チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

シーウィチャイ伝

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三度白衣に身を包む

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クルーバー・シーウィチャイ伝(20)

人はどこまで逆境に耐え得るか。どこまで迫害に耐え得るか、そんな実験をされているかのようなクルーバーたちの人生です。これがキリスト教であれば、「聖者」の仲間入りして世界の信徒に崇められているかもしれませんが、仏教ではそうした事を望むことも考えることもいけないことのようです。
只知る人のみ知る。宗教を超えて偉大な人は淡々と苦難に立ち向かい、乗り越え、人々の賞賛を受けながら尚奢ることがないのでしょうか。
善意でお寺の本堂建立に全力を尽くし、不足する資財を信徒たちと相談の上で村人たちから寄進を募った。これすら法律を盾に罰せられ、僧の印である黄衣を脱がねばならなかったのです。しかし、黄衣を剥がされる事は初めてではありませんでした。この時には、師は黄衣は僧という身分を表すものであっても本質ではないと思ったのかもしれません。
平然として、本堂を建立し終え、多数の信者と共に故郷を迎えたのは暴徒集団と看做す警察の手入れでした。そこで事実無根であることが証明されると、サンカムペーンにいる師のクルーバー・シーウィチャイを尋ねての旅が始まりました。
一行がノーンローン村(BAAN NOONGLOONG)に到着した時、チエンマイ県知事が出てきて直接師と話すことになりました。
haripoonchai.com に見る一問一答は次のようなものでした。
「師の生地はどちらでしょうか」
大変に丁寧な言葉使いで、かつての城主、王にも匹敵する権限を持つ人物ながら、目の前の白衣の修行者に対して敬意を払った言い方をしています。
「拙僧は、もともとラムプーンのリー郡メーターイ区の人間です」
ここで師は、「拙僧」という僧侶の言葉を使っています。白衣に身を包んでいる在家の立場では、これも厳格に言うならば決して正しいとは思えないのですが、心は出家していますので、態度にも言葉使いにも僧侶としてのものになりきっているのでしょう。
「ああ・・・ならば我々と同じコン・ムアン(KHON MUANG)ではないですか。で、いずれへ行かれていたのでしょうか」
県知事はここで、コン・ムアンという言葉を使っていますが、これは訳しにくい言葉です。決して昔からあったものではないようです。少なくとも旧い伝承本の中にこの言葉を捜すことは出来ないようですが、そのままこの文字を約せば「町の人」となります。が、それではそこに含まれている意味が理解できません。即ち、この言葉はラーンナー王国という独立した王国に住む人という誇りがそこには含まれています。ですからこの知事の言葉は、あなたも私も同郷人ではないですか、という親近感を表していますが、という事は県知事もラーンナーの人だったのでしょうか。バンコクの人は決して自分がコン・ムアンであるとはいいませんから。ちなみに彼らの言葉がカム・ムアン(KHAM MUANG)と呼ばれるものです。
「ビルマに行っておりました」
「向こうではどのくらいでしょう」
「5年です」
「ええ・・・っ。なら、言われるような事は何もないではないですか。でも一つだけお願いします。初等教育費8バーツを規定に従って郡役場の方にお支払い頂ければ、後には何もありません」
この会話から、師はビルマに行っていたと言う意識ですね。タークからメーラマートは当時の人にとっては異国の感覚なのかもしれません。しかも、そうした異国に行って帰ってくることは何の不思議もなく極普通に行われているところに大陸国家の特徴があります。
こうして、クルーバー・カーウピーと県知事の会談が何の支障もなく友好裏に終えましたが、師に課された8バーツの初等教育費用ですが、何を意味するのか正直不明です。今更ながら授業料でしょうか。こうした事はサンキート師の書には言及されていません。
師の傍にいて知事との会談の一部始終を見聞きしていた信者の中には、自治会長もいました。そうした信者たちの間に8バーツの件が広まると、その場で集まった寄進の額は15バーツに及びました。当時であれば、一日の生活費に1バーツも必要なかったかもしれません。そんな時代の8バーツですから決して少ないわけではないでしょうが、直ちに15バーツも集まったということはそれだけたくさんの信者が追従していたということでしょうか。
そこで、師は県知事に随行して来た警察官に規定の8バーツを預けました。ところが運の悪いことに、この警察官は預かった8バーツをその場で紛失したといいます。さあ、大変です。再度師に求めるわけにも行かず、かといって役所にて立て替えるわけにも行かず、結局は警察官の個人的負担となったといいます。
無事県知事との会談を終えた師は、ターリー(リーの船着場)で一晩休んだ後、クルーバー・シーウィチャイのいるプラノーンプーカー寺院に到着しました。暫くクルーバー・シーウィチャイのもとで過ごしたクルーバー・カーウピーは、やがて師に別れを告げると、故郷のリー郡に向いました。
しかし、このリー郡には、あの意地悪郡長がいます。郡長は、自治会長に命じて、師たちを追い払い、一歩たりとも郡内に足を踏み入れさせませんでした。何の咎もない師ですが、こうした仕打ちにほとほと途方に暮れるばかりでした。
その時、師は父方の親戚にチエンマイ県内のドーイタウ地区(TAMBOL DOOYTAU)の自治会長をしている人物がいることを思い出しました。ここであればラムプーン県ではなく、ましてリー郡長の強制力が及ばない筈です。
師は人を使ってその自治会長と連絡を取りました。
「私は、プラバートタモ(PHRA BAATH TAMO)に行きたいと思うがどうでしょうか。何か支障があるでしょうか」
ここでいうプラバートタモとは不思議な伝承に飾られた旧い寺院のようですが、生まれ故郷に帰れないのであればこの旧い寺院に行きたいというのです。この寺院には、釈尊とその前の三人の仏陀の足跡と横になった時の岩があるという伝説に飾られた寺院です。
そこで自治会長は、郡長に相談すると、ここの郡長は何の支障もなく、むしろ喜んで受け入れました。
こうした話に出てくる役所の組織図をいいますと、県の最高位が県知事で、県の下には郡(AMPHAA)があり、そこの最高位が郡長です。群の中には幾つもの区(TAMBOL)があります、その区の最高位がカムナン(KAMNAN)と称される自治会長がいます。そして、その下には、村長(PHUU YAI BAAN=むらおさ)がいます。
県知事及び郡長は内務官僚で中央より派遣されてきますが、その下の二つは民選です。住民は自分の所属する村の代表者村長を選び、村長が互選で自治会長を選びます。民選とはいえ、わずかながら給与が支給され、役人としての制服着用が認められ、役所と村人の間の連絡調整役です。あたしが来た頃は、まだ外から来た人は居住に先立って村長に連絡することが風習となっていましたが、今はどうでしょうか。
それは兎も角、その当時、このプラバートタモ寺院は廃寺になっていたようで、郡長は、早く来て欲しいとまで好意的でした。そうした厚意は、郡長と郡森林局が1キロ四方の土地を用意したことでも伺えます。
こうして、何とか行き先を見出したクルーバー・カーウピーは、このプラバートタモにおいて一棟の御堂を建立しました。その御堂が冒頭の写真に見える9棟の仏塔を戴いた美しい建物です。チエンマイ市内には、チェットヨート寺院があり、その名の通り7棟の仏塔を戴いた御堂が特徴ですが、このプラバートタモは九つの仏塔を戴いています。そして、そこは心を静めるに相応しい静寂の地にありました。
しかし、時に師のクルーバー・シーウィチャイがドーイステープ寺院に至る山道を建設するという噂を耳にすると、じっと修行することも出来ず、信者であり、従者でもある500人のカレン族の人々を伴って駆けつけました。こうした点が他の高僧、名僧といわれる僧侶と異なる点でしょうか。
無事ドーイステープ寺院の山道を建設し、両師はプラッシン寺院に帰って来ました。このプラッシン寺院において、クルーバー・カーウピーは、三度得度出家することになりましたが、クルーバー・シーウィチャイは様々な迫害のもとで再度バンコクに下ることになりました。
残されたクルーバー・カーウピーは一人プラッシン寺院を守り、師の帰りを待ちました。
この時のことです。ケートカーラーム寺院のマハースッチャイ(MAHAA SUDCAI)とパンオン寺院(WAD PHANON)の住職がやってきました。この二人の僧侶の訪問がクルーバー・カーウピーに黄衣を纏うことを諦めさせたのです。
この時二人の僧は、クルーバー・カーウピーが還俗しなければ、師のクルーバー・シーウィチャイが牢に繋がれることになるであろうというのです。伝説では、その理由を記していませんが、サンキート師の書ではドーイステープ寺院への参詣の山道建設に際して不法に森林を伐採したことが罪に触れ、両クルーバーのどちらかが還俗しなければならない、というのです。
これはクルーバー・シーウィチャイ不在を狙った嫌がらせ以外の何ものも感じませんが、歴史はどう判断するのでしょうか。
この時、クルーバー・カーウピーは、師を守るため三度黄衣を脱ぎ、白衣になると、もう黄衣を身に纏う事はありませんでした。
白衣となったクルーバー・カーウピーは、悲しみのうちにプラッシン寺院を出るとバーンパーン寺院に帰って一棟の庫裏を建設し、次いでプラバートタモに帰って行きました。

(続)
下記のURLは、タイ・ルー族に伝わる民族舞踊で、タイルー族の子供たちの踊りです。
                               タイルーの舞踊
                     http://www.youtube.com/watch?v=770n7IFxWNQ
下記URLよりプラバートタモ寺院の御堂の写真をお借りしました。冒頭の写真でもわかる通り、プラバートタモ寺院は森の中にあるようです。
             http://board.palungjit.com/f177/ประวัติพระพุทธบาทตะเมาะ-215341.html

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今日の記事はコメが難しいですね〜
宗教家、政治家、うーん立場が違いますから・・・
いずれにせよ、心は縛られることなく信念を維持されたことでしょう。

2009/12/27(日) 午後 1:35 株式会社セロリの管理人

千葉日台 さん

コメント&傑作ありがとうございます。
物事には本質と外見があり、人は往々にして外見で判断されます。乞食をしているから人格下劣ではないのですが、乞食という外面で判断して見下します。そして、外見を飾りたい、という欲望を持つのもまた一般人の性ですね。生きるために食べるか、食べる為に生きるか。それを考える前に美味しい物を食べたい、たくさん食べたい、そう思うのが普通でしょうね。しかし、自分は何の為に日々生きているのか、それを考えたのがクルーバーたちではないでしょうか。自分のなすべき事のために全精力を傾注していくと、それ以外のものには無頓着になるのかもしれません。それを実践し続ける事は、強靭な精神力と、人生の目標に対する絶対的な信仰心が必要でしょうし、ある意味家庭を持つ一般人に困難でしょうね。

2009/12/27(日) 午後 4:24 [ mana ]

サイパンはカナダより魅力的 さん

コメント&ご教示ありがとうございます。
キリスト教といっても様々ですから一括りにした言い方をしたのは間違えていました。
話はそれますが、チエンマイに最初に来た宣教師は、アメリカ人のプロテスタントのようですね。

2009/12/27(日) 午後 4:30 [ mana ]

aen*u*on99 さん

コメントありがとうございます。
無欲の人ほど怖いものはないですね。無欲の人は怖れるものがないですから、脅迫も買収も何の効果もないです。無欲の人は度量が大きいでしょうから、人望を集めるかもしれませんね。西郷はある意味無欲で、維新の情熱以外何ものもないようなところがありますから、部下たちに慕われると彼らを捨て切れなかったのかもしれませんね。若しも西郷に勝ほどの権謀術数があれば日本は火の海だったかもしれませんね。若しも大久保のような怜悧な政治家的要素まで併せ持てば独裁者となっていたでしょうが、時代は西郷、勝、大久保、大村という夫々に相応しい人物を作り出したのかもしれませんね。

2009/12/27(日) 午後 4:39 [ mana ]

ジョウジ さん

コメントありがとうございます。
本当に仕事が出来る人は、言い訳をして取り繕うよりも原因と結果を十分に理解判断して常に自己啓発しているのではないでしょうか。一般の人にとっての本質とは、ある意味義務の遂行ですから、与えられた職務を如何に忠実に完璧にこなしていくかではないかともいます。どの職種においても自分の業務を支障なくこなしていくということは決して生易しいことではないと思います。単に昨日と同じでは停滞ですから、常に自己啓発が求められますね。それは組織の為であると同時に自分自身の能力を開発することですから止まるところはないと思います。しかし、往々にして惰性に流れ昨日と同じ事をしがちです。そこに落とし穴があるのかもしれません。社会は常に動いていることに気付かないといつの間にか時代遅れの仕事しか出来なくなり組織の足を引っ張るのではないでしょうか。
仕事のできる職人が鋭い人生観を持っているのはそうした自己啓発の賜物ではないでしょうか。

2009/12/27(日) 午後 4:48 [ mana ]

株式会社セロリの管理人 さん

コメントありがとうございます。
仰る通り、宗教と政治はコメントが難しいですね。日本にいる時よく聞いた言葉に政治とスポーツの話をするな、友達が喧嘩相手に変わるからといっていましたが、そこに宗教を入れてもいいかもしれませんね。
でも、宗教も突き詰めれば、幸せを願うという点では共通しているわけで、個人的にはどの宗教がいいとも思いません。只、自分の信じた道を進む事は十分に意義があり、そして、それによって他人が傷付かないようにしなければならないですね。自分の幸せを追い求めて他人を不幸にする宗教はないと思います。このお話に出てくる僧侶も決して他人に危害を加えたり、不幸にしようとしているわけでも、不幸にしているわけでもないのですが、その純粋さゆえに嫉妬する人が出てくるのもまた人間社会ですね。
政治の世界も同じで、夫々に言い分があるのでしょうが、夫々の人の立つスタンスによって違って見えているのかもしれませんね。でも唯一つだけ共通していて欲しいのは、社会を良くしたい、という強い意識ですね。

2009/12/27(日) 午後 4:56 [ mana ]

こんばんは。
上の画像!緑が眩しく感じます。
寺院でしょうか??好きな風景です。ポチ!!

2009/12/27(日) 午後 6:45 [ ossa ]

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なんとクルーバー・カーウピー氏に・・・
歴史とはいかに・・・・

2009/12/27(日) 午後 7:32 [ 道後 ]

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タイの舞踏もリズムに乗って(もし、自分が踊っても)踊りやすいと感じました。国民的な踊りなんでしょうか?チンムドラーを結んでいる場面もあり、宗教的な側面を感じました。

2009/12/27(日) 午後 8:31 kitaguniharuo

OSSAさん

コメントありがとうございます。
冒頭の写真は一枚目が寺院の看板です。如何に寺院が森の中にあるかがお分かりになるかと思います。はい寺になっていた場所ですが、クルーバー・カーウピーはそこを復興したもので、その時に建立した御堂が、二枚目の写真です。勿論写真の御堂はクルーバー・カーウピーの後に修復されたものですが、見事なデザインですね。

2009/12/28(月) 午前 2:20 [ mana ]

水大使 さん

コメントありがとうございます。
タイでは「赤犬に怒って黒犬に当たる」という諺がありますが、如何にしても憎いクルーバー・シーウィチャイの名声を汚すことが出来ないとなると、その愛弟子で後継者にも等しいクルーバー・カーウピーの名を汚そうとするのですね。
正に八つ当たりですが、師は淡々として黄衣を脱いでクルーバー・シーウィチャイを守ります。どこまでも飄々として歩んでいるように見えながらも、心の動揺、ざわめきを抑え付けて生きていく、恐ろしいまでの胆力かもしれませんね。いかなる相手もこれでは如何ともしがたいですね。

2009/12/28(月) 午前 2:30 [ mana ]

kitagunuharuo さん

コメントありがとうございます。
タイの舞踊は決して難しいステップがあるわけではないですが、地方ごとに特徴があります。そして、バンコクの踊りは、インドの叙事詩「ラーマヤナ」を題材にしたもので、大変に煌びやかですが、地方の踊りはタイ族本来が持っていたもので、庶民の素朴な踊りです。そして、多くは宗教的な意味、行事に関わったものですが、同時に庶民生活を題材にした踊りもあり、チエンマイでは一部、王族によって作り出されたものもあります。北部は話し方にしても踊りのリズムにしても比較的緩やかです。

2009/12/28(月) 午前 2:38 [ mana ]

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こうも試練があると師も悲しくなってしまうのでしょう。
これでは私まで悲しくなります・・・。

傑作

2009/12/28(月) 午後 4:47 保守の会会長 松山昭彦

さくらの花びら さん

コメント&傑作ありがとうございます。
これが世の常と悟っているのかもしれません。淡々と次の道を進みながらも決して己の道を踏み外していません。失望は挫折への道かもしれません。失望するよりも前に進む道を探す勇気が師にはあったのでしょうね。師に取っては悲しむ時間も失望する時間も惜しかったのかもしれません。涙を流すよりも、己の道を進む方が大切だったのでしょう。恐るべき精神力だと思います。

2009/12/28(月) 午後 5:37 [ mana ]

「言い訳をして取り繕うよりも原因と結果を十分に理解判断して常に自己啓発している」本物とはそういった人なのでしょう。
とても脱税を「不正を働くつもりはなかったから良い」とする鳩山氏や
朝鮮人のDNAを隠し通し、
マニュフェストになかった外国人参政権を可決しようとする小沢氏は到底足元にも及びませんね。
これからは本物を見抜く力が大切です。
しかし理解できない目先の餌につられる考えない民はどうすればいいのでしょうか?
やはりブームか、もしくはトコトン落ちて日本人の民族のDNAを呼び覚ますまで待つか。
あ〜考えると嫌になってきます。
@デバイス

2009/12/28(月) 午後 8:30 [ デバイス ]

デバイス さん

コメントありがとうございます。
社会には様々な考えの人が出てきます。卑劣な手段で自己の意思を押し通す人もいれば、自己の非を隠す人、他者を陥れる人、どれも社会にとって害以外の何ものでもないのでが、どの社会でも大多数の人々は「無関心」「無知」ですから蔓延りやすいです。そうした悪に立ち向かう人たちは常に少数派です。でも少数派が声を大にしなければ「無関心」「無知」な人たちは事実を理解しません。根気よく、一歩一歩、一人一人を教化していくしかないのではないでしょうか。クルーバーたちは自らそれを身をもってなしたのではないでしょうか。結果的に不遇な一生であったといえるかもしれませんが、その撒いた種は大きな花を咲かせ、永く芳しい香を放ちます。
忍耐と継続を杖に、信念を心にした人生は前向きではないでしょうか。前向きに倒れて死にたい竜馬がそれではなかったでしょうか。

2009/12/29(火) 午前 6:17 [ mana ]

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おはようございます!
さりげなく黄衣と白衣は気づいてましたが、何か意味もあるんだろうとも感じてましたが、やはりちゃんと意味がありますね。

2009/12/30(水) 午前 9:06 [ keiwaxx ]

keiwaxx さん

コメントありがとうございます。
タイでは黄衣であるか白衣であるか、天と地ほどの違いがあります。黄衣に身を包んだ瞬間から人々の尊敬の眼差しを受け、全てに特別待遇を受けます。代わって様々な規制を受け、227の戒律に縛られます。白衣であれば、在家の身でありながら、仏教の修行をしているという意思表示で、特別な扱いは一切ありません。しかし、師にとって衣の色はさしたる意味はなく、心を律して釈尊の道を信じ、慈悲の心を持って生きていくことに生涯を賭けたのだと思います。
こうした自分の信じた道を歩き続けた人は幸せだたっと思います。

2009/12/30(水) 午前 11:27 [ mana ]

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酷すぎる話ですね
ここまで来ると、どんな人間でも心が折れてしまいそうな気がしますが・・・
師はこの後、まだまだ考えられないような道を進んでいかれるのでしょうか?

2009/12/30(水) 午後 2:05 yuzupon

柚ぽん瑠璃珊瑚晴パパ さん

コメント有難うございあmス。
昨日の記事に載せましたが、師は死の前日まで寺院修復の招請を受けます。正に物に疲れたような生涯で、慈悲の心と寺院及び公共施設建設に全生涯を賭け、それ以外の何者も考えなかった人生ですね。最後は、廃寺に御堂を建立し、そこで最期を向かえ、今もミイラとなって祀られています。

2009/12/30(水) 午後 6:51 [ mana ]


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