チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

シーウィチャイ伝

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聖者は眠る

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クルーバー・シーウィチャイ伝(13)

仏暦2478年(西暦1935年)4月30日、無事ドーイステープ寺院に向う山道を建設し終え、開通式も挙行されました。公的補助を一切受けず、信仰心だけを頼りに一日平均5000人に上る信者たちの勤労奉仕と多数の人々からの資材提供で半年足らずの内に、野獣徘徊する山の上の寺院に向う道が完成しました。
とはいえ、決して波風立たない工事期間ではなかったようです。
様々な階層、民族の信者が集まっての大工事の傍ら、チエンマイ県内10地区50カ寺の僧たちがクルーバー・シーウィチャイの下に入りたいと従来の管理体系からの離脱を求め初めました。しかも、そうした僧たちの動きは、チエンマイ県内に止まらず他県にも飛び火し、翌年には90カ寺にまで及んだといわれています。
クルーバー・シーウィチャイの与り知らない所で巻き起こる僧界の激しい渦は、当然の如く管理僧たちに動揺を与えました。
こうした中、うねりの高まりを恐れる管理者側は、そうした動きの中断を狙ってクルーバー・シーウィチャイを再びバンコクに送りました。師は、再び大理石寺院とも日本語で呼ばれる、ベーンチャマボピット寺院で時を過ごすことになりましたが、この間、チエンマイにおいては、クルーバー・シーウィチャイへ傾いた僧たちを強制的に元に戻し、クルーバー・シーウィチャイが出家させた僧たちに還俗命令を出しました。
こうしたクルーバー・シーウィチャイに対する迫害にも似た対応は、師に心を寄せる僧たちのみならず、在家信者たちに大いなる不満の火を点させることとなり、険悪な様相させ呈していたようです。
バンコクに止まるること半年あまり、クルーバー・シーウィチャイは帰郷を許されましたが、それに先立ち、クルーバー・シーウィチャイの元を訪れたルアン・シープラカートは、仏暦2479年(西暦1936年)、ソンクラーンという名のタイのお正月が明けた4月21日に膝を交えて話し、宗教法の規定に従って行動するということを誓わせていました。
こうして故郷ラムプーンに帰ってくることになりました。
特に仏暦2479年(西暦1936年)5月13日のことでした。
ルアン・シープラカートがこうして師と話し、師に対して宗教法の規定に従うことを認めさせねばならなかった背景にあるのは、当時の政治的状況からではないでしょうか。
即ち、クルーバー・シーウィチャイの行動は決してラーンナーの仏教の道から外れてはいないのですが、しかし、バンコク中央政府が進める僧界の中央集権化とは相容れないものであったからではないでしょうか。
即ち、クルーバー・シーウィチャイを象徴とするラーンナーの仏教界を法律を持って縛り、バンコクの威令の元に服させようとした事が、これまでの30年に亘る師に対する迫害とも言える仕打ちではなかったでしょうか。
30年間に亘るクルーバー・シーウィチャイの苦難の道の原因はどこにあるのでしょうか。様々な理由、原因を挙げることが出来るかも知れず、夫々に長い説明文が必要しれませんが、それを四か条に纏めてみました。
1. ラーンナーの一出家者と中央仏教界との些細な行き違いが地域住民と中央権力との問題に拡大した。
2. 中央仏教界との個人的な問題は、戒律を厳格に遵守する林住派の僧である師には、実は些細なことに過ぎなかった。
3. 従来の慣習を遵守して中央の政策に服しなかったことは、結果的に、地域の僧たちにも、住民にもラーンナーの心を呼び覚まさせたに等しい。
4. クルーバー・シーウィチャイと当時の中央政府の葛藤は、中央政府が当時周辺国を覆い包み、正に我が身にも襲いかかろうとする西洋列強の植民地主義に対抗しようと考え、その為に国内の各地を統合して中央と一体化させるべく、獨立王国の様相を未だに強く持っていたラーンナーの心、考え、思考方法を打ち壊そうとする試みの上に発生したものである。
突き詰めてみれば、こうしたラーンナー王国、もしくはそこに伝わる仏教継承者であるクルーバー・シーウィチャイの全く与り知らない現実の政治概念を持って迫り来るバンコク中央政府の圧力でした。こうした現実世界との確執の中で師は、実に数百箇所もの仏教施設を修復復興しています。
どこに招請されても、その行く先々では信仰心篤い信者から常に多額の寄付が寄せられ、それは一日200バーツを下ることはなかったと言われています。それほどまでの大金を連日寄付されながら、ついにその身に一銭の貨幣をも持つことはありませんでした。
今試みに、師が受けた寄付をあわせてみると、判明しているだけで、約300,000ルピー、そして、経典編纂用に4,321ルピーの合計304,321ルピーになります。バーツに直すと、243,456.80バーツとなり、500バーツもあれば富豪といわれる時代にあっては天文学的数字です。
これ程までに寄付を集めながら、それらは全て公益事業に費やされ、貧しい人々への施しにまわされ、その他の夥しい寄進の品々は惜しげもなくそれを乞う人々に分け与えられ、一つとして残すことはなかったといわれています。母といえども、貧しくとも分け与えられることはなかったようです。母への施しは僧としての務めを十分に果たすことである、と考えていたのかもしれません。
ラムプーンのバーンパーン寺院にある「クルーバー・シーウィチャイ遺品館」には、師の母ウサーがバーンパーン寺院にいる師への寄進の食事を運ぶのに使用したといわれる三輪車が今も残っています。それは、空力が使用するような前に荷台を置き、後から自転車を漕いで行く形の三輪車で、華僑社会の中に今も若干残っているようです。そして、息子が立派な僧となり、日々想像を絶する多額の寄進を受けながらも、彼女は相変わらず師が幼い頃に親しんだ掘っ立て小屋に住んでいたのです。
現代の豊かな僧たちからは想像もできないことです。
ちなみに、その遺品館には、当時としては高嶺の花ともいえる高額な自動車が展示されていますが、年老い、病を得た師の為に誰かの寄進があったのでしょう。
晩年を迎えた師は、バンコクから最初の寺院バーンパーン寺院に帰ってきましたが、信者たちは師に休息の時間を与えることがありませんでした。連日朝から夕方まで絶えることなく続く参拝者に法を説き、祝福の言葉を授け、相談事に乗り、そして弟子たちを指導します。
瘠せて決して頑強な体躯とはいえない、どちらかと言えばひ弱な師は、これまでの出家時代を通じて常にこうした休息のない日々を繰り返してきました。そして、いつの間にか、師は痔病を患っていたといいます。
長年の修行と奉仕で疲れ果てた師は、故郷に帰って来てわずか2年後、仏暦2481年(西暦1938年)3月22日(2月10日のという記述もあります)、自らの手掛けたバーンパーン寺院において横になり、釈尊と同じように右手を枕にして眠るように入滅した、とされています。
60年と9ヶ月11日の生涯でした。
冒頭に掲載した写真は、バーンパーン寺院に設置されている「クルーバー・シーウィチャイ遺品館」と師の入滅時の姿を蜜蝋で模った蝋人形に金箔を貼り付けたものです。
師の遺体は、直ちに荼毘に付されることがなく、慣習に従って1年とも3年とも言われますが、バーンパーン寺院に安置され、続いて同じくラムプーン県の名刹であるチャーマテーウィー寺院に移されました。そして、風雲急を告げる現実世界の波に飲まれて、そのままその寺院で終戦を迎え、終戦後、社会に平静さが戻って来た頃、仏暦2489年(西暦1946年)3月21日、王室より荼毘の火が送られてクルーバー・シーウィチャイの遺体は荼毘に付されました。
師の遺骨は、師に馴染みのある各地に夫々分散、納骨されました、因みにその県名を挙げると、ラムプーン、チエンマイ、ラムパーン、パヤウ、プレーと広がっています。

(続)

                           Fon- ma- lai
                http://www.youtube.com/watch?v=4JNCWkx6IGg
上のURLは、「花輪の舞」とでも言うフォーン・マーラーイという名前の踊りです。踊り手が手にしているものがマーラーイと呼ばれる花に糸を通して繋げたものです。

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cocoa さん

コメントありがとうございます。
宗教とは信じることですね。それは信者の内側から自然に沸き起こるものが本来の姿で、宗教人と言うのはその行動を通じて信者に信仰心を起こさせるもののはずで、言葉で説明したりすることは従であるはずです。しかし、もしも信じることを強要し、信じた者にのみ救いがあるとすれば、それは脅迫以外の何ものでもなく、宗教とは程遠いですね。そして、宗教世界が清いものであるならば、清いものが最も人間のエゴが出るであろう汚れた政治の世界にかかわりを持つと、もうそれだけで宗教としての存在を失い、それは恐るべき狂信者の集まりに過ぎなくなります。
クルーバー・シーウィチャイの凄さは、公権力、国家を覆すほどの影響力を持つと恐れられながら、本人にそうした気持ちが微塵もなく、多額の寄付、多数の信者もそれ以上でもそれ以下でもなかったところにあるのではないでしょうか。宗教家としてのある意味悟りに達した凄さが感じられます。

2009/11/29(日) 午後 4:43 [ mana ]

ジョウジ さん

コメントありがとうございます。
かつてチエンマイにキリスト教が入って来たとき、最初の改宗者は、時のチエンマイ王により処刑されました。その罪は反逆罪です。チエンマイでは仏教が国教でチエンマイの人間にして仏教を信じないものは反逆者であるという意識があったのでしょうね。しかし、僧侶が政治に口を差し挟むことは一切ありません。それを求めることもあり得ません。そうした宗教と政治の関係が本来の姿ではないでしょうか。ただ、当時のチエンマイ王も思い切ったことをしたものですが。いつか機会があれば、この当時のキリスト教とチエンマイ王との衝突も文章にして見たいですね。

2009/11/29(日) 午後 4:53 [ mana ]

株式会社セロリの管理人 さん

コメントありがとうございます。
まず、北タイ一帯の人々は、その民族、言語を問わず、クルーバー・シーウィチャイは純粋無垢の僧侶で、慈悲深い聖者である、と言う評判が広まっていました。それは人の口から口へ山を越え、河を渡って広がっていました。招請を受けると、師はどこまでも出かけて行きますが、師の行くところ信仰心篤い人々が出迎え、それだけで多額の布施が集まります。それを全て他に施す師の姿が又人々の信仰心を高めたのですね。ですから、お金、資材は師の前を通って全てそのまま社会に還元され、素晴らしい建築物として後世にまで残っているのです。言われるとおり、ニュ−・ディールと言えば解りやすいかもしれませんね。その経済効果は計り知れないと思います。なぜなら師は一切の利益を得ていないからです。全てが流れ社会を潤しています。

2009/11/29(日) 午後 5:00 [ mana ]

デバイス さん

コメントありがとうございます。
言われるとおり、師は全ての人々に必要とされました。人に必要とされる人物になるということがどれほど難しいことかは社会に出ればわかることです。必要とされながら、決して失望させない師の偉大さは叩く人の力に応じて音を出す太鼓にも似ているかもしれません。その心の広さは常人の域をはるかに超越し、苦というものを感じることがなかったかもしれません。ということは師の中では「楽」「幸」ということもなかったと思います。「苦」と楽」は裏と面ですから、「苦」のないところに「楽」はないはずです。
師は全て、あるがままに見、あるがままに感じていたに過ぎないと思います。これは悟りを開いた聖者の境地ですね。

2009/11/29(日) 午後 5:06 [ mana ]

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多くを語らず、そして流れの中でもご自身の信念も変えずに、
多くの信頼を得たのですね。
多くを語らない分、心に迫るものがあります。

傑作

2009/11/29(日) 午後 9:35 保守の会会長 松山昭彦

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そうですか、チェンマイも。
それにしても60年とは。

傑作です。

2009/11/29(日) 午後 10:01 red

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昔の方での60年強は長生きだったと思いますが、成す事があったから行き続けられたのではないでしょうか
師の成し得た人生で、助かった方は本当に多かったでしょうね

2009/11/29(日) 午後 10:22 yuzupon

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いつも読み終えると、
そうか、と納得してしまって、書くのを忘れますね。
伝えられていないこうした歴史が、
たくさん埋もれているものと思います。
外交(国の役人だけでなく、出来れば、経済や観光など
を含めて、他国と接する日本人の全ての人が・・・)
こうした歴史認識があれば、日本への評価が、変わるでしょうね。

2009/11/29(日) 午後 11:05 [ コロン ]

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私もクルーバー・シーウィチャイに帰依したいものです。
ああでも、もしかしてお酒は飲めなくなるのでしょうか
それならやめます(笑)

2009/11/30(月) 午前 2:27 kitaguniharuo

さくらの花びら さん

コメント&傑作ありがとうございます。
僧侶は説法を好む僧と、修行による悟りへの道を選ぶ僧がいるようですが、クルーバー・シーウィチャイは、釈尊の歩んだ道を歩もうとしたようです。名誉も名声も財をも求めることなく、突き進みました。禅の只管打坐に似ているかも知れます。そうした直向さが民衆の信仰心を得て大事業となって花開いたのでしょうが、こうした「直向さ」こそ人の人生に必要ではないかと思います。

2009/11/30(月) 午前 6:10 [ mana ]

レッド さん

コメント&傑作ありがとうございます。
当時の世界状況は、こんな小さな山奥の国にまで植民地主義の影が迫っていました。それに加えてバンコクがチエンマイを完全に飲み込もうとする時代の変化に時期でした。その変化の中で起こるであろう文化的・社会的・政治的軋轢が師に対する30年の迫害となって表れたのかもしれません。時代の象徴といえるかもしれませんね。

2009/11/30(月) 午前 6:16 [ mana ]

柚ぽん瑠璃珊瑚晴パパ さん

コメントありがとうございます。
夥しい布施の品のどれ一つとして私蔵していませんので、物乞いの人たち、貧しい人たちでその日の命永らえた人は数知れないでしょうね。そして、心の拠り所としての仏教、その象徴としての寺院を復興させたことは何にも増して偉大で、人々に益すること甚大だと思います。

2009/11/30(月) 午前 6:30 [ mana ]

コロン さん

コメントありがとうございます。
歴史は、その民族の根っこですね。自分の良心の性を知り、祖父母の実家を知り、兄弟姉妹、従兄弟たち、おじおばたちを知る、これも歴史だと思えば、街の成り立ちから国の成り立ちまでに興味を抱くことは自分探しにも似ています。
コロンさんのようなコメントに接し、地元の人にも余り知られていない埋もれた歴史を掘り起こして一人でも多くの日本人にチエンマイの姿を知って欲しい、そんなこのブログの目的が半ば達せられたような気がします。

2009/11/30(月) 午前 6:36 [ mana ]

北国春男 さん

コメントありがとうございます。
お酒は駄目でも「般若湯」であれば如何ですか。
呑まれることなく般若の知恵を授かる為に「嗜む」のであれば・・・
多分師は言うでしょうね、程々にのう・・・と。
釈尊の禁酒は、果実酒だという話もありまして、昔は未熟な製法ですから果実酒が腐敗して有害になっている場合があったようですね。それと酒に溺れて財を失い、家庭を壊すなど様々な害が言われますが、「ほどほど」であれば寒さを防ぎ、食欲をわずかに増しでいいのでは????

2009/11/30(月) 午前 6:43 [ mana ]

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水大師様と同じコメントにします(笑^^

傑作☆

2009/11/30(月) 午後 7:13 愛國

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こんばんは!
時々、画像を拝見してキレイだと感心する事と横たわっている画像に驚かされます。
私にとっては、宗教より建造物の模様が気になりますね!

2009/12/1(火) 午前 0:04 [ keiwaxx ]

愛国 さん

コメント&傑作ありがとうございます。
師にとっては何百年の命があろうとも生き方に微塵の変化も無いと思います。ただ、宗教が国家の統治形態の中に組み込まれた以上、世俗と離れての僧としての修行は必ずどこかで権力者と衝突するのかもしれません。まして、国と国の衝突で、飲み込まれる側の聖者は反対勢力として現れることを恐れる併呑者にとってはどんなことをしても排除しなければならない存在でしょうね。

2009/12/1(火) 午前 5:30 [ mana ]

keiwaxx さん

コメントありがとうございます。
写真は、全くの私見ですが、宇宙を象徴しているようにも見えます。輪廻の環を飛び越えて二度とこの世に帰らぬ身となったことを表わしているのかもしれません。
又横たわっている写真は蝋人形で、上に金箔を貼っています。入滅時の姿を模したと言われていますが、釈尊の入滅時と同じ肢体ですね。中には、蝋人形ではなく、遺体そのものをガラスケースの中に安置している僧もいるようです。

2009/12/1(火) 午前 5:40 [ mana ]

師の受けた迫害等を考えると、その人生は、時代の流れに翻弄されたかの様に見えるかもしれませんね。
その中にあって、自分を貫き通した所に、この方の精神の凄まじさ、信仰心の奥深さを感じずには居られません。

そう考えた時に、翻って現代の日本の場合、自分を貫く生き方をする事は、比較的簡単なのかもしれません。

そういう意味でも、クルーバー・シーウィチャイの生き方は、大いに見習わなければならないですね。
まさに聖人という名に相応しい方ですね。
ありがとうございました!

2009/12/2(水) 午前 0:33 [ KEN ]

KENさん

コメントありがとうございます。
師にとって仏教、釈尊の教えというものは死を賭けても惜しくない絶対的なものでした。
今の日本で自分の生き方をすることは、確かに昔に比べれば容易いかもしれませんね。ただし、今の日本の若い人たちに命を賭けてまで守る価値あるものは何なのでしょうか。たぶん、それを見出せないまま苛々としているのではないでしょうか。
その場しのぎ、他人の痛みを理解できず、自由と我がままの区別がつかず、権利という名を受給を知って義務という名の奉仕を知らない。いわゆる戦後の日教組教育による倫理・道徳の破壊と、義務と奉仕の精神、独立と自尊心、そして、民族意識を奪われたままの自由と民主主義と言う誤ったものの考え方に侵されたからではないでしょうか。
温かな家庭で、夫婦相和し、子供が両親を敬い、両親が子供を愛しむ。すべてはここから始まるのではないでしょうか。

2009/12/2(水) 午前 5:42 [ mana ]


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