チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

シーウィチャイ伝

[ リスト ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

クルーバー・シーウィチャイ伝(12)

仏暦2474年(西暦1941年)、プラッシン寺院の修復大工事を終えたクルーバー・シーウィチャイをチエンマイの王チャウ・ケーウナワラットとチエンマイ王家の最も正統的血筋にあるともいえるダーラーラッサミー王女(CAU DAARAARASSAMII)がチエンマイの名刹スアンドーク寺院(WAD SUANDOOK)の修復工事に招請しますが、この寺院についてはいつか記す機会があると思いますので、ここではそれを省略します。
クルーバー・シーウィチャイについて記した手元にある「クルーバー・シーウィチャイ伝」はこうした寺院修復の数々を書き記しながら仏暦2472年(西暦1929年)で筆を置いています。
クルーバー・シーウィチャイの入滅は、ウィラック・シーパーサーン(WILAKS SRIIPAASAANG)の文によれば、仏暦2481年(西暦1938年)であり、この伝承が記されていない空白期に有名なドーイ・ステープ寺院への参道建設の偉業がなるのです。
ここで注目するべきことは、先にこのブログでも記しましたが、師の葬儀が行われたのは戦後の仏暦2489年(西暦1946年)のことです。これは「伝承」に基づいたものですが、これを記したプラ・ドゥアンディーインタサモー(PHRA DUANGDIIINTHASAMOO)師は仏暦2492年(西暦1949年)に入滅されていますので、クルーバー・シーウィチャイの葬儀にも立会い、その入滅についても承知している筈ですから、年代に間違いはないと思います。
即ち、師の遺体は8年間の永きに亘って保管されていたことになります。
ここでは、伝承に抜けているクルーバー・シーウィチャイの偉業の中から参道建設についてみてみます。
冒頭の写真が、ドーイステープ寺院の階段ですが、クルーバー・シーウィチャイ時代(山道開通直後?)と現代です。わずか80年ほどの間の変わりようです。こうした変化を可能にしたのは、寺院参拝に向う山道建設があったからでしょう。
クルーバー・シーウィチャイが様々な嫉妬による迫害にも拘らず益々信者を集めることに業を煮やした僧団長と郡長が何とか師を罪に陥れようとしていた矢先の仏暦2460年(西暦1917年)、時の西北部副総督(UPARAACH MONTHOL PHAYAPH)であったヴォウォーンデートダムロン王子(PHRA ONGKH VOWOORDDEEDAMRONGT)がドーイ・ステープ寺院への参詣の為の山道建設調査をしているようです。しかし、その時の調査の結果は、時の政府にとって実行不可能であることを数字を持って示していました。
即ち、その工事期間は少なくとも3年を下ることはなく、しかも、それに要するだろうとして見積もられた金額は200,000バーツを下るまい、というのでした。400バーツもあれば富豪と言われた時代の200,000バーツですから、それは当時の為政者にとっては天文学的数字に思えたことでしょう。
当然のこと、その計画はそれまでで顧みられることなく捨てられていました。
そんな巨大プロジェクトが再び浮き上がったのは、15年の時が流れた後のことでした。仏暦2475年(西暦193 2年)のタイの政変によって人民党が支配すると、重鎮二人がチエンマイ一北部各地の王に事情説明に回っていたことは既に触れた通りです。
この時、ルアン・シープラカート(LUANG SRIIPRAKAAS)が重鎮の一人であるルアン・タムロンナーワーサワット(LUANG THAMRONGNAAWAASAWASDI)をドーイステープに招待し、そこで一夜を過ごしています。勿論ホテルなどの商業宿泊施設などはなく、ルアン・シープラカートの個人的宿泊施設に逗留したようです。そこで、ルアン・タムロンナーワーサワットが言うには「ここには電気が来ていないが、あればよかろうものを」というものだったようです。
勿論それが実現するなどとは思いもよらなかったようですが、この話をルアン・シープラカートはこの話をクルーバー・シーウィチャイにしました。すると、師は3日の猶予を求めて即答を避けました。これは師が常にする返答で、決して安受け合いして即答したりすることなく、瞑想して事の是非、成就如何を心の中で想い測ったそうです。
3日の後、ルアン・シープラカートが得た返答は彼の気持ちを打ち壊すものだったようです。
「もしも電気を通そうとするだけであるならば、どうもかなり難しかろう、しかも未完に終わるようにも思えるが・・・」
というものでした。これは誰もが思う妥当な返答のようにも思えたでしょう。しかし、その次に続く師の言葉が彼を驚愕させました。
「・・・しかし、もしも自動車道を建設しようとするならば、むしろその方が易かろうよ・・・」
というのです。
クルーバー・シーウィチャイの言葉が一瞬信じられませんでした。小さな電信柱を建てて山の上に電気を通すことさえ、師は難しく、しかも失敗すると言いながら、逆に山道を建設すると言う大事業ならば、容易く、しかも必ず成功する、というのです。時のバンコク中央政府の威光を持ち、国内の全建設資材、十分な資金を持ってしても建設など考え付かない山道建設でした。
「何たることだ・・・」
ルアン・シープラカートは呆然としたと言います。余りにも信じがたく、受け入れ難いものでしたが、今一度師に再考して頂けないかと願い出ました。
「よかろう」
師は、ルアン・シープラカートが信じていないことを察していました。そこで更に10日の猶予を求めました。
「山道建設は成功間違いなしじゃ」
約束の日に耳にした師の言葉は前回と変わることはありませんでした。しかも、これに続く言葉を聞いてルアン・シープラカートは正に気を喪いそうになりました。
「しかも、必ずや半年以内に完成するであろう」
というのです。
気の遠くなるような予算と3年の期間を要するという十数年前の専門家の下調べを知っているルアン・シープラカートは、この計画を中止せざるを得ませんでした。何故なら、クルーバー・シーウィチャイは一介の出家僧に過ぎず、その身には一バーツの貨幣も持っていません。
師は、その位階も低く、只管に法を守り、修行を重ねることに専念し、位階を得ようなどともしない、師は「財力」もしくは「勲位」を有するいかなる人物を「動かし」てか成し遂げようというのか???そうした伝手を求めた様子もなし、それでいて、この山道建設が半年以内に完成すると言う。誰が信じられようか。
ルアン・シープラカートからすれば、どれほど師が確約しようとも信用できないままに、この話をチャウ・ケーウナワラットと、クルバー・シーウィチャイの右腕ともいえるセーンファーン寺院(WAD SEENFAANG)のクルーバー・テーム(KHRUUBAA THEEM)の所に持って行きました。
すると両名共に口を揃えて言いました。
「クルーバー・シーウィチャイには不思議な所があって、師が出来るといったことは必ず出来る。見てみなさい。プラッシン寺院といい、スアンドーク寺院と言い、どれほど大規模であってもやり遂げたではないか。違いますか」
「言われてみれば確かに・・・」
「ならば、あなたも師を助けて山道建設に取り掛かるが宜しかろう」
こうまで話されると、ルアン・シープラカートとしても自棄になったように「どうなろうと、乗りかかった船だ、行く所まで行くしかないか」と腹を括ったといいます。
その後、ルアン・シープラカートはバンコクの政府に対して緊急報告書を提出し、政府からは、専門技術者の派遣がありました。
かくして、仏暦2477年(西暦1934年)11月9日10:00の鍬入れが確定しました。しかし、これも11時という話もありますがどちらが正しいのでしょうか・・・
そんな師を温かく見つめている今一人のタイの歴史に残る名僧がいました。クルーバー・シーウィチャイをよく知るルアンプー・マン・プーリタット(LUANG PHUU MAN PHUURITHAT)師は、二人の愛弟子、ルアンプー・ウェーン・スチノー(LUANG PUU WEEN SUCINNOO)とルアンプー・カーウ・アナーラヨー(LUANG PUU KHAAW ANNLYOO)と共に、チエンマイの北、プラーウ郡にいて修行していました。
「どうか、師に加護ありますように・・・どうか今成さんとしていることが無事成就しますように・・・」
そんな願いが遠くから念じられていました。
この師の大事業は、こうした支えと共に、50000枚のチラシとなって北部各県に配られ、遠く国境を越えて話が広がりました。かくして多数の無給奉仕の信者が集まると、当初一人20メートルの作業範囲も半分になり、更に半分に成り、終には一人2メートルに過ぎなくなりました。下のURLの動画には、師の関わったラーンナーの名刹とチエンマイの王チャウ・ケーウナワラットの鍬入れの様子が映っています。
仏暦2478年4月30日、建設を始めて5ヶ月と22日、正に師の予見通り半年に満たずして全長11.530メートルの山道建設が完成しました。
この山道建設は、直後に続く苦難を前にした正にクルーバー・シーウィチャイの最晩年の偉業といえるかもしれません。

(続)

           クルーバー・シーウィチャイを支える人たちによる山道建設の動画
                 http://www.youtube.com/watch?v=ZGSPRyO6iZU
                  ドーイステープ寺院はここにあります↓
http://maps.google.com/maps?q=Chiang+Mai+Thailand&t=k&hl=en&ll=18.804715,98.921649&spn=0.004875,0.010729&om=1
                左手に見えるのは駐車場兼おみやげ物店です
                     寺院ご参詣はコチラから↓
                 http://www.youtube.com/watch?v=STbnYi-2urw
                 http://www.youtube.com/watch?v=Te7KyFfBE18
           下のURLは、寺院への参道を徒歩で上るチエンマイ大学新入生たちです。
                 http://www.youtube.com/watch?v=-v_T1VzvidU
                 http://www.youtube.com/watch?v=hr02hr4M8HE
                 http://www.youtube.com/watch?v=_u65pdnaag0
                 http://www.youtube.com/watch?v=t8J8Vzgpo6Q
                    タイ社会の一面をご覧下さい。

閉じる コメント(24)

千葉日台 さん

コメントありがとうございます。
この階段にたどり着くまでの密林を11キロ余り切開いて標高差約700メートルの曲がりくねった道を作り上げたのです。それが可能であると予見した師の眼力の凄さに驚嘆します。

2009/11/25(水) 午前 11:17 [ mana ]

keiwaxx さん

コメントありがとうございます。
仏暦は西暦に543を加えると算出できます。
この写真に見る階段は最近のものですが、ここに至る山道こそが師の偉業なんですね。
どうもブログの書き方が悪くて誤解されているようですが・・・

2009/11/25(水) 午前 11:23 [ mana ]

KEN さん

コメントありがとうございます。
どれほど高名になっても師は一銭の貨幣にも汚されていなかったのですね。伝承に出てくる「純粋無垢の人」という意味は単に肉食を避けて一日一食だけではなく、こうした身辺の清潔さにもあるのだと想います。
無垢、無私こそが人々の尊敬と信仰を集めるのでしょうね。

2009/11/25(水) 午前 11:26 [ mana ]

ジョウジ さん

コメントありがとうございます。
もしお時間があれば、航空写真を見てください。この曲がりくねった山中の道。標高差700メートル、この野獣の徘徊する密林を機械を使わず半年足らずの内に道とした、その偉業は日本の弘法大師の伝説に似ているかもしれません。

2009/11/25(水) 午前 11:29 [ mana ]

顔アイコン

これこそ偉業といえる大偉業です。
師はこの大事業を通してどのような教訓を残したのでしょうか。
信じて行なえば必ず叶うということでしょうか・・・。

傑作

2009/11/25(水) 午後 4:03 保守の会会長 松山昭彦

顔アイコン

全長11.530メートルの山道建設を半年とはすごいです
建機でしても一日100メートルが限度と聞きます
115日もかかりますのに人力でですよ!!

2009/11/25(水) 午後 5:35 [ 道後 ]

顔アイコン

千里の道も一歩から、というか、草の根運動が社会を動かしたというか。タイの偉業ですね〜投げない姿勢に尊敬です。

2009/11/25(水) 午後 6:15 株式会社セロリの管理人

さくらの花びら さん

コメントありがとうございます。
1.無私.無欲。
1.公の為。
1.誠意と裏表ない透明な心、
そして何より自分の信じた道をまき目も振らずに進む。
公の為に、私心なく命がけで平然と進むと鬼神も避けていくのではないでしょうか。
子供への教訓「正直の頭に神宿る」こうした教育勅語的教育を子供たちにしていかなければならないのでしょうか。

2009/11/25(水) 午後 7:27 [ mana ]

水大使 さん

コメントありがとうございます。
動画に見る通り、チエンマイの王、絶対的殺生与奪の権を持つ王すら自ら鍬入れする姿勢を示す。それほど師に対する絶対的な信仰心があったということでしょうか。そして、国王ですら及び腰になる大事業を平然と行いながら、生涯ついにその身に一銭の財も持ちませんでした。ここに師が「純粋無垢の人」と呼ばれる所以があるのかもしれません。賄賂・汚職などは師の理解の外、無縁のものだったのでしょう。それ故に、弟子の中からの一人の無欲の偉人が出てきます。そして、この文章の中に出てくる、遠くにいて師の成功を祈るルアンプー・マンは、今も歴史に残る行者僧として最高位に位置付けられる名僧の一人で、その弟子二人もまた伝説の名僧です。
名僧よく名僧を知る、でしょうか。
汚れた世の中に咲く一輪の蓮の花でしょうか。

2009/11/25(水) 午後 7:38 [ mana ]

株式会社セロリの管理人 さん

コメントありがとうございます。
仰る通り、千里の道も一歩から。皆が一つの目的に向って力を合わせ、苦労を分かち合って厭わず邁進する。一歩進んだだけ、残りが減っていくことを理解して、必ず成就する、という信念と自信を持ち、協力しながら自らの務めを懸命に果たしていく。一人一人の力は小さくてもこの山道には一日約5000人の名もなき市民が参加しています。名もなき人たちは、師を助けて山道を切開いた、この成功による自信と喜びは、如何なる表彰状よりも価値あるのではないでしょうか。困難を克服し、障害を乗り越えて目的を達成した時に感じる喜びは、懸命に努力した人しか味わうことが出来ない美酒の味だと思います。

2009/11/25(水) 午後 7:44 [ mana ]

顔アイコン

こんばんは 凄いですね。どんな技術力なんだろう?素晴しいと思います 傑作です。

2009/11/25(水) 午後 8:16 [ wasyou ]

wasyo さん

コメント&傑作ありがとうございます。
素人作業員の集まりが平均毎日5000人いたと言います。素人が夫々、木を伐り、根を掘り起こし、大地を削り、馬鹿の様に下を向いて掘り進んで行ったのでしょうね。ただ一人の和尚さんの為に、遠く離れたところから何日も野宿を重ねながら無給の過酷な作業に進んでやってきた人たちを支えるのは、直向な信仰心と無私の奉仕の精神です。こうした無私、滅私奉公的な奉仕の精神に立ち向かう時、機械は愚かな道具にしか過ぎないのかもしれません。

2009/11/25(水) 午後 9:18 [ mana ]

顔アイコン

見習いたい話でした。
後世に伝えるべき事だと思います。

2009/11/25(水) 午後 10:25 Non

顔アイコン

凄い大事業ですね
それを無事終わらせ、その時師は何を思われたんでしょうか?
それにしても素敵な寺院への登り口ですね

2009/11/25(水) 午後 11:13 yuzupon

NONさん

コメントありがとうございます。
これこそ正に無私の奉公ですね。
無欲な人間が少なくなった現代、ますます師の姿に頭が下がりますね。

2009/11/26(木) 午前 5:36 [ mana ]

柚ぽん瑠璃珊瑚晴パパ さん

コメントありがとうございます。
さしたる感慨もなかったかもしれません。師にとって何かをなして社会に尽くすこと、釈尊の教えを広めることに繋がる事ならば、どんなことでも淡々となしたでしょうから。
こうした無私・無欲の人の話から現代に生きる人たちが学ぶことがあると思います。人を貶めることに汲々とする人、悪事を隠すことにすることに奔走する人、翼を持って項を蝕む人、歴史に名を残すにしても賞賛されるか蔑まれるか、生き方の違いですね。旧い言葉ですが滅私奉公ということを心に刻んだ少し前までの日本人の姿とこのクルーバー・シーウィチャイの姿がどこか重なるように思います。
そして、一大事業を成し遂げた師を待っていたのは・・・またもや嫉妬でした。どこか日本の姿に似ていませんか。

2009/11/26(木) 午前 5:45 [ mana ]

戦争中よく途上国のタイでかくも大規模な工事ができたものですね。驚きました。

2009/11/26(木) 午前 7:24 [ 彩帆好男 ]

サイパンはカナダより魅力的 さん

コメントありがとうございます。
この時期、タイ北部は空白地だったようです。西洋列強は植民地拡大よりも維持に懸命だったでしょうし、何より、今もそうしたところがありますが、北部タイの人々はバンコクの政情に疎いです。バンコクでクーデターが発生しても、どこか別世界の出来事のようにみています。そうしたことが北部タイ独立を夢見る愚か者を作り出してタイ全国を掻き乱し、首相暗殺計画さえ噂されるようになるのですね。
地元住民は非常に大人しく、時に野性的でもありますが、篤い宗教心に彩られた昔ながらの性格です。ですから、外の世界で何が起きていても、彼らの日常生活はさして変わることがないですから、世界のことなど殆ど知らないままに過ごしたでしょう。まして国家予算を使っていませんから余計バンコクのこと等関係なかったと思います。

2009/11/26(木) 午前 8:31 [ mana ]

顔アイコン

クルーバー・シーウィチャイ氏でなければ、成し遂げられなかったでしょう。国や人智を超越した存在です。

2009/11/26(木) 午後 8:17 kitaguniharuo

北国春男 さん

コメントありがとうございます。
幅広い多数の人々の信仰を集める師ゆえになし遂げることが出来た大事業だと思います。こうした篤い宗教心は平常時には想像もし得ないほどのエネルギーを生み出すのかもしれません。

2009/11/27(金) 午前 5:48 [ mana ]


.
mana
mana
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(37)
  • 翠はるかに
  • 千葉日台
  • 代表者
  • 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化
  • 小窪兼新
  • はたやん
友だち一覧
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事