チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

シーウィチャイ伝

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安らかな眠り

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クルーバー・シーウィチャイ伝(21)

この師弟は、何かに憑かれたようにラーンナー各地の施設建設、修復に生涯を捧げて止むことがありませんでした。その生涯は、多数の信者に守られ、賞賛の声を浴びながらも、一方では羨望の眼差しもまた鋭く突き刺さっていました。
そんな中で、クルーバー・シーウィチャイは病に倒れ、付随状態になりました。それは、羨望の毒牙にかかったのか,長年の労苦の蓄積によるものか、永らく痔病を患っていたという話もありますが、侭ならない身体を粗末な床に伏せたまま、クルーバー・シーウィチャイは、終に帰らぬ人となりました。
時に仏暦2481年(西暦1938年)のことでした。
ラーンナーの歴史に名を残す偉大な僧の入滅でした。
偉大な師の死を悲しみの気持ちで迎えながら、クルーバー・カーウピーはそれでも尚しっかりと心を保ち、弟子として、師匠に出来るだけの孝を尽くし、数年後の荼毘に備えて一棟の荼毘の為の塔、一棟の葬儀の塔、そして、棺を拵えました。
通常、タイでは日本のように数日の葬儀ではなく、一般人でも1週間ほどの葬儀は決して珍しいことではありません。まして名僧、高僧であれば、入滅から荼毘まで年に及ぶことも稀ではありません。
このブログでもその由来を記したことがあるチエンマイの城壁に囲まれた旧市街の真ん中に位置して名刹チェディールアン寺院がありますが、その寺院の住職、貧しい人たちに惜しみない援助の手を差し伸べた社会開発家としても名高いプラプッタポッチャナワラーポーン(PHRA PHUTHTHA PHOCANA WARAAPHOORN)師は、一般的には、ルアンプー・チャン(LUANG PUU CANTHR)と呼ばれていますが、師は、昨年西暦2008年7月11日入滅したまま、遺体はまだ荼毘に付されることなく保存されています。現在の予定では年明けに王室より荼毘の火が下賜されて荼毘に付されることになっています。実に入滅後1年半後に荼毘となる予定です。
クルーバー・シーウィチャイの場合には、仏暦2481年の入滅後、仏暦2489年(西暦1946年)に荼毘に付されるまで8年に亘って、信者たちの参詣を受けていました。
各地に建設の足跡を残すクルーバー・カーウピーですが、師のクルーバー・シーウィチャイが入滅すると、その後継者として名声は益々高まり、信者よりの招請を受けると、場所を選ぶこともなく出かけては建設に着手していました。クルーバー・シーウィチャイ亡き後、各地の寺院修復、復興は一人クルーバー・カーウピーに託されたかの感があり、一日として休まることがありませんでした。
この頃には、黄衣と白衣を繰り返す日々を終え、終生白衣で通すことを決意していました。白衣のクルーバー・カーウピーです。そして、白衣の修行者として各地で様々な施設建設に没頭してきました。そして、師と別れて一人となった今もまた師のもとにはクルーバー・シーウィチャイの分をも含めてのように各地から普請援助の依頼が耐えることがなかったといいます。
心の支えを失いながらも建設にいそしむ師にも老いの定めが迫ってきました。しかし、生来の虚弱体質と広汎な活動が師の老いに拍車をかけたのでしょうか。
この頃の事です。リー郡の住民がノーイフォン・トゥンウォンを中心として師を招請しました。住民たちは、心の拠り所、信仰の場としてドーイ・パーナーム(DOOY PHAANAAM)の麓に寺院の建立を求めてきたのです。
彼らは自分たちの寺院を持っていなかったようです。というのも、本来の彼らの居住地はチエンマイ県のホート郡でしたが、水害に終われるようにして、このドーイ・パーナーンに避難して住み着いたもののようです。
この頃、クルーバー・カーウピーは最後の建設として、自らの修行道場の建設地に思いを寄せていた時期に相当します。そうした思惑があったところに、パーナーム村の人たちの申し出でが重なり、クルーバー・カーウピーは、自らの安住の地をここに見出したのです。
こうして出来上がったのが、冒頭に掲げた寺院です。
クルーバー・カーウピーと従者の修業道場であり、パーナーム村の人たちの心の拠り所として建立なったプラプッタバートパーナーム寺院(PHRA PHUTHTHA BAATH PHAANAAM)が完成しました。
とはいえ、師がこの寺院建立に全てを捧げて各地からの招請を断っていたわけではなく、建立を続けながらも、招請があれば、そちらに向かい、完成すれば帰ってきて建立を継続する。そうした日々だったようです。
そうして仏暦2514年(西暦1971年)に至りました。
ラムパーン県にあるサントゥンハーム寺院(WAD SANTHUNGHAAM)より建立主催者となって欲しいという招請が舞い込んで来ました。既に老齢に達していたクルーバー・カーウピーですが、小生を断ることをしなかったのは、師のクルーバー・シーウィチャイと同じです。必要とする人がいる限り決して愚痴を零すことなくどこまでも出かけて援助するのが師の生涯であったようです。
更には、その6年後遥か南のスコータイのタードンドンチャイ寺院(WAD THAA DONTHONGCHAY)よりも、同じく御堂建立主催者になって欲しいとの招請がありました。
こうした場合に、主催者として名前を連ねることで、信者からの寄進が得やすいということがあり、各地の寺院では師の名声を大いに利用したと言えるかも知れません。
この時が、仏暦2520年3月2日であるといいます。
そして、その翌日3月3日、クルーバー・カーウピーは眠るように静かにこの世を去りました。
ここでもこうした一人の僧の伝承を追いながらもタイの歴史の不確かさが出てきて、わずか数十年前のことにも拘らず、師の没年が、サンキート師の著では仏暦2514年3月3日となっていて、6年の差があります。また、一説では、享年83歳という説もあり、とすると、生年は仏暦2437年(西暦1894年)となり、ここでも6年の差がでます。ですが、このブログでは、生年を仏暦2443年(西暦1900年)4月17日、没年仏暦2520年(西暦1977年)3月3日として置きます。
入滅の知らせが四方に駆け巡ると、それを信じられずに虚報であると叫ぶ僧まで出るほどの衝撃を与えました。
師の葬儀はどうなったのでしょうか。現在プラバートバーナーム寺院の写真に見る限り、師の遺体は今も同寺に保存され、金箔を張られてミイラ化されているようです。
そうした数々の写真、白衣を着替えている写真もありますが、掲載は控えさせて頂きます。


(了)

冒頭の写真は、上から順に下記URLよりお借りしています。
http://www.leeradio.com/show.aspx?ctl=ctlArticle&type=read&articleid=A200912001&articletype=2
http://haripoonchai.com/hpcboard/index.php?topic=56.0

長丁場お付き合い頂きまして、ありがとうございます。
辛うじてクルーバー・シーウィチャイとクルーバー・カーウピー師弟の生涯を大まかながら追っていくことが出来ました。
たくさんのコメント有難うございました。
この項の最後を飾るものとして、大好きなチエンマイの歌をお送りします。拙い訳ですが、つけてみました。
年明けには、又別の話をご紹介したいと思います。

                         チエンマイの乙女
                 http://www.youtube.com/watch?v=ysZjogL2rZs
                 私はチエンマイの乙女   もうすぐ大人になるのよ
                 ある日ラムプーンの男の人が来て   私を口説いたの
                 誰を選ぼうかしら   後から来たチエンラーイの人
                 ケーウという名前よ   プレーのチエンスンのコーンさん
                 カムさんにムーンさん   ソムさんにミーさん
                ※誰もが言ったの   結婚の申し込みに来るって
                 私は待ったわ1年も   両親も祖父母もよ
                 あん畜生は姿を消した   もう信じたりしないわ
                 メオ族の男と結婚して   山奥で暮らすの
                 布を売り、ダイヤを売り、宝石を売り
                 指輪を、ネックレスを売りして山で暮らすわ
                ※繰り返し

閉じる コメント(12)

人間の障害というものは人によってここまで異なるのですね。波乱万丈の人生はある意味ダイナミックです

2009/12/29(火) 午前 8:32 [ 彩帆好男 ]

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亡くなってから荼毘まで暫く時間が空いているのですね。
ミイラとなっている事で納得しました。
しかし、高僧は波乱と苦労に満ちた人生で、生きる事は苦しい事を実践された生涯だったですね。

チェンマイの乙女の歌は哀愁を帯びた優しいメロディーですね。

傑作

2009/12/29(火) 午前 9:02 千葉日台

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亡くなられた後も尊敬され慕われる本当に徳の高い方ですね。
生のある間、様々な妬み等を受けましたが、やっと静かに眠れたという感じなんでしょうね。
まさに、徳を重ねるという事を身をもって教えてくれた尊い方ですだと感じました。

2009/12/29(火) 午後 0:33 ジョウジ

サイパンはカナダより魅力的 さん

コメントありがとうございます。
若しも自分の正直に妥協を捨てて生きるならば、こうした障害に悩まされ、周りの理解を得られない不幸が待っているのかもしれませんなg、それを無視して頑固に己の信じた道を進むと、今度は英雄になるのかもしれません。道を踏み外せば悪魔になる可能性もありますが。

2009/12/29(火) 午後 2:04 [ mana ]

千葉日台 さん

コメント&傑作ありがとうございます。
高野山では今も弘法大師への食事供養が続いていますが、クルーバー・カーウピーに菅sh時手は、全身に金箔が貼られ、白衣に身を包まれ、ガラス枠の棺に納められて一般信者の参拝を受けています。

歌はある意味チエンマイを代表する歌ともいえます。

2009/12/29(火) 午後 2:09 [ mana ]

ジョウジ さん

コメントありがとうございます。
人間の本当の価値は死んだ時に表れるのではないかと思います。生前にどれほど多くの人の賞賛を受けていても葬儀の席で参列者も疎らで、影で非難の声が上がるのであれば、やはりそれほどの価値はなかったのかもしれません。しかし、生前には無名、時には非難されながらも葬儀の席になるとどこからともなく多数の人が駆け付けて哀悼の意を表する。その人は本当に価値ある人生、他の人にとって大切な人であったのではないでしょうか。
人は、生前の評判も大切ですが、死後の評判ここそ思いを致すべきでしょうね。体=時代は死=変化によって姿を消しますが、名前=歴史は延々と続きますから。

2009/12/29(火) 午後 2:16 [ mana ]

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長丁場ご苦労様でした。
manaさんの 「人の心を大事にする」気持ちが、全編に溢れており、
この紹介は北タイ人が知ったなら、きっと大感謝です。
สาวเชียงใหม่ は、子どもからお年寄りまで口にする歌ですネ

2009/12/29(火) 午後 4:22 [ ピック ]

ter*yas*_* さん

コメント&お褒めの言葉ありがとうございます。
現実には、まだまだたくさんの立派な僧がいます。ここに紹介した、ルアンプー・チャンは、日頃あたしがルアンポーといって時には近くにいたことがあり、入滅の数ヶ月前には幾度も庫裏にお尋ねして移動のお手伝いをしたり、秘蔵の写真の焼き増しのお手伝いをしてそこに名前を入れたりしたこともあり、師の生涯も素晴らしいですし、ルアンプー・ウェーンなどはいつの日にか文章にしたいと思っています。又、ルアンプー・マンもチェディールアン寺院に庫裏を有しており、興味がありますね。その他上げていけば切りがないですね。

歌もチャランが亡くなって残念ですね。又スントリーの声がいかにも若いですね。

2009/12/29(火) 午後 8:19 [ mana ]

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お疲れ様でした。manaさんのような活動は、地元では他にも沢山居られるのでしょうか。全く別の話ですが、北海道にアイヌ民族がいますが、文字が無いので全てが口伝で、年配の人が亡くなるたびに文化が欠けて行く思いがします。世界中でこうしたことが起きているんでしょうね。世界遺産に、こうした生活文化も沢山組み入れられると良いですね。

2009/12/29(火) 午後 8:45 [ コロン ]

コロン さん

コメントありがとうございます。
タイ人は概して自分たちの文化を保存しないのが悲しいですね。自分たちの言葉、文字だけではなく歴史すらも学ぶ人が少なくなって来ています。一つは、チエンマイ初めラーンナー王国は、バンコクに併合され、バンコク=タイの図式が出来てしまったこと、バンコクは他民族が無制限・無秩序に流れ込んできて血が混じりあい過ぎてタイ人が殆どいないような状況になり、言葉すらおかしくなりつつあります。従ってタイ族としてのアイデンティティーが薄れて別のものに置き換えられようとしているような危機を感じています。
不思議とこうした旧いお話は一部のタイ人が知っていますが、それを伝えていく術を知らないようですね。チエンマイが好きだ、というただそれだけで、一人でも多くの日本人のチエンマイの実際の姿を知って欲しいと思い、こうした文章を書いています。
アイヌの人たちも自分たちの文化を映像、音として後世に伝え、子供たちに民族の誇りを持って生きていける、そんな社会になって欲しいですね。

これからも宜しくお願いします。

2009/12/30(水) 午前 5:54 [ mana ]

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困難な道のりばかり歩まれてきた師ですが、行ってこられた事の業績は偉大ですね
いつの世にも、このような偉人が必要なのかも知れませんね

2009/12/30(水) 午後 2:12 yuzupon

柚ぽん瑠璃珊瑚晴パパ さん

コメントありがとうございます。
いつの時代、国においても人知れず苦労を重ね、しかも偉大な業績を残してきた人がいると思います。そうした人は自分では何の宣伝もしませんから、知っている人たちがそうした偉人のことを語り伝えていくことが必要なのでしょうね。

2009/12/30(水) 午後 3:35 [ mana ]


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