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砂の塔
従来、チエンマイ暦の7月十三夜月の日より満月の日はラーンナーのタイ族のとっての正月とされています。そして、陽暦を採用している現在、この時期は4月13日から15日に固定されました。
いわゆるソンクラーンと呼ばれるものです。
そもそもお正月が神聖な行事であることは、日本のみならず、タイ族にあっても同じことがいえます。そこには伝統文化が色濃く見られます。
世界中からやってくる観光客はこのお目出度い正月に何を求めてやっているのでしょうか。
タイ族にとって神聖なお正月であるソンクラーンは、いつの間にか単なる客寄せの「水掛祭り」に変わってしまいました。そこにはソンクラーンを自らの民族の聖なる正月とは思わない人々がいたのでしょうか。
今の若い人たち、観光客が考えるソンクラーンとは、こうした遊びでしょうか・・・ならば、女性は濃い色の衣服を身につけないと衣服が濡れて・・・そして、誰彼構わず身体に触れてくる男性がいますので要注意ですね。 しかし、今も、田舎に行けば、旧来から続くソンクラーンが残っています。
正月を告げる13日の早暁には、田舎に行けば時として銃声が響きますが、これにより邪気を払うのでしょう。
そして、お年よりは寺院に篭もって僧侶の説法を聞きます。以前には夜を徹して仏生譚が語られることがありましたが、今は如何でしょうか。
そして、人々は、厄除けの香水、贈り物を持って両親、祖父母、その他年長者、尊敬する人のものに行き、過ぎた一年の非礼の数々を詫びます。この謝罪の気持ちの中には、自分で気付かない内に年長者、目上の人になしているかもしれない非礼をも含みます。そして当然に遠く離れて無沙汰の日々を詫びる気持ちも含まれているでしょう。
その時に贈られる物は昔にあってはパー・カ・マーと言う布でしたが、今ではバスタオルに変わり、お菓子、ミルクに変わり、その他受け取り手の喜びそうなものに変わりました。
食べ物は昔にあってはカヌンと呼ばれる、ジャック・フルーツのスープでしたが、これも次第に姿を消し、特別な食事はなくなろうとしているようです。
同じように、お寺に行く人も昔の人出に比べればかなり減少しているのかも知れません。
そして、ここに紹介する砂の塔もまたその数を減らしているのでしょうか。
かつて村の若い男女が両家の親の許しを得ることなく一緒に何かをする、ということは許されませんでした。勿論今風のデートなど破廉恥以外の何ものでもありませんし、手を繋ぐなど論外でした。一緒に農作業することすら憚られていました。
そんな中で若い男女が公然と話し合うことが許される時もありました。
それがいわゆる村祭りというもので、日本においてもかつては同じような光景があったものでした。
そんな中でも、お正月の時期になれば男女は偶然を装って言葉を交わすことがあったのです。そして、村の節目節目の行事に欠かせないのがお寺参りでした。それは日本においては神々との接触がたくさんの神事、お祭りとして残っているようなものです。
そうしてお寺と村人との結びつき、お寺に入ることが自然であり、しかも行事があるとすれば、そんな境内で男女は語り合う機会も出てくるかも知れません。といって寺の木陰で恋を語らうことは罪なことです。
もしも、男女が共にする仏教行事が出来たとすれば如何でしょうか。
このタイのお正月、ソンクラーンの季節になると、昔はお寺の中に幾つもの砂で出来た仏塔が見られました。見上げるほどに巨大なものもあれば海辺の砂遊びのように可愛いものもあります。
そうした砂の塔を作るために、河から砂を運んできて、塔を作る。これは決して男女の恋愛ではなく、神聖な仏教行事である・・・そういう名目が成立しそうです。若い男女が共に河に行って砂をお寺に運んで一緒に仏塔を作る。そして、その作った仏塔に二人の愛の成就を願うとすれば何と微笑ましいことでしょうか。
それを正当化するためには正当化するだけの理由が必要です。
そこで17の功徳が数えられることもあったようですが、多くは普段お寺から持ち出した砂をお返しするのだというのです。
かつて、タイの人々は寺院へ日常的に通っていたものです。そうすると、素足の彼らは寺院境内の砂を知らず知らずのうちに境内から外に持ち出していた、それは罪なことである、と考えるようになりました。
ならば、そうした非礼を謝し、罪の償いの為に知らず知らずのうちに持ち出した砂を寺院に返そうと考えました。それも、ただ砂を運んできて境内に撒き散らすのではなく、そこに塔を建立しようとしたのです。
理由は兎も角、こうして若い男女は年に幾度もない恋を語らう貴重な一日を持つのです。
そうした、砂の塔建立と同じように、ソンクラーンにおいて欠かせないのが、家庭内での行事です。
これは、ある家族がタイの正月のある一日、慣習に従って年長者に対して礼を捧げる「ダムフア(DAM HUA)」と言う儀式です。いかにも楽しげですね。この「ダムフア」が外に出、子供たちの水掛遊びになり、それが今では正月の中心の様に看做されていますが、その原型はこうした厳かなものです。
何しろ40度を越える猛暑の日々です。水をかけられると一時の清涼感を得られます。
ただ、今年も昨年同様、タイのソンクラーンは、炎熱に狂ったかのような暴動に汚されましたが・・・
下記動画はインド系の人の一族におけるタイ正月のダムフアの様子です。伝統をよく残していますが、こうした行事がインドに源を発するのかも知れません。
最後にチエンマイでのソンクラーンのお祭りの雰囲気を少し感じてください。昨年チエンマイ各地代表による県知事にダムフアに向う行列です。
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チエンマイの祭礼
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誇り君 さん
コメントありがとうございます。
タイ人の行列は非常に賑やかで、自然と感情が高ぶりますね。
この時期町を歩くと必ず水に濡れますので、濡れてもいいような格好をします。警察官は銃にビニール袋を被せ、財布もビニール袋に入れたりします。ですから、猛暑の薄着のこの季節、女性は濡れても肌が見えないよう色付き、厚手、もしくは、暗い色のシャツを身につけます。 そして人込みに出ると痴漢が出てくるのもこの時期ですね。
2010/4/14(水) 午前 5:05 [ mana ]
yam*a*yuic*i さん
コメント&傑作ありがとうございます。
よくご存知ですね。サワッディー・ピー・マイが「新年おめでとうございます」ですね。
お祭りと言うのは、どの民族においても神への感謝と穢れを祓う何らかの儀式があるのだと思います。それをどこまで残せるかに民族の伝統文化継承の意識の強弱が出るのでしょうね。
2010/4/14(水) 午前 5:09 [ mana ]
「正当化するためには正当化するだけの理由が必要です」、はい、おっしゃるとおりです。それはソンクラーンの風習に限りませんねぇ。
2010/4/14(水) 午前 7:08
タイのお正月の様子や砂の塔の謂れもわかりました。
異性に感心を示すのは人間の本能、それを仏教の理性で抑えてもやはり限界はあるのでしょうか。当時の人々の知恵を感じます。
傑作
2010/4/14(水) 午前 7:49
MINEさん
コメントありがとうございます。
すべてのものには理由がありますが、それはこじつけのように見えても、実はその裏を見ればそれなりの理由があるはずです。旧い伝承、伝統芸能、風習と言うものはそうした理由を知らなければ形骸化し、風化し、変形していきます。時代の中で変化は止むを得ませんが、中心とあんるその存在理由は守られなければなりませんね。
2010/4/14(水) 午前 9:47 [ mana ]
千葉日台 さん
コメント&傑作ありがとうございます。
しかしながら、タイの人々は既に多くがこうした民族の伝統を忘れ出しています。誤解を恐れずに言うと、タイ族でないタイ人が多数入っていますと、彼らにとってタイ族の伝統は物珍しいだけで、その裏にある意味は知らないまま表面的な遊びだけが広がっていった結果ではないかと思います。
ですから、旧い書物の中にある効した話を紐解きながら文字に残しておきたいと思います。
2010/4/14(水) 午前 9:51 [ mana ]
日本の昔の村祭りも男女のいろいろな意味がありましたね^^
動画は後ほど拝見させて頂きます。
傑作○です。
2010/4/14(水) 午前 10:05
水掛祭り、伯父の住む江東区でもありますね
意味合いは違うのかもしれませんが・・・
男女が両家の親の許しを得ることなく一緒に何かをする
↑、今では考えられませんが、愛國もそうでした!
(暴(笑^^
傑作○です。
2010/4/14(水) 午前 10:40
無理が通れば道理は引っ込むの例えですね。
タイの国外から見ればタイ政府は何を手ぬるいことをやっているの?という程度ですがタクシン派の戦略は中々巧妙なんですね…。
でもタイ王室の力は絶対ではないのですか?以前の軍事クーデターで収拾によくタイ国王が登場していましたが今回も天の声でタクシン派を賊軍には出来ないのでしょうか…?(すみません、情報を良く把握してないもので…)
2010/4/14(水) 午後 2:32
近野 さん
コメント&傑作ありがとうございます。
どこの国もお祭りと言うのは伝統があり、昔には男女夫々に役割分担があったものです。チエンマイでも20数年前には男女が一緒に歩くということは殆どなかったですね。ですから、お祭りの場を若い男女に解放していたのだと思います。
2010/4/14(水) 午後 3:37 [ mana ]
愛国 さん
コメント&傑作ありがとうございます。
日本ではお祭りのときに、群集が水を掛けることがありますが、タイの場合は、本来、目上、年上の人の手に水をかけ、仏像に水を掛けて清めるものでしたが、子供たちは、そうして持ち寄った水を行事の後に擦れ違う人の肩に指で弾くようにして掛けていたのですね、これがいつの間にか水鉄砲に変わり、バケツに変わり、果てはホースでかけるまでに変わりました。こうなると本来の意味は忘れられ、外国人にとっては暑さを凌ぐ最大の遊びですね。因みに現在午後1時40分)の気温は39度です。
2010/4/14(水) 午後 3:43 [ mana ]
puyuma さん
コメントありがとうございます。
タイの国王は今も絶対です。赤シャツの一般参加者にとっても絶対的な力を持っています。
もしもタクシンがその力に挑戦しているとすればどうなりますか。彼はいわゆる枢密院を執拗に攻撃していますが、枢密院は国王の勅任によるもので、議会とも政府とも関係がありません。そして、タクシンは、4年前のクーデターの実質の首謀者を枢密院議長と非難しています。一方、彼自身国王の権威に様々な形で挑戦し、国王の前で外国王室を出迎える身の程知らずのこともしています。その他言い出せば限がありませんが、タクシンは、国王を政治の場に引き出し、騒動を収めるよう「自分に要望」すること、「自分に帰国を求める」こと、など自分を国王の上に位置づけて自分の力が既に国王より上であることを全国民に印象付けようとしているのです。ですから、国王は一切動いてはなりません。代わって政府が完全と対処するべきで、今回外務大臣がはっきりとテロリストと言う表現で世界に発信しています。日本での報道は知りませんが、米国は既にタクシンを国際テロリストと指定しています。
2010/4/14(水) 午後 3:53 [ mana ]
なるほど、イベントでの語らいは、万国共通ですか。
形のあるものを作るという共同作業もいいですね。
2010/4/14(水) 午後 6:22
株式会社セロリの管理人 さん
コメントありがとうございます。
一緒に何かを作る・・・これほど素晴らしいものはないのではないでしょうか。二人が心を一つにして、形を考え、装飾を考え、大きさを考え、そんな話し合いの中で二人が互いによりよく知り合うことが出来れば、砂の塔は永遠に二人の胸の中で聳えているかもしれませんね。これは、家族と言う一つの社会を作る為に必要な互いを理解しあうと言うことになるのかも知れません。
2010/4/14(水) 午後 7:11 [ mana ]
良い勉強になりました
こういう昔から伝わるものは大事にして、是非後世に残してもらいたいですね
2010/4/15(木) 午前 0:38
日本もそうですが、お祭りは出会いの場でもあった訳ですね^^
2010/4/15(木) 午前 1:33
柚ぽん瑠璃珊瑚晴パパ さん
コメントありがとうございます。
こうした伝統行事は、どこか微笑ましいものですが、それを商業ペースに乗せると汚れてきますね。そうした行事を血肉とする人々がそれを守るかどうかですね。
大変に純朴なものがそもそもの村行事だと思いますから、そっと大切に守り育ててほしいものです。
2010/4/15(木) 午前 5:43 [ mana ]
ジョウジ さん
コメントありがとうございます。
日本でもお祭りになれば若い男女は密かに手を繋いだりしていたものですね。大人がそれを目にしてもお祭りの間だけは目を瞑っていたのではないでしょうか。年に数回の村祭りが若い男女が知り合い言葉を交わし合い、互いを更に知るよい機会だったことは日本もタイも同じだと思います。
2010/4/15(木) 午前 5:46 [ mana ]
なんとも深い渉猟ができるブログで感服です。
一日ゆっくり時間を作って寄るべきブログですね。
2010/8/11(水) 午後 7:02
pathvr_machaira さん
過分のお褒めのコメントを頂いて恐縮です。
伝統を放棄しては民族の共通項が失われるような気がします。
これからも宜しくお願いします。
良いお年を。
2010/12/31(金) 午前 5:30 [ mana ]