チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

シーウィチャイ伝

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徳いまだ衰えず

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クルーバー・シーウィチャイ伝(8)

ラムプーンの名刹ハリプンチャイ寺院では、余りの信徒の多さと400余名の僧に官憲が恐怖を覚え、信徒たちの暴動の危険を防ぐ為に、チエンマイのチャウ・ケーウナワラットに引取りを依頼しました。
チエンマイに向うクルーバー・シーウィチャイに同行を許された僧侶の数は、下山時に随行した400余名の中からわずかに4名に過ぎませんでした。しかも、クルーバー・シーウィチャイがチエンマイのチェータワン寺院に到着すると、その随行の4名すら追い払われる始末でした。チエンマイ県僧団長は、一度は受け取った師の身柄を副僧団長が住職を勤めるパークルアイ寺院(WAD PAAKLUAY)、即ち現在のシードーンチャイ寺院(WAD SRIIDOONCHAY)に移しました。
シードーンチャイ寺院に預けられたクルーバー・シーウィチャイの立場は、当然のことに罪人としてでした。それ故に、その時の寺院側のクルーバー・シーウィチャイに対する態度は非常に冷徹なものだったようです。
まず罪人ですから、他の僧との同室・接触はありえません。かといって個別に庫裏を与えられたわけでもありません。勿論寺院に罪人を閉じ込めておく牢獄などはありません。しかし各種文章では等しく監視人に見守られての『幽閉』という言葉を使っています。
では、どのような場所に冷たく幽閉していたのでしょうか。
物置小屋にも似た薄汚れた荒れ果てた場所で、床はレンガで敷かれて凸凹であり、バナナの葉とかマームイからなっていました。そこには、座るに坐布団はなく、痰壷、水差しもなく、寝所もなく、茣蓙すらありませんでした。
ちなみに、このマームイ(冒頭の写真参照)という食物が特別に記されているのは、これはマメ科の植物で、辞書に寄れば蔓性のハッショウ豆だそうですが、地元の人の話しでは、莢に羽毛があり、それに触れるととても痒くて、子供たちはそれを悪戯に用いるそうです。
その場所が決して居心地の良くなかったことを表しているのでしょう。
そんな師を尚更に蔑むかのように、一人の男性が茣蓙と汗と垢で汚れた布を持ってきて床に敷き、監視人たちは普通の人は決して使わないであろうと思われる水差し、痰壷を持って来ました。
正に囚人というに相応しい扱いでした。
太陽が昇るとそこは灼熱の光に晒されましたが、クルーバー・シーウィチャイは逃げることもなく、又逃げるべき場所もありませんでした。それでも捨てる神あれば拾う神あり、の諺にも似て、ここに一人の男性が現れました。
ナイト・バザールの北の端、ターペー通りとの交差点右にウッパクット寺院(WAD UPAKHUT)と呼ばれる一つの寺院があります。その交差点を渡った北角、そこには当代一ともいえるほどに財を誇った商人がいました。その名をスンヒー・チュアヨンセン(SUNHII CHUAYONGSENG)という中国人ですが、勅許を得てルアン・アヌサーンスントーン(LUANG ANUSAARSUNTHOOR)となって爵位を頂いていたようです。商売に励んで富を蓄える彼は、勤勉であるだけではなく、倹約家でもあり、僧侶といえども無闇に寄進をすることはなく、世俗の欲望を絶っていると思われる僧にのみ援助を惜しみませんでした。
その彼が、罪なくして幽閉され、苦難の境遇に陥ったクルーバー・シーウィチャイを知ると、白い布を幾枚も縫い合わせて灼熱の光を遮るカーテンとして日陰を作って寄進しました。続いて寝具、食器など四依を取り揃え、当時パヤー・カム(PHAYAA KHAM)という爵位をもっている地元民貴族、幾人もの言葉は違っても同じ宗教を信じる外国人を誘い合わせて師を援助しました。
ここでいう外国人とはビルマ人でしょうか?中国人でしょうか?チエンマイに最初に足を踏み入れたアメリカ人といわれる宣教師のマッキンヴァーリー博士は、これより前仏暦2454年(西暦1911年)8月22日に亡くなっており、妻でありバンコク生まれのソフィアが健在であったとは思いますが、宣教師の他に白人はいなかったのではないでしょうか。
ならば『同じ宗教を信じる外国人』とはアメリカ人ではなかったはずです。
華人は、その頃には今ほど多数が現地化するまでに至らないとはいえ、既に入り込んでいたでしょうし、ビルマ人はチエンマイ解放時に殆どが逃走してしまうか、殺されています。それでも残った人もいたでしょうが、彼らは既に現地化して社会に混じり込んでいた筈です。
もしも現地化できない外国人仏教徒がビルマ人であるならば、ビルマから北部タイに豊富なチーク材伐採権を求めて英国人がチエンマイにやって来ていますので、彼らに随行して住み着いたビルマ人かもしれません。
かくして地元富豪たちの援護を受けるようになると、師の噂は急速に広がり、またしても日々数百人の善男善女が説法を聞きに、寄進に、拝礼にやってくるようになりました。中には、山の異教徒たち、街の愚連隊まで師の徳に引き寄せられるかのように集まってきました。
そこで、シードーンチャイ寺院側では、師の元にやってくる信者の数を制限することを考え、食事の寄進を持ってくるものだけに限りました。それであれば、少なくとも朝方の一時的な混乱現象に過ぎないでしょう。しかし、信者は到底それで満足するはずもありません、食事以外にも僧衣、坐布団その他様々な日用物を寄進にやってきました。
愚連隊などは師の横にいて、寄進の物を食し、寄進の品を貰っていたかもしれません。そんな信者、愚連隊、山の民に対抗するかのように、クルーバー・シーウィチャイと接触することを制限する為に、参拝の人たちに寺院の門前で記帳させ、氏名を記した者は後ほどお上よりお咎めがあるであろう、と脅しました。
押し寄せる信者の群れを例えて、伝承は、甘い蜜を求めて来るミツバチの群れとも、甘い蜂蜜に群がる赤蟻の群れとも例え、一方の守備側の小僧と役人は洪水を堰き止める二人の土嚢担ぎにも等しい、と例えています。
市内の富豪、商人の寄り合いでは人種、言語を問わずクルーバー・シーウィチャイの話題で持ちきりです。師のもとに参拝に訪れる信徒の数は増えることはあっても減ることはありません。
刻々と時間だけが過ぎていく中で、クルーバー・シーウィチャイがシードーンチャイ寺院に幽閉されて三月が経過しても、僧団では師の咎を見出すことが出来ず、クルーバー・シーウィチャイの処遇に窮しました。罪人として厳しく取り扱わなければなりませんが、信徒たちはそうした寺院側の思惑など関係なしに日毎多数集まってきます。
それは、あのラムプーンの山寺バーンパーン寺院の様子の再現でした。しかし、チエンマイでは街の名士、富豪、爵位を持つ貴族までが援助しています。
そうなると、シードーンチャイ寺院の住職は、信者たちがその数を恃んでクルーバー・シーウィチャイを奪い取るのではないか、そんな危惧を抱きました。あのラムプーンの自治区僧団長、県僧団長、郡長達と同じ妄想に取り付かれたようでした。
そして、困難を極めた果てに、住職が取った処置は、あのラムプーンの王と変わるものではありませんでした。ただ、この時にはチエンマイの王チャウ・ケーウナワラットは表に出てきていませんから、王自身がクルーバー・シーウィチャイに密かに帰依していたのかもしれません。
兎も角、チエンマイの僧団では、クルーバー・シーウィチャイに八つもの罪状を着せて、バンコクの僧団に訴え出て処分を任せました。
その罪状を列記すると次のようになります。
1. クルーバー・シーウィチャイは、許可証も無くして得度僧、小僧の出家を認めた、これ偽りの出家であり僧団管理法に触れます。
2. クルーバー・シーウィチャイは、所属するバーンパーン寺院の監督僧であるリー自治区僧団長の指示に従いません。
3. リー郡長及びリー自治区僧団長が、僧団管理法周知徹底の為に集会を各寺院に呼掛け、全ての寺院が参加したにも拘らず、バーンパーン寺院のクルーバー・シーウィチャイのみ参加しませんでした。
4. 国王の即位式に際し、リー自治区僧団長が提灯を吊るし、鉦・太鼓を叩いて奉祝するよう支持したにも拘らず、クルーバー・シーウィチャイは従いませんでした。
5. クルーバー・シーウィチャイは、自らを神人であるかの如く吹聴して、例えリー自治区僧団長がクルーバー・シーウィチャイに懇願してもリー自治区僧団長の命に服さないよう他寺院の僧を唆しています。
6. 役所にてリー自治区僧団長に管轄下の寺院の名簿作成を指示させたにも拘らず、バーンパーン寺院のクルーバー・シーウィチャイのみが従いませんでした。
7. リー自治区僧団長が代わり、新たに集会を開いても、管轄下の寺院の多くがクルーバー・シーウィチャイの指示によって参加しませんでした。
8. クルーバー・シーウィチャイは自らを神人と称し、神の生まれ変わりであり、天井の黄金造りの太刀を持ち、天を祀り、雨中を歩いても濡れず、地上1メートルを歩行し、水面を何の苦もなく歩くことが出来る、などと吹聴して多くの信者を集めています。
既にどの項もラムプーンにおいて疑いが晴れたものばかりです。
この訴状の中で最も怖いのは最後に出ている点ですが、この八つの罪状は、『埋もれたラーンナーの地下を開く』では、1.雨中を歩いても濡れず、2.帝釈天及び、四天王より太刀を戴き、3.地上1メートルを歩行し、4.偽りの得度出家の儀式を執り行い、 5. 新王即位時に奉祝行事をなさず、6.リー郡僧団長の指示に従わず、7.自治区僧団にて集会を開いても参加せず、8.水上を歩行する、の八か条としています。
こうまでしてでも、何とかしてクルーバー・シーウィチャイを寺院から外に出したかったのでしょうか。

(続)

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千葉日体 さん

コメントありがとうございます。
仏教国といわれるタイも実は、歴史を紐解けばこうしたことが出てくるのですね。しかも、ここには政治が大きく影響しています(これは言代替社会の歴史に関わることで深入りすることは危険ですからできるだけ避けていますが)。宗教という妥協できない人間に権力が妥協を強いているのが実相でしょうね。

2009/11/7(土) 午前 11:07 [ mana ]

NONさん

コメントありがとうございます。
権力者にとって恐ろしいか・・・見方によれば恐るべき存在ですね。ただ、師は自分のそうした影響力について全く無頓着です。ですから余計に権力者は恐れたのでしょうね。そして、これはある意味バンコクとラーンナーの形を変えた戦いでもあります。この点に深入りすると・・・

2009/11/7(土) 午前 11:09 [ mana ]

ジョウジ さん

コメントありがとうございます。
仏門修行というのは大変に厳しいものですね。何十年も前にNHKは曹洞宗の道場を取材放映していますが、そこには道元禅師の教えを厳格に守って外の世界を知らない生活が続きます。ところが世俗の生活に慣れ、飽食し、若い女性たちの姿を見て目の保養する、彼女たちと楽しい会話を日々繰り広げ、信者より寄進された資財を集めて喜ぶことを覚えると、二度と元の修行時代には戻れないのではないでしょうか。ところがそうした修行を淡々と繰り広げて見せる仲間が出てくると、自らの怠慢を非難されているように感じた挙句に嫉妬心が讒言を生むことになるのだと思います。
ちょうど、差彫りを覚えて遊ぶ社員が真面目に働く仲間を落とし入れようと陰口を利くのに似ています。
○○と小人養い難し・・・・でしょうか。

2009/11/7(土) 午前 11:23 [ mana ]

柚ぽん瑠璃珊瑚晴パパ さん

コメントありがとうございます。
仰る通り朱に交わってしまえば大勢の中のひとりで目立たず平穏無事でしょうね。楽な道を選ぶことは簡単ですが、それでは所期の目的を達せられませんよね。
艱難汝を玉にす・・・でしょうか。信じた道を進むことは辛く厳しい道ですね。

2009/11/7(土) 午前 11:23 [ mana ]

清きものに正論の武装をさせると怖いものはありませんが、兎角権力者はそのようなものを好みません。何かと理不尽に扱われるものですが・・・見る人が見れば、解ることなのですよね。協力者も自然と出てきます。いつの世も正義がいつも勝てばいいのですが・・・
そうばかりではないことが悲しいですね。

2009/11/7(土) 午後 2:35 cocoa

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こんにちは!
政治も宗教もある意味、変わらないですね。でも組織の中でも同様の事が発生しており、この話題もわが社にありそうな面があります。

2009/11/7(土) 午後 3:45 [ keiwaxx ]

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すごい影響力がある人ですね
毅然としているからなのか分かりませんが 自分もそうなりたいです
無理ですが・・・・死ぬまでに足元くらいにはなりたい!!

2009/11/7(土) 午後 5:15 [ 道後 ]

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疑心暗鬼です。
こういうことは罪状で処分しようが無駄なことです。
信じる者の団結をより強くするだけでしょう。
認めて融和すればいいのですが、日本のように・・・

傑作

2009/11/7(土) 午後 5:16 保守の会会長 松山昭彦

cocoa さん

コメントありがとうございます。
一切の欲望を捨て、教えられた釈尊の教えを只管進む以外に一切の感情を制御することが出来たのでしょうね。ですから競争も議論も戦いも必要がなかったのではないでしょうか。自分と必死に戦っている人に対して他者からの挑戦は無意味でしょうね。暖簾に腕押し、時の権力者はそうした苛立ちを覚えたのではないでしょうか。それが敵意に変わったのだと思います。

2009/11/7(土) 午後 7:46 [ mana ]

keiwaxx さん

コメントありがとうございます。
宗教とか政治とかに関係なく、組織という点で見れば、会社にもこうしたことはありえると思います。真剣に会社全体の事を考えて自分の任務、与えられた業務に打ち込む人、全力を尽くすことなくその場しのぎで仕事をする人、何かと言い訳を考えるのは上手ですが、仕事はしているようで実際にはしていない人、そして、口煩い人は案外実際には仕事をいうほどにはしていないのかもしれません。それにも増して、中には告げ口、陰口を得意とする人がどこの組織にもいると思いますが、そうした人も実は苦しんでいるのだと思います。

2009/11/7(土) 午後 7:54 [ mana ]

水大使 さん

コメントありがとうございます。
多分、釈尊の教えを守り、釈尊の足跡を歩むことには命を賭けていますが、それ以外のことは全て枝葉末節であり意に介していなかったのだと思います。そして、釈尊の教えに従って進む師の行き方の根底にあったのは『慈悲』の心ではなかったでしょうか。常人には言う事は出来ても実行し難いことを師は淡々としていたのでしょうね。
ただ、ここまで感情を制御できれば、喜怒哀楽の感情はなく、好悪もなく、幸不幸もなかったかもしれません。悟りの境地に達したといえるかもしれませんね。

2009/11/7(土) 午後 8:08 [ mana ]

さくらの花びら さん

こめんとありがとうございます。
正に仰る通り、疑心暗鬼がこうした事態を生み出しました。
僧団長たちは、師の教え、考えについて話し合うことをしなかったことがこれまで事態を紛糾させることになりました。仏弟子という同じ土俵に立つならば、共通項があるはずです。その共通項を確認して伸ばすべきところを、枝葉末節を論い、ありもしない罪状を数え上げていったのです。
疑心暗鬼、嫉妬、羨望ほど恐ろしいものはないですね。
事実を見極める冷静な心の必要性と、理由のない非難の不当性を教えられます。

2009/11/7(土) 午後 8:15 [ mana ]

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はじめまして組織と個の共存が難しいですね。傑作

2009/11/8(日) 午前 3:22 あるく

あるく さん

いらっしゃい。
コメント&傑作ありがとうございます。
組織と個、個はある共通の目的、目標を持って組織となりましたが、組織になった途端に独自の意思を持つようになります。組織が個を支配しようという働きを持ち始めると、組織は徐々に本来の個が持っていた目的とは異なるものに変わりつつあるのかもしれません。そんな組織の意思が巨大になると、本来の主体であるこの目標をそのまま邁進しようとする純粋な個が異端に見えます。
そうした個と組織との関係と見ることも出来ます。
これからも宜しくお願いします。

2009/11/8(日) 午前 6:15 [ mana ]

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宗教上のリーダーと、権力者の関係というか、付き合いは難しいですよね。
キリシタン大名のように、そちら側に入ってしまう場合もあるでしょうが、多くは弾圧で対処しますから・・・
こればかりは、世界共通ですね・・・

2009/11/8(日) 午後 3:25 株式会社セロリの管理人

株式会社セロリの管理人 さん

コメントありがとうございます。
ただ、クルーバー・シーウィチャイの場合は、国としても最大限の保護を与えている仏教の出家修行者です。ですから国家権力が圧力を掛けるということがおかしいのですが、時代背景として考えることは、当時チエンマイ初めラムプーンでも各地地方都市でも旧来の王国がそのまま維持されていましたが、この頃、バンコクの王朝がそれらの王国の王の権力を全て無にしようとしていた時期に重なり、当時の王チャウ・ケーウナワラットがチエンマイ王家の王としてチエンマイに絶対権を持つ最後の王となります。変わってバンコク王朝より派遣される官僚が当地します。そうした地方飲み込みの過程での出来事です。そして、地方飲み込みは政治だけではなく社会の重要な要因である宗教にまで及んできて、旧来から続くラーンナーの仏教を政治の力で屈服させようとしたものです。しかし、宗教家が修行実践以外の俗世に対する一切の関心を失っていれば誰も如何ともすることができないですね。

2009/11/8(日) 午後 4:33 [ mana ]

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シーウィチャイの力がいかほどのものかは現実的な尺度としては理解のしようもないです。しかしながら人間としての「徳」が周りの人に影響を与えるのではないでしょか。つまりいかなる逆境にあっても「ぶれない」態度が人々の心を動かしたのかも知れないですね。現在でも言えることでしょうが自分の中に確固たるコンパスを持ちそれにいつでも従うということは言うは簡単ですが行うは難しです。でも彼はそれができたのでしょうね、それが信仰でしょうか。

2009/11/8(日) 午後 9:43 亜鉛右近

上でコメントされていた「疑心暗鬼、嫉妬、羨望ほど恐ろしいものはない」まさにそれが人の心の一つでしょう。
その卑しい心に対処するために道理や理性があるのでしょうが。
@デバイス

2009/11/8(日) 午後 10:30 [ デバイス ]

aen*u*on99 さん

コメントありがとうございます。
仰る通りです。
自らの信じた道に絶対的な信念を持つこと、自分の決めたことに疑念を持たないこと、そして、信じたその道を愚直なまでに命を駆けて進むこと。言葉で人に教え諭すことは簡単です。しかし、師は言葉ではなく、自らの生き様でそれを教えたのです。釈尊の教えを守ることに命を賭け、そのために師の教えを守り、古より続く釈尊の御地を一瞬の脇目も振らず、一点の疑念も抱かず、世俗の罪より戒律に触れることを怖れる。僧はしばしば説法において五戒を授け、五回を守ることの意義を強調します。しかし、そんな説法より命を賭して法を守って見せた師の態度が信者を呼び込んでいったのでしょうね。
信仰とはそうしたもので、一面非常に恐ろしい面を持っているのは、そうした点があるからで、邪な考えを持つ宗教指導者は得てしてこうした盲従を信徒に強要します。

2009/11/9(月) 午前 5:33 [ mana ]

デバイス さん

コメントありがとうございます。
疑心暗鬼、嫉妬、羨望は人の心の中に住み着く悪魔、毒ですね。しかし、誰もそれを消し去ることが出来ずに心の中に持っていますが、常識が抑え、倫理、道徳が抑えています。そして、疑心暗鬼、嫉妬、羨望はある種本能的に全ての人間が持つ動物的要素かもしれませんが、道徳・倫理は人類が社会を形成した後に作り出した後天的なものであり、それは教えられなければなりません。そうした道徳、倫理を教えるのが家庭であり、社会であり、初級教育機関の役割でしょう。社会の乱れは、そうした道徳心の欠如が社会的現象として広がっている証左かもしれません。
とはいえ、道徳教育を受けてきても、倫理を十分に身に付けていても必ずしも嫉妬を抑えられるとは限りません。そこに人の努力が重なる必要性があるのだと思います。それが人間性でしょうか。

2009/11/9(月) 午前 5:42 [ mana ]


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