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スアンドーク寺院縁起−6−
その日、時のチエンマイの王パヤー・サームファンケーンは、ドーイステープの麓の小さな町ウィアン・チェットリンの館に逗留していました。王には、10人の王子がいましたが、その日の深夜その中の第六子ターウ・ロック(THAAW LOK)が謀反を起こしました。
パヤー・サームファンケーンは、子飼のサームデックヨーイ(SAAM DEK YOOY)の裏切りにあって館を焼き打ちされ、命からがらチエンマイに逃げ帰り、王宮に入りました。そして、夜明け前の宮殿の中では、自分の座るべき玉座に追放した筈の第六子の姿を見て驚くのです。
御年57歳の時、ムアン・チエンマイを統治すること41年にして、プラヤー・サームファンケーンは自らの子供に不本意な禅譲を余儀なくされ、ムアン・チエンマイを遠く離れました。
時に仏暦1984年(西暦1441年)のことであったと言います。
禅譲に際し、パヤー・サームファンケーンは、息子のターウ・ロックに対して最後の訓示にも等しい助言を与えました。
「父はサームデックヨーイに出来る限り目をかけてきたが、この様に父を裏切った。お前は奴にさして目をかけてやってはいない。だから奴を決して重用してはいけない」
後年、ターウ・ロックは父の言を忘れたのか謀反を起こしたサームデックヨーイを重用したが故に、一時は王座の危機さえ迎えました。これについての詳細は別の稿に譲りたいと思います。
父を追放したターウ・ロック(THAAW LOK)が代わって王位に就き、プラチャウ・ティローカラートとして歴史に名を残した時代、今のビルマにあったムアン・プカーム・アングヮ(MUANG PHUKAAM ANGWA)において法を収めたマハー・ヤーナランシー(MAHAA YAANA RANGSII)が7年に亘ってスアンドーク寺院の住職となり、仏暦1993 年(西暦1450年)に亡くなると、マハー・サンカラーチャーピドック(MAHAA SANGKHA RAACHAA PIDOK)が続いて6年に亘ってスアンドーク寺院を治め、仏暦1999年(西暦1456年)に亡くなりました。
その同じ年、プラチャウ・ティローカラートは、ラムプーンのマハーモンコーン寺院(WAD MAHAA MONGKHOL)よりマハー・プッターティッチャ(MAHAA PHUTHTHAA THICCA)を招請しました。
この時代は、王国内における仏教は最盛期を迎えようとしておりましたが、その反面、この師の時代に思いも掛けない一大論争が沸き起こりました。
即ち、得度して僧となろうとする沙弥(SAAMANEER)は、得度に先だって戒本を習得するべきか否かと言うものでした。
ムアン・アンングヮにおいて修学した僧たちにも同じ様に尋ねると、マハー・ヤーナサーコーン(MAHAA YAAN SAAKHOOR)は、不可を唱えましたが、一方、マハー・プッタティッチャは可を唱え、プラヤーもまた可に与しました。そうして、正式得度を経て僧を目指す沙弥の戒本修学が始まったのですが、マハー・プッタティッチャは、スアンドーク寺院に留まること12年、66歳にして他界しました。
師の後を継いだのは、不思議にもかつての宗論で破れたマハー・ヤーナサーコーンでした。何故に、宗論に敗れた僧が名刹スアンドーク寺院の住職となったのかについて、その理由を伝承は伝えておりません。
宗論闘争の痛手が残っていたのでしょうか、見習僧が戒本を習うことを快く思わないこの師は、心に不満を抱いたままスアンドーク寺院にいること7年にして、ラムプーンの西方に移り、そこで67年の生涯を終えました。
仏暦2018年(西暦1475年)に至ると、セーンファーンマー寺院(WAD SEEN FAANG MAA)のマハー・ナーカセーン(MAHAA NAAKHA SEEN)を招請してスアンドーク寺院を守護させました。そして、 小暦年末尾1の亥の年になると、ウィアン・クムカームのバーンメーヒム寺院(WAD BAAN MEE HIM)にいるマハーワンナ(MAHAA WARNNA)という名前の一人の僧が、他の僧たちに対してスアンドーク寺院の結界は、結界にあらずして、例えそこで得度出家しても比丘となることはない、と言い出しました。
それに対し僧侶の一部は、プラヤー・ティローカラートにその師の言の不可不当なることを訴え出ましたが、プラヤー・ティローカラートは、自分には僧界のことを捌くことが出来ないので、僧団内で処理して欲しいとすげない態度で応えました。
偉大な時代の英雄すら、こうした僧界のうち続く混乱に匙を投げた格好であります。といって、そのまま無視することも出来ず、プラヤー・ティローカラートは、事態の処理をセーンポー寺院(WAD SEEN PHOO)にいるマハー・ヤーナスントーン(MAHAA YAANA SUNTHOOR)に委ねました。
そこで、マハー・ヤーナスントー ンは、その結界は、ラーンナーの王が命じたものであるとして、その結界において出家得度した僧たちに新たに出家のやり直しをさせました。即ち、仏歴2004年(西暦1461年)に出家した僧たちをその16年後の仏歴2020年(西暦1477年)に再度出家させたと言うのです。
ここにも年代の混乱が見られます。マハー・ワンナの歴史に登場するのが伝承に言う通り小暦年末尾1の亥の年であるならば、それまでの推移から小暦841年、即ち、仏暦2022年(西暦1479年)となりますが、師の動きによっての再度の得度出家騒動が起こったのが小暦年末尾9の酉の年、仏暦2020年(西暦1477年)と言う伝承の記載と矛盾しています。全くの私見ですが、マハー・ワンナの登場は、マハー・ナーカセーンがスアンドーク寺院の住職となった仏暦2018年から再度の得度出家騒動が起こった仏暦2020年の間であろうと想像しています。
ともかく、再度の出家のやり直しは、当然の如く宗教界に大きな混乱を引き起こしたものと思われます。弟子の中のあるものは再出家し、ある者は自らの師に再確認したものもあり、あるものは嫌気がさしたのでしょうか還俗し、またあるものは再出家したと偽りの言葉を述べる始末でした。その他の師につく僧たちは、夫々の師次第の有様でした。
こうした混乱があった年を仏暦2020年のことと伝承は伝えておりますが、この年は、第八回結集という、チエンマイが世界に誇り得る仏典編纂会議を持った、宗教的に大きな意味をもつ年であります。この第八回結集の舞台となったのが今に残るチェットヨート寺院であることは、同寺院の項で述べた通りです。
高度な仏教経典の知識に加えて、正確なバーリー・サンスクリット語能力が求められる、決集を成功させた、そうした仏教の隆盛を思わせる反面で、この時代にはスアンドーク寺院を舞台に沸き起こった宗教的大混乱に見られる如く混沌とした時代であり、混乱を目の当たりにした当時にあっても心ある人たちは、まさに末法の時代に突入したと嘆いたそうです。
新たな帰国僧たちは、スアンドーク派僧たちよりも新しい仏教に香をもたらし、パーデーン寺院派という一大教団を形成していました。旧来の教えを墨守する僧たちに対してスアンドーク派、パーデーン派、様々な教義が入り乱れ、それらは統一されることなく小さく分裂して行来ましたが、その萌芽がこうしたスアンドーク寺院の建立から発展の時に求めることが出来るかも知れません。
こうした末法の世界を映し出すかのように、プラチャウ・ティローカラートの御世は、高名な僧を輩出し、仏教文学の花開かせ、対外的にはアユタヤーの王を怯えさせた一方で、アユッタヤー側の送った呪術師の言に惑わされてチエンマイのご神木を斬り倒し、根を掘り起こしてそこに離宮を建設して汚物を流す事態を招来しました。
その故か、後継者と頼む王子を側室の讒言に惑わされて追放し、更なる讒言を信じて王子に死を下賜して自ら後継者を失い、有能な部下たちが相争い、混乱を引起しました。アユッタヤーの送って来た呪術師は、チエンマイの各地に毒を埋めて呪詛していたことが判明した時には、既に有能な士は世を去っていました。
こうした相次ぐ不祥事が偉大な王を宗教に向わせたのかも知れません。
僧侶たちはプラチャウ・ティローカラートの許しを得てスアンドーク寺院の旧来の結界を取り除いて、新たに結び直しました。また、プラチャウ・ティローカラートはスアンドーク寺院の仏塔復旧事業を手がけ、新たに金を貼らせました。
仏暦2030年(西暦1487年)、一代の英雄プラチャウ・ティローカラートが崩御しました。そして、その後を追うように、仏暦2032年には、マハー・ナーカセーンが御年86歳にして冥土に旅立ったと言います。
伝承に見る限り、プラチャウ・ティローカラートには王子はただ一人で、その王子は側室の讒訴を信じた自らの不明からなくしていました。そこで、王位は、亡くなった王子の忘れ形見であるターウ・ヨートチエンラーイ(THAAW YOODCHIANGRAAY)に受け継がれました。
(続)冒頭の写真は、スアンドーク寺院の黄金色の仏塔です。下記URLよりお借りしました。http://www.bloggang.com/mainblog.php?id=akkarachai&month=15-12-2009&group=2&gblog=1
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ジョウジ さん
コメントありがとうございます。
こうして字句一つずつにツィ手議論をしていくと、本来の釈尊の教えを忘れ、枝葉末節の揚げ足取りになって終には収拾がつかなくなります。議論は大切なのですが、議論の為の議論になると、それは宗教を逸脱して宗教字句論になってしまい、机上の空論にも似た意味のない形而上学の論争に発展し、本末転倒する危険が多分にあります。インドでの仏教の分裂もこうした形而上に議論に堕した挙句かも知れません。これは、いわゆる企業において何の為に会議をするかにも似ているかも知れません。
2010/1/30(土) 午後 5:41 [ mana ]
水大使 さん
コメント有難うございます。
一つ一つの字句の解釈に囚われ、仏教、釈尊の教えという大局を見失った結果ではないでしょうか。それまでの教義との差を強調する余り、自分の得た新しい知識を過信する余り、釈尊の教えの目的はどこにあるか以上に、経典を如何に解釈するかという経典解釈論に陥り、大局を見誤ったものと思います。
それは現代人の議論においても最終の目的がどこにあるのかをしっかりと意識した上で話を進めていかないと、次第に話に夢中になり過ぎて本来の目的から外れてしまうことがありますが、それに似ていると思います。
2010/1/30(土) 午後 5:46 [ mana ]
キリスト教については、学校での教育をはじめ知る機会が色々ありますが、仏教については、教育面でも日本国内における宗派の形成辺りまでで、海外については、ほとんど機会が無いのではないかと思います。なんか逆な気がしますが、誰もそんな疑問も呈していないようですね。どうも国の心棒がなくなっている感じですね。
2010/1/30(土) 午後 10:07 [ コロン ]
こんばんは!
広島の鉄道会社の後方に小高い丘に画像のような風景が見えます。
多分、あれも宗教関連の建物と聞いてます。
静かな場所への建設は空気もそうですが、謎めいた面もありますね。
2010/1/31(日) 午前 1:03 [ keiwaxx ]
傑作
2010/1/31(日) 午前 5:41
コロン さん
コメントありがとうございます。
そうした疑問を持つことは大切だと思います。
どうしてキリスト教に対して、仏教についての教育が日本でなされないか。それは、キリスト教徒たちが反対するからではないでしょうか。
日本人キリスタンは、タイに来ても皇室を誹謗しますが、タイのキリスタンは決してタイ王室を誹謗しません。むしろ率先して王室に敬意を表します。タイの王室は憲法で仏教徒でなければならない,と規定されていてもです。ですから,タイのキリスト教徒は日本のそうした皇室非難のキリスト教徒が理解できないようです。
日本のキリスト教徒は、かつての西洋植民地主義者と同行した宣教師たち同様心狭い、ある意味危険な思想の人たちだといわれても仕方ないでしょう。
2010/1/31(日) 午前 6:04 [ mana ]
keiwaxx さん
コメントありがとうございます。
小高い丘の上に異質なものが聳えると、それがシンプルなデザインであればそこに神秘的なものを感じますね。神仏は、シンプルに、そして人里離れて存在するものかも知れません。
2010/1/31(日) 午前 6:07 [ mana ]
coffe さん
いつもご訪問&傑作感謝します。
2010/1/31(日) 午前 6:08 [ mana ]
このときに貼りなおした”金”なのかはわかりませんが、美しい画像ですね。
2010/1/31(日) 午前 8:48
なんとも摩訶不思議な世界と思ってしまいました。
出家のやり直し・・・↑でコメされていますが、へー、と思うばかりです。
2010/1/31(日) 午前 10:12
10人も王子がいれば謀反もありえますね。
傑作○です。
2010/1/31(日) 午後 2:15
yam*a*yuic*i さん
コメントありがとうございます。
当時の金ではないと思います。今では通常色を塗ってしまいます。
しかし、これはチエンマイではある意味珍しいかもしれませんが、スコータイ様式であるといわれていますが、これはプラ・スマナ・テーラがスコータイからやってきましたので、その影響だろうと思います。
2010/1/31(日) 午後 4:37 [ mana ]
株式会社セロリの管理人 さん
コメント有難うございます。
日本のように宗派に分かれていませんので、こうした別のやり方での出家を認めない人たちが出てくると、一時的な混乱を引起します。結局、ラーンナーでは、つい最近まで統一的な仏教というものはなかったことが、先のクルーバー・シーウィチャイの稿でも明らかですね。
2010/1/31(日) 午後 4:39 [ mana ]
近野 さん
コメント&傑作ありがとうございます。
やはり謀反を起すほどに覇気があり、強烈な指導力を持っていたということでしょうか。この王の時代ラーンナーは最大の力を持って周辺国にその名を響かせます。
2010/1/31(日) 午後 4:42 [ mana ]
仏教に対する正しい教育が今の日本では欠けている気がします。
正しくは宗教に対する教育でしょうか。。。
この頃は怪しげな宗教がたくさんありますから、それも一緒にしてしまうと話は複雑になりますけど…。
ポチりん!!
2010/1/31(日) 午後 4:46 [ ossa ]
OSSAさん
コメント&傑作ありがとうございます。
最近耳にする日本の荒んだ社会は、人の心が乾いているからではないでしょうか。基本的には倫理・道徳観の欠如でしょうが、正しい宗教教育といいますか、道徳心を教えようとしない日教組教育及び、排他的教条的キリスト教徒の弊害だと思います。正しい宗教意識を持てばカルト集団の横行を抑える一助となるでしょう。
2010/1/31(日) 午後 6:42 [ mana ]
仏教を破壊した隣国は人間としての道徳心やモラル等が著しく欠けています、私の自論ですが仏教や日本神道の教えは世界の宗教でもダントツに素晴らしいと思います
一神教は排他的になりすぎますね
隣国は大罪ですね
2010/2/1(月) 午前 0:28 [ 誇り君 ]
黄金色の仏塔は素敵です。
綺麗ですね
傑作
2010/2/1(月) 午前 2:16
誇り君 さん
コメントありがとうございます。
彼の国には、ついに仏教は根付かなかったようです。彼らは現世利益をのみ望みますから、精神的幸せ、道徳・倫理よりも如何に利益をもたらせてくれるかということが信仰の中心になるのではないでしょうか。彼らに必要で、欠けているのが真の意味の宗教心でしょうね。
仰る通り、キリスト教初めいわゆる一神教と言うのは、どちらかというと排他的なところがあり、他宗教と妥協しませんが、釈尊は他宗派との無意味な論争を避け、是々非々の立場を常に貫いたのではないでしょうか。そうした広い心が日本の神道とどこか相容れたのかも知れません。
2010/2/1(月) 午前 5:58 [ mana ]
あゆみ さん
コメント&傑作ありがとうございます。
タイの仏塔は黄金色でとてもきれいです。形も日本や台湾のお寺の塔とは違うかもしれませんね。
2010/2/1(月) 午前 6:00 [ mana ]