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落穂拾いー(12)
日本は、今も基本的に仏教国だと思いますが、さて僧侶の出家となると、一般の人々には見る機会が殆どないのが実情ではないでしょうか。これも多くのお寺さんでは世襲で住職を継いだりしますので、家族以外には殆ど関係ないのでしょうか。
真言宗智山派総本山智積院のサイトを見れば、「『度』というのは『渡る』という意味です。ですから『得度=渡るを得る』とは、仏の教えに出会って彼岸(悟りの世界)に渡るという意味になります。そこで、悟りを求めて仏道の修行に入ることを「得度」といい、その儀式を『得度式』といいます。」とあり、具体的儀式の内容に関しては非公開となっていますが、そこに何かの秘儀があるのでしょうか。
同じ仏教を信じる国とは言いながら、タイにおいては少し異なるようです。まず第一に、日本と違って僧侶になる=出家する、と言うことにそれほど秘密性がありません。それは、仏に触れる、という意味で重要であり、社会人としての認知を受ける、という意味で有意義なことだとされています。それ故でしょうか、出家というにも二種類あります。
日本の様に人生の分かれ道、というほどの決意は必要ないようです。ある期間だけ僧衣をまとい、社会人として認められることを求める場合、結婚を前に僧門をくぐる男性が多くいます。その他、身内の不幸に際して、供養のために一時的に僧門に入る人もいます。
中には、二度僧衣を身に纏う人もいます。二度というのは、正式に出家すると227か条にも上る戒律を守らねばならず、常住坐臥全てこれ修行となり、かなり窮屈な日々が要求されます。これも、必ずしもその通りとはいえないようにも見えますが・・・。それはともかく、そうした正式得度出家の前に、そうした227か条もの戒律を厳しく守ることを求めないもので、わずか10か条の戒律を守ることを要求されるサーマネーンという存在での出家です。そして、その後正式出家が許される年齢に達した後、改めて得度出家する場合があります。この場合には、多くの場合もう出家が一時的なものではなくなっているようです。
どのお寺に行っても必ず目にすることが出来る僧衣を纏った子供たちです。ところが、この子供たちの出家風景も、チエンマイなど北部とバンコクでは様子が違うようです。
出家前の出家
いわゆるラーンナーと呼ばれる北部タイは、かつて独立王国でしたので、独自の文化を持ち、独自の文字を持ち、言語も同じタイ語ながらかなりの違いがあります。数十年ほど前までは、初めてチエンマイに来たバンコクの人はチエンマイの市場で買い物をするのもかなり苦労したと思います。というのは、今も基本的に町の市場で使われるのは地元の言語だからです。
そんな違いの一つに仏教がありますが、その違いについてはかつてご紹介したことがあり、その中には、当地の僧侶のうちまだ正式に得度していない、すなわち、227か条の戒律を受けていない小僧さんが、夕方実家に帰って家族と食事をしたり、時には実家で寝泊りしたりという、バンコクでは考えられないことがありました。
そうした習慣とは別に、ここに興味深いラーンナーの地の出家行事があります。これは、正式に出家するのではなく、仏教を肌で感じ、欲すれば将来的に正式に得度出家することも出来る、サーマネーンと呼ばれる小僧になるための行事です。ただし、小僧さんはチエンマイのどのお寺にも見ることが出来ますが、その出家風景の独自の形をチエンマイ市中で見ることは至難の業です。しかし、これも田舎に行けば時には見ることも出来ます。とくに、メーホーンソーン県にはまだ色濃く残っているようです。
村の少年が出家しようかという年齢に達します。小学校を卒業したばかりです。中には、卒業前の子もいますし、卒業して既に中学生になっている少年もいます。父親は、子供の成長を喜ぶと同時に、習慣に従って仏の教えを肌に感じさせる為に、自らが信心しているお寺に出向いて住職と出家についての打ち合わせをします。大体学年が終わる3−4月頃でしょうか。ちょうどチエンマイでは夏盛りの暑い日で、学校は夏休みに入ります。子供たちをお寺に預けるには最もいい時期です。その日が決まると、次に親類縁者に少年の出家が触れだされ、いよいよ行事の始まりです。
噂は忽ちにして村中に広まり、出家の日が口から口に伝わって行きます。さまざまなものが用意されます。出家の行事に要する衣装だとか、楽団だとか、料理も考えなければなりません。大人たちが、準備に走り回っている頃、少年はお寺に入って出家後の作法、出家の為のバーリー語及びサンスクリット語での問答の勉強、などなど少年なりの出家の準備をします。
この行事は、ビルマに多く住するタイ・ヤイ族という部族の習慣が本来のもののようで、彼らの間では、この行事はポーイ・サーンローン(POOY SAANG LOONG)と呼ばれ、『小僧になる前の行事』という感じでしょうか。これもチエンマイのタイ語では『ンガーン・ルーク・ケーウ(NGAAN LUUK KEEW)』となります。この出家しようとする少年をルーク・ケーウ(宝玉)と呼びますが、これは少年が両親にとってどんな宝にもまして神々しく見えるからかもしれませんし、まもなく僧衣を纏って本物の宝石になるのですから、こうした命名もあながち的外れではないかもしれません。
この間の行事は、通常三日間に亘って持たれるようです。最初の日を準備日としますが、この日、少年の家は朝から大変な人だかりです。少年は髪の毛を剃りますから、もう後戻りは出来ません。タイでは、僧は眉毛も剃り落としますが、ビルマでは眉毛までは剃りませんので、この行事においても少年は眉毛を残したままです。そして、大衆演芸劇団の芸人のように美々しく着飾り、サングラスをかけ、もてる限りの宝石で飾り、頭はビルマ風に布で包み、冠すら被ります。ついで、村の長老、家系の長老たちのもとに挨拶に向かい、出家の挨拶と同時に祝福の言葉を受けます。
村人たちも、紙幣を竹に挟んで突き刺し、あたかも一本の樹のようにします。『トン・ンガーン(TON NGAAN)=金樹』と呼ばれるものですが、お金に触れることが出来ない僧に対する寄進の『樹』です。その他、お祝いにやって来る村人を持て成す食事の準備もまた主催者の責任で、これもまた村人の協力なくしては出来ません。
翌日は、少年は同じく美々しく着飾った服装で馬に乗り、村の中を練り歩きますが、この時賑やかなお囃子が先導し、村人たちが踊りながら練り歩きます。馬は興奮しているのか、そのように訓練しているのか、嬉しそうに小さく飛び跳ねるようにして行列を盛り上げます。
そして、最後の三日目には、いよいよ出家です。この時、美々しく着飾った少年ルーク・ケーウは、馬に乗ったままお寺に向かい、白衣に着替えます。それは正式に小僧となるための前段階です。場所は、お寺の御堂です。村人たちが集まり、白衣の姿を見て微笑む人の中で、母親は嬉し涙を流します。女性の出家が認められないタイでは、息子を出家させることがたとえ一日であっても母親にとっての最大の務めを果たすことであり、最大の徳を積むことでもあります。
かくして、白衣に着替えた少年が、僧の前で出家を誓い、指導僧が少年に黄衣を着せます。黄衣を身に纏うと、その瞬間から少年は俗世間から離れます。もう子供であっても子供ではないのです。黄衣を纏っただけで住む世界が変わり、母親といえども、子供に両手を合わせて拝みます。
そうして、やがて出家したばかりの少年僧が、この行事に集まった親類縁者を前に初の説法が行われると、村人の誰もが少年に三拝し、行事が終わります。
その間、三日にわたって少年の家では、にぎやかに楽団が演奏され、掛け合いの歌が歌われ、村人が協力して料理を作って参加者に振る舞います。勿論村人から出家する少年に夫々寄進が行われることはいうまでもありません。
何年か前に見た村の行事では、少年を乗せた馬は、そのまま御堂に上がり、馬から下りた少年がしばらく姿を隠した後現れた時には、白衣に変わり、身を飾る一切のものがなくなっていました。その時少年はルーク・ケーウからナーク(NAAKH)に生まれ変わっているのです。そして、いよいよ10戒を受けての出家の儀式が始まります。
僧侶の前に出て戒を受けますが、その間御堂は静寂に包まれ、縁者、村人は誰もが神妙な面持ちで儀式を見守ります。やがて出家が許されると、新米小僧さんは、重々しく始めての説法を村人、縁者にします。その時、家族、特に母親はこの上ない喜びに浸るようです。この行事に入る前の幾日かお寺に通って修行していたことの成果がこの初説法に表れます。
ただ、何故こうした行事がバンコク周辺のタイ族にはなく、ビルマにいるタイ族の間に広まっているのかまだ正直分かりません。ただ、ここチエンマイはその建国の始めよりビルマのタイ族との接触があり、民族としても兄弟関係でもあり、そうした彼らの影響を受けたのでしょうか。それとも、かつてビルマがチエンマイを占領していた時代、多数のタイ・ヤイ族がビルマと一緒にやって来て居を構えましたので、その痕跡でしょうか。今こうした行事が一番色濃く残っているのは、タイ・ヤイ族が多く居住するメーホーンソーン県です。
では、この行事は何を意味しているのでしょうか。
単に、お寺に出家の申し入れをして許された時点で日取りを決め、みんなして出家すればいいと思うのですが、実際、バンコクなどの出家は、こうしたお寺と出家希望者の間の日程調整が全てです。
こうした賑やかな行事は何を意味するのでしょうか。
もしも想像が許されるならば。釈尊の出家を真似ているのかもしれません。釈尊は29歳にしてただ一人の従者チャンナを伴い、愛馬カンタカに跨って城を出て行きます。四門出遊です。当然その身分は前途洋々たる王子でした。夏、雨季、冬用の三つの宮殿と多数の使用人、潤沢な経済力は、飽食をもたらし、美女と楽団が周りを取り囲んだ何不自由ない生活をシッタタ王子は、捨てたのです。出家のその日も、その身には美しい剣を帯び、当時としては豪華な衣装に身を包んでいたでしょう。そして、森に入るに際して馬を下り、剣を持ってフサフサの髪をバッサリと切り落とし、全ての持ち物、装飾の品々を従者チャンナに渡し、馬共々帰城させると、一人森に入りました。着ている物すら通り合わせた乞食に差し出し、代わりに乞食が身に纏っていた汚れた衣に身を包みました。
そうした富の放棄をこのルーク・ケーウの儀式は表現しているのかもしれません。こうした儀式を守ることで、出家の意味を伝え、村人の間では共同体意識が生まれ、行事の準備から共にすることで相互理解が生まれ、協力・分業の共同体組織が出来上がり、しかも民族の宗教を守り、伝統を守るという様々な利点があります。
こうして、出家した小僧さんですが、出家の期間は、そのまま何年でも構いませんし、その後、227か条の戒を受けての正式出家も可能ですが、夏休み中だけ、という場合もあれば一週間という短期間もあります。
先祖より受け継いできた習慣を守ることにこそ意味があるのでしょう。
しかし、タイ族社会の中に様々な血が混じり合い、外部からの情報が流れ込み、文化が流れ込んでくると、村組織においても意識の共有が次第に崩れ、共同体の中に外部から入ってくる様々な文化に旧来の文化が押しやられて行きます。様々な行事がもう昔のように旧態依然として守るだけでは保存できない状態です。守る為には、強力な意思・必要性の理解が求められますが、タイの社会にそうした意識が見えてこないような淋しさを覚えます。
(了)
中等教育副読本である『タイの地方を知る副読本』の中の『北の町の物語−伝統・習慣変』に掲載されている『北のルーク・ケーウ、ポー・ナーク』を参考にしました。
写真は、ルーク・ケーウの写真です。
ルーク・ケーウの行列
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道後 さん
コメントありがとうございます。
オーム心理教の事件もコチラで知ったのですが、あの教えは釈尊の教えとは程遠いものですが、それにのめりこんだ人たちはよほど宗教に飢えていたのだと思います。逆に言えば、既存の仏教界が正しい布教活動をしていなかったからかもしれません。日蓮正宗といいながら、寺院から破門された団体が尚権勢を振るっているとは、もう宗教団体ではないですね。仏教界が、正しい釈尊の教えを広め、各宗派が夫々に教えを広めていけば、似非宗教団体に迷い込んだ人を救うことが出来るはずなのですが。
僧侶一人一人が釈尊の弟子として教えを広めて欲しいですね。釈尊の教えは人生の全てに亘って有意義なはずです。
2011/2/20(日) 午後 9:11 [ mana ]
NON さん
コメントありがとうございます。
北タイ方面の田舎で見られる子供の出家儀式ですが、これほど仏教が人々の生活に密着しているのですが、日本も昔は生活の中に入っていたはずですね。結婚するに際して花嫁は、仏壇の前で手を合わせていたのですが、今は核家族化してそんな光景も見られないですね。
タイでは、今も人々の生活と寺院が切り離せませんから、タイ人が多くいる町は世界のどこにも必ず仏教寺院を建立していますね。
2011/2/20(日) 午後 9:16 [ mana ]
ジョウジ さん
コメント&傑作ありがとうございます。
家族、特に母親にとっては障害またとない善行を積むときですが、村人からすれば、楽しみであり、みんなで一緒に何かをする共同体意識が目覚め、会食の楽しみ、生活の中での楽しいアクセントでもあります。特別な娯楽のない田舎では、こうした行事はまたとない娯楽ですね。そして、村の子供がお寺にいるから村人とお寺の繋がりがより身近になるという利点もありますね。お寺に知り合いがいれば何かと入りやすいですから。
2011/2/20(日) 午後 9:21 [ mana ]
出家前出家する子どもたちの割合や、その経験者からの本格的な出家者の割合はどうなっているのか少し興味があります。信心を深める意味と職業としての意味合いはあるのでしょうか?
2011/2/20(日) 午後 9:24
yam*a*yuic*i さん
コメントありがとうございます。
今の日本は人の動きが激しく早く、一つの地域で神社仏閣と深く付き合う人は少なくなっていますね。残念ですが、これはある意味時代がそうなっているのでいまさら昔のようになることは出来ないでしょう。であれば、少ない人が、懸命に守り、育てながら、新規参入の人たちに意味を教えながら少しずつ参加してもらう広い心が必要になるでしょうし、新規参入者が入りやすい環境を作ると同時に、新規参入者も入り込む努力が必要でしょうね。
まずは、日常の挨拶からでしょうね。挨拶が出来れば、後は自然と話が続くと思います。初めて入ったお店では何か話すでしょうから、それと同じ要領ですよ。
みんなお互いに話しかけてくれるのを心の中では待っているのかもしれません。
2011/2/20(日) 午後 9:28 [ mana ]
aen_ukon99 さん
コメントありがとうございます。
こうした行事に参加する人は、きわめて少ないです。本来タイ・ヤイ族というビルマにいる部族の習慣で、彼らがタイ国内北部に分布しているので、習慣が残っているだけです。タイ族の中では極めて少ないですし、タイ人でも見たことがない人が殆どかもしれません。
こうした子供が正式な僧になる比率は、昔はかなり高かったでしょうが、今では非常に少ないです。正式僧の数は4万とも言われますが、子供は多分その倍以上いるでしょう。ただ、タイの男性で一度として出家経験のない人を探すのは難しいかもしれません。一つには、結婚しようとすると、女性側の両親は男性の出家経験の有無を聞きますから。出家経験がない男性はまだ『未熟』ということで一人前ではない、すなわち結婚資格なしとみなされました。そして、親類の不幸があると少年でも誰でも男性が出家するのが決まりです。
そして、今も田舎では貧困ゆえに子供が出家する場合がありますが、この場合は案外還俗しないですね。出家期間中は、結構お布施が入りますので、それを両親に渡して生活の足しにもするでしょうから。
2011/2/20(日) 午後 9:38 [ mana ]
>守る為には、強力な意思・必要性の理解が求められますが・・
日本のことを言われているようです。
傑作
2011/2/20(日) 午後 10:19
さくらの花びら さん
コメント&傑作ありがとうございます。
様々な文化に触れ、異なる文化が入り込み、異なる文化を持つ人が入ると、旧来の伝統文化に対する理解がありませんから、そこで文化の継承が途切れる可能性があります。これは、別の地域に行くことで自分の文化と異なるものに接し、他人の目になってしまうと、現地の文化に溶け込めない現象が起こります。ですから、流れの激しい現代、伝統文化は沈黙していては消えて行きます。常にその成り立ちを確認し、意義を確認しながら後継者を作る努力が求められると思います。逆に、地元の伝統行事、神事に参加し、それを肌で感じ、一緒になることで文化を共有できるのだと思います。そうした伝統・習慣を無視することは、地域社会の崩壊を促す危険性があると思います。
2011/2/21(月) 午前 5:44 [ mana ]
大いに同感です。
日本再建を!
こちらこそ、ご来訪やランキング応援に感謝を申し上げます。
また伺います。
2011/2/21(月) 午前 11:11
近野 さん
ご支援ありがとうございます。
伝統も行事も何もしなければ消えていきます。伝えなければ知られません。見えないものを信じる心は、小さい頃の先祖供養が始まりかもしれません。仏壇の前で先祖の霊を拝し、神棚で神々を祀る習慣を続けていくことが文化・伝統の継承だと思います。
2011/2/21(月) 午後 0:41 [ mana ]
守るということはどういうことなのでしょう・・
その意識その必要性を理解し実行する・・
新しい考えを掌握・・・なのか・・犠牲なのか・・
それは進化ということには無縁ですか?
・・頭が混乱・・変なコメントお許しください。
2011/2/21(月) 午後 10:53 [ デバイス ]
日本は大乗仏教でありタイは小乗仏教でしたでしょうか。その点がこの相違点に影響を?
傑作
2011/2/22(火) 午前 5:42 [ 彩帆好男 ]
デバイス さん
コメントありがとうございます。
守る、ということはその本質を伝える、ということではないでしょうか。伝えるために行事がありますが、行事もまた本質を表すために役だ立たなければなりません。神社の守り神は何なのか、お祭りは何故あるのか、などです。
お盆の灯篭流しも何故流すのか、それを理解しない為に、単に流れた後にゴミになるとして中止するところが出てきます。流した翌日、岸辺に流れ着いた船は、既にご先祖をお送りして用済みになったと思えばいいのではないでしょうか、そうすれば、当然清掃すればいいのではないでしょうか。流すことはご先祖の霊を見送ることです、流さなければご先祖の例はどのようにして帰れば良いのでしょうか。その為に、お盆には家族全員が故郷に集まるのだと思います。
2011/2/22(火) 午前 6:27 [ mana ]
彩帆好男 さん
コメント&傑作ありがとうございます。
ご指摘の通り、日本とタイでは、同じ仏教とはいえ、基本的に異なるのは、日本は衆生救済の菩薩道を主としますが、タイでは、個人の悟りを目的としますので、進む方向が違います。ですから、タイでは、真に仏教徒であるためには、僧侶になる必要があります。それを回りに知らせるために出家の行事があり村人に広めます。出家は個人的ですが、それを知らせることで周りに自分を認めてもらおうとするのでしょうし、女性の出家が許されないタイでは、村の女性たちがそれを機に徳を積みたいのでしょう。
2011/2/22(火) 午前 6:46 [ mana ]
私が以前住んでいた農村にも、毎年その村の神社でくじ引きがあり、お祭りをする家が決まる行事がありました。当番があたった家、当家になった家は、神様を迎え、村じゅうで、その家に集まって、料理を作り、お酒を飲んで、お祭りをします。それがけっこう大変なので、みな当家に当たることを嫌っていました。だんだん共同体意識も生粋の村人以外の人が入ってくると、希薄になってきて、お祭りもただ面倒に感じるだけの人が多くなります。たしかに現代の生活には、不適合な部分が多いのですが、だからといって、こうしたお祭りを廃止してしまうのは、さびしいもので、何とか両立させるように、現代の仕組みの方を伝統存続に合わせてゆく方法はないかと思います。
傑作
2011/2/22(火) 午前 8:53 [ さざんか ]
さざんか さん
コメント&傑作ありがとうございます。
行事を維持することは大変な苦労が付き物ですです。ですから共同体意識が必要になり、それに協力しない人たちは、極端な場合昔では村八分にされました。
確かに、最近では人の移動が激しく父祖の代からその地にいる人は少なくなっているでしょうが、そうした伝統を守る為には、双方の努力が必要です。旧来からの人たちは、新たに参入した人たちを迎え入れる度量の広さが、そして、参入者は地元の中に受け入れてもらう謙虚さが、その共通項は共同体意識ですが、これはいつの時代にも双方にとって有意義であり、時に煩わしくなります。しかし、共同体意識を持たないと、結局どこに行っても余所者で終わり、いつの時代にも孤立した存在になります。昔からの人は面倒がらずに参入者に旧習を教え、時には馳走しながら、徐々に参加してもらうのがいいのでしょう。当然なじむ頃に離れる場合もあるでしょうが、それによって自分たちの文化が他に広がると思えばいいのではないでしょうか。出来れば、今の時代ですから、全てを映像化して、時々みんなで確認するのもいいかもしれませんね。
2011/2/22(火) 午前 10:38 [ mana ]
こちらこそ、ご来訪やランキング応援に感謝を申し上げます。
また伺います。
2011/2/22(火) 午前 11:14
伝統に基づいた様々な行事が守りきれなく衰退していることは世界中で起こっている現象でしょうね…。
おそらく流れ込む情報の多さや交通機関が発達して人々の往来が激しくなり昔のように大きな鍋に入っているスープに少々の水を加えて行っても味は変わらなかったのが最近では加える水が多すぎてスープ自体が変質してきたのかもしれません。但文化を守るとはその表面的なものを模倣するだけでは意味が無く、その文化の背景に有るもの即ちアイデンティティを確立する必要があり簡単なことではありません。一度途切れた文化を再生させることはもっと難しいでしょうね…。
2011/2/22(火) 午後 4:44
近野 さん
いつも温かいご支援ありがとうございます。
2011/2/22(火) 午後 6:33 [ mana ]
puyuma さん
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り大きな流れは大変に激しい勢いで村に入ってきます。同じ民族内の移動であっても、地域が違えば伝統習慣が異なります、まして異民族、部族外からの流入が激しく大量かつ急速であれば、対応しきれないかもしれません。
しかし、華人はどんな大きな町に数人で入っても決して自分の文化を捨てません。ユダヤは決して自らがユダヤであるという誇りを捨てません。一方、タイ族は、異民族を平然と受け入れ、血を混じらせ、平和裏に暮らすのですが、新たに混じり込んで来た血の持ち主がこれまでの民族と違ってタイ族の習慣を守らなければどうなるでしょうか。大人しいタイ族は自らの文化を薄れさせていくしかないのです。
ですから、伝統行事を守る、という意識は、自分がタイ族であると言う誇りを持つことではないでしょうか。どれほど血が混じろうと自らがタイ族であるという意識をしっかり持てば、タイ族と他民族との違いを意識するのではないでしょうか。
薄れ行く文化、欧米流一色になりつつある一面と華人文化が大きくなりつつある一面を見ながらそう思います。
2011/2/22(火) 午後 6:46 [ mana ]