚政治に陥ります。国の存否に関心を払わず、自己の刹那的快楽だけを追い求める民衆が政治に関わる時、民主政治が衆愚政治に変わります。衆愚政治の指導者に国家意識はなく、国を守る気概がないことは明らかです。自己保全だけを考える指導者は国が滅んでも何とも感じないかも知れません。
そして、過去の歴史は、そうした国を作り出そうと外部から様々な工作がなされて来た事を教えています。他国からのそうした有形無形の政治工作にいかに対応するのか,衆愚政治では無理でしょうね。
従って、最も大切なことは指導者、政治家に国家意識、自国優先の意識を持った人物を選ぶべきですが、選ぶ為の情報が正しく伝わるかどうかが新たな問題として浮かんできます。
日本の現状はまるで沈み行く豪華客船にも似ているように思います。

2009/7/25(土) 午前 5:01 [ mana ]

近野さん

コメント&傑作ポチありがとうございます。
国境には政治的地理的国境と同時に精神的国境もあっていいと思います。精神的国境は、民族意識です。民族意識を失うと、国家意識をも失い国境意識がなくなります。国境意識がなくなると、異国人の侵入に何の違和感も感じなくなり、国は滅びます。
日本は戦後教育で民族意識を否定され、国境意識を打ち壊され、異民族の流入を無意識の内になし崩しに受け入れてきました。その代償は計り知れないものです。
今、そうした国家存亡の危機が日本を襲っているのだと思います。

2009/7/25(土) 午前 5:20 [ mana ]

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時代もいろいろ、王もいろいろでしょうか?
時が流れれば、時代の要求するものが変わったり、近隣諸国との関係も変わったりするので、統治する方も運、不運があるんでしょうね
これはいつの世も変わらないですね

2009/7/25(土) 午前 6:39 yuzupon

柚ぽん瑠璃珊瑚晴パパさん

コメントありがとうございます。
いつの世も似ているようで少しずつ異なりますが、為政者の資質が問われること、平和は黙っていては手に入らないこと、国難は常に近くにあること、常に侵攻を伺っている隣国があることはいつの世にも変わらないですね。普段から危難に対する備えをしているかどうか、力を蓄えているか否か、ここに為政者の資質がかかっているのでしょうね。奢侈と安楽に惑溺する為政者、隣国に心を許す為政者のもとでは国は滅びるかもしれませんね。
歴史は様々なことを今に生きる人に教えてくれます。

2009/7/25(土) 午後 5:46 [ mana ]

大いに同感です。

こちらこそ、ご来訪やランキング応援に感謝を申し上げます。

また伺います。

2009/7/26(日) 午前 0:45 近野滋之

近野さん

いつも応援ありがとうございます。

2009/7/26(日) 午前 7:12 [ mana ]

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日本も今ある意味、国家存亡の危機になっています。

与党が変わることで不況が脱出できればいいんですけどね、、。

2009/7/26(日) 午前 10:53 Non

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時の流れには誰も逆らえないのですね。
時代のうねりに国家は翻弄されますが、
一番強いのは庶民なのかも。
多くを望まず、生き延びる事だけを念じて耐え忍び、
状況が良くなれば生活を広げ始めて・・・雑草って強いのよね。
私はどんな世の中になっても家族を守って生き延びますよ!

2009/7/26(日) 午後 1:16 むうま

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mana 様

いつもご来訪、ご支援頂き感謝申し上げます。

回線工事も終わりました、又宜しくお願い致します。

傑作○です。

愛国

2009/7/26(日) 午後 4:43 愛國

NONさん

コメントありがとうございます。
国家とは何でしょうかね。日本という国は、日本人がいて永い歴史の中で作り上げて来た文化と歴史の中で生きてきました。歴史的に日本が滅んだことはありません。しかし、日本が日本であることを忘れ、国の尊厳を捨て、異国の民の支配下に入った時日本は滅んだといわなければなりません。ある意味、戦後その国の尊厳の半ばを失ってきたのかもしれませんが、これからの時代残る尊厳を守るか、失った半分を取り戻すか、残った半分すらをも捨ててしまって日本であること、日本人であることを捨ててしまうかでしょうね。
諸外国の歴史は、国の尊厳は国民の血で購われていることを教えています。口先だけで尊厳を守ることは不可能です。
国家と個人、どちらに重きを置くかによってものの見方が変わってくるかもしれません。個人なくして国はありえませんが、国なくしての個人は放浪の民に過ぎません。日本人はユダヤの民のように放浪の民として逞しく生きていけるでしょうか。
今日本が国家存亡の危機にあるとすれば国民一人一人が国家百年の計を立て、それに対する責任を取る覚悟が必要ですね。

2009/7/26(日) 午後 4:50 [ mana ]

むうまさん

コメントありがとうございます。
仰る通りですね。時の流れを塞き止めることは誰にも出来ません。それは過ぎ去った昨日を取り戻すことが出来ないのと同じです。
しかし、時の流れは時に人為的な場合があります。それは為政者の意思が強引に国の方向を変えてしまう時です。今の時代その為政者を選ぶのは国民ですからそうした為政者を選んだ国民はその結果生じる事態を容認していたと言われても仕方ないですね。
と同時に、見方を変えて、政治とは何でしょうか。奇麗事を言っても所詮は権力争いに他ならないですね。従って彼らの意識の中に権力維持と奪取の二つがありますが、その中でどれほど国=自国民の安全を考えているかが大きな分かれ目ですね。
一方庶民は選挙権を有しても、一度行使してしまうと、現実の政治を動かすことは困難ですね。まして国が滅んだ後には国民の意思は無視されます。只庶民は事態に抵抗しない限り雑草にように生き延びますが、民族として、人間としての誇りをもてるかどうか、この点は人それぞれの価値観ですね。

2009/7/26(日) 午後 5:02 [ mana ]

愛国さん

回線工事が終わったようで良かったですね。
これからも宜しくお願いします。

2009/7/26(日) 午後 5:04 [ mana ]

ご来訪やランキング応援に感謝を申し上げます。

また伺います。

2009/7/27(月) 午前 1:27 近野滋之

近野さん

応援ありがとうございます。

2009/7/27(月) 午前 5:52 [ mana ]


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mana
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