チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

シーウィチャイ伝

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チエンマイに招請

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クルーバー・シーウィチャイ伝(10)

8項目に渡る嫌疑を掛けられてバンコクに送られたクルーバー・シーウィチャイですが、嫌疑が晴れたばかりか、バンコク仏教界最高指導者からは賞賛の言葉すら掛けられ、バンコクに居を構えることも出来ました。しかし、望郷の念強く、帰郷すると、師の名声は、以前にも増して広まり、ラーンナーの地のみならず、国境を越えて聞こえていました。
クルーバー・シーウィチャイのこうした様々な事件の10年ほど後、仏暦2475年(西暦1932年)、タイに革命が起こりました。それは、正に革命というに相応しいもので、これによってラーマ王朝は一時終焉し、ラーマ七世は、タイ史上初異郷で生涯を終えることになりました。
その革命の直後、国内の動揺を鎮めることと、革命の目的を説明・理解を求ことを目的に革命を主導した人民党の重鎮二人がチエンマイに派遣されています。
その一人、プラヤー・スリヤーヌワット(PHRAYAA SURIYAANUWATR)は、仏暦2475年7月24日付の人民団議長(首相)のプラヤー・マノーパコーンニティターダ−(PHRAYAA MANOOPAKOORNNITITHAADAA)宛て報告書の中で次のように述べています。
『私の調べたところによれば、チエンマイにおいてはプラ・ラーチャチャーヤー・ター(PHRA RAACH CHAAYAA THAA )とチャウ・ケーウナワラット(CAU KEEW NAWARATH)は、人民の篤く信奉するところでありますが、チエンマイにおけるこうした王族にも増して重要な人物がおります。即ち、トゥ・チャウ・シリウィチャイ(TU CAU SIRIWICHAY)という名の僧正で・・・寺院の修復に他の何にも増して篤い熱意を注いでいます・・・このトゥ・チャウ・シリウィチャイこそ政府が心を込めて厚遇するべきで、もしも師の気に触るようなことがあれば、国にとって大きな問題となりうるでしょう・・・』
それほどまでに、師の一言一句が善良なラーンナーの人々を一瞬の躊躇いもなく動かすことが出来ることを中央政府に進言しているのです。
そのクルーバー・シーウィチャイは、今ではラーンナーだけではなく、タイ全国にその名を知られていますが、それは、ドーイステープ寺院への参道建設に絡めてで、タイの誰もがここに師の偉大さを求めます。そして参道の入り口に師の立像を建立してその遺徳を偲んでいます。
しかし、参道建設は、師のなした様々な事業の中の一つに過ぎなかったのです。師の偉大さはむしろ廃墟となった寺院の復旧、朽ち果てた仏閣の修復に並々ならぬ情熱を注ぎ、再建、復旧させたことにあります。
バンコクで様々な嫌疑が晴れて、チエンマイに帰り、そしてラムプーンのチエンヤン寺院に逗留していましたが、すぐに師の寺院再建復旧の業績が始まります。
まず手始めに取り掛かったのは、隣県ラムパーンのプラタート・ドーイクーケーウ(PHRA THAATU DOOY KUU KEEW)で、これに要した費用は、60ルピアで、ラムパーンの寺院修復を終えてラムプーンに帰って来たのは仏暦2462年の2月(西暦1919年11月)のことであったといいます。
ラムプーンに帰って来ると、休む間もなく、ハリプンチャイ寺院の修復に取り掛かり半年の間に次々と堂の建立修復を手がけました。
まず、仏堂(WIHAAR PHRA PHUTHTH)、次いでタンチャイ堂(WIHAAR THANCAI)、ラウォー堂(WIHAAR LAWOO)、マハー・カッチャーイ堂(WIHAAR MAHAA KACCAAYN)、アッターロット仏堂(WIHAAR PHRA CAU ATTHAAROS)を建立し、その後大堂前を修復しました。
この時のハリプンチャイ寺院の修復に要した費用は、合計27,619ルピアであったと伝承は伝えています。
ここでいうルピアとは、インド貨幣のルピー(RUPEE)に他なりません。ここで使われている貨幣がバーツでもなく、古代のラーンナーの貨幣ビア(BIA)でもなく、インド貨幣のルピーであるところに、当時チエンマイの置かれている政治状況の複雑さを推察することが出来ます。
即ち、インドのルピーがどうしてそのまま遥かに離れたチエンマイの地で使われていたのでしょうか。
当時20世紀初め、大正時代から昭和の初めは、アジア各国は西洋列国の植民地の地位に落ちていました。この当時のタイは、インドから東に向ってくる英国と、ベトナムから西に向ってくるフランスの間に挟まれ、何とか緩衝地帯的に独立を保っていました。しかし、その列強植民地時代に作られた列強の気ままな国境の線引き、即ち、領土奪取の爪跡が今もタイとカンボジアの国境紛争の一因となってるのです。
今に伝わる当時の1ルピー・コインの周囲には VICTORIA EMPRESS と刻まれ、面にはヴィクトリア女王の肖像が刻まれ、裏にはONE RUPEE, INDIA, 1885 と3行に分かれて刻まれています。そして、今ひとつの種類のルピーには、ジョージ5世の肖像が刻まれ、コインの周囲にはGEORGE KING EMPEROR と刻まれ、年号が 1917 となっているところが異なっています。
こうしたインドのコインがそのまま当時のチエンマイに入っていたばかりでなく、通貨として通用していたのです。これは、英国がインドのコインを次の占領地ビルマにおいても使用していた為です。英国は、ビルマを占領すると、豊富な森林資源を求めて森を伐採して行きます。そしてラーンナーの地にやってくるのです。
ラーンナーの地にやってきた英国人は、同時に多数のビルマ人人夫を伴って来ました。そして、ビルマ人がインド・ルピーをもたらし、英国は同じようにして商品をもたらしました。そして、こうした交易においてはルピーが多く用いられる様になり、特に地元民の間でも高額なものの取引にはインド・ルピーを使用していたようです。
伝承の伝えるところでは、1ルピーの価値は、0.8バーツに相当したそうですが、500ルピーを有していれば富豪であったといわれています。そして、ルピーの普及はかなり後まで続いた様で終戦直後の1946年のクルーバー・シーウィチャイの葬儀に際してもなおルピーを寄進する人がいたようです。
このルピーは、単にラーンナーの地のみならずタイ東北部にまで及んでいたといいますから、英国人はナーン、プレーを超えて東北部にまで森林資源を求めて足を踏み入れていたのかもしれません。とすると彼らとフランスの権益が衝突するのも時間の問題であったのかもしれません。
この衝突の前に日本が両植民地国を東南アジアはもとよりインドからも追い払ったことはよく知られているとおりです。
この500ルピーあれば富豪といわれる時に、クルーバー・シーウィチャイは、わずか半年の間に27,619ルピーの建設費用の寄進を受けていたのです。驚くべき寄進といわなければなりませんが、このことは、師の評判は一部の人ではなく、広く各階層から信者を集めていたことを表しています。
翌年には、6月にドーイカーン(DOOYKAANG)を建立し、一度ラムプーンに帰って着て安吾を迎えましたが、安吾が明けると再びバーンポーンに向かい、10日近くに渡って奉祝行事をもちましたが、これに要した費用は16、934ルピーでした。
その後もカレン族に招請されれば受けて法を説き、そこに仏塔を建立し、パヤウに行ってシーソーダーカム寺院(WAD SRIISOODAAKHAM)の御堂を建立し、更には、チエンマイのパーデーン寺院(WAD PAADEENG)の宝物殿建立の手配をして寄進をしました。
休息を恐れるかのように次々と寺院修復にラーンナーの各地を駆け巡ります。再びパヤウに向った師は、更に大工事を始めます。
どこまで書いても止まるところがありませんが、師の人生はこうした寺院の修復建立に費やされ、その費用の一切を信者が自発的に供出しました。財ある者は財を、スコップある者はスコップを、鍬ある者は鍬を、誰もが手弁当で完全なる奉仕作業に喜びすら感じていました。
そうした師をじっと見ている王がいました。仏暦2466年(西暦1923年)、チエンマイ王朝最後の王、第九代目のチャウ・ケーウナワラットが当時師の逗留しているパヤウに向かい、チエンマイのプラッシン寺院(WAD PHRASINGH)の修復を依頼したのです。
パヤウに行くには、当時としては大変な旅です。チエンマイから南にラムプーンに向かい、更に東に向ってラムパーンに行き、そして、次には北に上がって行かなければなりません。何日もの野営の旅にも拘らず、チャウ・ケーウナワラットは、御自ら王族、近習を伴って招請の旅に向かったのです。
そして、招請を受け入れた師は、チエンマイにやってくることになったのです。

(続)
                           ฟ้อนผางประทีป
                   http://www.youtube.com/watch?v=nNoJoCNPsJQ

上記のURLの動画は、タイ北部の踊りで「灯明踊り」とも言えるもので「フォーン・パーン・プラティープ」といいます。本来は男性の踊りで、仏を供養するものですが、チエンマイ芸術学校の校長先生が、女性用に手を加えたものです。この踊りの原型は、タイ・ルー族の踊りで、服装にタイ・ルー族の名残を止めています。

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それ程の寄進は、氏の人徳・無欲、氏への信頼の証でしょう。
いよいよチェンマイ訪問ですね。楽しみです。

2009/11/16(月) 午前 11:11 kitaguniharuo

keiwaxx さん

コメントありがとうございます。
自分の努めに絶対の自信を持ち、脇目も振らずに突き進んでいく。仕事でも自信なく進めていけばどこかで間違いを犯すかもしれませんが、十分な準備の上で自信を持って臨めば困難も解決できるのではないでしょうか。師の行動は、そうした準備と遂行、昔のP,D,Cを思い出させてくれます。

2009/11/16(月) 午後 3:08 [ mana ]

午前 10:09 の内緒さん

ご訪問&傑作感謝致します。
これからも宜しくお願いします。

2009/11/16(月) 午後 3:09 [ mana ]

北国春男 さん

コメントありがとうございます。
一日一食の菜食主義を貫き、曜日によっては摂取を禁じる果物まで自分に課し、227の戒律を厳しく守りながら、寺院修復に奔走し、しかも一切の私欲を持たない。そこに真っ白な清浄な行いを周りのものが見つめるのでしょう。そして何事もないかのように常人のなしえないことをしてしかも自己顕示も宣伝もない。神々しいまでの聖者の姿があるように想います。
昔の日本の名僧と言われる僧たちにもこうした神々しさが漂っていたのだと想います。
チエンマイに来ることになりましたが、これから師のなした業績が華々しく世に喧伝されることになるのですが、師は決してそれを臨んではいなかったでしょう。。

2009/11/16(月) 午後 3:26 [ mana ]

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日本が追っ払った、というのは爽快ですね。

人民党の重鎮が一目置いたというほど相当なご威光です。
これほどの方がいらっしゃったとは誇りですね。

傑作

2009/11/16(月) 午後 5:10 保守の会会長 松山昭彦

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師が何か名声や物的な何かを求めていたわけではなく、ただただ・・・
己の道をただただ邁進しただけなのかもしれませんね。

2009/11/16(月) 午後 7:55 ジョウジ

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業績を金銭に置き換えるのはよくないことかも知れませんが500ルピーで富豪と基準を置いたら凄くわかりやすいですね。多くの人たちの心を動かすことができるものを持っていた証拠でしょうね。凄いことですね、いまのように伝達手段が豊富でもない時ですから空前絶後の指導力というよりも崇拝に足りるものをもっていたのでしょうね。

2009/11/16(月) 午後 7:58 亜鉛右近

さくらの花びら さん

コメント&傑作ありがとうございます。
歴史は時に悪戯をするようですね。一人の僧侶の生涯を追って行くと偶然にも植民地主義者の影が映り、それを駆逐する正義の味方が現れる、不思議なものです。でも、こうした日本軍の動きが伝承に残らないのが不思議です。
英国はバンコクよりも北のチエンマイを押さえて森林資源を欲しがったのでしょうね。今も一部地域の豪壮な住宅街は当時のチーク商人の名残です。

2009/11/16(月) 午後 8:15 [ mana ]

ジョウジ さん

コメントありがとうございます。
お察しの通り、ただただ寺院の修復に生涯を賭けたようです。それはまるでものに憑かれたかのようで、只管そこに全精力を注いで行ったようです。しかし、そのために寄進を求めたことは一度もないようです。ただ修復を考え、完成頭を想像して意向を漏らすだけで信者から寄進が自然と湧き出してきたようです。それほどまでに恐ろしい影響力を持っていたようです。ですからそれをもしも政治的野心に向けたとすれば恐ろしいことです。ただ、そうした欲望を一切欠いていた事がチエンマイにとっても本人にとっても幸せだったのでしょう。

2009/11/16(月) 午後 8:20 [ mana ]

aen*u*on99 さん

コメントありがとうございます。
恐ろしいほどの寄進ですが、こうしたことは今もあります。有名な僧侶は多く法人組織を作ってそこに膨大な寄付金を貯めます。時としても問題となるのは、そうした寄進の金銭を私的に流用することが起こるためです。法人組織であれば、それを管理する人が必要で、それは通常在家信者です。ここに問題の発生源があります。いつの世でも僧侶に私心があると善意も報われないようですね。人の心を制御することは難しいようです。

2009/11/16(月) 午後 8:24 [ mana ]

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ねたむ方もいれば、共感して協力してくれる人もいて良かったって感じですね
いよいよ招請を受け入れてチエンマイ入りですね
その後どうなったのか興味津々です

2009/11/16(月) 午後 8:28 yuzupon

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コン ∧,,∧♪∧,,∧ ♪
_ ( ^ω^) (^ω^ )__ みにきたよ〜♪♪
|≡○-○≡○-○≡|
`┳(__)(__)(__)(__)━┳

2009/11/16(月) 午後 10:32 日帰り温泉とグルメ

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すごい人ですね!!
これほどの寄進はこれを集めるのが一番大変だというのに!!
すごいです

2009/11/17(火) 午前 0:52 [ 道後 ]

柚ぽん瑠璃珊瑚晴パパ さん

コメントありがとうございます。
世の中には優れた人物を妬む人がいるものですが、同時に支える人が出てくるのもまた良くあることですね。これは宗教界のみならず、どの業界にもあり、どこの国にもあり、そしてどの社会にもあることです。そうした妬み、嫉妬に押し潰される人もいれば、それに負けない強靭な精神の持ち主もいます。自分に自信さえ持っていれば、嫉妬にも負けないのかもしれませんが、自分に絶対の自信を持つことが難しいのが又現実ですね。

2009/11/17(火) 午前 6:48 [ mana ]

日帰り温泉とグルメ さん

いらっしゃいませ。ごゆっくりして行って下さい。

2009/11/17(火) 午前 6:49 [ mana ]

水大使 さん

コメントありがとうございます。
実際に当時の僧侶でこれほどの資材を短期間の内に集めることが出来る人はいなかったと思います。しかも、寄進を求めてはいないのですから驚きです。
釈尊の伝説で、ある日托鉢に出ましたが、誰も食事を寄進してくれる村人がいませんでした。そこで一瞬心の中で思ったそうです。村人は未だ自分が来たことを知らずにいるのかもしれない、もう一度この道を引き返そうか。しかし、次の瞬間、そうした考えを捨ててそのまま帰って行きました。結局釈尊はその日食べる物もなく、前日の朝より翌日の托鉢まで食もなく空腹に耐えねばなりませんでした。こうした無欲が祇園精舎という立派な僧舎を寄進する富豪を呼ぶのかもしれません。
ですから、あたしは寄進を推奨する宗教団体が嫌いです。

2009/11/17(火) 午前 7:16 [ mana ]

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追い払ったということは、結果オーライなのでしょうか。
日本軍の進出そのものは、果たして評価されているのでしょうか?
気になるところです。

2009/11/17(火) 午前 11:47 株式会社セロリの管理人

株式会社セロリの管理人 さん

コメントありがとうございます。
もしもあの時点のままで放置していれば、英国かラオスまで来ていたフランスかどちらかの支配下に入っていたことは確かでしょうね。それは、他のアジア諸国の運命を見れば明らかです。しかも、英国は、チエンマイ王家の最も血筋正しい王女を英国に連れて行こうとまでしていたといわれています。こうした事実を承知した上で判断しなければなりません。フランスは、従来タイが管理していた山の上の寺院を寺領(仏領カンボジア)に強引に組み入れたことが今のタイ・カムボジア国境紛争の原因のひとつです。
日本軍についてその非を述べることは容易いことで他国からは賞賛されるかもしれませんが、事実を正確に把握した上で論じなければなりませんし、この項では、そうした事の良し悪しを論じるつもりはありませんので、ご理解下さい。
ただし、西からの英国がすでに森林伐採権を半ば強引に奪い、ラオスまで来ていたフランスとぶつかるのは時間の問題であったと思われますが、勿論英国、フランスにてそうした意図が全くない、という資料があれば話は別です。

2009/11/17(火) 午後 2:43 [ mana ]

これらはもう百年以内の出来ごとなのですね。タイは植民地にならなかったといいますがそういう経緯があったとは知りませんでした。ましてその負の遺産が残っているとは。傑作

2009/11/17(火) 午後 8:42 千葉日台

千葉日台 さん

コメント&傑作ありがとうございます。
タイは一つではない、というのがあたしの持論です。幾つもの王国の集合体です。ラーンナーそのものが小さな王国の集合体で、各王国はチエンマイを指導者と仰いでいるのは、チエンマイに力がある時です、南部に行けばパッタニー王国というイスラム王国が従来からあり、それを併合して今のタイが出来ています。西は、川が国境となり、いわゆる国境紛争というのはありません(今のところ)が、東は河になっていません。これは、かつては現在のラオスであるラーンチャーン王国が川を跨いで国を形成しており、又一方下流では河を跨いでタイの勢力がクメール側に伸びていました。そうした陸上が境になりますから、力あるものが領地を拡張していくことになり、まず初めにフランスがタイ領を侵し、そして日本がタイに味方して取り返す。そして戦後カムボジアがフランス領を自領と主張して今の紛争となっています。そして、英国は、バンコクへではなく、北のラーンナーに森林資源既得権を求めてやってきます。これは植民地前の段階で、じわじわその影響力をます意図があるから自らの貨幣ルピーを流通させるのでしょう。

2009/11/18(水) 午前 5:30 [ mana ]


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