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スアンドーク寺院縁起−8−
このスアンドーク寺院には、北部タイで最も美しいといわれるプラチャウ・カウトゥー(PHRACAU KAU TUU)と言う名前の仏像が安置されています。ここでいうプラチャウ(PHRA CAU)とは、現代タイ語で言う「王」を指す言葉ではなく、伝抄本等の北部文字で記された古文書の中においては、「仏像(PHRA PHUTHTHA RUUP)」を意味します。
従って、プラチャウ・カウトゥーとは「カウトゥー仏」という意味になります。
今、「チエンマイーラムプーン観光案内」に沿ってこの仏像について記してみましょう。
プラチャウ・カウトゥー堂(WIHAAR PHRACAU KAU TUU)に安置されているこのカウトゥー仏は、巨大な鋳造坐像仏であり、姿が美しいだけではなく、大きさにおいても目を見張るものがあります。そして、御仏の印は日本では触地印とも呼ばれますが、降魔印で、釈尊が悟りを開く直前、悪魔の誘惑を全て断ち切った瞬間を表し、右手の指先で軽く地に触れています。最もタイに多い印相です。
この仏像は、ラーンナー王国マンラーイ王朝第11代目の王、プラ・ムアンケーウの時代に、チエンセーンとスコータイの様式を取り入れて真鍮で鋳造されたといいます。
このプラ・ムアンケーウの御世は、マンラーイ王朝第6代目の王パヤー・クーナーより続く仏教隆盛の最中にあり、2代前の偉大な王プラチャウ・ティローカラートの名声は、まだ周辺諸国に轟いていました。
そして、仏教を通じてスコータイ、ランカーとの繋がりも絶えることがなく、この時代には、ランカー国への留学僧が帰国し、新しい学派を起こして王国内に新鮮な改革の空気を吹き込んだ時代でした。
これは、プラチャウ・ティローカラートの御世に始まった宗教改革の余波が残っているのではないかと思われます。こうした林住派の僧侶たちは、パーデーン寺院にその活動の場を定めておりました。
その頃のラーンナー王国の高僧の多くは、インドの古代国マガタ国(MAKHATHA)の言語に通じ、マガタ語(PHAASAA MAKHATHA)を持って書籍を執筆するまでに精通しておりました。
ここでいうマガタ語とは、現代にあってはバーリー語(PHAASAA BAALII)と言った方が分かり易いでしょう。このバーリー語はサンスクリット語同様、現代タイ語の中にも様々に染み込んでいて、外国人のタイ語学習者にとっての文章作成時、解読時などに際して時として大きな障害となるものです。
そして、そのマガタ国こそが、仏陀が活動の中心とした王舎城(RAACHA KHRUH)、即ち、現在のラージギル(RAJGIR)を都とした当時のインド16大国の一つで、現在のビハール州(PHIHAAR)に当たります。
仏陀が悟りを開いたとされるブッダガヤ(PHUTHTHAKHAYAA)は、その国にあり、仏陀が説法したと言う霊鷲山(りょうじゅさん=KHAU KHICHANAKUUT)は、王舎城の外れにあります。
釈尊は、その山頂の岩場で説法したとされていますが、フィルムで見るそこは余りにも狭く、釈尊が大勢に説法するには不向きなようにも見えますが、一人瞑想するには向いているかも知れません。
このように釈尊に所縁がある故にでしょうか、上座部仏教にあっては、このマガタ語、即ち、バーリー語を仏陀の用いた聖なる言語としております。
当時のラーンナーの僧のバーリー語能力の素晴らしさを証明する例として、例えば、当時のスアンクワン寺院(WAD SUAN KHWAN)(現在のタムナック寺院(WAD TAMNAK))のプラ・シリマンカラチャーン・マハー・テーラ(SIRIMANGKHLACAARY MAHAA THEERA)が著したモンコン・ティーパニー経(MONGKHOL THIIPANII SUUTR)は、タイ国のみならず、ラーウにおいても、更には、ビルマにおいてすらも学僧(NAKSUKSAA PARIAN)の基本教材となっています。
現在、ピン河を東から西に渡ってターペー通りに差し掛かった交差点の左手隅に仏教会館があり、その角に一人の僧の象が立っていますが、この僧侶こそが余り知られていませんが、シリマンカラーチャーン師に外ならないのです。
師は、その他にも多数を著していますが、師の他にも、プラ・ラッタナパンヤー(PHRA RATANA PANYAA)は、仏教側から時々の動きを記し留めた貴重な歴史資料であるチンカーンマーリー・パコーン(CHINKAALMAALII PAKOORN)を著しています。
しかし、様々な書籍の中に引用されている内容から判断すると、チンカーンマーリー・パコーンは、仏教色が強く、王の名前までどこが異国のバラモン世界の雰囲気をしのばせるものです。
このプラ・ムアンケーウは、篤く仏教を保護し、現在ターペー通り(THANON THAA PHEE)にあるブッパーラーム寺院(WAD BUPPHAARAAM)を建立した他、ムアン・チエンマイ及び、ムアン・ラムプーンの城壁を補修していますが、この補修時に土盛の城壁が煉瓦に変わったのでしょうか。
そして、仏暦2047年(西暦1504年)の子の年の北部暦8月(バンコク暦6月、西洋暦5月)上弦の11日木曜日にこのカウトゥー仏の建立に着手しました。これも資料によれば、本来この仏像はにプラッシン寺院の本尊仏として全住民の信仰の中心とする為に鋳造されたものでしたが、完成の暁にいざ移動させようとすると、余りの大きさに動かせなかったので、止む無くスアンドーク寺院に安置したとされています。
その姿はラーンナーのふくよかなお顔に対して、どこか細長い感じで、いわゆる頭上肉髷相が、炎のようになっていますが、これもラーンナー様式よりもスコータイ様式といえるかも知れません。この仏像の中には、こうしたスコータイの様式の一端を伺うことが出来るようですが、胸の分厚い所、全体的にどっしりとしたところ、逆三角形のような胸の形にラーンナーの面影を残しています。
この仏像は九つの部分からなり、八か所で接ぎ合わせ、その重さが9トゥーである、ということをそのまま信じると、トゥー(TUU)とは古代重量単位で、これを現代の重量に置き換えると、富田竹二郎の「タイ日辞典」によれば、9コーティ・タムルン(KOOTI TAMLUNG)となり、1コーティとは一千万で、1タムルンとは4バーツ、即ち60グラムです。ですから、9コーティ・タムルンとは90,000,000×0.06Kgとなり、5,400,000KGなります。すなわち5,400トンというとてつもない重さになります。
しかし、ラーンナーの言葉で言うトゥーとは、黄金の重さ1000チャン(CHANG)を意味していますので、重量にかなりの開きが出て来ます。即ち、タイ語文献では、9トゥーとは9000チャンである、としています。これであれば、「タイ日辞典」では1チャンとは80バーツ、即ち1,28KGですから、9000チャンとは11,52トンとなります。
これも、資料によれば昔のラーンナーではチャンを単に1キロと計算しているとして、カウトゥーを9000キロとしているものもあります。
これのほうが実数に近いとはいえ、いずれにしても、このカウトゥーというのは、実際の重さではなく、とてつもなく重いという抽象的な意味に捕らえる方が常識的かも知れません。
この巨大な坐像の両膝の間隔は、旧い伝承本によれば8ソーク(SOOK)といいますが、ならば4メートルになります。しかし、同じ文献で述べている3メートルと記しています。そして坐像の高さは4.70メートルに及びます。
しかし、この仏像が寺院の本尊仏としてスアンドーク寺院の本堂、即ち、プラチャウ・カウトゥー堂に移されたのは、仏暦2052年(西暦1509年)北部暦5月(現在の2月)上弦の4日水曜日のことであったと言います。
建立当初、この仏像は如何なる名前を持っていたのでしょうか、伝承は、伝えておりません。理由ははっきりとはしませんが、後年人々がこの仏像の大きさからでしょうか、重さが9トゥーあると信じるようになり、いつの間にか「プラチャウ・カウトゥー」と呼ぶようになったと言います。
古代の話を読む時、新たな物語りを知ると同時に、こうした新たな疑問もまた浮かんで来るのが楽しみの一つでもあります。
そして、この観光案内本の作者サングアン・チョーティスックラッタ(SANGUAN CHOOTISUKHRATN)は、その美しさを北部一のみか、タイで最も美しい仏像であると絶賛しており、賛辞として、この仏像は、奥深い審美感を持ち、そのお顔は何処までも美しく、微かに微笑みを称え、目には深い慈しみの心を宿しておられるというのです。
そして、まるで命を持っているかの如く、姿形はどこまでも美しく、豊満でありながら、太っているわけでも痩せているわけでもありません。その美しさは、筆舌に尽くし難く、見れば見る程奥深い仏の御心を観る思いがして信仰心を起こさずには置かないとのことであります。
(了)
冒頭の写真は下記URLよりお借りしました。
http://muanglanna.com/index.php?option=com_content&view=category&layout=blog&id=10&Itemid=11
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coffee さん
コメント&傑作ありがとうございます。
タイの仏像は、どこもこのように神々しさを誇ります。日本のどこか重厚な雰囲気、神秘的な雰囲気とは一味違ったものを感じさせますが、正面に座ってじっと相対していると、不思議と心静まりますね。以前旅行で各地のお寺を参拝している時には、じっと仏像の前に腰を下ろして対話していたことがありますが、恍惚とした雰囲気に包まれた記憶がありますね。
2010/2/7(日) 午後 4:33 [ mana ]
hemulen_civa
コメント&傑作ありがとうございます。
釈迦如来と脇侍二尊の写真拝見しました。すばらしいですね。
仏像は夫々にどれもすばらしいものです。慌しく通りすがらず、じっと立ち止まって対話してみたいですね。
2010/2/7(日) 午後 4:36 [ mana ]
ジョウジ さん
コメントありがとうございます。
バンコクの渡来ミット寺院には純金の仏があります。かなり大きなもので、修められている同はさして広くなかったように思いますが、一見の価値がありますね。
http://www.wattraimitr-withayaram.com/new_t/history_gb_page.php#3
上のURLで見られますよ。
2010/2/7(日) 午後 4:40 [ mana ]
さくらの花びら さん
コメント&傑作ありがとうございます。
後ろの木と動物は、釈尊が森での修行時に猿などが木の実や蜂蜜を寄進したという説話を表しているのだと思います。こうしたところは、日本の仏教に見られる非常に高度に観念的な仏像とは又一味違った仏像の製作意図ですね。
2010/2/7(日) 午後 4:44 [ mana ]
keiwaxx さん
コメントありがとうございます。
日本の物資は非常に繊細な彫り物を残しましたが、タイの仏像は多くがこうした鋳造物です。しかし、そこに夫々の時代の作風と職人の腕が表れます。そして、地域によって仏像の姿かたちに違いが出て来ます。いずれの時代、作風のものでも信仰心を込めて作り上げた仏像にはやはり魂が宿っているのだと思います。ですから見る人の心に何かを訴えるのではないでしょうか。
2010/2/7(日) 午後 4:48 [ mana ]
NONさん
コメントありがとうございます。
半眼でかすかに下を向いて優しく微笑みながら見守っている優しい心がよく表れていると思います。仏は慈悲の塊ですから、全てを包み込む包容力があるのでしょうね。何故かホットします。
2010/2/7(日) 午後 4:50 [ mana ]
水大使 さん
コメントありがとうございます。
神々しさがでていますね。タイでは日本の仏様のように定期的な誇り払いの儀式などはないようですが、どこのお寺に行ってもこうして綺麗に耀いています。この仏様は真鍮製ですが、バンコクには純金製といわれる仏像もあります。仏様が金色なのは、仏陀の特徴のひとつが体が金色に耀いている、ということから来るのでしょうか。
2010/2/7(日) 午後 4:55 [ mana ]
OSSAさん
コメント有難うございます。
真鍮製ですから色褪せはないと思いますが、やはり金属ですから錆対策はしているのでしょうが、きちんと吹いていれば大丈夫かな、とも思いますが・・・何と言っても優しいまなざしですね。
2010/2/7(日) 午後 5:00 [ mana ]
誇り君 さん
コメントありがとうございます。
背景の木と猿たち動物が如何にも釈尊の存在と溶け合っています。細工者の仏教世界がそこに見事に表されているのでしょうね。そこに職人の美意識があり、宗教心があり、信仰心があるのだと思います。
2010/2/7(日) 午後 5:03 [ mana ]
これは美しい。
しばらく見つめてしまいました。
傑作
2010/2/7(日) 午後 9:34
確かに、というかホントに美しい仏様ですね。思わず手を合わせてしまいました。
2010/2/7(日) 午後 9:45
坐像の高さが4.7mは、普通の平屋建ての家屋の一番上くらいありますから、巨大な黄金仏ですね。やはりこの辺は、インドの影響が強いんですね。面白いですね。
2010/2/8(月) 午前 3:17 [ コロン ]
レッド さん
コメント&傑作ありがとうございます。
美しい仏像はいつまで見ていても飽きが来ないですね。
2010/2/8(月) 午前 6:32 [ mana ]
yam*a*yuic*i さん
コメントありがとうございます。
この仏像に似ていると思われるのが、バンコクのフアランポーン駅近くにあるトライミット寺院にある黄金仏ですね。
2010/2/8(月) 午前 6:40 [ mana ]
コロン さん
コメントありがとうございます。
タイの寺院建築では、通常いわゆる天井なるものはありません。ですから、この仏像を納めている本堂も思ったほど巨大ではありません。そして、タイの仏像が金色をしているのは、仏陀には幾つもの身体的特徴があるとされていますが、耳が長いとか、舌が大きくて額を舐めることが出来るとか、偏平足などの他に体が黄金色というのがあるそうです。ですから黄金で作ったり、黄色に塗ったりしますが、この仏像は真鍮製ですから塗らなくてもいいようです。
2010/2/8(月) 午前 6:45 [ mana ]
仏像のお顔はニッポンのとは雰囲気も違いますが、ありがたい雰囲気が伝わってきます。
お顔に彩色を(@@)
ハスに座っていないし、後光がないのですね。
衣もシンプルですし、スリムです!
耳の長いのは一緒ですね^^
背景の景色が写実的です。
木の下に座っているのは、ここで教えを広めているとかそういうことなのでしょうか?
頭の天辺のとんがったのは髪型?後光?
仏像の髪型について疑問に思ってるのですが・・・
仏陀が天然パーマだったので、それが転じてこういう風(粒粒頭)になったのだろうか、と考えていますが違うのでしょうか?
直毛だったとしても、こういう風になったんでしょうかね?
すみません、思いつくままに書いちゃいました。
2010/2/8(月) 午後 6:00
鎌倉の大仏さんみたいに、上屋が無いのかと思いましたが、いわゆる日本建築にあるような、天井が無く、梁がむき出しになる建築様式ですね。なるほど、確かに低くて済みますね。そう言われると、天井って何の必要があって、存在しているんでしょうね・・・南国に無く北にあるということは、暖かい空気を逃がさないという機能かな?暇な時に、調べてみます。
2010/2/8(月) 午後 10:47 [ コロン ]
むうま さん
コメント有難うございます。
確かに言われてみるとこの写真では蓮の花が見えませんが、台座の下の方にはその形が作られていると思います。いつか具体的に調べてみます。
ビルマもそうですが、時として口紅を塗ったりします。ただビルマの仏像は睫まであったり、目がしっかりと開かれていたりでより人間的な感じがしましたが・・・
衣は今のタイの僧侶もそうですが、基本的には黄衣は、上半身を包むものと、下半身を包むもの、そして儀礼用に長い全身を包むものがあるだけです。従っていずれの仏像も薄着です。ですからバンコクの王宮寺院に安置されているエメラルド仏は季節毎に黄金で編まれた衣を着せ替えます。木の下に座っているのは、菩提樹の木陰で瞑想している姿で、右手の指先が地に触れているのは日本で言う触地印で悟りを開く瞬間に悪魔を退治た相で、タイでは通常降魔印と呼ばれます。頭の上にあるのはいわゆる頭頂肉髷相で、旋毛を表していますが、スコータイなどではこうした形に表しますが、ラーンナーの本来の姿は丸く少し盛り上がったものです。
(続)
2010/2/9(火) 午前 6:29 [ mana ]
むうま さん
日本の仏像に見られるような後光はコチラでは余りありませんが、時として仏像の後に牛車の車輪を模した物が作られることがありますが、これは法を広める、法が世界に広まることを意味しています。
釈尊の髪の毛は天然パーマだそうです。それから足は偏平足です。こういうことは釈尊の偉大さを示す言葉に32相80種好と言う言葉で表されます。
この相、趣向というのは全世界の仏教に共通のものだと思います。変わったところでは、釈尊の舌は長く額を舐めることすら出来たそうです。仏伝では、釈尊の性器は欲望を絶った為でしょうか、外見上は見えず、体内に隠されているそうです。
ちなみに日本語の「相好を崩す」は、仏教で釈尊の相を表すこの32相80種好という言葉から来ていて形が崩れることを意味するようになったそうです。
2010/2/9(火) 午前 6:34 [ mana ]
コロン さん
最近の建築は別にして、タイ族の本来の建築では、基本的に平屋ですから天井というものはありません。そして屋根が急傾斜していますが、これは激しいスコールの直撃を少しでも和らげようとするものですね。また屋内に篭る南国の熱気は部屋の上部から藁屋根の隙間を縫って外に放出されるものです。そして、かつては高床式でしたが、これは、動物たちに襲われるのを防ぐと同時に、洪水時の浸水をも防ぎ、そして又大切なことは、湿気が室内に満ちることを防いでいます。その風土に合わせた作りになっているのでしょうね。
2010/2/9(火) 午前 6:42 [ mana ]